第28話 不可分

 中村は小熊の問いには答えず、それでいて不快を示すこともなく、キーボードを叩きながら自分の左肩を少し動かした。

 ここまで見に来い、という意味だろうと解釈した小熊は、片手にコーヒーカップ、もう片方の手で松葉杖をつきながら真向かいのベッドまで移動した。

 まだ松葉杖一本のみで歩くことは許可されていないが、病室内なら問題ないだろうと思いつつ、中村に近づくと、彼女が微笑んだまま頷いた。小熊は彼女の「許可」に従い、ベッドの端に腰掛けた。

 やっぱりこの女は人を動かす側で、自分はこういう女にコントロールされる役回りなんだろう。小熊の頭に一瞬、マルーンの女が思い浮かんだが、慌てて打ち消す。

 少なくとも中村は自分の都合で他人を振り回すタイプではない。あと一ヶ月弱の同室者はそうであって欲しいと思った。


 中村がベッドテーブルに置いたワイヤレスキーボードの前に立てかけたタブレットに映っていたのは、バーチャルアイドルと言われる3Dで合成された美少女だった。

 画面の半分でCG合成された少女が踊ったり動いたりしている、残り半分は小熊が見ても何なのかさっぱりわからない設定画面。

 中村は少女を小刻みに動かしては、設定の数字をいじっている。

「これを作っているんですか?」

 中村は作業の手を休めることなく答えた。

「3Dモデルや音響を製作しているのは外資のソシャゲ会社だ。私はそこから頼まれてお手伝いをしているだけさ」


 小熊は手に持った厚手のマグからコーヒーを飲みながら中村の話を聞いた。ベッドテーブルに置かれたティーカップに半分ほど残されていた中村のお茶は、もう冷めている。

「映像の仕事はもうやらないと決めていたんだが、このバーチャルアイドルを担当しているクリエイターは、私がテレビの仕事をしていた頃、個人的に面倒を見ていた人間でね」

 入院前の中村がどんな暮らしをしていたのか、小熊はテーブルのお茶を見て察した。温かいお茶が冷めるまで休めないような、あるいは熱いお茶を喉に放り込んで僅かな活力を繋ぐような仕事。

「彼女に助力を求められた時、私は断ろうとした。彼女も私が怪我をしたことを知っていて、相応以上の報酬を提示しながらも、仕事を請けてもらうことは半ば諦めていたらしい」

 中村はディスプレイの中で同じ動きを延々繰り返すバーチャルアイドルを見ながら、何度も設定を変更し、動きを図表化させた別ウィンドウを見ながら調整している。小熊はバイクの燃料や点火のセッティング作業に近いものかと思った。

「しかし私は、彼女の製作環境を見て、このまま彼女の作品が、然るべき技術の無い人間の手で完成させられるのは勿体無いと考えた。私が以前から見込んでいた、彼女の才能が惜しいと思った」

 作業が一区切りついたのか、リターンキーを押した中村は体を伸ばし、リクライニングベッドに背をもたれさせた。ベッドテーブルのお茶を手に取って一口飲む。

 お茶がひどい味だったのか、それとも冷めたお茶の味で何かを思い起こしたのか、中村はしばらく中空を見据えていた。  


 普段から自分の事を特に隠さないが、聞かれぬのに話したりしない中村は、長話を恥じるようにお茶を飲み干す。

 小熊は手を伸ばしながら言った。

「お茶のお替りを淹れてきます」

 カップを下げた小熊は、湯沸しポットの残量を確認し、床頭台の収納からもう一つのティーカップを取り出した。ティーバッグのお茶を淹れ、一杯目よりやや控えめな粉クリームと砂糖を入れて中村のテーブルに置く。

 きっとこの二つのカップを後でまとめて洗いに行くのも自分なんだろう。人にそうさせる女に出会ってしまったんだからしょうがない。

 もしかして自分が何らかの才幹に恵まれていたなら、中村のほうが自分のために動いてくれるようになるのかもしれないと思ったが、とりあえず今の小熊に出来るのは、お茶を淹れることだけ。

 

 中村は一度閉じた作業ウィンドウとは別の画面を開き、五十音のひらがなが表示された画面に何かを打ち込んでいた。

 小熊は湯気を立てるお茶をテーブルに置く。カップを手に取り、熱いお茶を冷ましながら一口飲んだ中村は、キーボードのキーを叩いた。

 ディスプレイの中のバーチャルアイドルが動き出し、画面の外に居る小熊に目を合わせて言った。

『ありがとう小熊ちゃん。とっても美味しいよ』

 合成されたとは思えない淀みない音声に、思わず小熊の顔が綻ぶ。

 ワイヤレスキーボードを脇に置き、しばしお茶の香りと温かさに集中している様子の中村が、何か話したい気配になるまで待った後、小熊は話しかけた。

「その案件が終わったら、退院したら、やめるんですか?」


 ティーカップの中を見ていた中村が、顔を上げて小熊を見た。今まで考えもしなかったといった表情。考えないわけがない。

「仕事でこんなことをやるのはもう終わりさ。でも、趣味として続けるかもしれないな。これも金は取っていないし」

 小熊はコーヒーを飲み干しながら言った。

「きっとそうなるでしょうね。人間はなるようになるし、収まるべきところに収まる」

 小熊は理解した。過労から起こした事故で体を壊し、もう映像製作の仕事をやめると言っている彼女も、結局は自分の居場所からは離れられない。趣味で続けるといっても、きっとそれはすぐに仕事に変わる。

 何かの報酬を得られるわけでもないのに、良好な作品と優秀なクリエイターを世に出すため、こんな面倒な作業を当たり前のように行う人間を、周りが放っておかない。


 きっと会社をやめた事も、入院を引き伸ばして安楽な生活をしているのも、彼女にはクリエイターとしてのキャリアアップ過程の一つ。仕事や会社が突然の入院で破綻した人のうち、少なからぬ人間が後になって、あれは必要な時間だったと言う。中村はそれを知っているんだろうかと思ったが、小熊が思う程度の事はとっくに気づいているだろう。

「近い将来、あなたの係わった作品をどこかで見られるのを楽しみにしています」

 小熊は中村に手を差し出した。

 中村は、目の前の小熊ではなく、映像製作という自らと不可分の存在に対し意思を示すかのように、強く握り返してきた。

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