第2話

 普通の人は自称神様に会ったらどうするのだろう。自称でも願いを叶えられることを証明されれば、大抵の人はその言葉を信じて願い事をするのだろうか。そうして叶えてもらうのだろうか。

 自称神様に背を向けて家に帰ってきた私は、びしゃびしゃのサンダルを玄関先で脱いで壁に立てかけて干した。このままにしておくと若干臭くなるのは分かっていたが、後で消臭剤でもふればいいかと放置に決めた。玄関が開く音で私が帰ってきたことを知った母のおかえりという声がリビングの方から聞こえる。それに返事をしてリビングには行かずに階段を登って自分の部屋に入った。

 ベッドは朝起きたときと同じように乱れたままで掛け布団がめちゃくちゃだ。整えもせずそこに腰掛けて、部屋を見回せば、出かける前に使っていたメイク道具が机に散乱していた。近づいてそれらを手に取るとブラウンとオレンジのアイシャドウパットが目に入る。これは親友に誕生日プレゼントで貰ったものだった。貰った時の記憶を蘇らせるように、開いた窓から入ってきたそよ風が頬を撫でた。

「はい、どうぞ」

 地元のショッピングモールのカフェで頬杖をついて座っていた私の目の前にあの子が差し出してきたのは、そのカフェでいつも私が頼むミックスジュースだった。普段大人っぽいね、と言われやすい私がこれを頼むと、意外だと言われるが、親友は長い付き合いなのもあって私らしいと言ってくれた。好みを把握してる親友だからこそできる気の回し方だった。

「ありがと」

 季節は肌寒くなる秋頃。彼女からミックスジュースを受け取って一口飲めば砂糖とは違う甘さが口に広がる。地元のミックスジュースはいろんな果物の果汁を混ぜ合わせただけものだったが、この店のそれは牛乳も一緒に混ぜられていて、飲みやすかった。牛乳を混ぜるのは近畿地方特有のものらしい。私は地元は近畿ではなかったけれど、こっちの方が好きだった。

 親友が手に持っていたのはホットコーヒーだった。それもブラック。可愛らしい見た目とは相反してかっこいい飲み物を飲んでいる。中学の頃は苦くて飲めない、なんて言っていたのに、大学生ともなると味覚が大人になったようだ。高校、大学と違うところに行くと知らないこともどんどん増えていて、こうしてたまに会うだけで新しい発見をする。けれど、変わらないことも確かにあって。

 ふーっとコーヒーを冷まして飲もうとする姿に、舌、火傷しそうだなーと見ていると、案の定熱そうにコーヒーから口を離した。

「熱かった?」

「熱かった」

 元々猫舌なのは知っている。それは今も変わらないらしく、彼女は大人しくコーヒーが冷えるのを待っていた。

「私ら、イメージ的に飲んでるもの逆だよね」

「えーそう?」

 ふんわりと巻かれた後れ毛を揺らして首を曲げた親友は大人の顔つきをしていたけれど、やはり可愛さが優っていて、私が飲んでいるミックスジュースの方が合っていると思った。ちなみに私はいくら自分の雰囲気に合っていようとも、ブラックコーヒーは飲めない。何たって苦いから。

「私は紫ちゃんがミックスジュース飲んでるとギャップがあっていいと思うけどな〜」

 紫ちゃんは自分の可愛いところ、気づいてないもんね。と、さも自分だけが知っているかのようにふんふんと頭を縦に振る親友に思わず目が丸くなる。正直、どんな人にも可愛いと言われることはなくて、そう言ってくるのは親友くらいなものだった。私には私のどこがそんな風に見えているのかあまり分からないけれど、変に納得してしまったのは他ならない彼女がそう言ったからかもしれない。

「あ、そうだ。これ、先に渡しとくね」

 そう言って彼女が机に置いたのは、真ん中に英語が入った茶色の紙袋だった。見覚えがある英語のロゴは、以前彼女とデパートの行った時に見たデパコスのもので、中を確認すれば私が欲しいと言ったブラウンとオレンジのアイシャドウが入っていた。

「ちょっと遅くなっちゃったけど、ハッピーバースデー」

「欲しいって言ったの、覚えてたの?」

「うん。あ、もしかしてもう買っちゃってた?」

「ううん。高いしなかなか手が出せなくて。ありがとう」

 バイトをしていたとしても学生ではなかなか手を出しづらいものをプレゼントしてくれたのはとても嬉しかった。

 どういたしまして、と目を細めた彼女の満面の笑顔は幼い頃から変わらない。私は貰ったアイシャドウを見て大事に使おうと思った。それが、あの子からの最後の贈り物になるなんて、夢にも思わなかったけれど。

「それはなんじゃ?」

 私以外誰もいないはずの部屋からさっき聞いたばかりの声が耳元に響く。首を捻って後ろに振り向くと、私の肩越しにアイシャドウを不思議そうに見る自称神様の姿があった。

「どうやって入ってきたの……は聞くだけ無駄よね」

「わしは神出鬼没じゃからのう」

 人の部屋に勝手に入ってくる礼儀のないこの神様。悪気のない笑顔に無性に腹が立ったが、大きなため息をつくことで心を落ち着かせた。これぐらいのことで怒りを爆発させるほど子どもではない。

