第12話 初めてのお遣い

 3枚のフレンチトーストとミルクティーを2杯飲み干し、アレッタの胃はようやく落ち着いたようだ。

 若干顔が青いが、ただの食べ過ぎだろう。

 フィアはふたりをキッチンに呼ぶと、真っ白なフリルのエプロンをそれぞれに手渡した。


「さっそく今日の仕事だ。ふたりにはイヴィアの森の魔女の元へ行ってもらう。

 そこで食べるサンドイッチを今から作る」


 フィアが鉄型から慣れた手つきで取り出したのは、いい焦げ色のパンだ。

 だが昨日のパンとは違う。

 酸味のある香りが鼻をくすぐる。よく見ると、ところどろこに何か粒が見える。


「この粒はなんだ?」


 アレッタが触ろうと指を伸ばすが、それは寸前で止められた。フィアにパチリと手を叩かれたのだ。


「手を洗ったら、ひと口切ってやる」


 その言葉にアレッタは興奮気味でエプロンをつけようと挑戦するが、うまく後ろで紐を結べない。

 イライラと指を絡ませるアレッタに、ネージュが丁寧にエプロンを取り付けると、さらに流しに抱き上げた。


「ほら、アレッタ、石鹸つけて手を洗って」


「わかった」


 言われた通りに、水をつけた手に石鹸を取り、泡立てながらしっかりと洗っていく。


「はい、水で流す」


 蛇口の下へと手を伸ばし、泡を流してからタオルで拭うと、ピカピカになった手をフィアに掲げた。


「オーケー。じゃ、ひと口な」


 切り取られた端っこのパンがアレッタの口の中へと放り込まれた。

 ひと口噛むと、さくりとした食感とともに、甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がる。


「このつぶつぶ、甘くて酸っぱい」


 目をまん丸にしたアレッタに、フィアが笑いながら手を広げて見せたのはレーズンだ。


「これを入れて焼いたんだ。

 ぶどうを干したもので、これから作るサンドイッチには欠かせない」


「これは本当に美味しいパンね」


 指でちぎり頬張ったようだ。さらに手が伸びているネージュを見て、フィアがネージュの頬をつまみ上げた。


「おい、ちぎるなっ」


「痛い、痛いわ、フィア。でも美味しいわ、これっ」


「言ってるそばから手を伸ばすなっ!」


 地味な攻防を繰り広げながら、フィアは冷めたレーズンパンを薄めにスライスしていく。

 つまみ食いをしないようにフィアの目が光るなか、アレッタにはクリームチーズの瓶が、ネージュにはブルーベリージャムの瓶が手渡される。


「今日はサンドイッチを作る。パンとパンの間に具を挟むのがサンドイッチというものだ。

 まずアレッタがこのパンにそのクリームチーズを塗る。その上にネージュのブルーベリージャムを塗って、もう1枚のパンで挟んでくれ」


 言われた通りに塗っていくのだが、アレッタにとってクリームチーズは固いクリームのためうまく塗れない。手が小さいこともあり、作業に手こずっていると、


「アリー、ジャムを塗る?」


「大丈夫だ。子供扱いしないでくれ」


「少し温めようか、アレッタ」


「フィア、大丈夫です。だいぶ、塗りやすくなってきました」


 見た目は子供でも中身は大人なのだ。だがやはり見た目に翻弄されやすいようで、フィアですらアレッタに甲斐甲斐しいところがある。

 和気藹々と女子らしい華やかな声のなか、サンドイッチは作られていく。

 もっと塗ったほうがいい、もう少しジャムは多めがいいかしら、と、具がパンの厚みを超えそうになる度にフィアから声がかかるが、フィアが用意したパンは全てサンドイッチに変わることができた。


「よし、できたな」


「ええ、完璧よ」

「もちろん!」


 ふたりの返事を聞いてから、フィアはワックスペーパーで丁寧に包みだす。それを全て包み終えると、さらに蔓で編み上げたカゴに詰め込んでいく。他にもはちみつの瓶と茶葉の入った小瓶、コーヒー豆が入った瓶を入れ、最後に指さし確認をしたあと、ふたりからエプロンを取り上げた。


「さ、今度は身支度だ」


 ネージュには白い革のローブ、アレッタにはワンピースと同じ真っ赤な頭巾が渡される。


「ローブと頭巾は、魔力やアレッタの匂いを抑える道具になる。なるだけかぶるようにしてくれ。

 またオークに見つかりたくないだろ?」


「あたしがいるから、平気よ。

 ……ねぇ、フィアこれ、被ったら暑いんじゃないの?」


 ネージュが嫌そうに声を出すと、


「お前、氷の精霊だろ?

