第28話 3日目の朝【朝日編】

 エイビスは2階にある広いテラスに出ると、腰を少し落とし、膝に力を込めた。

 伸び上がったと同時に一気に飛び上がる。


 これはオークに襲われていたときに見せたあの跳躍だ。

 弾む彼の身のこなしは見事で、バレエダンサーのように、華麗で機敏な脚の運びだ。

 瞬く間に屋根の上に到着した。


「僕の部屋の屋根に登ると、朝日が綺麗に見えるんだよ」


 大きな揺れもなく着地した彼の姿だが、改めて見てもやはり、ひどい。

 足は裸足、半裸で膝丈のズボンを履き、頭に仮面、手には白手袋。


 紛うことなき、変質者だ。


 が、体の締まりと彼の声は色男のそれで、あまりのギャップに真顔になるアレッタだが、彼はアレッタの膝を抱え、くるりと後ろへと体を回した。


「ここは小高い丘だから、地平線が見えるんだよ」


 正面に見える大地が、ゆっくりと、そして真っ赤に焼け始めている。

 ただ朝日が昇ってきているだけなのに、なぜこんなに美しいのだろう。

 溶岩のように赤く燃えたぎる太陽は、今日の1日の始まりに光を大地に注ぐ。

 その光は眩しいのに暖かく、じんわりと皮膚に染みこんでくる。



「……アレッタ、僕、この朝日に誓うよ。

 僕も戦う。ちゃんとね……」


「なら、あなたの盾になることを私は朝日に誓おう……

 小さくても、神の左手。しっかりとあなたを守るよ」



 地面に流れ出した赤い日差しは、滑るようにあたりを飲み込み、朝の時間を作り上げていく。

 さらに陽に照らされた朝露が、夜空のように煌めき始めた。

 輝く朝露を見つけた妖精たちは、ふんわりと群がり、ほどけて、また群がる。妖精の羽もガラス細工のようで、虹色の輪が描かれている。


 朝露の輝きと相まって目が痛いほどだ。

 だが、目は離せなかった。

 これは朝だけの光景であり、なにより神秘的だ───


「……わぁ……すごい…」


 言葉をなくしたアレッタに、エイビスが得意げな声を鳴らした。


「アレッタ、君に1つ教えてあげる。

 本当は天使に秘密なんだけど……」


 アレッタを肩から降ろすと、エイビスはふわふわ漂う妖精を手招きした。呼ばれた妖精は変わらずふわふわと近づいてくる。その妖精にエイビスが手を差し出すと、今まで集めていた朝露のカケラを手に乗せ置いた。

 それはそっと人差し指と親指で挟まれ、仮面の前にかざされるが、角と角は鋭角に尖り、氷を叩き崩したようだ。とても透明度が高く、だが陽を浴びると紫色に光る。


 両手を広げたアレッタへの掌に、そっとエイビスが乗せると、アレッタはそれに朝日を浴びさせた。

 途端、紫の光が四方八方に散らばり、まるで月光の雫が固まったかのよう。


 声にならない歓声を上げるアレッタに、エイビスはしゃがみ込んだ。

 目線を合わせるように顔を並べると、カケラを見惚れるアレッタに、エイビスは小声で言った。



「それは悪霊あくれいのカケラ。

 斬られた悪霊はね、朝露になって降りてくるんだよ」



 小さな手の中で棘のような無数の光を放つこのカケラが、あの黒く滲む悪意の塊であるはずない───


 アレッタは目を丸くしながらエイビスを見上げるが、彼は再度小さく笑い、ゆっくりと喋った。


「信じられないだろうけど、魂は巡回するんだ。

 水が蒸気となって空に昇り、雲になって雨として落ちるように、上にも下にも行けなかった魂は、ヒトの世界をもう一度歩くんだよ」


 その言葉にアレッタは驚いた。

 斬り捨てた悪霊は消滅するものと思い込んでいたからだ。

 もちろん、それは天界で学んだことでもある。


 だが現実は違い、魂は消滅しない……


「……そ…そしたら、ジャンは……!」


「うん。昨日の子の魂もカケラになっている。

 妖精が集めてひとつにするんだけど、地上で斬られた彼ならカケラもそうそう大きく飛び散らない。

 すぐに新しい魂になって、ヒトの世界を歩き始めるだろうね」


 希望を込めたエイビスの声に、少しだけアレッタの心の枷が軽くなった。

 ジャンは消えたのではなく、生まれ変わるのだと知れただけで、心がすっと軽くなる。

 しかし生まれ変わってきても、それがジャンだとはわからないだろう。

 ただ、魂がつながっている、というだけだ。


 それでも、つながっている。

 この世界につながっている。

 心優しい彼らしく、またヒトの世界を生きるのだろう……


 アレッタはひとり思い、小さな手を握って、頭を下げた。



 ───それは祈りの姿だ。



 ジャンの次の幸せを、アレッタは朝日に祈る。

 淡いすみれ色の髪は風になびき、それがゆったりと浮かびあがった。

 陽を浴びて透けて、純白に光るその髪は柔らかい布のように流れている。

 背にかかる髪はまるで羽のようだ……



 エイビスはその姿にただただ見とれていた。



 そこには幼女ではなく、1人の麗しい天使がいたからだ─────

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