第13話 初めてのお遣い【道中編】

 小さな紙切れに記された目的地は、地図の限りではさほど難しい道順ではなさそうだ。

 フィアらしく曲がるポイントには赤い丸がしっかりとつけられ、さらに地図の情報が細かい。

 林の名前はもちろん、花や沼の場所も詳しく書かれてある素晴らしい地図なので、これで道に迷えば笑い者だろう。

 だいたいフィアに道を間違えたなど言ったものなら、「貴様らァァ」という怒声が放たれてしまう。


 軽やかなステップを刻んで歩き出したふたりだが、微妙にアレッタの表情は固い。


 歩いていくのか───


 地面を踏みしめながら、アレッタは足を使う辛さを思い出していた。

 赤い頭巾の頭の重さもそうであるし、この歩く感覚もそうなのだが、どれもこれからの疲労へと導く序章に過ぎない。移動に羽がないのは、やはり不自由さを感じる……

 だが地面を歩く感覚は楽しさはある。

 足裏の感触もそうであるし、木々の香り、光の色さえ面白い。

 だが、羽がないのは心もとないのだ……


 アレッタは、ネージュの背中に視線を飛ばした。


 ───あのあたりに羽があるのが普通だった。


 無表情で遠くを見つめるアレッタの顔を見て、ネージュが吹き出した。


「羽が欲しい! って顔に書いてあるわ」


 カラカラと笑うネージュに、アレッタは頬を大きく膨らませた。どうも子供になると怒り方も子供っぽくなるようだ。


「だって仕方がないだろっ」


「慣れないわよね、この生活……」


「慣れないな。だが、きっと慣れた頃に戻るんだ、私は……」


 今日の空は青い。

 日差しも白く、これから気温が上がりそうだ。 

 歩き始めた細い小道は、よく手入れが行き届いた歩きやすい道だ。昨日逃げ回っていた道とは大違いである。

 小さな鉄の橋を渡ると、木の枝が空を覆い尽くす勢いで伸びている。

 フィアの地図には『葉波のトンネル』と書かれている。

 一歩踏み込むと、涼しい空気が漂い、さらにそよ風が葉を揺らし、確かに川のせせらぎに似た音がする。

 見上げる視界いっぱいに青々と茂る葉が広がり、トンネルであり、波の音がする素敵な場所だ。

 やはり葉のトンネルなので、ところどころで葉の隙間からこぼれた日差しが流れ落ちているのだが、まるで光のつららだ。

 アレッタは目を細めながら、差し込まれた日差しを手のひらでうけてみる。じんわりと温かくなる手のひらに微笑み、また足を元気に踏み出した。


「歩くなんて、すごい新鮮だな」


「でもまだ歩き始めて20分を過ぎたくらい? この調子で大丈夫かしら?」


 ネージュはポケットから懐中時計を取りだし、読み取りながら歩みを進める。

 時間は使っているのだが、ふたりであの草が面白い、あの花が可愛いと声をかけていたら、1キロも歩いていないのに時間だけが過ぎている。


 ───とはいうものの、一番はしゃいだのは、ネージュだ。


「アリー、見て! この蝶々、すごく綺麗じゃない?」


「綺麗だ。だが、寄り道しすぎだ」


 歩き出した途端にアレッタの袖が引っ張られる。


「アリー、見て見て! この花、背も大きいし、花も大きいわねっ。なんて花かしら? 黄金色の花が、太陽のようね」


「ああ、そうだな。だが、寄り道し過ぎだ……」


 ちらりと見やり、歩き出すと、今度は頭巾がつままれる。


「アリー、見て見てっ!!! このキノコ、食べられるのかしら? すごく大きくて真っ赤なの。

 これ食べたらアリーの体、大きくなるかもっ!」


「あー……ないない。

 ……だから、寄り道、し・す・ぎっっっ!!!」


 3歩進んで2歩下がる状態が続いていたため、アレッタの中での苛立ちはそれほど時間がかからず頂点へ到達したようだ。

 進んだ距離を見るに、大人の足なら5歩程度じゃなかろうか。

 アレッタは腰に手を当て、呆れながらも諭すように、


「帰りにゆっくり見ればいいだろ?」


 すぐに振り返り、アレッタは短い腕を組んで歩き出す。

 すぐにネージュは駆け寄り、ご機嫌とりとばかりに甘い声を鳴らした。


