第29話 3日目の過ごし方

「エイビス、風邪ひきますよ!」


 フィアの声に、エイビスは目を覚ました。

 そんな感覚がする。


 エイビスは目の奥に残る天使の残像をまぶたの裏に浮かべながら、ゆっくりと目を開けた。


 やはり、目の前にはあの少女がいる。

 怪我まみれで、食事の仕方がとても汚い、小さい小さい幼女。

 そんな彼女は小さな手を振り、フィアにおはようと声をかけた。


「アレッタ、おはよう。怪我は大丈夫そうだな。

 エイビス、もうすぐ朝食の準備ができます。身支度を整え降りてきてくださいね。アレッタもだぞ!」


 テラスから体を乗り出し言ったフィアは、アレッタに釘を刺し、体を引っ込めた。

 それと入れ替わるようにネージュがひょっこり顔を出す。



「あ、ああああ、ああたしのアリーっっっ!!!!!!!

 こんのぉぉぉエロ変態紳士ぃぃぃぃぃ!!!!!!」




 ───朝からの追いかけっこ殺し合いは、壮絶だ。


 いきなり放たれた氷の矢をエイビスは間一髪で避けると、アレッタを抱え、庭へと飛び降りた。

 妖精が撒き散らされるように飛び立つなか、彼の背後をネージュは追う。

 追尾型の氷の球はとても鋭く、エイビスの仮面をかするだけで簡単にえぐってしまう。


「ネージュ、やめろっ!!!」


 抱えられるアレッタは必死に叫ぶが、ネージュには届かない。

 彼女の目は金に染まっている。

 それの意味は相当の殺意を持って、氷を放っているということだ。


「エイビス、私を下ろせっ」

「そんなことしたら、間違いなく僕が殺される。君は僕の肩ごしに顔を出しておいて」

「……私を盾にするのか……?」

「だって、しょうがないだろ?」


 寝間着姿で走るネージュに、半裸で飛び回るエイビス、抱えられたキャミソール姿のアレッタは、怒声と悲鳴をあげながら、縦横無尽に庭の中を動き回る。



 まさに、地獄絵図!!!!!!!



 これに終止符を打ったのはフィアだ。

 ネージュを囲むように炎の壁を作り上げ、身動きを封じたのである。


「ちょっと、フィア! この炎どけなさいよっ!!!!」


 フィアの炎は特製らしく、ネージュの氷では消すことができない。

 地団駄を踏みながら罵声を轟かせるネージュに、フィアが一喝した。


「貴様、いい加減にしないと、飯抜きにするぞっ!!!」


 瞬く間に氷のオーラがしぼみ、戦意を喪失したのを確認すると、エイビスはその場にへたりと座り込んだ。


「はぁ〜……僕、死ぬかと思ったよ…」


 エイビスの仮面は無残にも傷だらけだ。

 だが半裸の体には怪我はないようで、引き締まった白い肌に大粒の汗を浮かべている。


「こんなに走ったの、いつぶりだろ……」


 アレッタはぼやくエイビスの手を握り、よいしょと立たせた。

 すかさずフィアが現れ、エイビスにタオルが手渡された。


「怪我してませんか?」

「僕は大丈夫。それよりネージュは?」

「しばらく頭を冷やすのに、炎の檻の中にいれておきましょう」


「ちょっと聞こえたわよ、フィア!!!!

