第8話 初めての食事

 半ば引きずられるように廊下を歩く。

 赤い革靴で歩く木の廊下は、艶やかに光りよく磨かれている。

 かつかつと響く足音に慣れないアレッタだが、足裏から伝わる固い感触がなんだか面白い。


 エントランスへと降りていくと、広く大きな階段に毛氈が敷かれてある。その上には階段を包むほどの、クリスタルシャンデリアが吊るされていた。

 ネージュに手を引かれながらも、アレッタはシャンデリアに釘付けになった。

 可愛らしい彼女の顔が、間抜けに口をぽかりと開けたままだ。


 シャンデリアが、氷のように美しい───


 天界でも美しいものを見てきたはずだが、これほどまでに綺麗と思っただろうか。

 キャンドルの揺れる火が、涙型に切り出されたクリスタルに反射し、チラチラと光となって降ってくる。

 まさしく、光の結晶だ。

 煌めく光を受け取ろうと小さな手を広げ腕を伸ばすが、光よりも気になるものが現れた。


 香りだ。


 ───いい匂い!


 本能がそう囁く。

 口が唾でいっぱいになる。

 それをゴクリと飲み込みながら、1階のロビーに着くと、さらに右手の食堂の扉へネージュは連れて行く。

 入るとすぐ、10人掛けのテーブルと椅子が並び、その奥にはすでにエイビスが腰を下ろしていた。

 右横を見るとカウンターがしきりとなってキッチンがある。

 そのキッチンはアレッタが見てもわかるほど、よく使い込まれている。綺麗でありながら古さが伺え、この屋敷と同じ年数を歩んで来たのだろう。


 そのキッチンを所狭しと歩き回るアレッタに見かねてか、エイビスは立ち上がり、そこに座ってと手をかざす。

 だが、アレッタはその椅子を通り越し、窓際へと走り出した。


 天界の夜はただ暗いだけだった。

 だが、ヒトの世界はそうではない!

 葉が夜露に濡れて星のように輝いている。

 さらに妖精が月光を浴び、その羽が透きとおったガラス細工のように輝いている。

 淡く美しい光に包みこまれた妖精たちは、浮いたり沈んだりを繰り返しながら、夜の庭を彩っている───


「……なんなんだ、ヒトの世界は……」


「美しいだろ?」


 言いながら窓に張り付いたアレッタを引き剥がしたエイビスは、アレッタをテーブルの端へと運び、腰をかけさせた。

 座ったテーブルだが、10名掛けのテーブルだ。

 アレッタはドア側の端に、その右側にネージュが座る。エイビスは対面のアレッタの向かいに座り、彼の右側にテーブルセットがされていることから、フィアの席だとわかる。


「今日は君たちを客人として迎えようと思って」


 そういって出てきたのは、大きな鶏のローストだ。

 エプロン姿のフィアがテーブルの中央に料理を置きつつ、


「明日から6日間、しっかり働いてもらうからな。住まわせてやる代わりだ。

 働かざるもの食うべからず、っていうだろ?」


 ひと睨みするものの、さらに料理が運ばれ、テーブルの上に並んでいく。

 オニオンスープにベイクドポテト、葉野菜とチーズがたっぷり乗せられたサラダに、甘い香りの人参のグラッセ、インゲンと芽キャベツのガーリックソテー、さらに雲をちぎって焦がしたようなパンまである。


「……全部、食べ物なのか……?」


「そうだよ、アレッタ。好きなだけ食べていい。

 さ、食べよう」


 驚くアレッタをよそに、客人をもてなす意味でエイビスがローストチキンを解体していく。

 だがその手さばきは美しかった。

 白手袋越しに掴んだ大ぶりのナイフとフォークが踊るようにチキンをほどいていく。

 折り曲げられた足の付け根を切り落とし、さらに関節ごとに切り分けていく。

 足が切り離せたら本体へ。本体は胸肉をほどよく切り分ければ終了のようだ。

 あまりに早い手さばきに見とれているうちに、彼女の前にチキンが献上された。焦げ目の綺麗なチキンのももの部分だ。ぷっくりとふくれた肉からは透明な肉汁がとめどなく流れ出ている。

 通常であれば自分でソースをかけるものだそうだが、アレッタにはソースがかけて出された。茶色に染まったソースだが、その香りの深いこと。

 あまりに初めての香りに戸惑いと喜びでいっぱいになる。


「アリー、おいしそうっていう気持ち、すごい気持ちなのね」


 ネージュがアレッタの小さな手を取り言う。

 アレッタもこくりとうなづき、


「ヒトの欲というのは、奥が深いんだな」


 差し出された皿から湯気があがり、いい香りが漂ってくる。

 これが香ばしい鶏肉の香りなのだろう。

 さらにソースからは甘い香りがする。バターをひとかけら落としてくれたのだが、そこからだ。


「甘い香りがするんだろう? それが乳製品の香りだ。牛乳とか、チーズとかバター、そういった類の香りになる。

 うちではよく使うものから、匂いを覚えておくといい。味が想像しやすくなる」

 

 説明してくれたフィアに大きく頷いて見せるアレッタとネージュだが、2人ともに皿の前でお預けを食らっていた。


「食べていいぞ?」


 そう言うエイビスに、アレッタは真っ直ぐな瞳で言った。


「すまない。食べ方がわからない」


 仮面越しのエイビスの頭に「!」のマークが浮かんだのがわかる。

 顔が見えなくとも表情がわかるのは、彼のリアクションが大きいからだろう。


「ごめんね、アレッタ」


 彼は心底申し訳なさそうに声を出し、アレッタの席へと行くと、彼女を自身の膝に乗せて、彼女の両手を取った。


「アレッタ、食べ方を教えるね」


 大きく頷いたアレッタだが、心の中は期待でいっぱいになる。

 雨のように初めてが降り注いでも、彼女の頬は緩みっぱなしだ。



 ───ヒトの世界、面白すぎる……!



 不謹慎かもしれないが、そう思わずにはいられなかった。

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