1話:意外な再会




 世界が人間だけのものではなくなると、真っ先に侵食されるのは『当たり前』の基準だ。

 人間世界の文化が生み出した数多の怪物達――老いる事なき不死者、獣の姿に変わる呪われた民など――は皆、如何に人格を持って描かれようと、常人と違う特徴を強調された異形でしかない。

 むしろそれゆえに、人に近ければ近いほどジレンマを背負い、普通人の社会の外側にあるものとして描かれる。


 すべて、今となっては古臭いステレオタイプの一つである。


 老化速度の差異は、ただの人種的特性であり、そこに人外の悲しみを見出すのは陳腐な感性だ。

 人間以外が現実になった新世界は、万民にとって優しい形を目指しているから、古い価値観の産物は消えていく。

 少なくとも少女が子供の頃、その身の回りではそういうことになっていた。

 何も真っ向から信じていたわけではないが、嘘偽りで固められた方便を『綺麗事』なのだと思い込んでいたのは事実。



 それでも――時に、生き方すら変えてしまうような出会いがあった。



 よく晴れた空だった。

 紅葉を迎えた木々の葉が、鮮やかな発色で目を楽しませる。

 二十一世紀半ばの文明崩壊――〈ダウンフォール〉と呼ばれる一連の危機――以降、首都機能の分散にもめげず、人間が寄り集まってできる人工物のジャングルは再構築されている。

 強制的なスクラップアンドビルド。

 世界的な復興の最中にあるから、新東京は未だ都市として拡張の段階にあった。


 その外れにある、どちらかと言えば辺鄙な小道を、一人の女性が歩いている。

 まだ少女と言っても良さそうな、妙齢の娘だった。着込んだ男物の堅苦しいスーツが、かえって女性的な柔らかい体つきを強調し、色香を感じる。

 まず整った容姿、と言っていいだろう。形のいい鼻梁、顎先までなめらかに続くほっそりした頬。

 肩胛骨のあたりまで伸ばされた髪は、混じりっ気のない艶やかな漆黒。

 口元には博愛主義者の微笑み。


 あらゆる意味で浮世離れした少女だ。

 何事かに対してひたすら忠実な、祈りにも似た透明感があった。

 切れ長の双眸から覗く、見るものすべてを閉じ込めてしまいそうな琥珀色の瞳が、ようやく目的地を捉えた。


 ほとんど超然とした印象を振りまく女――導由峻しるべ・ゆしゅんは、我がままを言って実現したはずの、徒歩での移動を後悔しつつあった。

 ふぅ、と湿った呼気が口から溢れる。

 そんな由峻の白い肌は若干、上気していた。

 頬も、眉根も、それほど緊張していないのに顔色はほんのり赤い。

 羞恥心のためである。すれ違う人は皆、彼女を――その後頭部の逞しい突起を見ていた。

 山羊のような三日月型の、立派な二本角。

 それは由峻が実の母から受け継いだ、亜人としての肉体器官だ。


 果たしてスーツ姿に合うものかと悩んだ挙げ句、帽子を被らなかったのが間違いだった。ほとんどの亜人種は、人間を一方的に害せるほど身体機能に差がない。

 しかし肉体的特徴は明確に異なるため、いくら社会に定着したと言っても目立つときは目立つのだ。特に由峻は、一際大きな角が生えているため、衆目に晒されると否応なく見られる。

