第9話 初めての食事 2
エイビスはアレッタの元へと行き、再びアレッタを抱え上げた。
すると自身がアレッタの席へ座り、彼の膝の上にアレッタを乗せる。
次に小さな彼女の手を取り、
「アレッタ、この小さく平たく伸びたナイフがバターナイフ。
あの茶色いふわふわしたものがパンだ。それにバターを塗るためのナイフだ。
その他、肉や野菜などはナイフで切って、フォークに刺して食べる。
ここはフルコースではないから、ナイフとフォークは1本ずつだが、正式になると何本にもなる。
そのときでも、バターナイフさえ覚えておけばいい。あとは端からナイフとフォークを取れば問題ない」
持たせて見せて、説明を始めた。
まるで父親のようだ。
アレッタはそれを素直に聞き、小さく頷き返事をする。
「これがバターナイフで、フォーク、と、ナイフ……
うん、わかった」
「では左手にフォーク、右手にナイフだ」
持ち方は、こう……」
エイビスはとても丁寧にアレッタに教えている。それこそ手取り足取りという具合に、指の置き方からナイフの所作まで伝えているが、一方の先生は端的な説明で厳しいようだ。
フィアである。ネージュの隣にはフィアがおり、ナイフとフォークの使い方を教えるのだが、フィアは微妙な距離感で指をさすと、
「それを使って食べろ」
「あら、フィアはエイビスみたいにあたしの手を取って教えてくれないの?
別にあたしの胸に触れても、今だけは許してあげる」
「結構だ」
「結構ってどういうことよっ!」
「その通りだ。必要ない。貴様もアレッタと同じように、ナイフを使え。そして食べろ」
言い切ると彼は自身の席へと戻り、食事を開始する。
ネージュは小さなため息をつきながらも、見よう見まねでナイフで切った肉をフォークにさし、口に含んだ。
途端、目が飛び出るのではと思うほどの表情を浮かべ、そしてふにゃりと体をくねらせた。
「……美味しすぎる」
呟くネージュに、フィアは薄く微笑みながら彼も鶏肉を頬張り、小さく頷いた。いい出来栄えのようだ。
エイビスはというと、「左側から切り分けて食べていくんだ。ひと口大だよ?」言いながらふた切れほど切り分けた。それをフォークに刺してやり、アレッタの口元へと持ってくると、アレッタは堪らずフォークを咥える。
動物的反射とも言える行動にエイビスの仮面はびくりと揺れるが、アレッタはもぐもぐと噛み締めたあと、口を閉じたまま、歓声を上げた。
バタバタと足を跳ねあげ腕を振り上げるが、エイビスはくすくすと笑い、腕を押さえ、足を撫でる。
「おしとやかにしないとね。ゆっくりお食べ」
もうひと口与えられたアレッタは、感動を腕を振り上げ表現したいのを堪え、言われた通りにゆっくりとチキンを噛みしめていた。
この口の中は、アレッタにとって初めての経験だ……!
肉からは汁が溢れ、ソースは濃厚に絡み、こんな美味しいものを食べたことがない!
今まではぶどう酒と、酵母もなにもないパンをかじる程度で事足りていた。味など関係なく、ただ少し胃に入れば問題なかったのだ。
だがヒトの体となり、欲求が抑えきれない。
これほど美味しいものを食べていたのだと驚きとともに、なぜか悔しい気持ちとなる。
ヒトの世界より、ずっと上位に位置すると、神に近い者だと思っていたが、なんてことはない。
ただの無知だった………
アレッタは打ちのめされながらも、この衝撃の美味しさを堪能せずにはいられない。
またひと口頬張り、「……悪霊あくれいとなってヒトの世界を漂ってしまうのも分かる気がする」思わず口に出るが、そのまま再び食べ始めた。
アレッタは慣れないナイフとフォークさばきで肉を切りわけ、口に運んでいく。
この淡白な肉がソースとあわさることで濃厚で、且つ、味わい深いものに変化する、この瞬間を楽しんでいた。
だがそればかり食べていては他のものも堪能できない。
次に分けてもらったパンを手に取った。
それはとてつもなく柔らかく、噛むと甘い。鼻に抜ける香りは酵母の香りだと言う。こんな複雑な味のパンが今まであっただろうか。今までのパンは、パンではない。ただの小麦の塊だ。あれを美味しいと言っていた自分が憎らしい。
艶やかな人参はハーブのように爽やかで、甘く煮込まれていた。甘いながらにさっぱりとしていてとても美味しく、先ほど教えてもらったバターの香りを人参からも感じる。バターはとてもハーブの香りをまろやかにするようで、舌にコクと風味を与えてくれる万能の食べ物のようだ。
