被鞘 - 緑の襲撃
ボルボックスは器用に宙を泳いで研究棟から脱した。その後ろに清水は歩いて付いて行っている。
直接触れるわけにはいかない。
けれどこのボルボックスの生みの親が自分だとしたら、その行動の責任は一切自分にある。
何ができるというわけでもないけれど、少なくとも何が起きるのかを最後まで見届ける義務はあると感じた。
「おかしいな」
ボルボックスを観察して、清水は違和感をもった。
目の前を泳ぐそれはたしかにボルボックスなのに、ボルボックスらしさがない。
既にボルボックスの常識からはかけ離れた事ばかりが起きてはいるがそうではなく──見た目だ。
ボルボックスのアイデンティティが見当たらない。
内側に
イラストや図解で示すときに人は何をもってそれをボルボックスであると判断するのか。
ただの球であればそれはただの球でしかない。球の内側に更に複数の球があってはじめて人はそれをボルボックスであると認識する。少なくとも清水はそうだ。
生物の目的は何か。それはどんな生き物だって生殖──自身の遺伝子を残すということに集約される。
けれど、魔物として生まれたボルボックスには、生殖能力は無いのかもしれない。
そしてこれが僅かな希望──ボルボックスの諸行無常。
ボルボックスの寿命は約四十八時間。日周期にして約二日で寿命を迎える。
明るい研究室で生まれた時が朝だとしたら、それから外に出て夜を迎えている。
これ以上増殖する恐れがないのであれば、もう一度光と闇の周期を感知すればボルボックスの命は終わる──
そんな推測をするうちにボルボックスと清水は駅近くにまでやってくる。ここまで大きな変化はなかったボルボックスは突如速度を上げた。
駅前──イルミネーションの光る賑やかなロータリーが視界に入る。
好都合だ。
イルミネーションの光を浴び、次に暗期を感知すればボルボックスの終わりだ。
ボルボックスが死んでしまうことを心苦しく思うし、研究の種が消えてしまうことにも惜しいと思う。
けれど危険を放置して人々に危害が及ぶことは避けたかった。
駅前は深夜だというのにクリスマスということもあってか人は少なくなく、イルミネーションが輝いている所為か人の入りの割に賑やかに見えた。
電車はとうに終電を過ぎていたが駅ビルは臨時営業中。クリスマス用品最後の売り尽くしに精を出している。
ボルボックスは宙を泳ぎ──イルミネーションに引き寄せられる。
「こんなボルボックスにも正の光走性があるんだなぁ」
だからなんだ。
清水はボルボックスから目を離さない。ボルボックスが球状のため飾りにも見えるのか、他の人々が気にする様子はなかった。
しかしすぐに誰もが目を離せなくなる事件が起きる。
忘れてはいけない。このボルボックスは現実を侵食する。
イルミネーションの光は気付けば集約されていた。一つの球の中に全ての光が押し込められている。
イルミネーションを食ったのだ。
人々の視線は輝く球に寄せられる。けれどこの異常を理解できるのは清水だけだったし、彼だって半分も理解できていない。
そして光を取り込んで自身が光源となるのだとしたら、ボルボックスはずっと明期である。周期が回らない。寿命に追いつかない!
この事態をどうにか解決する手段を清水は捻り出そうとした。撮った動画と、今までに見たボルボックスと、今も駅ビル内に向かって宙を泳ぐ姿から考える。
思い出せ。今までこのボルボックスがどんな行動をとってきたかを。生態学的側面だとかどうでもいいからヒントを掴め!
今さっきボルボックスは『正の光走性』を示した。走性、傾性、屈性──動植物がある決まった方向に動こうとするのには理由がある。自身に必要ななにかを求めて動くのだ。
けれど本当にこのボルボックスが求めているものは『光』だろうか?
最初に引き寄せられたものは光ではないだろう──
「ブッシュ・ド・ノエル……!」
そしてイルミネーション、駅ビル内に並べられた商品たち。ここに共通する要素は幼稚園児にだって分かる。
「『正のクリスマス走性』か!」
なんだよそれ!!
清水の叫びが、冷たい空気によく響いた。
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