 深い意味はなかろうと恥ずかしいものは恥ずかしかった。


 年季の入った木製のドアを開けると、来店を告げるベルが鳴り響く。

 暖かな色合いの証明に照らされた喫茶店は、如何にも趣味人の作った内装で、年代物のアンティークがところどころに飾られている。

 客の利用する座席まで骨董品というわけではないが、手間暇を掛けて雰囲気を合わせているのは察せられた。どういうわけか、明かりを取るためのガラス窓が狭いのが印象的だ。

 店内に入ってすぐ、待ち合わせの相手が見つかった。


「お久しぶりです」


 椅子の背を引いて尻を落ち着けると、すぐにお冷やが出された。「ごゆっくり」と言ったきり引き下がる、よくできた店員であった。

 少し羞恥の心が引いてくれた。見るからにわけありな上、本人も浮世離れしているため由峻は親しい友人が少ない。

 もっと深く突っ込むとそれ以外の理由もあるわけだが――ある意味、元凶たる友達が軽やかな笑顔と共に問うた。


「スーツ、なんで男物なの?」

「……反抗期の産物です」


 一体どんな過去があったのか、亜人の娘はすまし顔のまま目を背けた。

 その友人を自認する安藤霧子あんどう・きりこは、今でも着てるなら現在進行形だよね、と苦笑いしたものの追求はしない。

 生暖かい友情の発露だった。


「へえ」

「なんですか、その表情は」


 由峻の属する人種――賢角人の肉体構造は、ベースになったホモサピエンスのそれよりも頑強である。

 頭骨から生えた角の重量分、首の骨は太く、これを支える躰全体の筋肉の量も多い。

 彼女もその例にもれず、皮下脂肪の下の筋肉が透けて見えるような、引き締まった肉体の持ち主だ。それが男物のスーツを着こなすと長めの手足が際立ち、元々、豊かではない胸元はますます目立たない。


「さっすが、なんかもう下手な男より王子様って感じ。髪、短いと危なかったね」


 霧子の意地悪そうに歪んだ口元が、端的にその印象を言い表していた。

 目から入ってくる姿形は、いつだって人の心を決定づける。普通人の女性よりどこか逞しい上、超然とした振る舞いを絶やさないため、ハイスクール時代、由峻は同性からラブレターを貰う機会が多かった。

 当時はきちんと、女性用の制服を着ていたにもかかわらず、だ。

 それだけ偶像化しやすい、ということなのだろう。


「そういうことも、ありましたね。わたしは望んでいませんよ?」


 もちろん由峻にとって望ましい状況ではなかった――記憶をほじくり返され、堅い微笑みになるぐらいには。

 胸の痛痒を表に出すまいとする努力は、客観的に見て上手くいっていなかった。

 若干、引きつった唇から察するに余程いやだったらしい。


「ごめん。謝るから落ち着いて、ね?」


 こうなると図々しく態度を翻すのが、霧子という女であった。

 結局、この店の紅茶を奢る、そういうことで片がついた。

 由峻はそそっかしく、わかりやすい動機で駆け回る彼女が嫌いではない。むしろ何かあれば必ず助けようと思う。

 ただ、年齢のわりに落ち着きがない友人が心配になった。


「ぶしつけですが、霧子は変わりませんね」

「そりゃ、あたしの短所ですから」

「自慢することではありません」


 安藤霧子と導由峻の出会いは生臭い。

 一通りの社交性があっても、深い友人関係を持たない亜人の少女に向け、突然、近づいてきたのが霧子だった。

 彼女は齢十四にして欲望に忠実であり、その感性は蛮族的であった。

 欲しい、奪う、使うの三原則が、物々交換に進歩するのが文明社会である。

 もちろん霧子も、そういう進歩した野蛮人の一人だ。


――友達になろう。だからさ、知り合いの格好良くてお金持ってる人、紹介して!


 警戒心も何もかもすり抜ける直球だった。

 美談にするなら、これが建前でわざと道化を演じていたことにすればいい。だが、その台詞を言いはなった少女の目を見た由峻は知っている。

 そこには悪意も善意もなかった。

 清々しいほど欲望に満ちた一言だったから、呆気に取られた後、彼女は笑い転げたのである。

 この一件以来、奇人変人との関わりが増えたのは言うまでもない。

 自分は珍獣に好かれる体質なのだと、少女が悟り始めるのに時間は要らなかった。


「あなたが人類連合に就職するなんて、世の中わかりませんよね」

「好き勝手やりたかったからね。あたし、人生で一番頑張ったよ」


 恐ろしいことに、目の前の蛮族めいた感性の友人は、世界的にも有名な国際組織の職員であり、いつの間にか取得していた資格の数々を見るに、努力と才能、両方に恵まれたのだろう。