 ローブを冷やす魔法をかければいいだろ」


「あらあなた、頭いいわね」


 ネージュは小さく手を叩き、自身のローブとアレッタの頭巾を手でなぞった。

 ただ触れただけのそれらはすでにひんやりとしている。

 アレッタは何気にかぶって見るが、頭の先から肩まで冷気が包み、凍えるほどに寒い。


「ネージュ、これは風邪を引くんじゃないか……?」


「外に出たらちょうどよくなるわ。今かぶったらダメ」


 外された頭巾と入れ替わりで、アレッタにペンダントが下げられた。


「このペンダントは?」


 胸元で光る石は涙型をしている。まるで妖精の涙を固めたかのようだ。

 手のひらに乗せると、ひし形の光が線となって走る。輝く石を転がしながら見つめるアレッタに、フィアがアレッタと同じ目線になるように屈んだ。


「このペンダントはアレッタの場所を知らせるものだ。

 最近物騒でな。子供攫いがこの辺で起きている。

 魔力を抑えても、子供というだけで危害が加えられる可能性がある。

 これはエイビスからのプレゼントだ。大事にして欲しい」


「わかりました。大切にします。

 ありがとう、エイビス」


 再び新聞を広げコーヒーを啜る彼へアレッタは声をかけた。

 エイビスは新聞からチラリと仮面を出すと、


「魔女に僕からの遣いとわかるものでもあるから、失くさないようにね」


「はいっ」


 アレッタが元気に返事をすると、仮面がこくりと揺れ、新聞の中へと入っていった。

 それを見届けてから、フィアがアレッタにカゴを手渡してくる。

 出かける時間になった、ということだ。


 アレッタはカゴを掲げ、エイビスの元まで行くと、1つサンドイッチを差し出した。


「エイビス、おやつにどうぞ」


 断る隙なく渡されたため、手に持ったまま固まるエイビスを横目に、くるりと振り返えったアレッタはフィアへとサンドイッチを掲げるが、すでに右手がかざされている。


「俺は、大丈夫」


 アレッタは小さく頷き、玄関へとつま先を向ける。

 機嫌よく、ずんずんと進んで歩く小さな背中に、エイビスはサンドイッチを振りながら、


「アレッタ、ありがと。

 気をつけて行ってらっしゃい」


 アレッタの小さな手が振り返され、さらに手を繋がれた彼女は笑い声を転がしながら出て行った。

 ひとり残されたエイビスだが、いつも通りの空間のはずなのに、


「なんか、静かだねぇ……」


 ぬるくなったコーヒーを飲み干した。



 シャンデリアを眺めながら、玄関から外へと出されたふたりは、改めてフィアからお使いの内容を告げられた。 


「さっきも言ったように、イヴィアの森の魔女のところへ行ってもらう。魔女から猫を引き取って来る簡単な仕事だ。サンドイッチは魔女と食べろ。それも今回の取引に含まれてる。

 お前ら、途中で食べるなよっ!」


 きつく言いつけられ、アレッタとネージュは同時に小さく舌打ちする。

 追い討ちをかけるように睨みつけられるなか、


「……あ、フィア、もしかしてあなた、魔女とランチしたくないからあたしたちを差しむけるつもり?」


 アレッタが提げていたカゴをネージュが取り上げ、腕を通す。瓶の重さが少し重い。

 ネージュの問いにフィアはあっさり首を縦に振り、「そのとおりだ」言葉でも肯定した。


「魔女とのランチは俺は好きじゃないんでな。

 魔女の家までは大人の足で30分ほどになるが、今が9時過ぎか……

 多少寄り道をしてもいいが、気をつけて行ってこい。

 地図はコレ。ネージュ、お前が見ろ。帰りは14時までに帰るように」


 言い伝えたとたんに、バタンと扉が閉められた。

 そびえ立つ山に思える大きな扉を背にしたアレッタは、頭巾越しに空を見上げる。


 とにかく今日は天気がいい。

 朝露に閉じ込められた花の香りが、風に乗って運ばれて来る。

 アレッタは胸いっぱいにその空気を吸い込むと、


「ネージュ、行こうか」


「わかったわ、あたしのアリー」


 軽やかに足を踏み出した。

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