第30話 3日目は釣り日和【準備編】

 朝食を終えた一行だが、それぞれに動き始める。

 エイビスは釣竿の準備、フィアはランチの準備、アレッタとネージュはふたりの手伝いだ。


 そうと決まれば振り分けである。

 これはフィアが早かった。


「ネージュはエイビスと釣りの準備、アレッタは俺とランチの準備だ」


「「ちょっと待って」」


 エイビスとネージュの声が重なる。


「ちょっとなんであたしがエイビスと一緒なのよ」

「僕はアレッタがいい」


 お互いの言葉に、ネージュは眉をひそめ、仮面のエイビスは微かな揺れで動揺を示し、じっと睨み合う。


「そうは言うが、釣りの準備は荷物運びがメイン。アレッタには無理だろ?

 さ、ふたりともわがまま言わず」


 フィアの言葉に押され、ふたりは嫌々ながらも外へ出て行った。

 開かれた扉から見えた景色はとても和やかで、今日の日差しは暖かそうだ。柔らかな黄色に染まっている。

 だがふたりの足取りが、大変重い。

 フィアはその動きにため息を落として見送ると、改めてアレッタに振り返り、服を差し出した。


「アレッタはこれに着替えてこい」


 フィアが取り出したのはサロペットだ。

 紺色のデニムでできており、膝には黒猫のアップリケがついている。

 ポケットも豊富で、胸の前にあるポケットは握り拳が2つ入りそうなほどに大きい。ここならエンを入れて歩けそうだ。


「中にはこのチェックのシャツを着て、次にサロペットを着ろ。ドロワもいらんからな」


 服の着方の説明を受けたアレッタは、笑顔で大きく頷くと、エンを頭に乗せて部屋へと駆け戻っていく。

 その後ろ姿を見送るフィアの耳には、どうしてか大きな音と大きな声が聞こえてくる。

 その方向は、中庭にある小さな倉庫だ。

 釣り道具があるその倉庫で、どんな惨劇が繰り広げられているのだろう……


「……エイビス、生きて、準備を終えてください…」


 天井よりも遠い空を見上げ、フィアは呟いた。




 着替えを済ませたアレッタはキッチンへ舞い戻り、フィアとランチの準備に取り掛かった。


「アレッタ、今日は魚を食べる。だがそれだけじゃ腹はそんなに膨れない。

 だからキノコのシチューも持っていくぞ。なのでアレッタはキノコをほぐしてくれ」


 水場に台が置かれており、フィアはアレッタを抱えるとその台へと乗せた。

 すぐに蛇口がひねられ、手を洗い終えたアレッタにキノコが渡される。

 にょろにょろとひと塊りになったキノコはすでに石づきが外されていたので、アレッタはそれをもぐようにほどいてザルへと入れる。

 エンはアレッタの思惑通り、胸にある大きなポケットにすっぽりと入った。そこから半身を乗り出し、キノコにじゃれる。アレッタはそれに笑い、フィアとまったりと作業を続けていたとき、彼が口を開いた。


