第15話 初めてのおつかい 【ランチ編】
窯の入り口に手をかざし、温度を見たのか、大きな木べらにサンドイッチを乗せ、窯の中に滑らせていく。
数分で取り出せば、外はカリッ、中はふわっ、チーズがとろっとしたサンドイッチの出来上がりだ。
「まぁ、おいしそう。ミネストローネも作ってあるから、それと食べましょう」
魔女はパンを皿に乗せたあと、少しおおぶりの木でできたスープボウルを取り出した。
そして火にかけてあった鍋からスープを注ぎ込んでいく。
レードルから流れるスープは赤く、酸味のある香りが鼻をくすぐる。さらに小さめの野菜たちが転がりながら器に入る様子は見ていて飽きないものだ。
アレッタはネージュのとなりにおとなしく腰を下ろしているが、膝はソワソワと揺れている。
どれも美味しそうでたまらないのだ。
朝食を顔が青くなるだけ食べたのに、もうお腹が減ってクタクタなのである。
「まぁ、アレッタちゃん、待ちきれない顔をして……みんなで食べましょうね」
アレッタは魔女とネージュが席に着いたのを確認すると、魔女へと視線を投げた。
こくりと頷いたのを見た途端、素早くスプーンを持ち上げ、スープボウルへとそっと差し込んだ。
湯気の立つスープをすくうと、角切りになった野菜がたっぷりと入ってくる。
芳しい湯気を息で吹きかけ揺らしてから、ゆっくりと頬張った。
これは昨日習ったことだ。熱いまま口に入れると辛いと教えられたのだ。
口に入って一番最初に感じた味は、ほのかな甘み、それからトマトの酸味、香草の香りが相まって、さっぱりとしていながらコクのあるスープであるのがわかる。噛み締めると様々な食感が楽しめる。じゃがいものホロリとした食感、玉ねぎのとろっとした舌触り、ナスのぐにゅっとした感じに、ベーコンの肉らしい歯ごたえ……
「魔女、素晴らしく美味しいスープだなっ!」
アレッタは野菜の種類などわからないが、味も食感も違う野菜がたくさん入っていることだけはわかるようで、目をキラキラと輝かせながら頬張り続けている。
「まぁ、嬉しい。ネージュはどう? お口にあったからしら?」
「酸味が程よくって、すごく美味しいわっ」
ネージュもひと口で虜になったようだ。というより、餌付けされたと言ったほうがいいのか……
ネージュは汁を飲みこみ、具を食べるという方法でミネストローネを満喫している。
必死に食べるふたりをながめ、魔女はまだ温かいサンドイッチに蜂蜜を垂らしはじめた。
火で炙ったサンドイッチに蜂蜜をかけると、熱で溶ける速度があがる。
艶やかに光るサンドイッチを魔女はつまみあげると、ベールを器用によけて大きな口で頬張った。
再び頬張ろうとベールを避けて見えた口元は幸せそうに緩んでいる。美味しいようだ。
アレッタも真似をして蜂蜜をゆっくりとかけていく。琥珀色の水は粘性があり、ゆるいシワを作りながらパンの底を浸していく。
そっとパンを持ち上げ、蜂蜜をすすらないように、だが垂れないように、慎重に口に運んでひと噛みした。
最初に蜂蜜の甘さがきんとこめかみに響いてくる。しかし、あとからクリームチーズの濃厚な風味とブルーベリーの甘酸っぱさ、さらにレーズンパンの香ばしい香りが口いっぱいに広がる。さらにぎっしりと入れられたレーズンの甘みと食感がいいアクセントになり、とても食べ応えのあるサンドイッチだ。
ミネストローネの爽やかでコクのあるスープと、クリームチーズとジャムを塗っただけのパンの美味しさとの、あまりによくできたコンビネーションに、アレッタはひとり満足げに息をついた。
「まぁ、アレッタちゃん、幸せそうねぇ」
その声尻は魔女自身も幸せそうな響きがある。
「すごく美味しいんだ。魔女は料理も上手なんだな」
「まぁ、それはありがとう」
「ここに来てから食べるのが生き甲斐みたい。あたしもだけど」
「本当にヒトの世界は美味しいものだらけだからな」
その言葉に魔女はカラカラ笑い、
「まぁ、スープもまだまだあるから、そっくり全部食べてちょうだい」
口元だけ見せた魔女は優しく笑う。
その言葉に誘われるようにネージュは自分の器とアレッタの器を取り上げ、スープをよそい始めた。
リードルから香りをかぎながら、器に注ぎだすとアレッタが待ちきれず手を伸ばしてくる。ネージュはまだよといいながら、もうひとすくいし、何気に魔女に言った。
「あなたも魔力が強いのね。エイビスと同じに顔を隠してる」
よそいおえると、器に釘付けのアレッタに手渡した。小さな手で必死に受け取り、再びスプーンを口に運んでいく。
「まぁ、気づいちゃった?
