第16話 初めてのおつかい 【子猫編】

 アレッタが自身の頬を叩いたのを見て、魔女は不思議そうに顔を覗き込んだ。

 アレッタは何でもないと言うように小さく顔を振るので、魔女はわかったと言うように一度肩をすくめて見せると、そのままゆっくりとふたりの前を歩き出した。


「まぁ、そんなに歩かないわ。付いてきてくれるかしら」


 小さな広場を離れれば、瞬く間に森の中だ。昼間とは思えないほどの暗さがある。

 薄暗く細い道が延々続くように見えるのは、少し先が霧でぼやけているからだろう。

 そんな霧で囲われた空気を貫くように、太い幹の樹木が上に上に伸びている。葉は針のように尖った形をし、お世辞にも綺麗とは言い難い。だが力強さを感じる木だ。

 アレッタは魔女についていくため、少し小走りで先を進み、木を見上げては引っ張られるように走るというのを繰り返していた。


「あたしのアリー、抱っこしてあげる」


 断る前に抱きかかえられてしまったアレッタは、声を上げるのもなんなので、ネージュの厚意に甘えることにした。

 おかげでじっくりと森を眺めることができる。

 だが先ほど歩いていたカラフルな森とは違い、ここは景色がモノクロームに見えてくる。

 空は灰の色に染まり、太陽は白く切り抜かれている。木々は黒く、地面も黒い。

 さらに森の中はじっとりと湿っていて、できれば長くはいたくない、そんな森だ。

 無色の景色の中にはい入り込んだ気がしたアレッタは、なんとなく、腕をさすった。


「まぁ、アレッタちゃん、寒いかしら?」


 振り返った魔女がアレッタを心配してか、声をかけてきた。

 だがその言葉に首を横に振り、


「いや、むしろ湿気で暑い気さえする」


「まぁ、もう少しで着くわ。そこは広く開いているから空気もカラッとしてるはずよ。……そうそう、猫って言ったのはフィアかしら?」


「そうだけど、どうかした?」


 ネージュが答えると、魔女はベール越しの唇をへの字に曲げた。


「まぁ、フィアだったら……確かに猫なんだけど、本当の名前は、ブロディコットっていうの。貴方達、知ってる?」


 ふたりそれぞれ首を横に振るので、魔女は横について歩きながら説明を始めた。


「まぁ、簡単に言うと、ブロディコットは魔獣よ。体長は最大で4メートルほど。うちにいる子達は尻尾を含めても2メートルいくかいかないかぐらい。小型のほうね。性格は大きくても小さくても、懐っこい猫って雰囲気。見た目も大きな猫ね。毛の長さも長毛から短毛、無毛もいるわ。ブロディコットは血に魔力を貯めることができる特殊な魔獣なの。その血を飲めば魔力回復が捗るとわかり、さらに味が美味だと乱獲された時期があったわ。大昔にね。

 まぁ、それに歯止めをかけたのが、エイビスなのよ」


 エイビスの行為に感心すると同時に、4メートルもある猫とはどんなものなのだろうか。

 普段の猫を大きくしてみるが、横にも大きくなり、フォルム的にはあまり可愛く感じられない。

 いや、可愛いのかもしれないが、このイメージだとだ。

 でも人懐っこい猫というのだから、フォルム的に間違いないのかもしれないが、やっぱり可愛くない───


 アレッタはいくら想像しても、普通にガタイのいい猫にしかなってくれないため、ひとり唸り考えていた。

 そのとき、急に視界が白く遮られた。

 あまりの眩しさにアレッタは手をかざし目を細める。それでも目が慣れず、アレッタは頭巾の先を引っ張った。


 ようやく先に見えたのは、円く抜かれた広場と、その中央に立つ4頭の、それは美しいブロディコットだった───


 4頭とも、魔女と同じく真っ黒な色をしている。

 程よく長い毛はそよ風に流れ、歩く姿は貴婦人のように優雅で美しい。

 確かに見た目は猫だが、あのずんぐりとした可愛いフォルムではなく、スタイリッシュな猫と言えるだろう。

 だからといってヒョウやトラのイメージとも違う。猛獣の雰囲気ではないのだ。穏やかなゆったりとした雰囲気を醸しだしながらも、猫らしいしなやかで機敏な動きが見てとれる。


 4頭はそれぞれ魔女の元へとやってくると、頭や体をこすりつけ、挨拶をしだした。

 存分に挨拶したあとは、ネージュとアレッタへと近づき、初めての匂いだと、ひたすらに鼻を鳴らしながら確認している。

 アレッタはそのまま地面に降ろされ、まじまじとブロディコットを見上げた。

 近くで見る方が壮観だ。

 艶やかな毛並みは黒曜石のように鋭く美しく光り、大きな手には鋭い爪が隠れているのだろう。

 顔は丸く、瞳も大きく丸い形をしている。エメラルドの石をはめ込んだかのように、透き通る大きな瞳はしっかりとアレッタを捉えて離さない。そのままつぅーと顔を寄せると、アレッタの鼻に、冷たく濡れた鼻をぴたりとくっつけた。


