歴史
俺の様子を見てか、アイは心配そうな表情をした。
「あ、ごめんなさい。正確には1217年と241日です。お時間もお話ししたほうがいいでしょうか?」
「えっと、いや、そういうことじゃなくて。とりあえず、ここはどこか教えてもらえますか。ちょっと、色々飲み込めなくて」
「そのことも含めて、一度外に出た方がよさそうですね。付いてきてください」
というと、縦穴の底が鈍い音を立てながら動き出した。ゆっくりと上昇していく。
穴のふちの先から少しずつ視界が広がる。
俺が立つ場所。そこは小高い丘の上だった。
眼前にはビル群が広がる。そのどれもが崩れかけている。無機質な灰色の街。一言でいうなら廃墟街だ。ヒトがいるようには見えない。
なるほど。俺自身に何があったのかはまだ正確には分からない。しかしこの様相を見るに、どうやらヒトは滅んでしまったようだ。そして眠っていた俺がアイというAIか何かといった存在に起こされた。
つまりこれは俺が文明を再興するために選ばれたということだろう。選考理由など考えも及ばないが、きっと何かしら基準に見合ったに違いない。
「アイさん。これは……」
「非常に申し上げにくいのですが、実はその、あなたが眠っている間に全人類に手の施しようがないほどの知能低下が起きてしまいまして」
「え?」
滅んだと言われれば納得がいく。気候変動や核戦争。新型のウィルスの流行など、いくらでも理由を考えられる。しかし知能低下?米軍が敵兵を無力化する薬品でも作ってそれが事故でばら撒かれでもしたんだろうか。浴びたやつをホモにするオカマ爆弾なら聞いたことがあるんだが……
「知能低下って、つまりみんなバカになったってこと?」
「取りも直さずそうなります」
「でも、なんで」
「えーっと、それなんですが。……説明しますから、ちょっとお時間いただきますね」
と言うと、アイは右手をかざした。そこには小さな対になる人のアイコンが現れる。男女のマークがあるということは、夫婦を指しているのだろう。
「ここに佐藤さんというご夫婦がいます。このご夫婦は二人ともIQが83ですが、彼らは16歳の頃から毎日セックスに次ぐセックスで30代前半にはすでに5人の子供がいます。子供には手厚い寄付が保証され、彼らはお仕事による収入の規模を超えた生活を送っています。ちなみに旦那さんはよその独身女性にも手を出し3人ほど孕ませています」
そのまま今度は左手をかざす。そこにもアイコンが浮かぶ。
「一方こちらは鈴木さんご夫婦。旦那さんは一流の医学者でありIQはなんと142!奥さんも負けず劣らずIQ146の言語学者です。ですが子供はまだいません。思慮深いお二人は将来のことを考えて、軽率な行動なんてしないからです。賢明ですね」
そしてアイの右手にある対のアイコンからは線が伸びる。その先で別のアイコンに。つまりこれは家系図を指しているのだろう。
右手のアイコンは7つの線が。おまけに複数の浮気先からも4つの線が伸びている。
左手には何もない。夫婦二人のアイコンがただ変わることなくあるだけだ。
「これが10年後です。頭の悪い佐藤さんは、頭の悪い奥さんと、頭の悪い浮気相手さん、やっぱり頭の悪い息子さんや娘さんに囲まれて幸せに暮らしています。では他方はどうでしょうか。残念なことに、鈴木さんにはまだ子供ができません。お二人は高給取りなので生活には特に困ることはありませんが、やはり張り合いのない生活なのか、あるいはお仕事柄のストレスからか、年齢の割には老け込んで見えます。鈴木さんの旦那さんは少し子供を持つことに対する諦めも見えますね」
そしてまた、10年が進む。
アイの右手は複雑に絡み合い、膨れ上がる。息子が、娘が、甥が、姪が、叔父が、叔母が、孫が、ひ孫が、ネズミ算式に増えていく。膨れ上がっていく。
その逆に左手からはかろうじて1本の線が伸びただけだ。
「佐藤さんは老いてもなおお盛んです。まだまだ若い女の人とまぐわいますよーっ!おまけに今では息子さんも現役です。息子さんの息子さんが佐藤さんのお孫さんを作りまくります。まだまだ倍プッシュ!……他方、体外受精でどうにか子宝に恵まれた鈴木さん。生まれた娘さんには英才教育を施し、彼女は同年代の子供たちの中でみるみる頭角を現すようになります」
また線が伸びる。しかし今度は左右が交わった。同時に左手の片割れが消える。
「ですが残念ながら、大事な大事な鈴木さんの箱入り娘さんはおバカな佐藤さんファミリーのひとりにコロっと騙されてしまいました!手ひどく扱われてから捨てられ、男性不審が行き過ぎて極度のフェミニストになっちゃいます。今ではポリコレという名前の棒で無関係の道行く男性を殴り倒すことに快感を覚える始末。SNSでは男性は生まれた時点で殺すべきだと主張して毎日炎上しています。あ、鈴木さんご夫婦の旦那さんは亡くなっちゃいました。がんばる人は早逝だって言いますよね。……この後も延々続けることができますが、ご所望ですか?」
にっこりとした笑顔を見せるアイ。その背後では立ち並ぶビルのひとつが突如として横に倒れた。
すさまじい轟音が鳴り響き、土ぼこりが舞い上がる。それとかすかに聞こえる歓声。人はいないように見えたが、どうやらバカになった人類は廃墟に住んでいるらしい。
その様子を見たアイは「ああなんだ、もうハロウィンでしたか。早いですね」と呟いた。
彼女の話を聞き終え、俺はようやく口を開く。
「つまり、バカばっかりが子供を作ってこんなことに?」
「ご名答!さすがこの世界で一番の大天才!!実に冴えたクールな回答です。ちなみに補足ですが、今現在の一般人の知能指数はあなたの暮らしていた2010年代を基準にした場合42程度となります。加えて言うと、その当時の知的障害の基準値は70です。下を割っちゃってますね。面白いです」
頭がくらくらしてきた。寝ている間に地球全土がバカに汚染された?まさかそんなことがあるはずがない。しかし同時に俺の頭はそれを否定できないでいた。
中学の頃から親しかった2人の友人を思い出す。1人はいかにもヤンキーで、もう一人は休み時間には図書館に通うような物静かなインテリだった。
ヤンキーは中学3年のころに子供を孕ませたとしてどこかに転校していった。それ以降は行方知れずだ。一方のインテリはまだ子供が、というよりも彼の場合は奥手なのが仇となってまだ付き合う女性すらいなかった。
そんな2人もすでに死んでいるわけだ。当然のことながら知り合いなど残っていないだろう。
頭を抱えながらアイに訊ねる。
「それで、俺に何をしてほしいんだ?」
「それはもう簡単な事でして、崩壊寸前のこの世界をどうにか修正してほしいんですよ。私はそのためにあなたを起こしたんですから」
笑顔のまま、アイはそう告げた。背後では何かが爆発した。
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