「ねぇねぇ、怒らないでよ、あたしのアリー」


 ネージュはアレッタの胸元に何か差し込んだ。

 アレッタが見つけたものは、桃色の花だ。それも大人の手のひらほどの大きな花である。

 それは小さな胸ポケットに差し込まれ、まるでフリルのブローチのように胸元で揺れている。

 紅いワンピースに映えるほど、淡くも鮮やかな色をしており、日差しに透けると露が煌めき、ビーズが数多に施されているようだ。


「アリーは何をつけても可愛いわね」


「いいから、行くぞっ」


 心なしかアレッタの口元は緩んでいる。

 可愛いと言われたからではない。

 この花が美しいからだ。


 歩き出したアレッタについて、ネージュも歩く。

 だがネージュにはアレッタの歩幅が合わない。

 彼女はのんびりと足を踏み出し、道の脇にある枝をもぎ取り、指揮棒のように振り回しはじめた。

 リズムを刻む枝の先からは氷の結晶が浮きあがるが、気温ですぐに溶けてしまう。


「……ねえ、アリー、冤罪を仕掛けた相手ってわかってるの?」


 氷の線は何の文字でもない。

 ただ螺旋を描き、白い線を引いては消してを繰り返す。

 アレッタはまだ見えない目的地に視線を縛り、ネージュを見ずに答えた。


「大体の流れだけはわかっている」


 驚くネージュにアレッタは薄く笑い、


「防具屋と斬られ役はグルだ」


 たぶん。とは付け足されたが、言い切っていることから確信があるのだろう。

 だがネージュはその言葉に腰を抜かす勢いだ。


「ありえないわよっ! あの防具屋が!?」


 まるで今起こっているかのような焦り具合だが、現実のアレッタは無実の罪でヒトの世界へ堕とされている。

 今頃焦られても遅い。


「ネージュ、落ち着いてくれ。

 私もなぜ防具屋が加担したのか、わかりかねるんだ。

 だがトリックとしては簡単だ。

 私が預けてあった甲冑を誰かが身につけ、その格好で羽を斬りつけた。

 それだけだ。

 だいたい目撃証言はあるが、そもそも斬りつけたのかすら怪しい。

 羽を傷つけられた者は激しい痛みに悶えるというだろ?

 斬られた男は平然としていた」


「それ、ドゥーシャに全部言ったの?」


「言ったが、却下された」


「どうして?」


「防具は私が受け取った日ではなく、その前日に渡したという記録になっていたそうだ。

 極めつけは、傷つけられた天使が私であったと証言したという。

 顔をはっきり見ている、ってね」


「それじゃ、もう……」


「私には弁解する余地もなにもなかった。

 だが、どれもデタラメすぎる。

 確かに羽斬りがあった夜、私は外出していた。

 だが湖の近くに行っていただけであって、街中にはいなかった。

 なのに私は、街の裏路地の片隅で、わざわざ甲冑をまとって、どこぞの知らない天使の羽を斬り裂いていたそうだ」


 アレッタは前を見据え、睨むと、


「だから私は、絶対に天界へと戻り、冤罪を晴らす」


 吐き捨てるように呟いた言葉だが、重みが違う。

 アレッタの小さな体の中に、抱えきれない憎悪、復讐、後悔、裏切……様々な負の感情が渦を巻いている。

 天使であろうと、この黒い心は止められない。

 天の父なら、『皆、兄弟。赦し合いなさい』なんて言うかもしれないが、今のアレッタの気持ちは抑えきれないものだ。

 堕とされる直前、できたのなら、そう足掻くことができたのなら、ドゥーシャの羽の1枚でも捥ぎりとってやりたかった……!!!!


「アリー、黒い顔だわ」


 ネージュに覗き込まれ、アレッタの息がつまる。


「まるで悪霊を殺しに行くときの顔ね。

 これから魔女とランチなんだから。ランチぐらい、楽しみましょう?」


 言いながら懐中時計を取り出したネージュだが、


「あら、あと10分で12時ね……」


「………はぁぁぁぁぁぁ!!????」


 アレッタのひどい声が森の中にこだました。

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