第13話 お説教

 同室者とのお喋りが一段落した後、小熊は自分の左手首に時計が巻き着いていることに気づく。

 カブを警察が預かることになり、着ていた物もどこかに持っていかれて病院支給のパジャマ姿だけど、別に収監されたわけじゃないんだから自分の時計くらいあっても不思議じゃないと思いながら、カシオF91Wのデジタル時計を見たところ、時刻は午後一時過ぎ。

 昼前に事故を起こしてから一時間少々で、着ているものだけでなく生活の場まで変わってしまった。


 病院のベッドで処置を受けていたのはちょうど昼休みの時間。小熊も視野の隅で食器が片付けられる様を見た記憶がある。

 同じ病室に片足が折れ曲がり死にそうな顔をした人間が運び込まれ、ドリルで膝に穴を開けられている中で、飯を食えるものなのかと思った。そのうち自分もそうなるんだろうか。


 腕時計に表示される液晶の数字よりも情報量の多いものを見たくなった小熊は、反射的にいつもライディングジャケットの胸ポケットに入れているスマホを探したが、手に触れたのは浴衣のような合わせ襟の病院パジャマ。スマホだけでなく財布やカブのキー等はどこに行ったのか、ベッドの周りを見回そうにも、まだ体を捻ると痛みが走る。

 どうにか足が痛まない範囲で周囲の状況を把握しようと思い、首と視線だけを動かしていたら、見覚えのある顔が視界に映った。

 病室のドア前に、小熊の担任教師が居た。

 

 入り口のプレートを見ていた担任教師が、病室内に小熊の姿を認め、ベッドサイドまで歩いてきた。

 一応は品行方正を心がけている生徒として廊下で会った時のように頭を下げようとしたが、まず体を起こすことが出来ない。

 担任教師は小熊を手で制しながら言った。

「いいわよ。そのままで」

 小熊は枕に頭を落ち着けながら答える。

「わざわざ来て頂いてすみません」


 ベッドサイドに立っていた担任教師の横に、いつのまにか同室に入院している中村が居た。桜井に持たせた丸椅子を手で示しながら言う。

「よろしければお使いください」

 心優しさより抜け目無さを感じる中村に担任教師は頭を下げ、中村も丁寧な挨拶を返している。小熊の横のベッドに寝転がっていた後藤は掛け布団で顔を覆い、眠っているふりをしている。

 中村がもう一度手で合図すると、桜井が「うっす」と言って小熊のベッド周囲にあるカーテンを閉めた。

「ごゆっくりどうぞ」

 中村はそれだけ言って、桜井と共にカーテンの仕切りから出て行く。やはりカーテンで目隠しされた隣のベッドで後藤が体を起こし、聞き耳を立てている気配がした。小熊はベッドに固定されている自分の足を見ながら、このカーテンを自分で閉めるには、何か長い棒が必要だと思った。


 丸椅子に落ち着いた担任教師は、ひとつため息をついて小熊に言う。

「だから言ったでしょ? オートバイは危険だって」

 バイクに乗る人間が乗らない人間に言われて最も腹の立つ言葉を吐かれても、何も反論できない。血の巡りが良くなるとそれだけ痛みも強くなる。とりあえず小熊は、話の本題に入って貰うことにした。

「卒業はどうなるんでしょうか」

 まだお説教を垂れようとしていた担任教師は、小熊があまり長話が出来そうにない状態であることを察したのか、持っていていた鞄からファイルを取り出し、中の書類をめくりながら話し始める。

「せっかく推薦も決まったのに簡単に留年させられないわよ。先生に入院期間を聞いたけど、小熊さんは今までの成績も出席率もいいし、補習で何とかしてあげる」


 小熊は足が痛むのも構わず、何とか体を少し起こし、頭を下げた。担任教師は説いて聞かせるように言った。

「いいですか、小熊さんが予定通り退院できれば、高校を無事卒業して大学にも行けます。くれぐれも馬鹿なことをしないように」

 担任教師の言う馬鹿なことが何を指すのかは明確だった。教師はわからないふりをして逃げようとする小熊を先回りして釘を刺す。

「もうバイクに乗るのをやめなさい」

 小熊の右足がズキンと痛んだ。担任教師から目をそらし、手元の書類を見ながら黙り込む。


 ごく短い会話をしただけで疲れてしまった気がする。担任教師はファイルを鞄に仕舞い、椅子から立ち上がりながら言った。

「小熊さんも色々大変だったみたいだし、今日お話しするのはここまでにします」

 力なく頷く小熊に教師は言った。

「今は何も心配せず、怪我を治すことに専念してください」

 多忙な所用の間を縫って来たらしく、慌しく病室を出て行こうとする担任教師は、帰り際に言った。

「いいですか? バイクに乗ってはいけませんよ」


 小熊はこの病室に来て以来見ることも触れることもしなかった右腿に手を伸ばす。体を少し動かしただけで痛みの走る骨折部位。こんな辛い思いを味わうくらいなら、もうバイクに乗りたくないと思うのが普通の人間なんだろう。自分もその例外であるはずがない。

 全身に走る痛覚の電流と、心臓がスっと冷えるような悪寒を感じながら、折れた骨を握り締める。痛み。痛みって何? 本当に痛くて苦しいのは何なのか。足が熱い。

「わかりました。もうバイクに乗る事をやめます」

 安心したような表情を浮かべた担任教師は「また来ます」とだけ言い、同室者に挨拶をした後、病室を去る。

 小熊は担任教師が去った後の出入り口を眺めながら呟いた。

「今日はやめます」

 折れた右足が、今すぐ焦げて燃え尽きるのではないかと熱を抱いていた。

   

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