 これから引き継ぎにやってくるUHMAのエージェントと、直接のやりとりをするのが彼女である。

 世も末だった。


「これから来る方も、あなたのような人だといいのですが」


 最近になって由峻に目をつけたのが、UHMA――人類連合調停局であった。

 今になって突然、介入してきたのである。

 正直なところ、人類連合という組織は、あまり関わり合いになって嬉しい手合いではない。

 〈異形体〉の落着と、その直後に起きた大量虐殺に端を発する〈ダウンフォール〉の最中、太平洋沿岸で勢力を伸ばした勢力こそ、現在の人類連合なのだ。

 最大の被害地域であり、現在も収束していないユーラシアの混乱を意図的に放置した疑いから、外交筋での評価は芳しくないが、人類連合の影響力はかつての超大国に匹敵する。

 いや、不可侵の存在という意味ではそれ以上かもしれない。


「……褒めてないよね、それ」


 自覚はあるらしい。

 由峻の友達は意外と賢かった。


「いいえ。絵に描いたような工作員よりはずっと安心できます」

「スパイねえ。映画のCIAみたいに?」


 一応、霧子にとっては身内の組織のはずだが、真っ先に出てくる例えが『スパイ映画の情報機関』だった。

 やはり、この人選自体、由峻の精神状態を考慮したものに違いない。

 問題はこれから先、由峻の身辺警護を担当するエージェントだった。

 よりによって、その不可侵にして強大な組織の尖兵なのである。先入観に凝り固まるのはよくないが、多少身構えるだけで済む分、上出来だと思う。


「なんていうんだっけ? そうそう、調停局の人。たぶん、あんまり頭おかしい人は来られないし、大丈夫大丈夫」

「頭おかしいのが前提なんですか。それ、安心できる要素が見当たりませんが」

「頑張れ、人並みに頑張れば何とかなるって」


 人類連合は事実上、環太平洋地域の経済を北米と二分している。

 それこそ就職先はおろか、生涯の伴侶まで造作もなく用意してのけるだろうし、その程度の不自由は予想されて然るべきだった。


「場合によっては、その後のことまで指図されるかもしれません。それこそいきなりお見合いさせられてもおかしくありませんよ」


 うわあ、と素っ頓狂な声を上げる霧子。


「リッチだね、時代劇かよって。想像つかないや」


 それでいいのだろうか。最終的な感想が「金持ちすごい」で落ち着くあたり肝が据わっているというか、どこかズレている。

 見ていて面白いぐらい目まぐるしく変わる表情を横目に、由峻はティーポットの中身をカップに注いだ。彼女はお茶党である。

 コーヒー豆の輸入が難しくなり、日本列島のコーヒー党が悲鳴を上げた時期でも茶葉の供給が途切れたことはない。

 ゆえに信頼するにたる飲み物だと、常々思っていた。


「でも、でもさ」


 神妙な顔つきになった霧子は、ブラウンの髪が上下に揺れる勢いで立ち上がった。

 どうやら虎の尾を踏んだらしい。ますます羞恥心を刺激されることを予想し、由峻は目を伏せる。期待通り、安藤霧子は持論を叫んだ。



「自由恋愛は現代人の権利なんだよ、積極的にいい男捕まえなきゃ損だ!」



 次の瞬間、喫茶店のドアが吹き飛んだ。

 カウンターの奥に引っ込んでいた店員が悲鳴を上げ、何事かと身構える霧子。濃密なトラブルの気配に、由峻は諦念のあまり椅子の背もたれに頭を預けた。

 しかし願いは叶わず。

 ごつん。

 後頭部の角が邪魔をして、後頭部に鈍痛が走るだけだった。









『容姿、性格、経済力。三つそろってるぐらいで満足するのが正しい。人間、謙虚じゃないとな』

「一般的には高望みって言われる基準だろ」


 端末から垂れ流される無駄話は、たまに無視しがたい暴言を吐く。

