第3話 白いカラス

 小熊はスマホから聞こえてきた声に返答した。

「今日は学校ですよ」

 小熊が浮谷社長の下で従事していたバイク便の仕事は、高校の三学期が始まると同時に常勤から非常勤になり、基本的に週末だけ入ることになっている。

 冬休みをロスタイム的に延長して礼子と走った黒姫での震災ボランティアと、孤立集落を救うべく厳寒の山を往復する、自分自身の生死以外何も考えられない二日間が、気持ちの切り替えになった。

 

 言葉は冷淡でも、小熊の安堵や好奇心が声に顕われていたらしく、浮谷社長は一方的に畳み掛けてくる。

「もう授業終わりでしょ? おねがい。小熊ちゃんしか居ないの」

 浮谷社長の話によれば、静岡で行われる企業プレゼンテーションで、ある希少本が急遽必要になり、午後に行われるプレゼンの現場に届けなくいけなくなったらしい。

 その希少本が収蔵されている荷請け先は武川図書館。小熊の通う高校と通りを挟んだ向かい側。


 通常の貸し出し本と異なる持ち出し禁止の書籍の非公式な貸与。プレゼンが終わった後は閉館時間までに本を戻さなくてはいけない。世の中には泥縄の自転車操業もいいとこな内容で現場が回ってる仕事が多い。だからこそバイク便の出番となる。 

「私は高校にカブで来ています。高速に乗れませんよ」

 プレゼンはもちろん荷請け先での貸し出しだってスムーズに行くとは限らない。そのくせ依頼した時間を超過すれば違約金を請求される。それでも小熊は出来ないとは言わなかった。届けるだけでなく返送便もある美味しい仕事。断る手は無いし、少なくとも浮谷社長なら本当に困っている、切羽詰まっている顧客を見捨てない。 

 高速に乗れぬカブで静岡まで走り抜ける間道や、場所によっては幹線国道より高速での移動が可能となる広域農道を頭の中で検索していた小熊に、浮谷はあっさり解決策を提示した。

「今ちょうど私の白いカラスをシノさんのとこに預けてるから、そっちに届けさせる」


 輸送速度の問題だけでなく、小熊が断りにくくなる方法まで手回ししている。あの赤塚不二夫の漫画に出てくる脇役みたいな女社長は、彼女が自分のバイクに名づけているカラスみたいに聡いところを時々見せる。

「やります」

 小熊はそれだけ言ってスマホを切った。目の前にはまだ先ほど話しかけてきたクラスメイトが居る。話の内容は無意味すぎて覚えていない。会話の途中で電話に出る非礼に膨れっ面をしているクラスメイトのことは、もう目に入らなかった。 

 礼子を見た。小熊がクラスメイトと会話している間ずっと机に突っ伏して寝ていた礼子は、電話に出た小熊と社長の会話で、声色が変わった小熊に反応するように顔を上げたが、横目で小熊を見てそのまま顔を伏せた。


 礼子はいつも面白い事に反応する。自分がやるべきかやるべきでないかではなく、やって面白いか否か。自分が積極的に行動を起こす基準がそれしか無い。だから冬山をカブで登るという奇行に迷わずついてきた。

   

 小熊はクラスメイトとの話を打ち切るべく、目の前の相手に言った。

「これから仕事だから」

 既に漫然と歩いている周囲の人間ではなく、自分に向かってきては後方に消える道路上の他車を見る目付きに切り替わった小熊を見て、クラスメイトは後ずさりした。


 手早く制服からジャージに着替えた小熊が校舎を出て駐輪場に行くと、シノさんはもう来ていた。浮谷社長が白いカラスと呼んでいる愛車ホンダ・フュージョンの予備車に乗っている。

 免許を取って以来黒いフュージョンを乗り継ぎ、カラスと名づけて仕事や遊びに使っている浮谷は、バイク便で六万kmを走りお役御免になったフュージョンをオーバーホールと呼ばれる分解整備に出し、遊び用と仕事道具の予備を兼ねたバイクとして所有している。

 あちこちが劣化し、割れているため新品に替えた外装も、当初はカラスの愛称通り黒く塗装したかったらしいが、オークションで白い新品外装を手に入れてしまったため、暫定的に白のまま組みつけた浮谷は、今まで乗ったことのない真っ白なフュージョンを案外気に入り、相変わらずバイクに名前をつけるという小熊には理解できぬ思考で、白いカラスと呼んで溺愛している。


 シノさんは真っ白なフュージョンから降りながら言った。

「エンジンも足もいじってる。全開にすると後輪ケツが滑ってまっすぐ走らないから気をつけろ」

 機械的には欠陥としか思えない事を嬉しそうに語っているのが理解できない小熊も、ノーマルのフュージョンとは別物の吸気、排気音を聞いていると鼓動が早くなる。

 シノさんは「終わったら店に戻しといてくれ」とだけ言って歩き去った。店は高校から徒歩でも十分ほど。挨拶替わりに手を振った小熊は、白いフュージョンの後部ボックスを開けた。

