赤い糸
小高まあな
赤い糸
マダム・リーは私達の神様だ。
「莉奈、カレシできたんだってー?」
「そうそう」
「やっぱ、マダム・リー?」
「うん! 先々週のおまじない!」
「なんだったっけ?」
「トーストにピンクのチョコペンで好きな人の名前を書いて毎朝食べると両思いになれる!」
「え、マジでやったの? あれ!」
「だって、それで叶うならいいじゃん!」
「だよねー!」
「やっぱ、マダム・リー、すごいねー」
「ねー!!」
クラスメイトとなんとなく話ながら、私は自分のスマフォを取り出すと、アプリを一つ、起動した。
マダム・リーの館。
ピンクと紫が画面に広がる。
マダム・リーの館は、毎週一つ、おまじないを教えてくれる無料アプリだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
これが今、私達女子高生の間では密かなブームになっている。誰が最初にひろめたのかはわからないけれども、今や大多数の女子高生のスマフォにインストールされているはずだ。
おまじない。
なんとなく、乙女心をくすぐられる言葉だ。小学生のころ、結構流行った。好きな人の名前を消しゴムに書いて、誰にも触られずに使い切ると、両思いになれる、とか。私が一番覚えているのはこれで、失敗したこともよく覚えている。
「消しゴムかーして!」
と友達に勝手にとられ、大泣きしたことは今となってはいい思い出だ。というか、そもそも消しゴム使い切るのが難しいしなー。いっつもすぐ、どっか行っちゃう。
その点、マダム・リーのおまじないは簡単だ。さっきのトーストを毎朝食べる、なんていうものでいい。その手軽さが、ちょっと試してみようかな、なんて恋する乙女の藁にも縋る気持ちをくすぐる。
そうしてこれが一番大事なのだが、これがまた、よく効くのだ。
SNSを通して、成功体験が広まっていった。恋人が出来たり、好きな人と急接近したり。あとは、恋愛だけじゃなくって、テストでいい点数が取れるおまじないなんかもあるし、それをやったうちのクラスの女子の、この前の中間平均点は、ぐぐっとあがって先生が首を捻っていた。
いつの間にか、マダム・リーは私達の神様になっていた。
困ったらマダム・リーのおまじないに頼ろう。
私達はそう決めていたし、事実そうしていた。
もっとも、今、私には好きな人がいないんだけど。
小さく溜息一つ。
そう、折角のマダム・リーの言葉も、私はちょっと持て余しているのだ。勿体ない。
さてさて。今日はアプリの更新日だ。今週のおまじないは、なんだろうか。アプリを操作していると、
「赤い糸?」
誰かが呟いた。
同時に、私も同じ文字列を目にした。
「赤い糸が見えるおまじない、かー」
私も呟く。しかしこれは、なんていうか、
「しょーじき、ちょっと、現実味がなくなってきた気がする」
「わかるぅー」
「流石のマダム・リーもネタ切れなのかな?」
口々に勝手な言葉を口にする。だって、両思いになるのはわかるけれども、赤い糸が見えるようになるなんて、いくらなんでも非現実的過ぎる。
私達だって、現実とお伽噺の狭間ぐらいきちんと理解しているのだ。
「目薬ねー」
言いながら、スクロールすると、ご丁寧に次の満月の日付まで書いてあった。
「って、今日か」
「あー、だからこれ、今日の更新にしたのかなー」
「ありえるー」
なんて言っていると、担任が教室にはいってきた。
「出席とるぞー。あとケータイしまえー」
言われて私達は、だらだらと自分の席につく。
机の下、先生から隠すようにしてマダム・リーの言葉に目を通す。
赤い糸が見えるなんて、信じているわけじゃないけれども……。
でも、硝子の器は家に探せば一つぐらいあるだろうし、精製水はおねーちゃんが化粧水自作する用のを持っているはずだし、水晶も前に買ったのがある。試合前に風邪をひかないおまじないのために買ったやつが。
っていうことは、今日目薬を買って帰れば、このおまじないはできるわけか……。
別にやって減るもんじゃないし。
赤い糸なんて信じているわけじゃないけど、私だってマダム・リーのおまじないに従ってみたいし。今好きな人いないから、赤い糸が万が一見えたら嬉しいし。
……目薬、買って帰ろうかなー。
夜、十二時。いつもよりはやくお風呂に入り、さっさと部屋にこもった。部屋の窓にそっと小さな硝子の器を置くと、おねーちゃんの化粧品棚からくすねてきた精製水を注いだ。そこに水晶を入れて、帰りに買ってきた目薬をいれてっと。
小指ってどっちだろう。やっぱり、左手かな。結婚指輪って、左手にするしね。
さて。
ちょっと深呼吸すると、運命の相手に出会えることを願いながら小指を水につけた。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。
