第12話 ルームメイト

 六人部屋の病室には、小熊を含め四人の入院患者が居た。

 そのうちの一人。窓際のベッドで背をヘッドボードにもたれかけさせてタブレットを見ていた女が、外科の入院患者とは思えないほど身軽な動きでベットから降り、ちょうど対角線上の位置の出入り口脇にある小熊のベッドまで近づいてきた。

「はじめまして。色々やられてたみたいだけど大丈夫?」

 小熊は相手を観察した。二十歳前後に見える人当たりの良さそうな女で、病院支給の物ではない私物らしきジャージ上下を着ている。背は中背より少し高い程度で、セミロングの髪の左右に一筋の編みこみが入っている。入院暦は長そうだけど、体のどこにも包帯やコルセット等が見当たらない。


 小熊が膝にドリルで穴を開けられるという処置の最中に耳の端で捉えていた会話では、隣のベッドに居る別の入院患者が彼女に敬語で話していた。おそらくこの部屋で最古参の牢名主的な女なんだろうかと察しをつけた。

 ただでさえ不便の多い入院生活で、良好な関係を保っていたほうがいい相手だろうと察しをつけた小熊は、にこやかに握手の手を差し出す女の手を握り返した。

 握手の力は人間の体格ではごまかせない芯の強さや、意志の力を表わすことが多い。握力はそれほど強くなかった女は小熊に強く握られた手を見て、何か有益な情報を得たかのように笑いながら言う。

「わたしは中村良未なかむら りょうみ。一応ここには一番長居しているから、わからないことがあったら何でも聞いて」

 それから一般人のビジネスや趣味の世界での挨拶とは異なる、入院患者にとって名刺替わりとなる事を言い添えた。

「腰椎骨折とムチ打ちで、もうほとんど治ってるんだけど、色々と時間がかかってるみたいでね」


 小熊はカブに乗るようになってから、それまで興味の無かった人間関係というものの価値を少しずつわかってきたが、それでも如材無く人当たりのいい奴というのは苦手だと思いながら、言葉を返した。

「小熊です。ご覧の通りバイクで足を折りました。色々と面倒をかけると思いますが、よろしくお願いします」

 満足したかのような表情を浮かべた中村なる女の背後から、いつのまにかベッドから降り、小熊の横までやってきた小柄な女が出てきた。

 長い髪を左右で結んだ、小熊と同じくらいの女の子。空調が利いた病院内とはいえ、ランニングシャツにショートパンツという軽装で、左腿に包帯を巻き、右腕に点滴のコネクターを包帯で固定している。

「こんちわっす。あたしは桜井淑江さくらい よしえ。あんたと同じ大腿骨骨折だ。ヤビツでダチとNSRに乗って遊んでたら、ハイサイドで滑って十二m下に落ちてよ。めっちゃ金かけたNSRが全損だ!アハハ」


