第10話 縋る少女


 湖の前に立ち遠くを見つめる少女は、俺が追いついたのを確認するとちょっと気まずそうにしていた。

「三途の川って知ってる?」

「・・・あぁ。そうか、これは三途の川か・・・天界の最下層だから下は現世。天界と現世の間にある川と言えば、三途の川だな。しかし、これは川なのか、湖かと思っていた。」

「そうね。ただ水があるとしか思っていなかった。でももしこれが川なら・・・」

 少女は手に持った五円玉を見つめた。

「もしかしたら舟が来るかもしれない。」

 少女の言いたいことが分からず頭をひねっていると、三途の川に舟、5円玉という言葉で思い出した。人間は死後、三途の川を渡ってあの世へ来る。その際に舟を使うのだが、渡賃として5円玉が必要なのだ。

「君は、その舟に乗って現世に行くつもりなのか?」

「・・・ごめんなさい。諦められないの。この5円があれば・・・舟に乗せてもらえるかもしれない。」

「舟が来るかどうかなんてわからないぞ。だいたい、その舟は現世からあの世、天界へ乗せてくれるだけだろう。」

「そうかもしれないわ。」

 少女は顔を上げて俺を見た。青い意志の強い瞳が俺を映す。

「ここまでありがとう。ごめんなさい、あなたと天国には帰れない。私はここで待つことにするわ。」

「もう待つのは嫌だったんじゃないのか?」

「うん。でもここであきらめてしまう方がもっと嫌なの。ごめんなさい。」

「・・・だめだ。」

 俺が反対したのが意外だったのか、少女は目を丸くさせて、俺を見つめ黙っていたので俺はそのまま続けた。

「ここにいても舟は来ない。わかっているのだろう?男を待ちたいというのなら反対はしないが、ここではだめだ。」

 ここまで来た道のりに他の者はいなかった。おそらく天国までの道のりはその人それぞれの道があるのだろう。だから見える景色も違うのだ。

 もし仮に、少女の待つ男が遅れて天界に来たとする。男がここを通る可能性は低いだろう。だってここは少女の道なのだから。

「天国に戻ろう。まだあそこで待っていた方が可能性がある。」

 俺は少女の手を引こうとしたが、少女はそれを拒んだ。

「天国には戻らないわ。」

「・・・もし、男と入れ違いになったらどうする?もしかしたら男はもう天国にいるかもしれないぞ。」

「それはないわ。」

「なぜそう言い切れる?」

「・・・言わせる気?私だって本当はわかっているの。お兄ちゃんは天国には来ないって。天使さまだって、そう思っているのでしょ?」

「なら、なぜ。なんでまだ待つだなんて言えるんだ?」

 彼女が待てなくなったのは、おそらくそれだけ長い時を待ったのだろう。少なくても50年だろうか?いや、確実に男が死んでいる時を待つとしたら、100年か?とにかく少女は、男が死んでいることに確信が持てるぐらい待った。それでも天国に男が現れないのは・・・

「地獄に行くような人じゃないの、お兄ちゃんは。でも天国で待っていても来ないことはわかったわ。」

「現世にいると思っているのか?」

 少女はうなずいて笑った。

「だから、私はあの場所で待ちたいの。そのために、舟を待つわ。」

 最初から分かっていたことだと、自分を納得させるしかなかった。少女はずっと意志の強い目をしていた。その目には一切の揺らぎはない。

「俺では、君を救えないな。」

「天使さまは私を救いたかったの?ありがとう。やっぱり天使さまは他の天使たちと違う。本当にやさしい天使のような人ね。」

 少女は俺の手をとってもう一度礼を言うと優しく笑った。

「天使さま、最後に一つだけ。優しいあなたに甘えてもいい?」




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