 社長の言っていた通り、バイク便の仕事に必要なものが一通り入っている。パッドの入ったライディングジャケット。幾つもついたポケットには救急キットやタブレットが入っていて、背中には社名が入っている。駐輪場に駐めてあった自分のカブからヘルメットを取り出して被り、グリップスワニーの革手袋を着け、ジャケットに袖を通した。

 ポケットに詰まった装備にはすぐに慣れたが、社の看板を背負う瞬間はいつも重い。


 シノさんの言っていた通り恐ろしいほどのトルクを有し、ついでに音もうるさいフュージョンで通り向かいの図書館に乗り付けたところ、貸し出される希少本の準備は出来ていた。 

 A4ほどの大判ハードカバーで、表紙はどぎついピンク色。タイトルは「じょうずなワニのつかまえ方」洋書の訳本らしい。

 喋り好きらしき司書は、本に関するウンチクを語り始めた。内容はタイトル通り、ワニのつかまえ方やパンク修理のしかた、降伏のしかたやドラキュラの見分け方など、世のあらゆるハウツーが網羅されているという。


 小熊は本を受け取り、書かれている中身より小熊にとって興味深い重さと大きさを手で測りながら言う。

「これ、中央市の古書店で見かけましたよ」

「それは再版ね、この本の初版は特別なのよ。日本で普及しているほぼ全ての活字フォントが網羅されている。写植の教科書とも言われた本よ」

 時間は有限。長話を打ち切るべく小熊が伝票の入ったタブレットを取り出すと、司書はいつも空調が完備された希少本専用の書庫に収蔵しているという本を、ピザの宅配に使う保温保冷バッグに入れた後、伝票にサインしながら言った。

「おねがい、この本を必ず持って帰ってきて。若い人にレイアウトを教える時とか、これをカンニングしないと仕事にならないの」

 書かれた内容だけでなく、その構成も含めて実用品として優れた本だということはわかった。小熊は本の入った保冷バッグを先ほどより丁寧に受け取りながら言う。

「規定の時間で返送します。到着はプレゼンの終わり時間次第です」


 本を後部ボックスにしまった小熊は、北杜から静岡まで白いフュージョンを飛ばし、届け先に到着した。

 プレゼンもつつがなく終わった様子で、帰路の天候や道路状況も良好。浮谷の白いカラスが高性能すぎて、デジタルメーターの中で何の抵抗も無く上がっていくスピードを見ると、つい安全で理想的な速度を超過してしまいそうになるのだけが困り事。


 反社会的な音をまきちらし道路を痛めつける白いフュージョンは、浮谷が普段仕事で乗っているような、音もなくスムーズに走る黒いフュージョンとは違い、正義の味方より悪役に似合うバイクだと思った。天使のような白い衣を纏った悪魔のようなバイク。きっと天界の政権与党と野党だという天使と悪魔も、結局のところ単なる色の違いなんだろう。

 乗っている自分が正義か悪党か考えたが、道路上の道徳や地球環境のことを考えるに、悪の側のほうが近いのかもしれない。


そんな考え事をしながら幹線道路を走っていた小熊は、数千万の値がついているというフェラーリの新型車を、バイクの加速力を活かして追い抜いた。バックミラーに映った白バイを視野の隅で捉えた小熊は少しスピードを緩め、フェラーリのドライバーにも注意を促す合図をする。向こうも了解のサインを返してきた。

 世の正邪にあまり興味のない小熊が一つ信じていることがあるとすれば、バイクに乗った悪なる存在は、テレビやマンガに出てくる悪役みたいに"やられ"ない。

 ただし正義の味方がバイクに乗ってやってくる時は、その限りではない。

 

 

 閉館時間に余裕を残し、小熊のフュージョンは武川図書館に戻った。

 図書館の向かいにある校門から、さっき小熊に話しかけてきたクラスメイトが出てくるのが見える。向こうも小熊を見て足を止めた。

 時間はもう夕刻。授業部活か生徒会活動でもしていたのか、それとも小熊のバイト勧誘がうまくいかなかったので、他の子に声をかけていたのか。

 急送会社の名が入っているライディングジャケットを身に着けた小熊が、バイク便のボックスを付けた白いフュージョンで図書館に乗りつけ、荷物を渡す一部始終を目を丸くして見ている。


 フュージョンの音がうるさすぎたのか、外に出て小熊を出迎えた司書から重ねがさねの礼を言われつつ伝票にサインを貰った小熊は、フュージョンをシノさんの店に戻すべく走り出す前に、校門前に乗り付けた。

 昼にクラスメイトが小熊にどんなバイトをしているのか聞いてきたが、その答えをまだ返していない。いかがわしい仕事をしているんじゃないかと誤解されたままというのもあまり愉快ではない。

 革のグローブを嵌めた手でヘルメットのバイザーを上げた小熊は、クラスメイトに言った。

「こういうことをしている」

 しばらく小熊とバイクを見ていたクラスメイトは、何も言わず繰り返し頷いた。

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