第14話 初めてのおつかい 【魔女のお家編】

 奇声に近い非難の叫びを上げたアレッタは、すぐさま駆け出した。


「ネージュっ! 私の体では、あと10分でなんて着かないぞっ」


 アレッタは昨日の辛さを思い出しながら小さな足で地面を蹴るが、一向に目的地が近づく気がしない。

 ───結局は、こうなる。


「どう、アリー? あたし、走ると速いのよ?」


 ネージュがアレッタを抱きかかえ、むしろ飛ぶように走っている。

 一歩の感覚が広く、地面を滑っているようだ。

 ネージュは左腕にアレッタを座らせ、走る。

 普通の女性であればこのような持ち方はできないが、ネージュは精霊だ。力は天使並み。そのため走る速さも異常かもしれない。景色がどんどん流れ、駿馬でもこれほどの速さは出ないのではないだろうか。


 アレッタは流れて行く景色に目を回しそうになるが、頬をかすめていく風が心地よい。

 時折飛ばされそうになる頭巾を手で押さて、空を見た。

 少しだけ近くなった空は青く、緑の額縁の中に埋まっている。

 漂う雲は真上にとどまったままアレッタを黙って見下ろしている気がする。

 天界の時間はまだ半日も終えていないはずだ。

 止まった雲が遅々と動く天界を見ているようで、アレッタは前に向き直った。


 なんとか到着した時刻は、12時4分。

 間に合ったとは言えない時刻だが、ネージュの巻き返しでこの時刻だとすると、どれほど道草を食っていたのだろう。

 アレッタは抱えられたまま、扉に付いたドアノッカーを3回叩いた。

 すぐに出てきたのは、黒い大きなヒト、だった。

 そう思ったのも仕方がない。

 ネージュよりも背の高いその女性は、夏の日差しに伸ばされた影のようにひょろりと扉口に立っていた。

 顔には黒いベールがあり、表情は読み取れない。

 髪も黒く塗られて、腰まで下げられた髪は真っ直ぐに落ちている。それと繋がるようなワンピースはレースと刺繍があしらわれ足首まで覆い、尖った靴先も黒曜石のように鈍く光る。


 魔女がどんなものかは想像していなかったが、それでもこんな姿を想像はしていなかった。

 言葉に詰まったアレッタに、


「……まぁ、迷子の赤ずきんちゃん? 

 精霊の保護者つきだけど」


 アレッタの鼻をつつき、ネージュを見やると、ベール越しの唇がつり上がった気がした。

 不気味な寒気が走り、ネージュはアレッタを掴む手を強めるが、アレッタは何も気づかないのか、


「私は迷子ではない。私はアレッタ。彼女はネージュ。フィアのお使いで来たんだ」


 首にかけられたペンダントを見せると、思い出したかのように魔女は頷いた。


「まぁ、あなたたちがそうなのね?

 エイビスからも聞いているわ。…けど……」


 魔女はそう言いながらアレッタに顔を近づけたかと思うと、するりとネージュの手からアレッタを抜き取り抱き上げてしまう。

 ネージュはしっかりアレッタを抱えていたつもりだった。

 だったのだが、魔女とベール越しに目があった気がした。瞬間、体が固まったのだ。

 睨むネージュを魔女は無視し、しっかりと抱きながらアレッタへ話しかける。


「まぁ、あなた可愛いヒト堕ちね。子供なのにすごいわね。

 ……ねぇ、どうしてここまで堕ちて来たの?

 天使の羽を悪戯に切ったの……? 

 ……それともぉ、天使を殺したのぉ……?