 そういうわけで、塚原ヒフミは気心知れた友人に反論した。自動車の車内とはいえ、これでも仕事中である。

 暇な時間と言えるほど余裕は無く、かといってやるべき作業はない緊張感の中、通信越しに雑談に流れるのは必然だ。

 運転席に座ってヒフミが待機しているのは、地均しされたような空き地の一角である。


「大体、女の子の護衛なんて僕一人でやっていいものかな。目的地まで付きっきりですよ」

『今、手が空いてる奴を教えてやろうか。進藤対策官だ。物騒すぎて、核兵器持ち込むぐらい面倒だが』

「僕が最速で対応できるってことか」


 もう一人の対策官が核兵器なら、塚原ヒフミは対人ドローンと言ったところか。

 山羊頭の亜人、イオナ=イノウエからの身辺警護の依頼は、おおよそ彼の目論見通りのヒフミが処理することとなったが、その見通しのまま進まなかった事態もある。

 巨大な異種知的生命〈異形体〉が着陸した近辺は人類連合が租借し、厄介な来訪者との間の緩衝地帯にするのが習わしだ。

 そこは実質的に国家の管轄外にあり、人類連合の管理下にある土地だった。

 UHMAは超人を統制する組織だからこそ、一度身内として引き入れたものには寛容さを示す必要があった。

 つまりUHMAが認めれば、強力な『超人』であろうと容易く居住できるのだが、その外側となると話は別だ。


 UHMAが身元と安全を保証していても、所詮、超人を追い立てる超人――同類の怪物である。

 通行許可が出るまで時間がかかるのは必然だ。流石に非常時でもない時分、慣例を無視するのはよろしくなかった。逆を言えば非常事態が起きれば、すぐにでも破棄する儀式だが。

 ともあれ塚原ヒフミが、UHMAで穏健派と目される理由がこれだ。

 他者のやり方を尊重し、まともな良識に基づいて行動できる。たとえチンピラの関節を破壊し、拷問部屋に送ろうとも優しい部類。

 そういう狂った基準である。


「イノウエ先生、意味深に笑っててかなり腹が立ったけどな。誰が、守るべき人間に手を出すもんか」


 そこは建物がまるで見当たらない、一面の荒れ野だった。

 空白地帯は見渡す限り広がっており、まるで関東に江戸が開かれる前、未開発の原野だった時代まで遡ったかのようだ。

 それもこれも、文明崩壊〈ダウンフォール〉の残した爪痕である。

 これでも世界的に見ればマシな方なのだから救えない。かつて東京都と呼ばれた地域のうち、崩壊から復興できたのは全盛期の三分の二。残りは自然災害に崩され、超常種のもたらす大災害によってとどめを刺されてしまった。


 当時、機能を回復したばかりの政府も困り果てたことだろう。

 既に都市機能にとってお荷物になったとはいえ、廃墟を放置すれば治安が悪化するのは目にみえている。

 そこで日本政府からの要請に従い、大量の瓦礫を処理したのが〈異形体〉であった。

 地球外生命が生み出した端末機械群は二週間で廃墟を平らげ、人類を戦慄させたという。

 そんな経緯もあってか、〈異形体〉の手先と目されるUHMAへの警戒は強い。


『まあな、お前さんは女っ気がなさ過ぎる。何せ、ポルノグッズさえ皆無だ、異常性癖持ちかと疑われてるぞ』

「喜んでいいのか、それ……局の方に顔出すの、気まずくなってきたよ」


 耳に痛い話だった。

 眼鏡のつるを無意識に指で押し上げ、これから向かう都市部を眺める。彼のように密入国した過激派の亜人を追跡していると、滅多に立ち寄る機会がない場所だった。

 ユーラシアやアフリカの内陸部で活動する過激派――神話主義者と呼ばれるグループは、名前の通り人間離れした容姿をしており、亜人種が浸透した社会でも目立つため、あまり街を潜伏先に選ぼうとしないのだ。ならば文明社会の住人とは思えない感慨を抱きもする。


