となりの部屋には好きな人が住んでいる
小高まあな
となりの部屋には好きな人が住んでいる
となりの部屋には、好きな人が住んでいる。
一人暮らしをはじめたのは、家出がきっかけだった。
高二の冬、美大に進学することを反対されて、家を飛び出した。
逃げ込んだ先が、このアパート。死んだママのお友達で、あたしも前から知り合いだったおばさんの持ち物だ。二階に四部屋のワンルーム、一階におばさんが経営する花屋があった。
ピンクの外壁が可愛くって、小さいころからお気に入りだった。
絵の具と通帳と、ちょっとの着替えだけ持ってお店を訪ねたあたしを見て、おばさんはとっても驚いていた。でも、泣き顔のあたしの話をちゃんと全部聞いてくれて、空いていた二階の部屋を貸してくれた。
おばさんがとりなしてくれたおかげで、親父殿と話し合いをした。一人暮らしの費用は自分で捻出すること。二十五歳までに、絵で食べられる見込みがたたなければ、家に帰る。そんな感じで、話はまとまった。
親父殿は、絵を描いてもいいから家に戻って来い的なことを言っていたけれど、それは嫌だった。歩いて三十分程度の場所でも、あの家には戻れなかった。
だって、
「まあ、梨々香さんが、大丈夫って言うならいいんじゃないかしら?」
そう言って、親父殿には見えない位置で、あたしに黒い笑みを浮かべてきたあのババア。
親父殿の配偶者。後妻。
あたしとたった五歳しか違わない、あたしの継母。
再婚するなとは言わないけれども、だからと言って姉妹ほどにしか年が離れていない女二人を、いきなり母と娘という間柄にして、同居もさせて、それでどうにかなると思っていた親父殿は筋金入りのバカだ。
娘ほどの年齢の女に、ママが生きていた時から手を出していたことを知ってるんだからな、エロ親父。
だから私は、この家に住み続けている。
パン屋でバイトしながら、絵を描いている。コンペに出したり、ポストカードにして売ったり。
なんとか、生活している。
「ぎゃー!」
目が覚めて、ケータイで時間を確認すると同時に悲鳴をあげる。
寝坊した! もう十一時だ! 水曜はバイトが十二時なのに!
飛び起きて部屋の中に散らばった洋服の中から、綺麗そうなのを引っ張り出す。放り投げてあったカバンをひったくると、ポーチやら財布やらを詰め込んで、部屋を飛び出した。
がちゃり。
「あ」
廊下に出たところで、同じように部屋から美作がでてきた。
「おはよ、峯岸さん」
爽やかな好青年といった笑みを浮かべる美作の横を、
「はよ!」
適当に挨拶をしてすり抜ける。美作の部屋は道路に一番近い。
カンカンカンカン。
鉄筋の外階段は、いつもすごい音を立てる。
転げ落ちるようにして下に降りると、一階の雑貨屋の前で掃除をしていた三島が顔をあげた。
「峯岸……、また寝坊?」
どこか呆れたような声に、
「もー、起こしてよね!」
それに向かって怒ってみせると、
「あのね、大家はお母さんじゃないの」
ため息をつきながら言われた。知ってるってば。
ああもう、遊んでいる場合じゃなかった。
階段の脇にとめてあった自転車を引っ張り出すと、飛び乗った。
小さなタイヤが可愛いからと買った、そのオフホワイトの自転車は、タイヤが小さい分たくさん漕がないと先に進まない。優雅さとは程遠い必死さで、あたしはバイト先を目指した。
アパートの現状についてお話ししようと思う。
二年前、頼りにしていた大家のおばさんが亡くなった。
その時には、アパートに住んでいたのは丁度あたしだけで、もしかしたらこのアパートは取り壊されちゃうかも、追い出されるかも。なんて不安に思っていた。
おばさんの代わりに、このアパートの大家になったのが、三島優美子だ。おばさんの姪で、昔から一階の店舗で何かお店をやりたいと言っていた彼女におばさんはこのアパートを遺したらしい。
そして、おばさんはあたしのこともちゃんと考えてくれていた。
