第3話 追われる身 2

 アレッタはその異様な精霊に足を止めた。

 すぐに近くの草陰に身を潜め、じっと目を凝らす。


 葉っぱがヒトのなりをして歩いている────


 顔はそれこそたくさんの葉っぱを丸くまとめて頭としているが、体は服を着ている。さらに体の形は男性のようだ。

 胸板は薄くも肩幅はしっかりとしており、体幹が鍛えられているのがわかる。

 きっと草木の精霊なので、一本柱が通っているのだろう。

 その体には黒い上質のスーツ、さらに外套をまとい、白い手袋をはめている。きっと指先が葉っぱや小枝のために手袋をはめて手を作っているのだ。


 初めて見る不気味な精霊の姿に、アレッタが身を強張らせたとき、


「いたぞっ」


 大雑把な足音と、野太いオークの声が聞こえてきた。

 さらに後方から迫る気配に気づき、横へと反射的に飛び退いた。

 すぐに、どんと地面に何かが落ちる。

 見ると、それはアレッタの顔ほどの石だ。


「当たってねぇぞ! しっかり狙え!」


 投石で足止めを考えついたようだ。

 石を紐に結び、体を回転させながら飛ばされる。

 パチンコ玉のように可愛らしいものではない。

 頭ほどの石は、打ち上げ花火のように唸りをあげて向かってくる。


 アレッタは落ちてくる石を視界に捉えると、じっとそれを睨んだ。


 ギリギリまで待ってから避ける───


「……今っ!」


 声を張り上げ、左に体を振りまわし、なんとか避けきった。

 次の投石準備に手間取っているのを確認すると、無理矢理足を振り上げ逃げる体制に入る。


 だがその先には、あの草木の精霊がいる。

 あの横を通り過ぎるのか……


 その恐ろしい現実に身構えたとき、放り出される石の方向をアレッタは直感的に理解した。


 草木の精霊の上に落ちる───


「……くそっ」


 彼女は足の痛みも気にせず、飛び出した。

 後方からは小さな掛け声とともに石が放たれたようだ。再び風を潰しながら迫ってくる。


 ちらりと振り返ると少し右へとずれている。

 このままいけば、精霊には当たらない……!


 安堵したのもつかの間、草木の精霊は走るアレッタに気がついたようで、彼女を避けるように道の右脇に移動し、立ち止まった。


 が、その場所は間違いなく石の落下ポイントのど真ん中だ。


 避けろと叫びたくても気管は空気を取り込むので精一杯。

 アレッタは勢いそのままに、精霊の胸板に体当たりしていた。


 もう、当たり屋もいいところである。


 せっかく精霊は避けたのに、ボロ切れを纏った幼女がぶつかってきたのだ。

 精霊が非難の声を上げているが、アレッタは構うことなく精霊の頭を抱えこんだ。

 すぐに鈍い音が鳴り、同時にアレッタの体ががつんと揺れる。

 その意味はあの大きな石が幼女の体に容赦なく落ちたのだ。

 息すら詰まるその痛みをアレッタは小さな体で必死に受け止め、ただ彼女は再び走りだそうと足を踏み出した。


 だが、空を切るだけで前に進めない。


 離れていく地面を掴もうと、彼女はもがくがそれは無駄な行為だった。

 襟首をつままれ釣り上げらた先には、肩で息をするオークがいる。


「もう、逃げられねぇぞ」


 その状況に、アレッタはもがくのをやめ、ぶらりと力なく垂れ下がった。

 オークはひとつ高笑いをあげる。

 それは枯れた声でブルブルと顔を震わす笑い声だ。

 よほど嬉しいのか、尻餅をついたままの不気味な草木の精霊など気を向けることもない。

 ひたすらに笑い、唾を吐きながら歓喜を表現するが、捕まえた幼女の動きが鈍い。

 いやそれ以上に動かない。

 オークはアレッタが生きているのか気になるのか、覗き込んだ。

 濡れた豚鼻がアレッタの眼前に差し出されたとき、彼女は容赦無くその鼻に指を突っ込んだ。

 いやむしろ、手ごとだ。

 唐突な攻撃に、怯んだオークは思わずアレッタを手放した。

 アレッタは地面に手をつき着地をするが、鼻血を流すオークはまだ諦めていない。

 アレッタは、捕まえようと振りまわされる太い腕をかいくぐり、オークの腰に下げられた棍棒をアレッタは素早く奪う。

 そして背後について、膝に向かって一発撃ち込んだ。

 片膝が崩れたところで腱に向かって叩き、そのままうつ伏せに倒れ込んだオークの首下に、力一杯振り下ろす。

 ピクリともしないが息はできているようだ。

 すぐ辺りに視線を飛ばしたとき、すでに残りのオークが追いついていた。

 だがアレッタの意思に反して、手は棍棒を放し、さらに腕もあがらない。せめてもの足すら、微塵も動く気配がない。


 アレッタは迫り来るオークを睨んだ。



 これが絶望か───



 歯を食いしばり、力の入らない拳を握り、


「悔しい」


 アレッタの小さな声はオークの雑踏で打ち消される。

 迫り来る振動に耐えながら、彼女は想像すらできない未来に悲観した。

 ただ固く目を閉じ、小さな体を強張らせた。

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