第3話 正しく愛せるだろうか。
はい、と出ると早苗さんからであった。
「おはよう、今晩、飲まない?」
なんだよ、昨日も爽やか短髪と飲んでたんじゃないのかよ。
なんで俺を誘うんだか。こんな気持ちもないわけではなかったが、早苗さんからの電話に気持ちは俺の遥か頭上へと舞い上がっており、
「……はい、わかりました」
案の定、断れるわけがなかった。
「ねこや」へは、いつも早苗さんと連れ立っていく。普段であれば、自分が早苗さんの部屋へ呼びに行くのだが、今日は昨日の事を目撃した居心地の悪さからか、そんな気分になれなかった。出掛ける支度はすんでいたのにウダウダしていると早苗さんが自分の部屋へ声をかけに来た。
「ね!外の雪すごいよ!」
早苗さんは昨日のベージュのコートではない白いコートを来ており、普段なら方にかかるかどうかの茶髪を、白いマフラーのなかに仕舞い込んでいた。
玄関からちらっと見てみると、早苗さんの言う通り、外はずんずん雪が積もっている。
「うわ、本当ですね。」
と、自分の赤いマフラーを首に巻きながら答える。
「そういえば今日の議題はなんです?早苗裁判長?」
「昨日、会社の飲み会だっただけど、なーんか飲み足りなくて。」
早苗さんは目尻を下げて笑い、マフラーに顔を埋めた。
「なに飲み会だと酒を飲めない風に可愛い子ぶってんすか。行きますよ」
そういうと、ひどーいと肩を軽く打たれた。
そんな軽口を叩きながらも、雪の日には絶対に履かないようにしてきたお気に入りのブーツに足を入れた。
外は久しぶりに大雪で、さすがの「ねこや」も休業かと思われたが、そんな心配をよそにいつもの店員が気だるげに働いていた。
昨日の飲み会は本当に飲み足りなかったらしく、早苗さんはとんでもないペースで飲んでいた。まだ、1時間も飲んでないはずだが熱燗の2合瓶が4~5本は転がっている。早苗さんは俺にも自分と同じ量飲ませたい様だが、このペースに付き合ったら、白い陶器のお友達になることは既に学習済みだ。
「早苗さん、さすがにペース早すぎじゃないですか?」
「いいの!昨日は全然飲めなかったんだから」
「飲めばいいじゃないですか。ザルなんですから」
「それはいや!可愛くないもん!」
なんか今日は面倒くさい酔っ払い方の日だな。それに、俺の前だと可愛くなくてもいいのかよ。普段であれば聞けないが、お互い酔っ払っているので、労力少なく質問できる。
「誰か可愛く見られたい人でもいるんですか?職場に。」
「いないけど!社会人ってそういうことでしょ!仕事のしやすさとかにも関わってくるの!」
「へー、大変なんですね」
「適当ね!ちゃんと聞いて!」
早苗さんはそういうと、俺の腕をブンブン振り回した。今日の早苗さんはいつもよりご機嫌な気がする。
心の中のもう一人の自分が、今だ、昨日の事を聞けと急かしてくる。
「あの、昨日の人って同僚とかですか?」
驚くほどストレートに聞けた。酒がすごいのか、なんなのか。
「昨日の人?」
早苗さんは首をかしげた。
「実は、昨日、誰かに送ってもらってるとこ、見ちゃったんですよね」
「あー、なるほど。同僚は同僚ね。年は彼の方が1個上だけども」
視線を1度膝の辺りに落としてから、こちらを見ると、
「ああいうこと、しないでほしいから、飲まないようにしてるのに。困ったもんよね。」
「ああいうこと、ですか?」
「うん、会社で何て言われることやら」
「あー、なるほど。男の人は早苗さんに気がありそうでしたもんね」
あの爽やか短髪の愛おしげに早苗さんを見つめる視線がまざまざと思い出される。
「そうね!あいつは私のことが好きね!」
「お!言いますね!」
「嫌われてるよりは、好かれてたいもの。仕事もやり易いし。」
早苗さんは心底楽しそうな笑みでこう続けた。
「あとは、最後の1歩をどう踏み込ませないかね。このバランスが大事なのよ」
「最後の1歩を?」
「そう!告白されたりしたら、気まずいじゃない。そのギリギリがお互いハッピーなのよ」
あの爽やか短髪が全く相手にされてないことは、何となく嬉しかったが、この言葉を聞いたとき、ここ最近のモヤモヤの理由がわかった気がしてきた。それと同時にその理由が正しいのかどうか確かめる事のできる言葉も思い付いた。思い付いたら、もうそれを自分の中に留めておくことはできなかった。
「俺が、早苗さんの事を好きだって言ったら俺らの関係ってどうなります?」
早苗さんは口角をこれまでにないくらいあげると、
「ないない!気のせいだよ!」
とお猪口に口をつけた。
「……いや、気のせいではないと思います」
なんとか絞り出た言葉がこれだった。
あぁーと少し伸びをした早苗さんは、じっと俺の目を見つめた。
「君は猫を飼ったことのない人だね」
なぜだか、ここまでの話を何年か経った今でもたまに思い出す。あの飲み会以来、彼女は俺を飲みに誘うことはなくなった。俺が誘っても適当な理由をつけて断られた。そのまま結局、俺が卒業して引っ越していくときも彼女と会うことはなかった。
彼女からしてみれば俺が致命的な一歩踏み出してきたということだったのだろう。構えば逃げていく猫のように彼女は俺の腕をすり抜けていった。 私のイメージを勝手に作らないでほしいわと笑う彼女が目に浮かぶ。
いつのまにか、オフィスの前方が騒がしくなった。そういえば、新しい中途採用の人が来ると部長が言っていたような気がする。初出勤がこんな大雪の日だなんて災難だな。
こんな大雪の日には彼女のことを思い出す。
絵に描いた猫を君は愛せるか 平 竜 @tairaryu
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