そうよ。……私の唇は誰にも奪えない」
ちらりと覗いた艶やかな赤い唇───
ネージュも赤いが、それとはまた違う深みのある唇だ。まるで鮮血を塗ったような赤である。
魔女は唇を舌で拭ってから、パンに手を伸ばした。
「1つ疑問だったんだが、魔女に名前はないのか?
魔女もたくさんいるんだろ?」
アレッタもパンを持ち上げ、噛み締めた。ブルーベリーが口いっぱいに広がり、幸せな気分に浸っていると、魔女は指についたはちみつを赤い唇で舐め取りながら、
「まぁ、私の名前が知りたいの? 魔力が強い者は、そう簡単に名は告げないものよ。私の名を知る人は、私の顔を知る人だけね」
「なるほど」
言いつつ、彼女の頬張る手は止まらない。作法がほとんど関係ないからだろうか、彼女の食欲はいつもよりある気がする。
「アリー、また食べ過ぎたら、顔を青くするわよ」
「そうだな……もうこのぐらいにしとなかないとダメかな……でもまだちょっとあるし……」
そうは言いつつも、ゆっくりだがしっかりとアレッタは食事をし続け、ようやくスープの皿を空にした。
食事に夢中になりすぎていて、気づいてなかった。すでにネージュと魔女は食べ終えていたようだ。フィアが瓶に詰めたコーヒーでひと息ついている。
「ネージュ、なんか魔女と仲良くなったな」
「なんのことよ?」
ネージュはつっけんどんに言葉を返すが、それでも魔女とふたり並んでコーヒーをすすっている。
黒いヒトと白いヒトが並んでコーヒーをすする姿に、アレッタはなぜか微笑ましくなったのだ。
なぜかは言い表せづらい。
だが、そう、平和な気がしたのだ。
天界のネージュであれば、姿は剣であり表情など読み取れなかった。いつも戦いの場での絆しかなく、和やかな時間など過ごしたことはほとんどない。あるとしても戦いと戦いの間でのほんの少しの休息の中ぐらいだ。
しかし今はヒトの姿だ。
感情も、言葉の強弱ではなく、表情で感じ取れるというのはより理解ができ、それが幸せな気分に繋がるのかもしれない───
「まぁ、いっぱい食べてくれたわね。……さ、アレッタちゃんは何か飲む?」
「ミルクティがいい。今日の朝、煎れてもらったんだ。すごく美味しかったから」
アレッタは今朝の美味しさを思い出したのか、にんまりと微笑んだ。
魔女は小さく頷き、鉄ポットを取り出した。
黒い鉄ポットの中にフィアが持たせてくれた茶葉を放り込み、お湯を注ぎ、砂時計をひっくり返す。
わくわくと見つめるアレッタを見下ろしながら、砂時計が落ち切ったのを見て紅茶をマグカップへと注いでいく。さらに牛乳を注ぎ、角砂糖を4個入れたら出来上がりだ。
「……おいしい」
おもわず顔がほころぶ温かい味だ。
香りのいい茶葉でミルクとの相性もばっちり。今朝と同じ味である。
「そうだ、魔女、猫はどこにいるんだ?」
アレッタがマグカップを抱えて尋ねると、彼女は薄く微笑みながら、
「まぁ、猫の居場所は、奥の森なの……それを飲んだら行きましょうか」
魔女はアレッタの頭を優しく撫でる。
その感触に懐かしさを覚えたアレッタは、ああ、あの人だと思い出す。
アレッタは自身の頭を隠すように、頭巾をかぶり直し、
「もう飲みおえた。猫のところへ連れてって欲しい」
言いながらも、なぜあの人を思い出すのか不思議でならないアレッタは、両頬をぱちんと叩いた。
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