これで、いいのかな。
小指をひきあげると、そのままお布団に滑り込んだ。うーん、布団が濡れそうで気になるけど、まあ仕方ない。
物は試しだ。
すっごく信じているわけじゃないけど、上手くいったらラッキーだよね。
そんな風に思いながら目をとじた。
おやすみなさい。
そして、おはよう。
ケータイのアラームで目が覚める。大きくあくびをしながら、居間に向かおうとして、はっと気がつく。
「目薬、目薬」
おまじない、していたんだった。
水の中から、目薬を取り出す。
うーん、別に信じているわけじゃないけど、なんだか緊張するな。なんでだろう。
信じているわけじゃないけど。
誰かに言い訳しながら、目薬をさす。起き抜けの目にはちょっと染みる。
軽く目を閉じて、なんとなく馴染ませると、目を開けた。
さてはて、どうなっているのかな。
別に信じているわけじゃないけれども、どきどきしながら左手をあげて、
「……え?」
左手の小指に赤い糸が見えた。くるりと小指に結ばれて、ひらひらとその先が宙を舞っている。
右手を伸ばし、その糸を掴もうとするが掴めない。空を切る。
「え、マジで?」
おかーさんに急かされながら学校まで来て、自分の席に着く。さて、状況を整理しよう。
机の上に置いた左手、の小指についている赤い糸。これはどうやら私にしか見えていないらしい。おかーさんやおねーちゃん、友達の前で無駄に左手を出してみたけれども何にも言われなかったし。
それから、見えるようになったのは、私の赤い糸だけではない。おかーさんの小指からも、おねーちゃんの小指からも、友達の小指からも、同じような赤い糸が伸びているのが見えた。それらは全部、ふよゆふよと宙を漂いながらどこか別の場所に伸びていっている。
おかーさんの赤い糸、おとーさんに繋がっているんだろうか。ちょっと気になるけど、確認したくないな……、なんか。おとーさん、単身赴任で良かった。
さりげなく探りを入れてみたけれども、クラスに昨日のおまじないをした人はさすがにいないみたい。残念なような、ラッキーなような。
マダム・リーを信じずに、おまじないをしなかったのならば赤い糸が見えるなんていう、ラッキーが体験できないのもしかたないよね、なんて思ってたりもする。
さっきから何回も頬や足をつねっているけれども痛いから夢でもないみたい。
赤い糸。
これを辿れば、巡り会えるのだろうか。
私の、運命の相手。
なんだか胸がどきどきする。一体、誰なのだろうか。
この赤い糸の先にいる人は。
昼休み、お昼を食べた後、ちょっとトイレと偽って、グループの輪から抜け出した。
左手の赤い糸を見ながら、その先を追う。
学校内で見つかったらいいな。そんな気持ち。
だけれども、途中で断念する羽目になった。
だって、皆の手から赤い糸が見えるんだもの。空中で複雑に絡み合っていて、上手く先に進めない。触れたら解くこともできるのに。
溜息をついて教室に戻る。昼休みだって終わっちゃう。
見えたって、意味が無い。
なんかいい方法ないかなー。
結局、どうにもできないまま、家に帰る羽目になった。
「ただいまー」
「おかえりー」
返事をするおかーさんの小指からでている赤い糸は,壁を突き抜けている。おとーさんがいるのって、あっちの方でいいのかな。
今日わかったことは、学年で一番仲のいいカップルが運命の相手同士じゃないってことぐらい。お互いの赤い糸は別の方向に伸びていた。なんだ、その、夢のない話。
溜息をつきながら、リビングの前を通り、二階の自室へ向かう。
つけっぱなしのテレビが、通り魔がでたと報じていた。
それからしばらく、ことあるごとに私は自分の左手を眺めた。
この糸の先には、誰が居るのだろうか。
その人と私は、いつ出会うのだろうか。
家で、学校で、そのことばかり考えていた。
寝ても覚めても、運命の人のことばかり。
「そーいえば、通り魔怖いよねー」
「あー、手切っちゃうやつでしょ?」
「ヤバいよねー」
「早く捕まるといいよねー」
「ねー?」
「……」
「……ちょっと、聞いてる?」
低い声で言われて、はっと我に返った。
ここは学校。友達の輪の中。
「え、あ、ごめん」
皆むっとしたような顔をしている。やってしまった。
「ちょっとさー、最近、付き合いわるくなーい?」
「ぼーっとしてるしさー」
「なにー?」
「え、ごめんね、その」
ちらりと左手を見て、友達の赤い糸も見て、これはそう、なんていうか、
「他の人には、内緒にしてね」
小さな声で言うと、
「ちょっと、恋患い?」
少し茶化して言う。
ちょっとの沈黙の後、
「えー、マジで?」
「ちょっと、誰だれ?」
「ねー!」
「ちょっと、声大きいってば!」
「だって!」
「ねー!」
「好きな人全然出来ないっていってたじゃーん」
「よかったねー!」
「あれだ、マダム・リーのおまじない、しなよ!」