「アレッタ、体調はいいのか」


 フィアの手元ではマッシュルームのスライスが終わり、次にナイフでジャガイモの皮を剥き始めている。

 アレッタには玉ねぎが手渡され、皮を剥くよう促された。大ぶりの玉ねぎはアレッタの手にあまるが、流しに押しつけるように置き、ゆっくりと剥いていく。


「……体調は大丈夫。大丈夫だ。……まだ最後の覚悟はできてないけどな」


 そう言ったアレッタの口元は笑っている。どこか吹っ切れたそんな笑みだ。


「確かにな。今日を含めて5日は間違いなく死なない。

 ……そうだ、お前も魔族になればいいだろ。死は来ないぞ?」


「この体でというのか?」


「その方がだいたい許せる」


「何を言うんだ、フィア。

 私は天使に戻る! だいたい冤罪が解決していない。

 ……そうだな、フィアが天使の私を見たら驚くだろうな。

 もっとたくましく、もっと背が高いんだ、私はっ!」


 アレッタは剥き終わった玉ねぎを掲げ、受け取ったフィアは笑った。


「それはわかるが、よっぽど身長にコンプレックスがあるようだな」


「当たり前だろ。こんな不自由な生活は今までしたことがない。

 ほんと、ヒトは生きる工夫が欠かせない」


 ため息交じりに言うアレッタに、「確かにな」フィアも相槌をうつ。


 フィアは渡された玉ねぎをスライスし終えると、鍋に火をかけ始めた。そこに多めのバターを溶かし、鍋底に広げていく。

 玉ねぎ、小さく刻んだジャガイモを炒めはじめ、次にキノコ類、鶏肉も鍋に加えて、しっかりとそして焦げないように火を通す。

 下味をつけ、ジャガイモが柔らかくなったのを確認すると、火から鍋を下ろし小麦粉を振り入れた。

 具材にまんべんなく粉をからめていくのだが、アレッタはその白い粉に釘づけになる。


「……フィア、この粉は?」


 こぼれた粉を舐めてみたが味などなく、口の中でパサパサとしてひどい食感だ。

 嫌そうに顔を歪めたアレッタに、フィアは呆れながら手を洗わせると、


「この粉はパンにもなるし、こう具材にまぶしてから水を加えて煮込むととろみが出るんだ。

 今日は牛乳で煮込むけどな」


 鍋を再び火にかけていく。粉っぽさがなくなるまで炒めたら、牛乳を少しずつ流し込む。

 ひと塊りになった具材をほどくように優しく混ぜると、しだいに牛乳にとろみがつきはじめた。

 それがくつくつと音を立てる頃には、アレッタの目がランランと光る。


「……アレッタ、味見してみるか……?」

「うん!」


 フィアの言葉にかぶるぐらいの勢いで頷くと、フィアは小皿にほんの少しシチューを注いでくれた。

 それをべろりと食べてみる。


「………」


 アレッタは無表情で固まった。

 いつものように美味しくないのだ。

 フィアはその表情に声を立てて笑い、大きくアレッタの頭を撫でた。


「素直でいいな、アレッタは。まだこれは完成じゃない。味が薄いだろ」

「……うん」

「これにコクと塩気を出すためにチーズを入れる」


 棚の奥から布に包まれたチーズを取り出すと、専用のスライサーで削りだした。

 小さなチーズのカケラをアレッタに与え、自分も頬張りながら、鍋の中にたっぷりとチーズを溶かし込む。


「もう一度、飲んでみろ」


 再び小皿が渡され、アレッタは少し緊張の面持ちでそれを舐める。


 コクリと飲み込んだあと、アレッタの表情が弾けた。

 味に奥行きが出ると言うのは、まさに、このこと!

 溶けたチーズでさらにとろみがつき、よく舌に絡んでくるのはもちろん、鼻に抜けるチーズの香りがアクセントになって、豊かなシチューになっている。さらにキノコの旨味もより引き立ち、ひと口では足りない美味しさだ。

 もう、アレッタの口の中は涎でいっぱいになる。


 あのジャガイモをほおばったらどうなるのだろう……

 あの鶏肉を噛み締めたらどうなるんだろう……

 シチューの中身を見てそればかり考えてしまう。


「アレッタ、次に食べるときは魚が焼けてからだ。チーズでも噛んでろ」


 口に放り込まれたチーズは少し硬めで、ほろほろと舌で崩れると塩気と旨味がにじみ出てくる。

 しゃぶるように舌で転がし飲み込んだとき、中庭につながるキッチンの扉が開いた。


「用意、できたぞ……」


 エイビスだ。

 だが仮面に傷がまた増えている……

 フィアはそれに動じることなく、返事を返した。


「こちらも準備が整ったところです」


 フィアは手提げのついた大きめのカゴにシチューの入った鍋、パン、魚を焼くための道具一式、鉄ポットと茶葉、食器とカトラリー類を詰め、よいしょと持ち上げた。


「デザートは帰ってきてから作ってやる。今日はいっぱい動けよ」


 アレッタにフィアは言うが、ネージュはタオルで汗をぬぐい、親指を立てた。


「私はもう十分動いたわ。少しスッキリした。

 ……エイビスは殺せなかったけど」


 再び睨まれたエイビスはびくりと肩を震わせると、


「僕、九死に一生を得たと思う……」


 ため息交じりに汚れて破れたスーツを叩き、新品のスーツに直してしまった。

 そして軽く首を回して襟を正す。


「よし」


 そう言ったエイビスの足元で、アレッタは彼のズボンの裾を引っ張った。


「エイビスはすごいな。服も直せるのか」


「ああ、僕とフィアの魔術は、再生がメイン。フィアは怪我を治せて、僕は服や物が直せるんだよ」


 言いながら仮面の傷を手で撫でていく。撫でた先から傷が消えているのはそういう原理だったようだ。

 見惚れるアレッタをエイビスは抱え上げ、朝と同じく肩車をしだした。


「エイビス、私は歩くぞっ」


 アレッタは仮面を掴んで揺らしてみるが、首があらぬ方向へ曲がっても下ろす気は無いようだ。

 アレッタの膝を片手で押さえ、もう片方で仮面を被り直したエイビスは、アレッタを見上げるように仮面を向けた。


「だって君はどこに飛んでいく変わらないだろ?」

「エイビスからもらったペンダントをしているから探せるだろ」

「それでも探すのは面倒だもの。それに手を繋ぐのは僕だと体が辛いんだ。君が小さすぎるからね。だから肩車がいいかなって」


 ご機嫌な足取りでエイビスが庭へと歩き出すので、ネージュが釣り道具を抱え、慌てて追いかけていく。


「ちょっと、あたしのアリーを下ろしなさいよっ!」


 フィアは戸締りをしながらも、先を歩くエイビスに声をかけた。


「エイビス、また殺されかけますよっ」


「大丈夫! アレッタが僕の盾になってくれるから。

 ……そうだよね、アレッタ?」


「……そういう意味じゃない」



 賑やかに釣り場へと向かっていく4人に迫るのは、穏やかな時間ばかりではない。

 再びの試練が、すぐそこに迫っていた。

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