 愛想はいいが腹の内の読めない中村という女より、陽気で裏表の無い印象を与える女だと思った。何より同じバイク乗りで、同じような怪我をしたということで親近感が沸く。

「あんたタクシーにやられたんだって? 何に乗ってて事故ったんだ?」

 小熊は桜井という少女とも握手を交わしながら答える。

「スーパーカブ」

 桜井は体を反らせて笑い出した。

「アハハ! カブでも事故ったら骨とか折るんだぁ? あんなのチャリと変わんねーのによー」

 小熊に一つわかったことがあるとすれば、この桜井という女は警戒や用心には値しない。

 馬鹿だ。


 これで顔合わせは終わったと思っていた小熊は、人数の計算が合わないことに気づいた。

 六床のベッドに四人の入院患者。自分と牢名主と馬鹿。一人足りない。

 そう思いながら小熊は自分の隣のベッドを見た。仕切りのカーテンで隠れたベッドに中村が歩み寄って言う。

「はるりちゃん、ちゃんと挨拶しなきゃダメよ」

 すぐ隣から聞こえる床ずれの音。声にならぬ呻きのような声が聞こえる。それからベッドを軽くポンポンと叩く音。

「体調はもう大丈夫でしょ? 大事なことだから。ちゃんと出来たら後でロビーの甘酒奢ってあげるから」

 それからもしばらくごそごそと音がしたかと思ったら、中村が一人の女性を連れてやってきた。


「入院初日で疲れてるのにごめんなさいね。この子もこの部屋に入院しているんだけど、ちょっと人見知りなの」

 中村が手を添えて歩かせていたのは、これぞ病人といった感じの血色の悪い女だった。 

 病院のパジャマではなく浴衣姿で、背は中村より少し高いが痩せぎすの貧相な体。三つ編みの髪があちこちほつれているのは、きっと結ぶのが下手なのではなく髪そのものが劣悪な状態なんだろう。ここが外科病棟ではなく不治の病の患者が収容されるサナトリウムかと思いたくなるような姿。

 中村に背を押された女は、消え入りそうな声で言った。

「あの、後藤治李ごとう はるりです。ごめんなさい。ごめんなさい」


 女はそれだけ言ってあとずさりする。小熊も握手をする気になれなかった。握っただけで折れそうな手をしている。      

 一言だけの挨拶で今日のエネルギーを使い果たした感じの後藤という女をベッドに戻らせた中村は、肩をすくめながら小熊に言う。

「はるりちゃんは肋骨の疲労骨折なんだけどね。すぐ風邪とか引いちゃうのよ。こないだまでインフルエンザだったんだけど、治療薬のせいでまた体調崩しちゃってね」

 中村に目と言葉のニュアンスで、この名前の通り窓の外に見える木の葉がはらりと落ちたら息絶えそうな女を色々と気にかけて欲しいと言われたような気がした。小熊としても今は自分のことで精一杯だけど、落ち着いたら最低限の手伝いくらいする事に異存は無かった。こんな子に隣で死なれたら繋がる骨も繋がらなくなりそう。


 自己紹介が終わったらさっさと自分のベッドに戻った桜井が、ベッド横に置かれた床頭台と言われるミニテーブルの引き出しを開けながら言う。

「そうだお菓子食うか? カップ麺もあるぞ。ここの飯はマズいからなー」

 まだ骨折のショックと鎮痛剤で食欲の無い小熊が断ろうとするより先に、桜井の肩に手を置いた中村が言う。

「ダメよ淑ちゃん。小熊さんは疲れてるから」

 桜井は牢名主の中村の言うことを大人しく聞き、一度出したお菓子をしまい直して、ツインテールの頭を掻く。

「悪りぃ、小熊ちゃんってまんま一ヶ月前のあたしと同じだから」


 中村が自分の床頭台に置かれていたスマホを手に取り、桜井に画像を見せながら言った。

「あの時の淑ちゃんはぎゃーぎゃー大騒ぎだったのよ。小熊さんみたいに落ち着いて無かった」

 桜井は顔を赤らめながら弁解する。

「だってあたしが三十万かけてチューンしたNSRがグッシャグシャになったんだぞ! あたしの怪我なんてほっといたら直るからNSRを助けに行かせてくれ! って頼んだのによ。こんな感じにベッドに縛り付けられて」

 桜井は言いながら小熊の膝に着けられた牽引処置機材を指差した。中村は「そうだったかしらね」とくすくす笑っている。


 中村が仕切りのカーテンを開けてくれたおかげで、小熊から隣で寝ている後藤の姿が見えた。ベッドに入り、仰向けで掛け布団を首元まで被っている後藤は、もう臨終の間際といった感じの姿で陰気に笑い、さっき小熊と会話した時より幾らか大きい声で言った。

「ヨシエ、痛い痛い痛いお母さん痛いようって言って泣いていた」

 桜井が顔を真っ赤にして「てめぇ! はらりーてめぇ!」と言いながら足をバタバタさせている。

 昼前の外科病室で、騒がしさと自分が話に加われない疎外感を少し感じながら、小熊は頭の後ろで手を組んだ。

 どうやら、それほどひどい入院生活にはならないのかもしれない。

 おそらくこの後に待っている、お話したくない人たちとの話さえ無ければ。

 事故の加害者であるはずのタクシードライバーとその関係者からは、まだ連絡が来ていない。 

  

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