アレッタはほどよく冷めたスープで食べ物を流し込むが、このオニオンスープも香ばしい香りと優しい甘さがあとを引く。この甘さは面白い。喉にも感じる甘さだ。これが玉ねぎの甘みだと聞きながらカップに口をつけ一気に飲み干すと、すでに席に戻ったエイビスが首を横に振ったあと、スプーンを掲げた。これで食べろ、ということだ。
フィアに2杯目のスープをもらい、教えてもらったようにすすらないようにひと口ずつ、スプーンで飲み込んでいく。
激しい勢いで食べ続け、なんとかひと息つくが、目の前の食べ物はまだ残っている。
だが食べたい願望はあるのに胃は満腹だといっている。
「……もう、食べられないなんて……!」
フォークとナイフを握りながら項垂れるアレッタに、「また明日食べればいいじゃない」言いつつネージュは器用に食事を続けている。そんなネージュは体が大きいため、アレッタの倍は食べているだろう。
その量が入ることにアレッタは羨ましくなるが、実はネージュに比べて自身のマナーの悪さにかなり驚き、引いていた。
食べ物がまき散らされているのだ。
パン屑はもちろん、ソース、スープ、人参のかけらに至るまで何もかも散らばっている。エイビスがナフを首にかけてくれていなかったら、今頃着替えなければならなかっただろう。
「7日ある。マナーも覚えていこうね、アレッタ」
仮面から優しい声音が響く。そのエイビスにアレッタは驚いた。
今更だが口元が出ていたからだ。だが、仮面は口元しかあいておらず、さらに白手袋ははめられたままだ。
「それ、食べづらくないのですか?」
彼の薄い唇が笑みを作った。
「確かに食べづらいが、仕方がないんだ」
「どうしてです?」
「僕はね、魔力が高いんだ。それこそ、天使の頃の君のようにね。
こう、魔力がある者は、実は弱点もある。
『唇』だ」
「……唇?」
「そう。キスをすると、その相手が僕の眷属になるんだよ」
脂で濡れた唇をぬぐいながら、彼は言った。
「僕の眷属になれば永遠の命はもちろん、金も名誉も手に入る。
世の中にはね、そんなものが欲しくて、寝込みを襲ってでも僕の眷属になりたいヤツがたくさんいるんだ。それは女だけじゃなく、男もね。
だから僕は常に仮面を外せないし、魔力を封じる手袋も外せない。
どれもこれも食事ではマナー違反だけど、僕はこうしないと生きていけないんだ」
ルビー色のワインを彼はするすると飲み込んでいく。
空になったグラスに、フィアがすぐにワインを注ぎ足した。
再び注がれたワインをガラス越しに眺め、くるりと揺らす。グラスのふちにたれるワインを眺めてから鼻を近づけると、満足げにうなづき、ワインをもうひと口飲み込んだ。味も香りも満足のいくもののようだ。微笑みがたえず続いている。
「大変だな……」
アレッタが悲しそうに呟いた。
その声にエイビスは少し驚いた口元を描き、再び微笑むと、
「ありがとう、アレッタ。これでもこの生活はかなり長い。慣れてしまったよ」
エイビスがナフをひざへと置いたとき、フィアが立ち上がり、アレッタの皿をさげた。
もう食べる余裕などほとんどないが、ソースがまぶされた皿はとても名残惜しい。
そう、初めての食事をした皿なのだ。記念に額縁にいれたいほどだ。
フィアの手元を目で追っていくと、彼はアレッタの皿を流しに下ろしてから、別の皿を取り上げた。
その皿には、白い物体が鎮座している。
見る限りではふわふわとしたものだとわかるが、それ以上にはアレッタの経験値ではわからない。
わからない皿は、そっとアレッタの前に置かれた。
「これはケーキという食べ物だ」
白いふわふわしたものは生クリームだという。
鼻を近づけると、これも甘い香りがする。
そのクリームはたっぷりと乗せられ、その上にみずみずしい苺と、1本のキャンドルが添えられている。
キャンドルに白手が触れると、火が灯った。
エイビスの仮面にも火が灯る。
「アレッタ、ヒトに生まれた今日を祝おう。
今日は君の誕生日だ。
7日後には、天へ戻るお祝いのケーキを食べよう」
願いを込めて吹き消して。そう言うエイビスの声に、アレッタは心で唱えた。
『7日間、生き抜きぬいてやる』
そっと吹き消し、煙が登る先を睨む。
が、顔を上げると3人ともに笑っている。あのフィアまでもだ。
アレッタの決意とは裏腹に、子供の容姿は相手に可愛らしさを与えるようだ。
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