 ねぇ、おばさんにおしえてちょうだい……?」


 禍々しい空気が漂うが、ネージュがそれを裂くようにアレッタと魔女の間に手を差し込んだ。


「アレッタは元は大人。しかも、冤罪。ねぇ、アレッタを返してくれない?」


 端的にネージュが言うと、魔女は興味なさげに鼻を鳴らした。


「……まぁ、天使も知恵がついたのねぇ」


 魔女はネージュの言葉を無視すると、アレッタを抱えたまま扉を開き、


「まぁ、入ってちょうだい。お昼にしましょう?」


 薬品臭い室内は、必要なもの以外置いていないのがわかる。華美な装飾品や絵画など、全く飾られていない。

 ざっと見た限り、窓辺の角に暖炉と、木製の使い込まれたロッキングチェアがある程度だ。

 板張りの床には絨毯など敷かれておらず、艶やかな木目が見える。

 シャンデリアももちろんなく、ランプとロウソクが点在し、夜はこれらが光となるのだろう。

 入り口左側が水場のようで、その奥にもう1つ扉がある。

 彼女の書斎だろうか。扉が閉められてはいるが、薬というよりも血生臭い香りが強く感じる。


 彼女はその部屋で歩みを止めず、窓の隣の扉を開き、外へ出ていった。

 外にはウッドデッキがあり、そこにもロッキングチェアが置かれ、サイドテーブルには湯気の立つマグカップがある。魔女はそのマグカップを拾い上げ、ウッドデッキから降りると、カップを持ったまま風を撫でる仕草をした。

 するとどうだろう。木製のテーブルと椅子が出て来たではないか。


「す、すごい……

 なぁ、ネージュ見たかっ?」


 興奮気味で話しかけるアレッタだが、アレッタを取られたことでネージュのご機嫌は斜めだ。

 現れたテーブルにカゴをどすんと置くと、もう一度手を伸ばした。


「まぁ、何かしら?」


「あたしのアリーを返してっ」


「まぁ、ケチねぇ。誰も取って食うなどしないわよ。久しぶりの幼子なんだもの。抱かせてくれたっていいじゃない」


「もう十分でしょっ」


 引ったくるようにアレッタを取り上げると、ネージュはアレッタをぎゅっと抱きしめた。

 私の物と言わんばかりの行動に、アレッタは小さくため息を吐くが、ネージュは自分の側から離したくないようだ。隣に腰をかけさせると、魔女に噛み付く勢いでネージュは睨む。


「まぁ、おっかない」言葉ではそういうが、魔女はクスクスと笑い声を上げている。


「まぁ、そんな顔しないで、ネージュ。もうあなたの大切なものには手を触れないわ」


「約束よ、魔女」


「まぁ、魔女と約束だなんて」


 彼女はひとり笑いながらテーブルに置かれたカゴの中身を漁りだした。

 サンドイッチに、蜂蜜、紅茶、コーヒーの瓶を綺麗に並べると、うっすら微笑んだ。


「まぁ、今日のサンドイッチも美味しそう……今日はレーズンパンのサンドイッチなのね」


 包みから開いたサンドイッチを手に取り、そっと香りを嗅いでいる。


「フィアが焼いてから蜂蜜かけて食べてって」


 ネージュがはちみつの瓶を取り上げぶっきら棒にいうのに対し、アレッタはサンドイッチを見つめながら、


「そのサンドイッチ、私とネージュで作ったんだ。

 できはあまりよくないかもしれないが、きっと美味しいぞっ」


 待ちきれない様子のアレッタが魔女に教えると、さらにふんわりと笑顔を作り、


「まぁ、ふたりが作ってくれたの? 仕上げはこれを焼くのね。それはそれは美味しそうね」


 その顔にネージュは少し安堵した。なぜ安堵したかは、よくわからない。

 先程までの表情とは微妙に違ったからだ。


 いや、空気が変わった───


 あの粘りつくような黒い空気でなくなったのだ。

 魔女なりの方法で敵かどうかを試していたのだろうか……

 勘ぐるネージュを置いて、魔女はテーブルを出したのと同じように手を振り上げて焼き窯を出現させた。

 爪の先に火を灯し、薪に向かって指越しに息を吹くと、火が飛び上がり薪に着火した。瞬く間に窯が熱を上げていく。


「魔女はすごいな! 火もつけられるなんて」


 興奮気味のアレッタに、ネージュは「そうね」と生返事をする。

 窯まで走って寄っていくアレッタを見ながら、


「…あたしのアリー……」


 かけた声はアレッタの歓声で消えてしまった。

 ネージュは自身も窯へと近づき、「何か手伝う?」魔女に声をかけると、


「まぁ、ネージュも手伝ってくれるの?

 この皿、並べてくれるかしら?」


 差し出された皿を受け取り、アレッタと一緒に並べはじめる。

 幼い彼女は笑顔を撒き散らしながら焼けていくサンドイッチに我慢できないでいた。

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