「伯母の遺言で……、住んでいた人はそのままにするようにとのことなんです。だから、よろしくお願いします。峯岸さん」
そう三島に言われた時、どれだけホッとしたかわからない。
あたしはまだ、ここにいていいとわかって。
三島は花屋の代わりに、雑貨屋を営んでいる。主に手作り品を委託販売しているお店だ。
可愛いアクセサリーが多くて、ついつい散財してしまう悪魔のように危険なお店。
あたしのポストカードも、委託させてもらっている。
その雑貨屋にアクセを納品しているのが美作だ。男のくせに、折り紙を使ったちょっと変わったアクセサリーを作っている。悔しいことに、可愛くていくつか持っている。
美作は三島が手作りマーケットで見つけた人物で、店に納品しないかと声をかけたら、丁度前のアパートの更新時期だとかで、せっかくだからと引っ越してきた人物だ。
二階の住居は四部屋だけど、一部屋は倉庫だから住人は三島、あたし、美作の三人だ。あたしは、奥から二番目の、真ん中の部屋に住んでいる。
もともと引っ越すつもりなんてなかったけど、この状況になってからあたしは絶対に引っ越すまいと心に決めた。
となりに好きな人が住んでいるからだ。
初対面の時から、顔が好みのタイプだなーと思っていたけれども、こんな家出娘で、人付き合いが苦手なあたしに優しくしてくれて、よくしてくれて、好きになるな、なんていう方が無理だと思う。
まあ、優しいのは二人ともだけど。
ここでの生活は、少し寮とかシャアハウスに似ていると思う。どっちも住んだことないけど。
バイト先のパンをもらってきたから二人に配ったり、三島がご飯を作ってくれたり、美作がケーキを買ってきてくれたりする。
閉店後の三島の店に集まって、しょうもない話をしながらご飯を食べる。これがすっごく楽しい。
さみしかったり、つまんなかったりする日は、店に行けば三島が構ってくれるし。さすがに、お店が忙しい時は別だし、そこはわきまえるけど。
夜中に急に未来が不安になったり、結果がでないことに思い悩んだりしたときも、壁の向こうに好きな人がいるって思えば耐えられる。そっちの壁に耳を当てて、目を閉じる。
ちょっと変態っぽいけど、あたしはこの部屋の正当な借り手なのだから文句を言われる筋合いはない。
この部屋に住んでいる限り、あたしは好きな人の隣人で居られる。
だから、あたしはここから引っ越すつもりはない。
向こうがここから引っ越すことはないだろうし。ずっと隣人で居る。
告白するつもりはない。脈がないのはわかっている。失恋したら気まずくて、引っ越さなきゃいけなくなるから、だったら告白なんてするつもりはない。
恋人や、好きな人がいるからって諦めるつもりはない。だって、そんなのあたしには関係ない。
でもまあ、不倫は駄目だから、親父殿と一緒になっちゃうから、結婚したら諦めようと思う。
それに、結婚したら引っ越すだろうし。二人でこのワンルームのアパートに住むのは厳しいだろう。だったら他人に貸した方がいいだろうし。
それまでは、あたしは好きな人の隣に住み続けようと思う。
「んー」
キャンパスを見ながら首をかしげる。
もうちょっと、ここらへんに赤を足した方がいいだろうか。
もうすぐあの人の誕生日だから、プレゼントしようと思っている。このアパートの絵。
外観図。一階の店の前に三島がいて、二階の階段に美作がいて、一階の階段横に自転車を乗ろうとしているあたしがいる。
普段動物の絵が多いから、ちょっと調子がつかめないけど。なかなかうまくできている気がする。
喜んでくれるかな。きっと優しいから何をあげても喜んでくれるだろうけれども、ここから驚いて喜んで欲しい。
ちょっと微笑んでから、筆を走らせる。
今日も、あたしはここに住んでいる。
好きな人の隣で、生きている。
となりの部屋には好きな人が住んでいる 小高まあな @kmaana
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