第11話 天使様の贈り物
「・・・とりあえず聞くだけは聞こう。」
たいていのお願いなら叶えられるが、人間には・・・天使にもできないこと、というのはある。
「お兄ちゃんが天国に来たら、私に教えて欲しいの。門番をしている天使さまにしか頼めないことだわ。」
「それくらいはかまわない、と言いたいところだが・・・男の顔が分からない。」
少女はその言葉を予想していたのか、うなずいてズボンのポケットから一枚の紙を出した。
「これ、お兄ちゃんと撮った写真なの。私の宝物よ。」
「絵姿か?ずいぶん精巧なものだな。」
「写真だって・・・」
俺は少女からシャシンを受け取った。そこには親しみやすそうな顔をしているが特に特徴のない平凡な男と少女が笑顔でいた。男の顔はなぜだか懐かしく感じるような、安心できる顔だった。茶髪を短く切って、眉も太く、俺と違って男らしい。少しうらやましいな。
「覚えた。」
俺は少女にシャシンを返そうとしたが、受け取ってもらえなかった。
「お兄ちゃんって、どこにでもいそうな人だから、顔忘れちゃうでしょ?天使さまみたいにキラキラしてないからね・・・天使さまがこの写真を持っていて。」
「しかし、宝物なのだろう?」
「うん。でも天使さまになら、安心して預けられるよ。お兄ちゃんを見つけたら返してね。だから、また会いましょう?お兄ちゃんと再会するときは、天使さまと再会できる時なの。楽しみが二倍になって私も待つかいがあるわ。その写真は約束の印みたいなものよ。」
少女はそう言って、俺を階段の方に向かって押した。
「ほら、さっさと天国に戻らないと。天使さまがいないと困る人もいるでしょ?」
「・・・なぜ、そんな悲しそうな顔をするんだ?」
少女は今までにないほど情けない顔をしていた。先ほどの意志の強さはどこへ行ったのか、今にも泣きだしそうな顔をしている。
「気のせいよ・・・と言っても天使さまは優しいから気になるよね。」
少女は突然俺の腰に手をまわし抱き着いてきた。それは恋人同士がするようなものではなく、子供が親にするようなものだ。
「本当は、一人で待つのが寂しいの。でも天使さまにお願いするのは間違っているから、私は一人でまた待たなければならないの。」
「別に俺は・・・」
「言わないで、天使さま。私は、嫌な人間になりたくない。あの天使さまの過去で見た人たちのような人間になりたくない。」
「過去?俺の名付け親のことか?」
「え、違う違う!その前に見たえーと勇者って呼ばれていた緑の髪の人や、天使さまの惚れていた女性とバカップル。」
「は?ちょっと待て、俺の惚れていた女だと!?え、誰だ?」
「えぇと・・・茶髪の食いしん坊さん。」
「・・・どこに好きになる要素があるそれ。」
「えー、でも絶対あれは好きだったよ。一目ぼれだねあれは。」
少女は訳知り顔で言ったが、俺にはまったく意味が分からなかった。
「全く覚えがないな・・・そういえば緑の髪の少年なら目が覚めた時に隣にいたな。君が落ちたときに話だ。」
「あ・・・その落ちたことは忘れて。ちょっとあれは恥ずかしいわ。」
「そうだな、わかった。しかし、あいつは誰だったのか。」
「知らないの?一緒に魔王を倒しに行った仲間なのに。」
「魔王なんて倒しに行ったことないぞ。」
「・・・?ならあれは何だったのかしら。私は魔王討伐に参加した功績で、天使になったのかと思ったわ。でも違うのね。」
「おそらく、俺の記憶にないだけだろう。前世の記憶というべきものなのだろうな。この世界に来て、赤ん坊になる前の過去の出来事かもしれない。」
「そういえば、そんなことを言っていたわね。」
「元気になったな。」
「え、誰が?」
「君だよ。さすがにあのままだと置いていけないからよかった。」
少女はなぜこのような話になったかを思い出したようで、ちょっと顔を赤くしてうつむいた。
「君の言う通り、俺は天国に帰らなければならない。俺が帰らないと同僚の仕事が増えてしまうからな。」
「そうね。」
「言っても無駄なことはわかっているが・・・辛くなったらいつでも帰って来い。天国は君をいつでも暖かに迎えよう・・・罪を犯さない限りな。」
「ありがとう、天使さま。でも、私は待つって決めたから。約束忘れないでね。」
少女は右手を前に出した。握手を求めているようだった。
「またね、天使さま。」
「あぁ。」
俺は少女の手を握った。少女の手は小さくて柔らかく、強い力で握れば壊れそうで優しく握った。そんな俺を知ってか知らずか、思わぬ握力で少女に握り返され驚いたことは、いい思い出だ。
天国の門には、同僚が一人ぽつんと空を眺めていた。
「悪い。」
「お帰り、不真面目。あれ、あの人間は?」
「・・・見失った。」
同僚は、俺が言った言葉に目を丸くした後、大笑いした。
「笑えないジョークだな。」
「笑っているじゃないか。」
「そうだな。わかったよ・・・君はたかだか人間の女の子一人連れ戻せない天使だったんだね~」
同僚はひとしきり笑うと、青い澄んだ空を眺めた。
「マーキュリー、君ってどんな人間だったんだ?」
「俺は、普通の人間だった。」
「ぷっ。くふふふ。君ね、今の自分のことは、どう思っているわけ?」
「俺は、普通の天使だ。」
同僚は俺の答えにさらに笑い、楽しませてくれたお礼に「手伝う」と言った。
「君は、このまま彼女を放っておくつもりはないのだろう?僕が、力を貸してあげよう。」
天使さまが去って、私は一人お兄ちゃんを待ち続けていた。
本当はわかっている。もう、天使さまに会うことはない。だってお兄ちゃんは天国になんて来ないから。一度私を乗せて送った舟はもう来ないから。私はお兄ちゃんに会えないから。
膝を抱え込んで座り、ゆっくりと目をつぶった。
ざぶん
「え?」
聞こえた水音に驚き顔を上げると信じられないものが見えた。
「うそ・・・舟?」
私が死んだときに乗ってきた、手漕ぎの小舟が湖に浮かんでいた。乗っている人影はうっすらと透けた黒い影。あの影がお金を受け取り舟をこいでくれるのだ。
私は慌ててズボンのポケットを確認した。目的のものがしっかり入っているのを確認し、それを手で握りしめた。
「現世まで私を連れて行ってくれる?」
『お代は?』
私は握りしめていた5円玉を渡した。
影はそれを確認すると黙って舟をこぎ始めた。
「天使さま・・・私、舟に乗れたわ・・・」
その時、ふわりと何かが手に触れた。
不思議に思ってみると、それは一枚の白い羽だった。
「うそ、まさか・・・」
その羽で私が連想したのは、鳥類などではなく一人の天使。
来ないはずの舟が来た理由は、この羽が答えなのかもしれない。
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