第31話 3日目は釣り日和【釣り編】
バラが咲き誇る中庭を抜けると、すぐに小道が現れた。
道の両脇には白い幹が美しい木々が一列に並んでいる。
青く茂る木の葉っぱはダイヤ型で、先がギザギザだからか揺れるたびに葉の揺れる音がとても爽やかだ。
肩車をされたアレッタは手の届く枝から葉をちぎり、手のひらで眺めていると、道の奥に煌めく場所が見えてきた。
丸く抜かれた場所は、緩やかに揺れている。
それは大きな大きな水溜りだ。
───これは、湖!
「エイビス、湖だ、湖っ!」
カンカンと仮面を叩くアレッタを宥めるように背負いなおし、エイビスは大きく頷いて見せる。
「そうだよ。あの湖のほとりで釣りをするんだ。
あの湖には主ぬしがいるんだけど、まだ釣り上げられたことがないんだ。
アレッタ、どちらが主を釣れるか競争しない?」
その言葉に、アレッタは疑問符を浮かべ、口を一文字に結んだ。
「エイビス、ヌシってなんだ? 魚の名前か?」
「この湖の古株で、とても大きな魚のこと。
きっと釣ったらフィアが喜ぶね」
アレッタがフィアへと視線を向けると、フィアはメガネを指で持ち上げ、にやりと微笑んだ。
「ああ、それ1匹でみんなの腹を十分まかなえる」
「それならエイビス、やろうじゃないかっ!」
アレッタはエンを頭に乗せ直し、もぞもぞとエイビスから降りて走りだした。
だがアレッタの短い足では、あれほど近くに見えた湖なのに、全く到着しない。
「……なかなかやるな、湖……」
息を切らして立ち止まったアレッタを、さらうようにネージュが抱きかかえた。
ひとつ頬ずりをして、抱き直すと、
「あたしが連れてってあげるっ」
彼女は足を一歩踏み出した。
その一歩の距離がとてつもなく長い。
まるで風にでもなったようだ。
ぼうぼうと耳で音が鳴り、景色が流れていく。
眺める湖の揺れは少なく、鏡のように縁をたどる木々が映り込む。
陽はじんわりと頬を温め、釣り日和に間違いないことを教えてくれる。
アレッタは混ざる景色に魅入っていたが、急にそれが停止した。
「はい、アリー、到着よっ」
そっと降ろされた先は、水際だ。ちゃぷんと小さな波が地面を叩いている。
地面は岩と砂利が敷き詰められ、砂浜のように美しくはないがとても歩きやすい。
後ろには大木が茂り、日陰が大きく伸びている。
横を見ると、すでにエイビスとフィアも到着していた。
2人とも、本気を出せばとてつもなく速いのだ。
アレッタはその現実に、改めて自分がヒトなのだと実感する。
フィアは慣れた足取りで大木の下へと移動すると、いつもの火起こし場所があるのか、枝が天井のように囲う場所に荷物を降ろし、ランチの準備をしだした。
「おーい、アレッタ! 競争しようぉ」
釣り道具をネージュに押しつけられていたエイビスが、手を振りアレッタを呼んでいる。
エイビスのいる場所は大きな岩があり、そこに腰をかけて釣りをするようだ。
だがスーツをビシッと着た仮面紳士がそんなところで釣り糸を垂らすのだと思うと、異様で、滑稽だ。
アレッタはその姿をイメージし、小さく笑ってからネージュへと振り返った。
「ネージュ、行ってくるっ」
「気をつけるのよ」
力一杯走り出したアレッタの背を見て、ネージュは笑った。
子供の頃のアレッタも、こうだったのだろうか、と。
だが、その考えはすぐに消える。
アレッタの幼少期は、悪霊あくれいとの戦争時代と言っていい。
きっと、こんな穏やかな日はなかっただろう。
あの永遠の命を持つ天使が死ぬ時代だ。
神の左手は肉片1つあれば聖剣の力で体を戻すことができるが、ほかの天使は違う。
ヒトよりも、体力も身体能力も全て勝る寿命のない彼らでも、体を傷つけられれば消滅するのだ。
日々減り続ける戦力を補うため、孤児院で育ったアレッタが歩んだ幼少期は、ただ智天使ケルビムになるための訓練しかない。
あれだけはしゃぐアレッタを見ると、子供として堕ちたのは神からのプレゼントだと思いたくなる。
だが、そうではない。
断じて、違う───
…おい……おいっ、ネージュ、」
フィアの声にネージュは体を震わせた。
「アレッタばかり見るのはいいが、釣りをするか俺の手伝いをするか、どちらか決めろ」
「そうね、かわいそうだからフィアの手伝いをしてあげる。
何をすればいい?」
アレッタがたどり着いた目の前には岩がある。それは大きく、高さは3mはありそうだ。
だが波風にさらされた結果か、角は丸く、触るとするりとして肌触りもいい。
「アレッタ、この岩は湖の屋根のようにせり出てるんだ。この上を釣り場にするよ」
見上げるアレッタをエイビスは抱え、慣れた足取りで飛び上がった。
一回の跳躍で到着したその岩場は、意外と広く、しかも平らだ。木の板も敷かれ、そこに座って釣りができるようになっている。すでに道具が置いてあり、エイビスが明るい声で説明していく。
「ここの下は、よく魚が休んでる場所なんだよ。ここの魚は暗いところが好みなんだ」
「それでここにヌシもいる可能性があるんだな!」
「そのとおり」
エイビスは釣竿を取り出し、アレッタに手渡した。
「この細い棒が釣竿。さっきも話したけど、この糸の先に針がついてて、それを湖の中に垂らして、魚が針を飲むこむのを待つのが釣りなんだよ」
アレッタは小さな指で器用に針をつまんだ。先が鋭く尖り、さらに返しもついている。
一度刺さると抜けづらい。
「エイビス、この針だけで釣れるのか?」
「ううん。それだけじゃダメだから、疑似餌というのをつけて釣るんだよ」
アレッタの持つ釣竿に、エイビスは追加の部品をつけていく。擬似餌の他に、ウキや錘だ。
その様子を黙って見ているアレッタに、エイビスは出来上がった釣竿をアレッタに再度手渡した。
アレッタは改めて持ち、感触を確かめていた。
竿は木製でよくしなる。それは振ると先がよく揺れるからだ。
糸を巻き上げるリールも木製で、小さなつまみを持って回して見ると、スムーズな動きで糸が巻き上がってくる。
「アレッタ、リールを離すと下に落ちていくから、湖に糸を垂らしてくれる?」
アレッタは言われた通りに竿を湖に向けると、リールから手を離した。
しゅるしゅると糸が落ち、すぐに針が着水する。
すぐに湖の中をふわりと落ちていき、丸いウキがぷかりと浮いた。
「もう少し深いところの魚を狙いたいから、もう少し糸を伸ばせる?」
リールで糸を落おとしていくと、エイビスの手がかざされた。
そこでリールのつまみを掴み、これ以上落ちないようにロックをかける。
するとエイビスが湖面を指さした。
「あの丸いウキが、クイクイって引っ張られると魚が食いついた合図だよ。
さ、釣りは待つのが大事。ゆっくり楽しもうか」
静かな湖面を見ながら、柔らかな日差しと心地のいい風を浴び、2人の釣りは始まった。
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