「……冷たっ」


 思わず鼻をさするアレッタに、魔女は笑う。


「まぁ、それはブロディコットの挨拶よ。よかったわね」


「挨拶!? あたしもしてくれるかしら」


 ネージュが嬉しそうに身をかがめてみるが、誰も見向きもしない。

 では自分からと、ネージュが近づいて鼻を突き出すが、少し匂いを嗅いだ程度で何の反応もない。


「なんでアリーには挨拶して、あたしにはないの?!」


「まぁ、鼻が低いんじゃないかしら」


「それ関係ある!?」


 ネージュは鼻をつまみ、即席で高くしようとするがうまくいくわけはなく……

 アレッタはもちろん、他4頭も冷めた目で見つめている。


 魔女はそんなネージュを無視し、それぞれのブロディコットを撫でながら、懐かしむように言葉をつなげた。


「まぁ、ブロディコットはね、一時は絶滅するんじゃないかってところまで減ったのよ? でもエイビスが血を抜く技術を無償で教えたの。そのことで殺す意味がなくなり、ブロディコットは家畜化していったわ。

 まぁ、今ではペットの位置付けにまで変化してる。おかげでブロディコットのブリーダーが山ほどいるわ。私もその1人だけど」


「ブリーダーとはブロディコットを育てる人のことかっ!!!!」


 体を擦りつけるブロディコットの間からアレッタは顔を出すと、顔についた毛を払いながら世の中にはこんな美しい動物を育てる仕事があるのかと感動していた。瞳を輝かせ、魔女を羨望の眼差しで見つめるほどだ。

 魔女はその熱視線に笑いながらも、指を2本立てた。

 意味はブリーダーの種類についてだ。


「まぁ、2種類のブリーダーがいて、見た目が美しいブロディを育てるブリーダーと、血味ちあじの美味しいブロディを育てるブリーダー。うちのはもちろん、美味しい方のブロディブリーダーだけど」


 その言葉に、アレッタは素早く前に出た。自分よりも大きいブロディコットを守るように、小さな背中に隠そうと腕を伸ばす。その目は羨望の色から変化し、悪霊を見つけたときほどの鋭い目つきだ。


「……この子たちの血を抜くというのかっ……!!!」


 そんなアレッタに魔女は小さく頷く。それは紛れもない事実だからだ。


「まぁ、血を抜くとしても傷をつけるわけじゃないわ。魔法陣で血液を個体体重の10%程度転送するだけよ。そんなことよりも、エイビスがネゴシアンなの、知らないの……?」


「「ねごしあん?」」


 アレッタとネージュの声が被り、首が傾いてしまう。全く聞いたことのない単語に、ふたりの目には?マークが複数浮かんでいる。


「まぁ、本当になにも知らないのね……」


 魔女はため息をつくが、「まぁ、あのエイビスとフィアだものね」再びため息を吐き、説明を続けた。


「まぁ、ネゴシアンを簡単にいえば、いろんなところのブロディ本体やブロディの血を買いつけ、ブレンドし、瓶に詰めて流通させる人のことよ。彼はブロディの血だけではなく、ワインと血をブレンドしてボトリングした先駆者なの。あんな感じだけど、ブレンドの技は世界一なのよ。知らなかった?」


 ふたりで首を横に振り、顔を見合わせながら「そんな人だったのか?」と確認し合う。

 だが思い返せば、まだ丸1日も顔を合わせていないし、そんな話にも発展していないと思い返し、ふたりはそろって魔女の方へと向き直った。

 振り返った魔女の胸元には、いつのまにやら手のひらほどのブロディコットの子供が5匹も抱えられている。


「まぁ、可愛い子たちでしょ? 今回生まれた子たち。誰が貴方を気に入るかしらね……?」


 魔女は5匹のブロディコットを放ったが、ただちりぢりに走り回るばかりだ。


「魔女、捕まえればいいのか?」


 アレッタはブロディコットの子供を追いかけて走り回るが、首が横に振られてしまう。


「まぁ、アレッタちゃん、待ってちょうだい。その子たちが、あなたを選ぶから」


 選んでくれるのならと、アレッタは立ち止まり、目で追ってみる。

 だが子供たちは外が面白いらしく、草にじゃれたり、花にじゃれたりと忙しそうだ。


 これは少し時間がかかりそうだと、地面に三角座りで待つアレッタの周りを縦横無尽に駆け回る。 

 しかし、一向にこちらに気づかない子供たちにアレッタはひどく落ちこみ、そして叫んだ。


「選ばれるまで帰れないなんて聞いてないぞっ!!!!!!!

 私は子猫と遊びたいんだーーーーーっ!!!!!!」


 アレッタは小さな手足をばたつかせるが、子猫を驚かせてしまったようで、再びちりぢりに離れて行く。

 逆効果な動きをしたことに再び落ち込み、アレッタはその場に寝転がった。


「私のお使いはいつ終わるんだ……」


 見下げてくる空を眺め、腹の上を通り過ぎて行く子供たちの足の感触を感じながら、アレッタは観念したかのように動かなくなった。

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