「あんまり人が多いと気が重いね。僕はほら、人形遊びぐらいしか芸がないし。都会は物騒だって言うだろ」

『人形遊びじゃ勃たないだけ良心的だな。お前さん本当に、人間相手に興奮するのか』

「思春期に何度か。他は綺麗な思い出のままにさせてくれ」


 特に、少年時代のヒフミにカルチャーショックを与えた出会いは大事にしておきたかった。

 角が生えた少女の、気高くも守りたいと思わせる笑顔。

 それは過去の美化であり、モチベーションを維持するための偶像だが、自分にだって聖域があっていいと青年は思う。

 ゆえに通信相手の相棒、オペレーターを務める高辻馳馬たかつじ・はせま――年の近い友人でもある――へ馬鹿正直に答えた。


「大体、人間はおろか既知の全人種に反応しないんですよ。一時期は不能インポテンツなのかと思ったさ」

『ちなみに真相は?』

「僕のは周期的らしい。数年に一回、人並みに欲情するけど」


 経験則から導き出された規則性であり、苦い実体験だった。ヒフミにとってあまり愉快な記憶がない時期の話だ。

 客観的に過去の自分を鑑みると、自己弁護さえできない完璧な奇人変人である。

 どうしてこう、ろくでもない資質ばかり開花したのか。

 少しナイーブになった彼に構わず、無線の向こうから配慮溢れる言葉が飛ぶ。


『蝉かよ。昆虫並みの性欲って霊長類としてどうなんだ』


 もちろんヒフミの相棒がよこすのは、無脊椎動物ぐらいの心遣い。

 数分後には友人が跡形もなく消し飛ぶかもしれない、地獄に身を置きすぎたせいで、二人そろってどこか感性がおかしくなっていた。

 それでもUHMAの実働部隊の中では随分な常識人だから、気の休まるときは稀だ。


「生まれつきだからね。どうにもならないことで悩むのも前時代的ですよ」


 苦悩とはおおむね、論理的なものではない。ロジカルに悩むことはできてもその根本的な原因は感情であり、聞き手の高辻馳馬にとって、塚原ヒフミの応答は不気味なほど軽かった。

 それをわかってなお素直に本音を語るところに、この二人の信頼関係があった。

 だから馳馬もひどい感想を言ってのける。


『超常種に生まれなくて良かったと心から思ったぞ』

「くそっ、差別的だな」


 気の抜けた馬鹿話も一段落した頃、悪い報せが届いた。


『――っと、緊急事態発生。現地から支援要請だ、不審者が目標に近づいてる』


 端末に該当地の座標が転送されてくる。

 郊外の待ち合わせ場所とはいえ、これでは治安の良さなど口にできまい。


「情報もれてますよね。相手は?」


 目立たないため選んだ陸路が早速、裏目に出ていた。

 しかし、訪ねても返ってくる声はない。映像をチェックする立場にあるはずの、高辻が沈黙しているせいだ。

 何があったのかは知らないが、リアルタイムの情報を処理しているのは本部である。

 早く応えろと苛立ちつつ、車両の行き先を設定する――最大の速度で発進。

 からだにかかるGに構わず目標地点へ急ぐ。幸いにも交通規制中のエリアらしく、このまま都内に吶喊とっかんしても渋滞はあるまい。あったらあったで、全権を以て事に当たるのが彼らの流儀。


「こちら人類連合調停局所属、災害対策官。これより超人災害対策法に基づき、連合加盟国への介入を実行する」


 ヒフミが乗っているのはUHMAの所有する普通自動車である。防弾仕様とはいえ外装は一般車と変わらない代物だが、自動化された通信システムは優秀で、先ほどの宣言を関係機関へと通告済みだ。

 元々、超人災害対策法はこういう状況のためにある。

 すなわち個人レベルで凄まじい被害を叩き出す超人――超常種や一部の亜人種――を迅速に制圧するためのシステムであり、一刻を争う状況に備えて手続きは事後報告とされ、担当者に大きな権限が与えられるのだ。