「して、それはなんじゃ?」

「アイシャドウよ。目のメイクに使うの」

「メイクとはなんぞや?」

 いやいや、神様でしょう。何でも知ってるんじゃないのか。口には出さずとも呆れたことが伝わったのか、彼が綺麗の顔を顰め、むすっとした。しかしそれもつかの間、私の顔をじーっと見始めて、その近さに思わず後退る。

「なるほど、分かったぞ!」

 彼から距離を取ると、彼は掌を拳でぽんっと叩いた。何か分かったらしい。

「つまり白粉(おしろい)の上から目につける紅のことじゃな?」

「白粉って……随分古い言葉使うよね」

 白粉は昔の人が肌を白く見せるために塗っていたもので、今で言うファンデーションの代わりだった。今時白粉を使うのは舞妓さんたちくらいで、一般の人は使わない。紅は、言わないことはないけれど、それでも殆ど使わない。

 この神様は『マジック』が分からなかったことといい、『白粉』を使うことといい、あまり現代の言葉を知らないようだった。神様って、基本は何でも知ってるものじゃないのか。日本の神話はどうなのか知らないけど、海外の神様はよく言われたりするじゃない。ほら、全知全能の神、とか。

「わしがいる時代は女子(おなご)は白粉を使っておるからのう」

「あなたの、時代?」

 言葉の意味がいまいち理解できなくて、思わず聞き返してしまった。出来るだけ関わりたくはなかったのだが、言ってしまったものは仕方がない。大人しく次の言葉を待つ。

「わしはお主らの過去からきておるのでな」

「過去?」

 私はこの男を見るまで神様を信じてはいなかったが、知識としては何となく知っている。神は人の願いを叶え、そうして祀られる存在。元々神がいたと言う人もいれば、人が信じるからこそ概念として存在するとも言われ、祈りや願いがなければ存在を維持することは難しいとも言われる。実体がなければ人々のそう言った思いから形成されるのはなんとなく分かるが、そこに過去や未来が存在するのかと聞かれると、私にはよく分からない。

 神様は私たちと同じ時間の流れの中で存在しているわけじゃない、と言うことだろうか。

「ふむ、何から説明すればよいかのう……ちとややこしいのでな」

 私のベッドの上にこれまた許可なく座った彼は我が物顔でその隣をぽんぽんと叩く。そこに座れと言うことらしいが、思い通りに動くのが癪で、椅子に座ることにした。

 男は言うことを聞かない私に苦笑いを浮かべたが、口を開いて話し出す。

「わしはお主に神だと告げたが、実際はまだ神ではない。見習い中なのじゃ」

 神に見習いなんてあるのか、と突っ込みたかったが、話が聞けなくなるので黙っておく。要約するとこんな感じだった。

 神は最初、卵のような状態らしい。あくまでもイメージしやすくさせる為に男が言ったことだけど、とりあえずそう言う風に考えておく。その卵は人間が存在する空間とは違う異次元にあるらしく、人々の祈りや願いが集まってどんどん形を作り、最終的に孵化する。孵化したものは神になるべく、神がいるこの世界に降りてきて神見習いとして神のお手伝いをしながら人々の願いを叶えるための力をつけていく。そして、神になるのだけれど、神になる為には最終試験を受けなければならないらしく、その為に本来存在している時間から未来に来るらしい。

「どうして未来に来るの?」

「未来にいる誰かの願いを叶える為じゃ」

 神様も人に存在を信じてもらえなければ存在することが出来ず、また力を発揮することが出来ないのだと言う。神見習いは特にそうで、実績がない以上、立場は過酷。油断をすれば簡単に消えてしまうらしい。そのため、未来という神見習いとは何の関わりもない時間を生きる人間の願いを叶えることで神としてやっていけると判断され、神に昇格でき、そして、本来いるべき時間に戻って神様の仕事をするということだった。

 また、未来に行く理由はもう一つあるらしく。

「え、私の寿命があなたの寿命なの?」

「そうじゃ」

 どう言うことかと言うと、未来に行って願いを叶える人物は未来に行った瞬間に決定されるらしいのだが、その人物が死ぬとき、神様もまた消えるのだと言う。最初に願いを叶えた人物と神様は理屈では説明できない強い繋がりが出来てしまうらしく、結果的にそうなってしまうのだと。つまり、神の寿命は神見習い時点で詰んだ力の大きさで決まると言っても過言じゃない。何故なら、その力で飛べる未来が決まるからだ。その未来が先であれば先であるほど、神様は長くこの世界に存在出来る。戻った時間から最初の願いを叶えた人物が死ぬまで、存在していられるのだ。

「それって、私の願いを叶えないといけないってこと?」

「そういうことじゃな。神を信じておらんのはかなり不都合な条件じゃが、それも仕方ないのう。わしに課せられた試験じゃからな」

 陽気にそう答える自称神様に私は頭を抱えた。情報量が多すぎてついていけない。まず、この男が自分の寿命を知っても平然としているのが信じられない。私なら自分が死ぬ時期なんて知りたくもないもんだ。それに願いを叶えるのが神になるための条件なんて、下心ありまくりだ。神様なのにそんなことでいいのだろうか。尤も、私には叶えたい願いもないのだけれど。

「ま、急ぐことはない。お主の願いは少々複雑のようじゃからのう。気長に待とう」

 自称神様は机の上に立てられた写真立てをちらりと見て立ち上がった。風に銀髪がさらりと靡く。空はいつの間にか雲が晴れ、茜色に染まっていた。堂々とした背中が私の叶えてはいけない願いを見透かしているようで、怖かった。

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