 力抑えたんだから、この術、解きなさいよっ!!!」




 ……このやりとりのおかげで、アレッタをはじめ、ネージュ、エイビス、フィアはそれぞれ風呂に入ることになってしまった。そのため、朝食は少し遅めの9時となる。


「……今日の朝食は、昨日の残りのスープとパン、あとスクランブルエッグだ。残さず食えよ」


 そういってテーブルに並べられたが、ネージュの興奮はおさまらないらしい。

 アレッタを抱えて離さないし、睨む目はエイビスを結んだままだ。

 エイビスの仮面の傷は深いようで、白手袋の手で必死に撫でて修復をしているものの、鋭く引っ掻かれた痕はなかなか消えない。精霊の力は伊達ではないようだ。


 アレッタは彼の仮面の傷を見て、改めて無事に戦闘が終わったことに感謝した。フィアがあそこで止めていなかったら、エイビスの葬儀を今頃していなければならなかった……


 ひとり安心してネージュを見るが、

「あんな仮面ひん剥いて、隠してる顔をズッタズタの傷モノにしても物足りない……」

 殺気は健在のようだ。


 アレッタはネージュをどう落ち着かせようかと思っていると、フィアがぎろりとネージュを睨んだ。


「カッカしても始まらん。さっさと食え!!」


 フィアに言われたことでネージュがしおらしくなったのを機に、アレッタは彼女の膝から降りた。

 よいしょと声をだして、自分用に整えられた椅子にアレッタは座る。

 クッションが敷かれた高さのある椅子だ。これに座ると食べ物も手に届きやすく、なにより食べやすい。

 すぐにエンが膝に飛び乗り、ご飯をねだってくる。

 アレッタはサンドイッチを頬張りながら、すんすんと鼻を寄せるエンにひと口与えるが、少し考え、フィアへと視線を飛ばした。


「フィア、エンには何を食べさせたらいいんだ?」


「ああ、ブロディ用の乾燥フードがある。通称カリカリってやつだ。床に置いておいたが、食べてないか?」


 フィアの視線に合わせてカリカリを見るが、どうも減っていない。


「エン、あそこにご飯あるぞ?」


 アレッタは声をかけるが、エンは不機嫌な声を上げるばかり。


「そうか、エンは私と一緒に食べたいんだな」

「ィエンっ」


 そのエンの声に、アレッタは床に置かれたカリカリの器を取り上げ、テーブルに並べた。

 するとアレッタの膝から体を乗り出し、食べ始めたではないか。


「テーブルに乗るのはお行儀が悪いからな。エンは偉いな」


 幼女と子猫の組み合わせは、可愛さ100倍になって大人の目に届くようで、アレッタの背景に可愛い花が咲き誇っているかのようだ。

 ほんわかとした笑顔を浮かべた3人の大人は、ゆっくりと食事を始めた。

 彼女と猫のおかげで、ひどく不機嫌だった朝食は一気に和やかになる。


 だが、相変わらず、アレッタの食べ方は汚い。

 おかげでエンの体はパンくずだらけになっている。

 それでも食べるのをやめないのは、このサンドイッチがとてつもなく美味しいから!


 昨夜のパンはリメイクとしてバターで表面が焼かれてあり、中はチーズと生ハムでちょうどいい塩気。なによりトロリと溶けたチーズがたまらない!

 牛乳との相性も抜群で、アレッタは夕食を食べていなかったからか、いくらでもはいってしまいそうだ。


「フィア、昨日夕食を食べられなかったから、今日は4回食事がしたい」


 無茶なことを言い出すアレッタに、フィアはふんと鼻を鳴らすと、


「さすがに4回の食事は食べきれんだろうから、昼食と夕食の間におやつにするか……」


「ネージュ、おやつだそうだ」

「おやつ、何かしらね!」


 やはりどの世界も、女子は甘いものに目がない。


「そしたら今日は外でランチにしないか、フィア」

「そうですね。目を離すと何かしでかしますしね」


 ぎろりとアレッタを見やる。


「わ、私は悪くないぞっ」


 ほろほろと舌で芋を潰し、コンソメスープを飲み込み、アレッタは言う。

 このスープも味が深くてとても美味だ。野菜の甘みがしっかりとにじみ出て、それをじゃが芋とマカロニが吸い込んでいる。じんわりと胃に広がる温かさが何より心地いい。最後にピリッと舌に触るのは黒胡椒。これがいいアクセントで、また一口頬張りたくなるスープだ。


 アレッタは満足そうに息を吐き、再びサンドイッチに手を伸ばすと、すかさずネージュがパチリと彼女の手を叩いた。


「食べ過ぎ」


 不貞腐れるアレッタに、エイビスの仮面がつと向いた。


「そうだ、アレッタ、なにか食べてみたいものとかある?」


「食べてみたいもの……?」


 悩み考えているうちに甘いミルクティーが届く。

 フィアにお礼を言い、一口飲んだとき、アレッタの顔が輝いた。思いついた顔だ。


「魚が食べたい!!!」


 ほう。エイビスが頷き、


「アレッタ、それでは釣りに行こうっ」


 エイビスから楽しげな声が聞こえるが、アレッタは釣りがどんなものかわからず、首を大きく傾げたのだった。

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