「いい加減喋ってください、馳馬」


 こんな仕組みが必要とされる、常軌を逸した環境に対応する当事者は気が気ではない。

 彼らの同僚に、真人間が稀な最大の理由はこの重圧である。

 多少、給料がよかったとしても、心身を磨り減らし殉職の多能性が高い現場を選ぶものはそういない。

 見る見るうちに流れる景色を目で追うヒフミの耳に、信じがたい言葉が届いた。


『着ぐるみが複数、目標を襲撃している。前世紀の、ゆるキャラだ』


 ようやく現状を知らされ、良識ある超常種――非常識極まる生命体は絶句した。









 喫茶店に侵入してきたのは、むちむちとした造形の大きな童だった。

 ふっくらした丸顔に真ん丸の虚ろな目、表情のない不気味な頭部は、おそらく子供をモチーフにしている。

 アクセントのつもりらしい、頭部から生えた角が腹立たしい。

 賢角人として、あんなものは認められないと由峻は思う。

 成人男性が着込むのを前提にしているのか、恐ろしくボリュームのある着ぐるみだった。

 見るからに正気とは思えない悪夢の産物が、こちらを向いた。蹴破られたドアを踏み締め、同様の着ぐるみが二体三体と押し合い圧し合い、店内に雪崩れ込んでくる。


「うわっ」


 着ぐるみの群れへ端末を向け、何事かをタイピングし始める霧子。着ぐるみの群れはサイズのせいか、通路に引っかかって上手く移動できないらしい。データの送信が終わるなり、彼女の左手が由峻のなめらかな掌を取った。


「助けも呼んだし、逃げようか!」

「そ、そうですね」


 唖然としていた由峻も気を取り直し、跳び跳ねるように立ち上がる。

 向かう先は店員用の裏口だ。万が一に備えて逃げ道は確保してあったらしく、きびきびした動きの霧子に迷いはない。

 二人が駆け出す直前、視界の端にNARAO-KUNというロゴが見えた。不気味な襲撃者たちの表面にプリントされていることから察するに、彼らの着ぐるみの製品名らしい。

 何故か、腹立たしげに霧子が叫んだ。


「きっと昔、西日本で信仰された神の着ぐるみだよ! 二十一世紀は恐ろしい時代だったって」

「え……?」


 一体どんな暗黒時代なのだろうか。

 いくら文明の崩壊や亜人種の誕生が重なったとはいえ、まずありえない説明だった。

 確実に捏造、偽書の類である。異論がありすぎて何も言えないまま、由峻は友人に手を引かれて走り出す。

 だが、ここで問題が発生した。

 元々、種族的に賢角人は肉体的に頑強であり、人並みの体力でも瞬発力、持久力共に優れている。

 手を引く霧子よりも、由峻の方が速いのである。それに気付いた霧子が、裏口の戸を蹴破りながら忠告した。


「逃げ道はあたしが判断するから、前には出ないで」


 外は狭い路地だが、見渡す限り人影はなかった。

 前方を警戒する友人にはプロフェッショナルの風格があって、その変貌ぶりが遠い出来事のように思えた。距離を稼げるうちに走ろうと言われるがまま、じめじめした小道をひたすら走る。

