第4話 奇縁
出来ることならそう何度も会いたく無い類の人間だった。
日曜の昼前。小熊は突然連絡を取ってきた相手に呼び出された。
向こうの都合で勝手に時間を決めるのは気に入らないが、元々そういう性格だということはわかっているので、小熊のスマホに電話をかけてきた相手が形だけ「大丈夫?」と聞いてきた時に「行きます」と最小限の返事だけで済ませた。
小熊の住んでいる日野春からさほど遠くない韮崎の穴山町を選んだのは意外だった。もっと相手の地元に近いところまで呼び寄せるタイプだと思いながら、小熊は待ち合わせ場所として指定された国道二十号沿いのドライブイン食堂にカブを滑り込ませた。
相手はもう来ているらしい。こんな便利な道具があれば韮崎まで来るのもさほど負担にならないんだろうと思いながら、店前のスペースに駐められたマルーン色のレクサスSUVを見た。
店は小熊の通学路にある、県道と国道二十号線が交差する牧原の交差点から三kmほど甲府方面へ南下した先にある。カブに乗るようになってからの小熊にとっては近所だが、まだ行ったことのない食堂。
戸を開けて中に入ると、まだ昼食時間には早いこともあって、さほど混雑していない店内で、探すまでも無く車と同じマルーン色のスーツを着た女が最奥の席に座っている。顔を上げ小熊を見た女は、手を振ってくる。
「こっちよ」
軽く頭を下げた小熊は、女の居るテーブルに歩み寄った。
「寒かったでしょ?」
寒冷対策を施したカブなら晴天の昼間に外出することは苦にならない。それにエアコンのついたレクサスでここまで来た女に言われると気に食わない。小熊はウールライナーのついた赤いライディングジャケットを脱ぎながら答える。
「そうでもないです」
少々の痩せ我慢の混じった小熊の返答が何か面白かったのか、それとも予想通りだったのか、マルーンの女はにっこりと笑った。
小熊とマルーンの女の関係は、知人のようなそう思いたくないような顔見知り。
先日、小熊が勝沼にある行きつけの解体屋で工具を漁っていたところ、解体屋店主と過去に愛し合っていたと自称する女が、マルーンのレクサスに乗って現れた。
その後もマルーンの女は、かつて民俗学を専攻する優秀な学生だったという店主を大学に戻すため昼ドラのような騒動を起こし、工具探しの邪魔になると思った小熊は二人の問題を解決する手助けをした。
事態が終息した後、小熊に感謝したマルーンの女は何か困ったことがあったら力になると言って連絡先を交換したが、まさかこんなに早く電話してくるとは思わなかった。
マルーンの女は、店の名物だという牛スジと豚モツの煮込みを薦めながら言った。
「せっかくの休日にごめんなさいね。でも小熊さんはもう進学先が決まっているから、三学期はヒマよね」
そんな訳無い。あと三ヶ月後には東京で新生活を始めなくてはいけない。そのために必要となる資金を稼ぐため、放課後や休日にはバイク便の仕事を入れてせっせと稼いでいるし、今日もこれから昼下がりには甲府の急送会社に顔を出し、VTRに乗り換えてFMラジオ局の音源を運ぶ仕事が予定されている。
問題はその稼いだ金を使うべき引越し先が決まっていないことで、今日も会社貸し出しのipadをネットに繋ぎ、不動産情報を掘り起こしていた。
小熊が曖昧に頷いたのを気にせず、マルーンの女は自分の現在置かれてる環境について一方的にまくしたてる。内容は主に小熊が無機的で人間離れした見た目から棒人間と呼んでいる解体屋店主との惚気。
もしかしてこんな下らない自慢を聞かされるため呼び出されたんじゃないのか、と思い始めたところで、モツとスジの煮込み定食が届く。
早速食べ始めつつもお喋りの止まらないマルーンの女に適当に相槌を打ちながら、小熊も煮物を口に運ぶ。モツの煮物は掛け値無しで美味かった。
普段から外食を無駄遣いと避けていたこともあって、近くにありながら今まで入ったことの無い店だけど、この昼食が奢りにせよ割り勘にせよ、いい発見が出来たと思った。
歯ごたえのいいモツとスジ肉を旺盛な食欲で食べながら、後はこのマルーンの女の話を聞くという義務を果たすだけだと思っていたら、相手もここに小熊を呼び出した目的を思い出したらしく、隣の席に置いたバッグに手を突っ込み、食堂のテーブルには不似合いなノートPCを引っ張り出した。
まだ食事中だというのに、小熊にはこの身なりは自分よりずっと金のかかっているマルーンの女のマナー意識というものが理解できなかったが、もうすぐ准教授になるという研究職には、一般人と異なる流儀があるらしい。
立ち上げたノートPCで何かのファイルを開いたマルーンの女は、テーブルの上でノートPCを回し、椀の中身を啜っている小熊に見せてくる。
画面を見た小熊は、熱い澄まし汁を唾と一緒に飲み込んだ。
ディスプレイに映っていたのは、不動産物件の画像だった。
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