もうやったよ。
「トーストにチョコ?」
「どれでもいいけどさ」
「ねー、誰? クラスのひと?」
「んー」
クラスの人じゃないのは確かだ。そして恐らく学校の人でもない。それはもう確認済みだ。私の赤い糸は外へ伸びている。
「外の人」
「えー、なになにー、どんなー?」
「かっこいい?」
「わかんないけど」
そう、本当にわからないけれども、ひとつだけわかっている。
「運命の、人だよ」
休みの日、赤い糸を追って、ふらふらと街を彷徨った。だけど、いつも途中で断念する羽目になる。
町中は人が多くて、自分の糸を見失ってしまう。他人の糸と混ざり合って、どれが自分のかわからなくなってしまう。
赤い糸はどれも、同じ太さで色で、区別がつかないから。触ることも出来ないから、解くことも出来ない。
邪魔だ。
他人の糸が。
他人の。
手が。
「ただいまー」
がっかりしながら帰宅すると、
「あ、ちょっと、大変よ!」
おかーさんの声。
「なにー?」
声がするリビングまで向かうと、なにかニュースをやっているようだった。
『えー、先ほどからお伝えしていますように、連続左手切断事件の犯人がですね、近くに住む女子高生だということが発覚しました!』
テレビの中の、男の人が言う。
「ほらほら、あの最近多かった事件! 左手の、特に小指を通りすがりに傷つけられるとかいう、あのよくわからないやつ! あんたと同い年だって、怖いわねー」
おかーさんが言う。
私は曖昧に返事をしながら、テレビを見つめる。
もしかして、この子は。
『女子高生はですね、警察の取り調べに素直に応じているそうです。動機についてですは、赤い糸を見るのに邪魔だったから、神様が言っているからなどと、意味不明な供述をしているようでして』
ああ、そうだ。
この子もそうなんだ。
やったんだ、おまじない。
そうだよね、だって。
「マダム・リーは神様だから」
次の日。朝早くに家をでた。平日だったけど、学校なんて知らない。
台所から包丁を一つ、持ち出した。
あの子は、ニュースの子は、自分の赤い糸の先が見つかったのだろうか。せめて見つかっていればいいのだけれど、捕まる前に。
赤い糸を辿る、辿る。
少し行くと、またこんがらがってしまった。
他の糸が、邪魔だ。
例えばそこの、ベビーカーの中の、赤ん坊とか。
そこの、中学生とか。
邪魔だ。邪魔だ。邪魔だ。
私は邪魔な糸を切る。切り落とす。
誰かに悲鳴が聞こえた気がしたが、関係ない。
おかーさんがいつも丁寧に手入れしている包丁は、切れ味がとても良かった。
誰かに肩を掴まれた。
邪魔を、しないで。
包丁を持った方の手を振り回す。
私は急いでいるの。邪魔をしないで。見つけないといけないの。赤い糸のその先を。
周りが騒いでいる。
五月蝿い。
包丁を持った方の手を振り回したら、周りの人が少し避けてくれた。
赤い糸が、緩和される。
ああ、これならわかる。
自分の赤い糸を確認すると、先を急ぐ。
背後から誰かの騒ぐ声がするけれども、気にしない。
気づいたら私はもう、走っていた。
赤い糸を追いかけて。
片手に包丁を持って。
邪魔な糸は、断ち切って。
ああ、なんとなくわかる。
すぐ、そこだ。
きっとすぐそこだ。
赤い糸の先は。
私にはわかる。
足が自然とはやくなる。
この、角を曲がって。
糸を追いかけて。
そうして。
手が見えた。
赤い糸のついた手。
私の、左手と、繋がって。
「ちょっと君!」
声をかけられて、顔をあげる。
険しい顔をした制服警官。
「……ちょっといいかな。その手、どうしたのかな」
彼は指差す。私の右手。血で赤い手。
私は手をあげる。私の左手。赤い糸のついた小指。
ああ、ほら、やっと。
私は左手を伸ばし、警官の左手を掴む。
「君?」
ほら、見て。
繋いだ左手に弛んだ糸は無い。
赤い糸はしっかりと、繋がっていた。貴方に。
ああ、ようやく、
「みぃつけた」
『えー、今日もまたですね、他人の左手を傷つけたとして女子高生が警察に事情を聞かれているようなんですがね』
『物騒ですよねー、これで何件目でしたっけ?』
『少女達はみな、赤い糸と神様という言葉を口にしているそうで。単なる模倣犯ではなく、裏になにかがあると警察は睨んでいるそうですが』
『赤い糸が見える、とはどういうことなんですかね』
『これはやはり、現代社会におけるこころの闇といいますか』
アップデートデータがあります→マダム・リーの館
☆注意事項☆
赤い糸を見えるおまじないについての追加情報です。
おまじないをする時は、右手の小指を使うことを忘れずに!
左手でやると、おまじないが効きすぎて、他の人の赤い糸まで見えてしまいます。
赤い糸 小高まあな @kmaana
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