 たった数十メートルの距離が、いつまで続くのかわからない迷宮に思えた。

 小道の終わりが見えて、ようやく希望が掴めた気がした。

 息を切らすことこそなかったが、二人の精神的な疲弊は激しかった。

 しかし大通りに出ても、トラブルは終わってはいない。車道に不気味な影が佇んでいるを目にして、思わず足が止まった。

 カツオのかぶり物をしたゆるキャラが、こっちを見ている。


「くそッ!」


 不審者である。その独特の格好から判断して、襲撃と無関係なはずがない。霧子が由峻から手を離し、左脇のホルスターから拳銃を引き抜いた。

 迅速な発砲であった。

 銃声。

 同時に、着ぐるみの足下がぶれた。

 凄まじい速さの跳躍だった。

 純然たる反応速度の差が命取りになった。圧倒的な運動エネルギーをまとった着ぐるみに跳ね飛ばされ、霧子の躰が宙を舞い、固い地面に叩きつけられる。

 冗談のような光景だが、アスファルトに叩きつけられた人体は無事では済まない。

 ごふっ、とうめく霧子は明らかに負傷していた。


「霧子」


 それでも、生きている。

 その事実に安堵した由峻の傍に、のっそりと不審者が歩み寄ってくる。

 首を回し、間近で見た着ぐるみに絶句。またもや、奇怪な造形であった。

 着ぐるみを着ているのは異形を隠すためだろう。


 複数体の着ぐるみの集団に注意を惹きつけ、自身は近辺で待ち伏せしていたのだ。

 襲撃者は、明らかに由峻を狙っていた。

 緊張感で躰が震えそうだが、表情まで強張ってはいないのに安堵する。

 まだ屈してはいない。

 努めて平静を装って、こちらから話しかけた。


「可愛らしさの欠片もありませんね。店を襲ったのは囮ですか」

「狩りの基本だよ。奴らに拘束ができるとは思っていない」


 問いかけに答えたのは、今までとは造形の異なる着ぐるみだった。カツオの頭部を模したかぶり物から、男の低い声がした。

 嘲りのにじむ声だった。


「……着ぐるみの中身はアラスカ製のロボットですね?」


 褒めてやる、と着ぐるみが笑う。


「人間どもの発明だ、雑兵にはちょうどいい」


 そう傲岸不遜に笑う襲撃者は、明らかに人間ではなかった。着ぐるみを被っているのは、中身が異形の存在だからだ。

 第一世代亜人種――侵略の最初期、異形体によって投入された戦闘兵器としての亜人。

 その異能の源たる結晶細胞は、時に物理法則すら無視した振る舞いを可能とするが、安定化が難しい物質だ。


 まず純度の高い細胞――つまり大本のエイリアンにより近しい特性を持つ――であればあるほど、出鱈目な性能が高まる反面、構造の維持も困難になっていく。

 事実上、高純度で安定した形態は〈異形体〉――結晶細胞の出所――しか存在していない。

 そういう意味では、由峻のように人間に近い亜人も、結晶細胞の万能性を引き出しきれてはいなかった。


 ゆえに一部の例外――人智を超えた躰を持つ、最初期の亜人は人間社会のルールに対し無頓着だ。

 彼らは秩序を逸脱しペナルティを受けても困窮しない上、場合によっては文明社会が崩れ去った方が都合がいい個体すらいる。

 だからこそ、普通人との価値観の隔たりは大きい。

 人体の限界を凌駕した超人は、生まれながらの不穏分子と言ってもいい。

 目の前の怪物を恐れる由峻へ、襲撃者は冷や水を浴びせ掛けた。


「貴様も我々の同類でなければおかしいのだ。まず力あるものが、弱者を気取る卑劣さを恥じろ」


 それは、彼女がその身柄を狙われてきた理由であり、望まぬ才覚だった。

 不意に目頭が熱くなった。

 理不尽そのものである敵が、友人を傷つけたその口で戯れ言をほざいている。


「つまらん人間ごっこは終わりだ」


 怪物が素知らぬ声音で嘲笑っている。

 ただ従え、と。


 逃げ場のない悪意の中、彼女は何度もくり返しその信念を問われてきた。

 剥き出しの残酷さに晒され、長い間、平穏な暮らしも許されなかったから、導由峻が守るべき最後の一線は自己の信念だけだ。

 命すら守れない理不尽を、幼い身空に覚悟していた。


 その悲痛な思いに転機が訪れたのは、一〇年近く前のこと。


