第23話 リハビリ

 手術を終え、松葉杖をつきながら病院内を歩き回れるようになった小熊のリハビリが始まった。

 まだ足の骨は金属の棒で繋いで強度を確保している状態で、骨そのものが元の状態に戻るには時間がかかるが、リハビリには問題なく、早期に始めれば回復も早まるらしい。

 小熊も今まで読んだ事故や入院の記録で、リハビリの辛さについて書かれているのを何度か見かけたことはあるが、リハビリとはどういう事をすればいいのかわからない。

 とりあえず言われた場所に行けばいいと聞いたので、まだぎこちない動きで木製の松葉杖を扱いながら、片足だけで歩いて病院地下のリハビリ室に向かう。


 小熊としてはドラマや映画で怪我をした主人公が杖をつく時に見かけた、腕に固定する伸縮式アルミのコンパクトな杖を使いたかったところだが、ロフストランドクラッチという名のついたあの杖は重心のバランスが取れない人が使うもので、小熊の症状では不要らしい。

 そんな話を聞かされると、この古臭くベッド脇で嵩張る松葉杖が優れたものであるかのように思えてくる。松葉杖は古代エジプトの文献にも登場し、その頃から素材や製法の進化はあれど、形状はほぼ変わっていないらしい。

 人の体が不変であるならば、その用途に最適の形状をしたものも変わらない。どこかスーパーカブを思わせる。

 考え事をしているうちに、もう一週間乗っていないカブが恋しくなった小熊は、とりあえずそのために必要な義務を滞りなく消化すべく、リハビリ室に入った。


 ドアの無い室内は、トレーニングジムといった感じだった。

 病院支給品や私物のパジャマを着た入院患者が、ルームランナーのような機械の上で歩いたり、胸筋と背筋を鍛えるジムマシンのような機械に座り上体を動かしたり、踏み台を昇り降りしたりしている。

 足首のリハビリなのか、斜めの角度のついた台に乗った患者に指導をしている理学療法士に小熊が名前を伝えると、タブレットに表示された小熊のカルテを一瞥した理学療法士は、小熊を診療台に寝かせて折れた足を動かす。

 今まで寝るか足を気遣いながらそっと歩くという事しかしていなかったので気づかなかったが、小熊の膝は伸ばした状態で固まり、ほぼ曲がらなくなっていた。

 細い組織の束で構成されている筋肉が一週間の牽引固定で互いにくっつきあい固まっている。この筋肉の固着と癒着を剥がし、元通り曲がるようにするのが小熊のリハビリらしい。


 まだ手術を終えて間もない小熊の足を無造作に曲げ、分度器らしき物を当てて十度かそこらしか曲がらないことを確かめた理学療法士は、なにやら大きな機材を持ってきて小熊の足に装着する。足だけに付けるパワードスーツのような外観。

 理学療法士が数値を入力すると、機械が電動で動き始めて小熊の曲がらない膝を、曲がる限界まで曲げて再び伸ばす。

 これを五分ほど行い、毎日少しづつ曲げる角度を増やしていくのが小熊のリハビリらしい。スマホを持ってくれば良かったと思うくらい退屈な機械による曲げ作業の前後に、理学療法士が実際に手で曲げて確認をするが、それを含めても十分足らず。

 リハビリが終わると、小熊は明日のリハビリ時間を伝えられ、混雑気味なリハビリ室を追い出される。

 慈悲も手加減も無い電動の機械に曲げられた膝が痛むが、これも自由を獲得する感触だと考えれば悪い痛みじゃない。


 帰りに売店にでも寄って行こうかと思ったが、松葉杖をつきながら地下のリハビリ室と三階の病室を往復するだけで疲れそうなので、そのまま病室に帰る。ずっと寝たきりだったせいで、血の巡りまで直立する姿勢に慣れていないのか、リハビリ中に看護師がシーツを換えてくれたらしきベッドに寝転ぶと気持ちいい。

 小熊にとって入院は監獄暮らしと大して変わらないものだったが、入院患者の中に時々居るという、病院暮らしに落ち着いてしまい退院を引き伸ばす人の気持ちが少しわかった気がする。小熊も学業や仕事とお金の心配が無ければ、こんな暮らしも悪くないんじゃないかと思った。あとはスーパーカブがあれば言うことなし。


 心地よく疲労した小熊が、ベッド横にある窓越しに暮れて行く空を眺めていると、いい匂いと共に夕飯のワゴンがやってきて、小熊が出したベッドテーブルに食事が配膳される。

 メニューは魚がやたら出てくるこの病院にしては珍しいハンバーグ、ニンジンとインゲンの煮物、ポテトサラダ、ブドウゼリー。見た目にはやや物足りないように思えるのは相変わらずだけど、残さず食べると腹八分目の程よい満足感を得られる。

 食事を終えた小熊はトレイを脇によけた。この食器も昼食時間後に病室を回るワゴンに乗せれば、洗い物は誰かがやってくれるし、お茶のお替りまで注いでくれる。


 最初のうちは悲観的な気持ちになった入院も、今になってみると悪くない。一ヶ月少々学校に行けなくとも高校卒業が可能で、バイク便の仕事の繁忙期も落ち着いた最良のタイミングで思いがけぬ休暇を取ることになった気分。

 今まで小熊が見たバイク事故じゃなく仕事の過労や急病等で入院した人間も、不幸に見舞われたというより何か憑き物が落ちたような顔をしている事が多かったように思う。

 入院の費用については事故相手と契約している保険会社が支払ってくれるし、カブの修理費は年数から減価償却を計算しただけの非現実的な額ではなく、同程度の中古車が買える程度の補償が約束されていて、自分で直せば差額は懐に入る。休業補償についても浮谷社長が吹っかけてくれたらしく、事故相手のタクシー会社からは満足できる程度の額が提示されていた。

 有限ながら概ね満たされた生活。このまま何事も起きなければ、予定されている入院期間で足は完治し、元の生活に戻れるだろう。

 だからこそ、小熊は今の入院生活で感じた、一つの疑問を解決しておくことにした。


 松葉杖を手に取った小熊はベッドから立ち上がった。真向かいのベッドで夕食を終えた桜井が顔を上げる。いつも病院食を平らげて足りないと繰り返す彼女にしては珍しくハンバーグを丸々残し、自分で買った鯖の缶詰に梅干しを乗せてご飯のおかずにしている。彼女の見た目と性格に最も似合わない聖職者の仕事をしている桜井は、金曜日には肉を食えないらしい。

「コーヒー飲みに行こう」

 桜井は嬉しそうに立ち上がった。小熊がベッドを離れられるようになって以来、桜井はよく小熊と一緒に出かけたがる、大概は地下の売店や一階ロビーのコーヒー自販機等のちょっとした用だが、内弁慶なところのある桜井は、知らない人の多い所に行くとすぐに小熊に依存する様子を見せる。

 子供が食べるようなものばかり好きで病院食をいつも残す後藤が、桜井のハンバーグを素早くくすねていた。小熊と桜井が喋っていると、ごく自然に話の輪に入ってくる中村は、何も言わず怪訝そうな顔で小熊のことを見ている。

 病室を出る時にいつもカーディガン替わりに着ているレザージャケットを手に取った桜井は、小熊の背を押すように病室を出た。

  

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