第10話 1日目の終わり

 小さめのケーキであったが、アレッタに食べやすいように切り分けられ、コーヒーを啜るフィアとエイビスの隣で、アレッタとネージュは甘いケーキに舌鼓を打っていた。


「ネージュ、こんなに美味しいものがあるんだなっ」


「そうなのね、アリー」


 ふたりの手は止まらない。

 白いクリームはまったりと舌にからんでくるが、それは舌に乗せるとするりと溶けてなくなってしまう。

 クリームごとフォークを刺すと、スポンジというパンとは違う焼いたものだという。それはしっとりとした舌触りで、ほんのりと甘い。口の中でほろほろとほぐれ、これも溶けてしまった。そこにイチゴが合わさると、甘さに酸味が混ざり、すっきりとした味に変わっていく。

 甘さはくどくなく、そのためイチゴのフルーティな酸味が食欲を引き立てるのか、次から次へと口へ運んでしまう。

 さらに入れてくれた紅茶の香りが、ケーキをより風味よく感じさせてくれるようだ。

 ダージリンの香りがケーキの風味となり、さらに奥行きのある味になるのだ。

 

 フォークに乗せたケーキを何度かすくいなおしながら、アレッタはようやくと口に入れた。

 もう入らないと思っていた胃袋なのに、ケーキの余裕はあるとは驚きだ。


「不思議ね。もうたくさん胃袋に入れたと思ったのに……」


 呟き食べ続けるネージュに、フィアはため息交じりに言った。


「女性は『デザートは別腹』という。貴様もそうなだけだ」


「あら、私を女性扱いしてくれるの? 嬉しいわ」


「黙れ、あばずれ」


 どうもふたりは水と油のようだ。

 エイビスはため息がもれないかわりに、大きく肩を落とし、


「フィア、呼び方が汚いよ」

 口元まで仮面を元に戻して言った。


「申し訳ありません、エイビス」


 フィアは頭を下げるが、ネージュへの睨む瞳は離さない。

 ネージュはそんなことも気にもとめず、美味しそうにケーキを口に運ぶ。


 アレッタは終始笑顔で、


「おいしすぎる……

 フィアは料理の天才なんですねっ!」


 フィアにいうと、彼は少しはにかみ、首を横に振ってコーヒーを飲みこんだ。

 それを見てエイビスはくすくすと笑い、


「アレッタ、ここにいる間に太ってしまうかもしれないね」


「太る……?」


「体重が増えて、体型が変わることをいうんだよ。

 天使の頃だとありえないだろうけど、ヒトだからね。気をつけないと」


「私が風船みたいになるというのか……

 フィアの料理は恐ろしいな……」


 アレッタは顔を青ざめながらも、目の前のケーキの誘惑には勝てないらしく、再びフォークを差し込んだ。


「アリー、口元がクリームだらけね……

 顔を洗ってから寝ましょうね」


 先に食べ終えたネージュに顔を拭かれるアレッタだが、まだケーキが残っているため、いくら拭いても彼女の顔はクリームまみれのままだ。


 ネージュは、どう食べればそれほど汚れるのだろうと見ていると、


1、自分の口のサイズに合っていない食べ物の大きさに切っている

2、フォークに刺さず、乗せているので、転がる

3、フォークに刺そうとするが、突き刺し、結局細切れになる

4、細切れになってもまだ大きいケーキを頬張ろうと口へ運び、口からこぼれる


 なんという悪循環……


「初めてだものね」


 ネージュが言うと、アレッタはその通りだと言わんばかりに首を縦に降った。

 デザートを食べ終えたあと、フィアから「朝食は7時」と告げられ、解散となった。


 部屋へと戻り、丁寧に服を脱がしてもらうと、部屋の横にある洗面所で顔を洗う。

 が、背が届かない。


「台がいるわね」


 言いつつ、今日はネージュが抱きかかえてくれたため、そのまま顔を洗ったが、泡だてた石鹸でしっかり洗うが、まだ何かしっとりとしている。


「クリームの油ね。お肌が綺麗になってよかったわね、アリー」


 アレッタは両手で頬をこねながら、用意されたネグリジェに腕を通した。

 ふわりとした布は体にまとわりつき、着ているだけで気持ちがいい。


 ふわふわした気分のまま、窓際に置かれた椅子へ腰掛け、アレッタは星々が輝く空を見上げた。

 濃い藍色の空は、煌めく砂糖菓子をまぶして広がっている──


「ヒトの世界は、どれも美味しそうだな」


「アリー、あなたには夜空が何に見えてるの……?」


 ネージュもネグリジェに着替え、アレッタの向かいに腰を下ろした。


「ネージュ、今日1日、大変だったな」


「そうね」


「今日1日だけで7日分、過ごした気がする」


「でも食事はまだ1回しかしてないわ」


「そうだな。ヒトは1日3回食事をするから、あと18回は食事ができるのか!」


「明日の朝食も楽しみね」


「そうだな」


 ハーブティをすすり、ふたりはにっこりと微笑んだ。

 アレッタはお茶を飲み込み、一息ついて、小さく頭を下げた。


「ネージュ、ここまで来てくれて、本当に感謝している」


「あら、今からお礼なんて早いわよ」


「確かに。あと6日、生き抜かねばな」


 アレッタが笑うとネージュも笑う。

 まるで天界にいた頃のようだが、お互いに姿が違う。

 それはここがヒトの世界であり、堕ちた結果と告げている。

 アレッタは小さな手を睨み、天を睨むが、何を解決するにも、ここであと6日過ごすしかない。


 ふたりはお茶を飲み終えると、ランプを消し、ベッドヘと潜り込んだ。

 月は白い光を窓から落としている。

 ときおり妖精が窓ごしにこちらを見てくるが、すぐに飽きるのかどこかへ飛んで行ってしまった。


 窓を見つめるアレッタを見て、


「……アリー、寝れる?」


 声をかけると、大きなため息が返ってくる。


「なんだかダメだ。ハーブティも入眠効果のあるものを選んだんだが、今日は色々ありすぎたな。

 頭が妙に冴えたままだ」


「そうだ、アリー、子守唄歌おうか」


 ネージュはアレッタに体を寄せると、小さな胸をとんとん優しく叩きだした。



   星は明るく

   月が銀に

   あなたに甘い夢を見せるでしょう


   今すぐ目を閉じて

   子守唄とおやすみ

   あなたは喜び

   私はあなたを守るから

   あなたは私の腕でまた目を覚ますから───



 いつの間にかアレッタのまぶたは深く閉じ、呼吸が大きく繰り返されていた。

 ネージュはそれに微笑んで、彼女も瞼を閉じたのだった。

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