第6話 夢と現実
───ここは膝丈ほどに伸びた白い花が一面に広がる場所だ。
風はひと肌のように優しい。
だが、アレッタはこの場所があまり好きではなかった。
誰もこない隠れ家ではあったものの、天界は春の匂いしかないのだ。
それはどの場所でも同じではあったが、草木が生えている場所は特にそう感じた。
いつまでも咲き続ける花、一定の温度の風………
それは常世であることの意味であり、時間が存在しない意味でもある。
確かに日の入り、日の出はあるが、ただ同じ1日が繰り返されているように感じてならないのだ。
アレッタは花を指でつつきながら、この常世にうんざりしていたとき、後ろから声がかかった。
「アレッタ、やっぱりここだった」
振り返るとあの人がいる。
逆光で顔がよく見えない。
だが、間違いなく彼だ。
彼は歩み寄ると、苔むした切り株へ腰掛けた。
同時に羽が擦れる音が響く。
アレッタが音に視線を飛ばすと、彼の羽が陽に透けている。美しい12枚の羽が雪の結晶のように煌めいた。
ふと自分の背を見ると、彼女自身の羽はまだ2枚。
それも少し灰色がかって、お世辞にも綺麗とは言えない。
「また、羽を見てるの」
「だって、綺麗なんだもの」
一段と大きく羽ばたかせてから、彼は光の奥へと閉まってしまった。
「隠さなくてもいいのに」
「もう、明日には失くなるものだよ」
ふたりともに雲のない空を見上げた。
ただ青く染まった空は、のっぺりと視界の端から端をつなぎ、ここが世界だと言い切る。
だが世界はこれだけではない。
明日に彼は、ヒトの世界へと堕ちてしまう。
アレッタはただ日差しを睨んだ。
まだ高くある陽がそのまま止まればいいと睨んだのだ。
「……明日にならなきゃいいのに」
俯いた彼女の頬に何かが触れる。
彼の人差し指だ。
細く長い指の腹は、彼女の頬を撫でた。
目尻から優しく頬をなぞり、顎へと落とす。
「泣かないんだ」
「今、貴方の指が泣いてくれました」
アレッタが微笑むと、彼の口元も緩む。
彼は彼女の顔を手のひらで覆った。それは彼女の顔を忘れないようにするためなのか、感触を覚えていたいからか。
きっとどちらでもある。
彼女も彼の手を取り、その温もりを忘れないよう、頬に刻む。
「アレッタ、約束しよう。再び会えるおまじないだ。
さ、左手を出して────
───…………ふぁ……」
言いかけた言葉を飲み込み、目を開いた。
レースの天蓋がかかっている。天蓋のシワを辿るように左に視線を投げると、見慣れない女……ネージュがいる。
「アリー、起きた?」
出会った時と格好が違う。白色の服には変わりはないが、胸元が大きく開き、刺繍があしらわれたコルセットが目立つ。より強調された胸の大きさに、アレッタは圧倒されながらもゆっくりと起き上がった。
体の痛みがないことに疑問を持ちながら全身を見回すが、かすり傷すら残っていない。
さらに着替えも済まされている。
袋を被ったぐらいの粗末なものだったが、今はシルクで作られたフリルたっぷりのネグリジェだ。
「着替えはあたしがしたわ。安心して」
ありがとうと返したとき、不意に目に入った左手首の青い輪にアレッタは釘付けになった。
「……消えていない」
小さな指で痣をなぞる。確かに存在する約束の印にアレッタは目を細めた。
「ソレ、魂に刻んであるんだよ」
仮面の男だ。さらに後ろには赤髪の男がいる。
赤髪の男は長髪の髪を襟足で一本に縛り、ほつれ毛ひとつない髪は几帳面だと伝える。
その彼はメガネをついと直し、アレッタのベッド横に立つと、
「貴様、一度死んでいると思えっ!」
唐突に怒鳴った。
あまりの衝撃にアレッタは固まってしまうが、容赦なく赤毛の男は声を投げつける。
「傷口に泥など塗るなっ! 雑菌が入り、肉が腐って死ぬ!!
走り過ぎだっ! 幼児の体はそんなに耐えられない! そのまま弱って死ぬ!!
石を体で受けるなっ! 骨など簡単に折れる! 臓器に骨が刺さって死ぬ!
自分の腕より太いものを持つなっ! 筋がやられて死ぬ!
貴様は神の加護のおかげで、見た目の年齢よりかなり強化されてはいるが、それでもヒトはヒト!!!
俺がいなかったら、すでに貴様は
指差し言われたことを噛み締めながら、アレッタは顔を青く染め、表情を固く結んだ。
この世界には『天界』という天使と精霊が住む世界と、今いる『ヒトの世界』、そして『魔界』という魔族が住む世界が存在している。
天界は言ってのとおり、ヒトがいう天国のこと。魔界は地獄である。
ヒトの世界に住む者が死ぬと、死を受け入れたものが天界、または魔界へと向かう。これは生前の罪の内容で行き先が異なる。
たが、死を受け入れられない者もいる。
それが
現世に縛られ、生きたかったと懇願する魂は、欲深い魔界よりも、神に近い天界を恨み、襲ってくるのだ。
その悪霊を退治していたのが、アレッタである。
そのアレッタが7日間を生き抜けずに死んでしまうと悪霊になるのだ。
これは決まりであって、例外はない。
彼女は自分の行動の危うさに、死んだ目をしながら落ち込んだ。
「元はと言えばエイビス、彼女を迎えに行ったんじゃなかったんですかっ?」
いきなりの飛び火に、エイビスは全身を震わせ驚きながらも、
「確かに僕はヒト堕ちの天使を拾いに行ったよ。
でもすぐに死にそうな子はいらない。
だから僕は君を歓迎するよ、アレッタ」
エイビスと呼ばれた仮面の男は、赤毛の男の小言を遮るようにアレッタの横へ立つと、手袋越しに彼女の頬を優しく撫でた。
「名前、まだだったよね? 僕はエイビス。この館の
アレッタ、7日間、よろしくね」
撫でられる大きな掌の感触に懐かしさが蘇る。
懐かしいという気持ちに、アレッタは目を瞑った。
それは夢のあの人はもういないということだ。だから懐かしむのだ。
彼女は手首を撫でながら、小さく息を吐き出す。
思い出だけを漉しとるように、悲しい気持ちを押し出していく。
ふと見上げると、エイビスと目があった気がする。
アレッタは手首を撫でながらエイビスに向かってにっこりと微笑んだ。
「これは大切な方との思い出なのです」
そう。とでも言うように、彼は肩を持ち上げた。
「さ、アレッタ、お風呂に入ってきたらいいよ。スッキリする。
ネージュ、アレッタをお風呂に入れてあげられる?」
ネージュはエイビスに大きく頷き返し、すぐさまアレッタを抱え上げた。
「ちょ、ネージュ、私は歩ける」
「いいの、いいの!
小さいアリーのお世話ができる日が来るなんて、あたし、幸せっ」
ネージュははしゃぎながら廊下へと飛び出し、鼻歌を歌いながらお風呂場へと足を向けた。
アレッタは「オフロ」を知らない。
そのためアレッタは想像ができず、身を固くした。
───
抱えられたアレッタは、胸の中でそう祈っていた。
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