第22話 聖女

 大腿骨を繋ぎ直す外科手術が終わり、麻酔の影響による発熱と倦怠感が去ったことで、小熊の入院生活は一つの節目を迎えた。

 足をベッドに固定していた器具が外され、看護師から松葉杖の使い方を教わった小熊は、制限付きながら自分の足で歩き、生活における諸々の用を人や器具に頼らず済ませることが出来るようになった。

 生活が変わることで居場所も変わる。それまで六床の大部屋に一つしか無い廊下側のトイレ付きベッドに寝かされていた小熊は、窓際にある普通のベッドに移される。

 小熊から見て右隣に居た後藤が左隣になり、右斜め前だった桜井が左斜め前に、対角線の先に居た中村のベッドは真向かい。


 小熊より一ヶ月前に同じような骨折で入院した桜井は、今の小熊と同じように居場所が変わっていったらしい。その時のことを中村が話してくれた。

「淑江ちゃんも手術後に窓際に移されたんだけどね、夜になると泣いてたのよ。ママのところに帰りたいって、それで私の隣に移して貰ったの」

 夜更かしが癖になっていて、昼は頭から布団を被って寝ていることの多い後藤が、布団の中でグフッ、グフッ、と笑っている。後藤と桜井は学校のクラスや職場で知り合ったとしても、一緒のグループに入ることの無い正反対の性格。中村の話では桜井は後藤に対しても面倒見のいい女の子だったらしいが、それでも近くに居るだけで疲れる奴というのは居る。そんな桜井が窓から見える夜空を見て泣いている姿は、後藤にしてみればさぞいい気味だっただろう。


 こういう時に真っ先に口汚い言葉と共に否定するであろう桜井は外出許可を取って家族に会いに行っている。

 父母が頻繁に見舞いに来て家族仲が良好らしい桜井に対し、後藤は小熊が入院して一週間、家族はおろか知人さえ来る様子が無い。唯一見舞いに来たのは生命保険会社の人間で、後藤は形だけ病状を気遣う生保社員の言葉には何の反応もせず、ただ差し出された書類に黙って記入していた。それだけで人との接触に必要なエネルギーを使い切ってしまったらしく、その日は食事の時間以外ずっと寝たまま動かなかった。

 

 桜井は昼下がりに帰ってきた。四週間目まで松葉杖を使っていたというが、今は普通の人間と変わらない様子で歩いている。外出にふさわしいのかそうでないのかわからない布製の製備用ツナギ服の上に、レザージャケットを着た姿。

 中村がさっき病室で交わした話題を思い出したのか、くすくす笑いながら言った。

「遅かったね、一緒にランチを食べたら帰るって言っていたように思うんだが」

 桜井はバンソンの派手なレザージャケットを脱ぎ、丁寧な手つきで枕元の壁に飾るように架けながら答える。

「仕事先から電話が入ったんだよ。入院前にあたしが担当してた客の伝票処理が残ってたみたいでよ」

 小熊が眉を上げ、桜井に話しかけた。

「何の仕事してるの?」

 ジャケットの下に着ていたツナギを大雑把に脱ぎ捨てた桜井は、下着姿のまま答える。

「あれ? 言ってなかったっけ? シスターだよ。清里の教会で働いてる」

 桜井が銀鎖で首から下げていた十字架が蛍光灯の光を受けて輝いた。


 小熊はこの病院に入院して以来始めて、驚愕を顔に表した。

 こんな奴に聖職者と呼ばれる仕事が勤まるのか、もし小熊が事故で助かることなく死んだとして、桜井に経でも上げられたら棺桶を引っ剥がして起き上がり、真面目にやれと張り倒すだろう。

 驚いている小熊を見た桜井は心外そうな顔を浮かべている。

「これでもうちの教会じゃ優秀なシスターって言われてるよ。もう一人で現場を回せるようになったし、葬式の仕事を取ってくる営業成績じゃ管区トップ取ったこともあるんだぜ」

 八十年代のF1レーサー、ニキ・ラウダは競技中の事故で重度の熱傷を負い、医者に絶望視された時、自分の枕元で聖職者に臨終の儀式を始められたのを聞き、奮起して危篤を脱しレーサー復帰を果たしたというが、もしかして桜井みたいな奴が仕事を早く終わらせたくて手抜きの祈りを唱えたことに激怒して三途の川から戻って来たんじゃないかと思った。


 小熊が開け放っていた窓から、沈む寸前の陽光が差し込んだ。

 自然光に照らされると、蛍光灯の下より人種の違いが強調される。金色の髪に透き通るような白い肌、グリーンに光る瞳。

 まぁ、見た目だけは背中に白い羽根を背負っていても違和感が無い。

 桜井に少しだけ見とれた小熊は彼女の性格と口調を思い出して頭を振る。教会でこんな奴の説教を聞いたり告解を聞いて貰うなんてまっぴらごめんだと思ったが、一つだけ例外になりうる条件がある。

 もし桜井のバイク乗りとしての技量や実績が自分より上ならば、耳を貸すのもやぶさかではない。

 もうリハビリと経過観察も終わり、あと一週間ほどで退院となる桜井に小熊は尋ねた。

「そういえばバイクはどうするの?」

 病室内でパジャマ替わりに着ているランニングシャツとショートパンツを身に付けた桜井は、解くと腰のあたりまである金色の髪を左右で結びながら答える。

「あたしのNSRは今、色々とやってるから、んじゃ売店行ってくるわ」

 桜井は一度壁に架けたレザージャケットを再び手に取って羽織り、まだ松葉杖もぎこちない小熊が見ると羨ましくなるような軽快な足取りで、病室を出て行った。

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