第2話 三学期
他のクラスメイトより二日遅れで、小熊と礼子の三学期は始まった。
既に通常授業は始まっていたが、進路が早く決まった人間は既に卒業見込みの立った高校の授業に熱が入らず、進路の決まらない人間は公休を取って奔走していて、教室全体が呆けたような雰囲気になっている。
一般受験組のセンター入試も近く、受験を控えた生徒の中には風邪など貰わぬよう学校に来ていない人間も何人か居る。東京にある大学の外国語学科を受験する椎は律儀に毎日リトルカブで登校している。筆記だけでなく面接にも重きを置かれる試験で、平常な心理状態を保つために必要なことだと言って、休み時間のたびに小熊の机までやってきて、人に懐いた猫のように顔をこすり付けてくる。
自分はどうなんだろうかと小熊は思った。指定校推薦で早々に進学先を決め、北米の財団による給付型奨学金を得ることで学費と最低限の生活費は確保できた。ただ大学に通うため、大学生としての生活を送るために住む場所が決まらない。
豪奢にして廉価な学生寮への入寮をバイク禁止という寮則のみを理由に蹴り、進路相談の時も教師相手に自力で住む場所を見つけると大見得を切ったが、その後にやってきた冬休みの間、入居先に関する調べ事で収穫と呼べる物は無かった。
今思えば二週間プラス二日の冬休みの間、ほとんど休んでいなかった気がする。
まずは先立つ物が必要だと思い、甲府昭和にある急送会社からのヘッドハンティングを請けてバイク便の仕事を始めたが、歩合で報酬の決まる仕事内容や浮谷という奇妙な社長、何より会社から貸し出された業務用バイクのホンダVTR250との相性が良かったらしく、年内はずっと働いていた記憶しか無い。
年が明けてもバイク便の仕事は続き、それに加え似合わぬ人助けまですることとなった小熊にとって、冬休みはあっという間に終わったという感想しか抱けないものだった。
とりあえず、不動産探しで何も得られなかった替わりにバイク便の仕事で口座の残高は増え、それが価値あるものなのか小熊にはわからなかったが、人間関係とかいう奴も広がった。
もしかして自分は寄り道をしすぎたのかもしれない。試験勉強中につい部屋の片付けやスマホいじりをしてしまうように、春からの生活基盤を整えるという目的から外れた事ばかりしてしまった。
今日は寄り道することなく、カブでまっすぐ家まで帰ろう、スマホにかじりついて不動産情報を漁らなくてはいけない。そう思いながら小熊は午前中の授業を終えた。
三年の三学期は生徒だけでなく学校もだらけているらしく、今日の授業は昼前でお終い。帰り支度をしている小熊に、誰かが話しかけてきた。
名前もうろ覚えな女子生徒。クラス内で何かイベントが行われるたびに活発な様子で皆を纏めていて、そういう物事に興味を持たぬ小熊や礼子はいつも彼女を冷淡と妬っかみが混じった目で見ていた。
小熊はそれでいいと思っていた。自分たちにはクラスの催しよりずっと大事な物がある。椎も最近は自分と礼子の側に居ることが多いのは気になるところだけど、椎の両親の話を聞く限りクラスの中でも社交的に見える椎も本質的には小熊と礼子に近いという。妹の慧海を見ていればそれは何となくわかる。
礼子はといえばカブで冬山を何度も登ったボランティア活動の疲労が今更響いているらしく、授業中からずっと机に突っ伏して寝ている。礼子にとってクラス内での立ち位置など使い古しのタイヤチューブほどの価値も無いんだろう。何か用途があるんじゃないかと思って一つくらいは手元に置くが、二つ三つと溜まってくるとさっさと捨てるようになり、その頃には取っておいた一つも何かの役に立つことは無いと気づく。
小熊に声をかけてきたクラスメイトの女子は、アルバイト情報誌を持っていた。
その女子を中心としたグループは既に進学や就職を決めていて、さっきからずっと卒業旅行の行き先と、その資金稼ぎについて話し合っている。
女子は今までほとんど会話をしたことの無い小熊に、いきなり距離を詰めてくるような感じで話しかけてきた。
「ねぇねぇ小熊さんはバイトとか興味ある?」
興味も何も去年からずっとカブに乗るバイトをしていて、冬からはバイクをVTRに乗り換えて働き続けている。そのことを言おうとしたが、相手が興味を持ってさらに近づいてきたら面倒くさくてたまらない。そう思い答えに詰まっていると、クラスメイトの女子はバイト誌のページを開きながら、一方的に話しかけてくる。
「この清里のリゾート施設でね、高校生のバイトを募集しているの。私が応募したら出来るだけお友達を連れてきてほしいって言われて、それでもし小熊さんさえ良かったら一緒に」
小熊にはクラスメイトの女子より、背後でやりとりを聞いてる女子グループの雰囲気が鼻についた。普段から同級生とろくに話すことの無い小熊に、接客バイトなんて出来るのかとクスクス笑いながら囁き合っている。陰口を利かれても実害は無いが、益も無いことなので早々に話を打ち切ることにした。
「もうバイトしてるから。今は別の仕事を請けられない」
小熊のバイク便バイトは、当初の約束通り冬休みの終了と共に一端区切られたが、社長の浮谷はいつでも来て欲しいと言っていた。女子だけが在籍する急送会社で唯一の現役女子高生の小熊に高校の制服を着て来て貰うという約束をまだ果たしていないとも言っていた。
小熊としてはそんな約束などした記憶は無いが、社長としては危なっかしいところのある浮谷を助けに行くことに異存は無い。他のバイク便ライダーも、各々クセのある子だけど一緒に組んで走るに足る技量を持っている、信頼に足る人たちばかり。
クラスメイトの女子は勧誘のノルマでも抱えているのか、話を打ち切ろうとした小熊に言い募って来た。
「でもでも、こっちのバイトのほうがいいと思うよ、ほら高校生にしては時給は高いし、仕事もラクだよ」
小熊は横目で求人広告を見ながら返答した。
「給料は今のバイトのほうがいい」
クラスメイト女子の表情が変わる。不憫な生い立ちの小熊に施しを与えてあげようとしたが、その当てが外れた顔。感情的な声で尋ねてくる。
「じゃあじゃあ幾ら貰ってるの?時給幾ら?冬に何万貰ったの?」
他人の給料を聞くのはこの子の中で礼節やマナーに反していないのだろうかと小熊は少し考えたが、きっと同じクラスのかわいそうな子を助けてあげるという免罪符の前では許されるんだろう。そんな便利なチケットをを持っていない小熊はいい加減面倒臭くなったのでスマホを取り出し、教会が発行するブタ箱から出られるパスよりも小熊が信頼している給与明細のファイルを開いて見せた。
スマホを手に取って画面を見たクラスメイトは小熊が稼いだ歩合の報酬と、冬休みの間に稼いだ総額を見せられて目を丸くする、それから小熊の肩を掴んできた。
「小熊さん、もしかして人に言えないお仕事をしてるんじゃないの?ダメだよ、自分を大事にしないとダメだよ」
背後で話を聞いているグループの女子も小熊に注目している。話を早々に終わらせる積もりが逆効果になってしまった。小熊がどうやってこの場を逃げ出すかと考えていると、スマホが音と振動を発した。
クラスメイトの手からスマホを取り返した小熊は一瞬、発信相手を見てから電話に出る。相手は挨拶も前置きも抜きで話しかけてきた。この人はそれでいい。
「小熊ちゃん、仕事よ」
小熊は浮谷社長の声を聞き、頬を緩めた。
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