 ある日、出会った少年は、その体質ゆえに人ではないものとして遇されたという。痛ましいことに――彼は被害者でありながら、そこにつきまとう非情な道理を受け入れていた。

 それでは駄目なのだ、と由峻は感じた。

 誰の目にも明らかな価値の差異を盾にしようと、他人を踏みにじる行為はおぞましい。

 せめて、揺るぎない綺麗事ただしさが必要だと強く思ったから、今の導由峻はいる。


「そんな言葉を、犠牲を強いる側が言うのですか」


 彼女には未だ、眼前の襲撃者のように人を傷つける意思がない。だが、手段としての暴力を忌避しているわけではなかった。

 かつての軟禁状態から中学校、そして飛び級で大学へ通える程度の平穏を勝ち取ったように、真に欲するもののため戦うことはしてきた

 結局のところ、戦う道は何もせずに蹂躙されるよりもずっと正しい。

 だが、少女には殺し合いをするだけの覚悟がなかった。


 カツオの被り物が、無表情な造形で由峻を見下した。


「虫けらの泣き言か。友人が五体満足でなくなれば、物わかりもよくなるかな?」


 由峻は涙のにじむ瞳で、脅迫に耐えた。

 自身と霧子の命を守りたいなら、目の前の怪人を殺してしまえばいい。

 吐き気がするような状況だった。

 綺麗事を抱いても、一線を越える瞬間が来るのはわかっていたのに、自分以外の要因によって強要されるのが煩わしい。

 彼女は友人の安否より、その足枷を不快に感じている。単純な事実が、ひたすらおぞましかった。



――自分もまた、他者を踏みにじる怪物達と同じ世界の住人なのだ。



 どうしようもない絶望に襲われ、由峻のたおやかな胸の内で、冷たい決意が鎌首をもたげた。

 そのとき、甲高いタイヤの音。

 強張った顔を向けると、道路の右手から一台の乗用車が近づいている。青い普通車。それが警察車両ではないことに、由峻は落胆を覚える。

 奇妙なことに、彼我の距離は既に二〇〇メートルを切っているが、速度を落とす様子はない。


「不躾な輩め」


 着ぐるみの主が、苛立たしそうに腕を上げた。もし由峻の想像通りなら、何らかの飛び道具を持っていても不思議ではなかった。

 第一世代の亜人はそれほどまでに圧倒的な、兵器を駆逐しうる超人だ。唐突に、着ぐるみの動きが止まった。

 意図した動きと言うよりも、電流を流され硬直したかのようなぎこちない停滞。


「なんだ」


 言うことを効かない躰に困惑し、カツオの着ぐるみが声をあげた。自動車との距離が一〇〇メートルを切った。

 だというのに、車はブレーキを掛けるどころかさらに加速。

 車は急に止まれない。


 特に、轢殺れきさつを目的としている場合はただの凶器だ。

 勢いに乗った車は時速一〇〇キロ超の高速で着ぐるみを跳ね飛ばし、由峻の目の前を横切って、堅いブレーキ音を響かせる。

 タイヤから火花を散らし、ようやく停止する車体。

 特別仕様の外装は凄惨な衝突事故にかかわらずわずかな凹みがあるだけだった。

 先ほどまで少女を追い詰めていた敵は、ボロ雑巾のようになって路上に転がっている。

 自動運転の普及前は、人間の運転者がこういった悲劇を量産していたという歴史的事実を思い出させてくれる。


 切れ長の両目を見開き、呆然とする由峻は何とか思考を取り戻した。

 長い黒髪が砂埃で煤けるのも構わず、車の運転席へ目を向ける。

 乗っているのは若い男だった。

 マニュアルモードで運転し、自動運転ならありえない衝突事故を起こしたらしい。それが自分たちを助けるための行為なのだと、頭で理解していても、感情は追いつかない。

 車のドアが開く。

 余裕を持って降りてきた、眼鏡の青年が喋り始めた。


「UHMAのものです。参考までに一つ、お尋ねしますが」


 いやに饒舌である。腹が立つくらいさわやかな、一周回って胡散臭い笑顔だった。


「今の着ぐるみ、東京支部の職員じゃありませんよね」


 言い終えた青年の目がこちらを向き、途端、飄々とした身のこなしが目に見えて鈍った。

 なんというか、予期せぬ事態に遭遇した人間の反応だ。

 しかも今さら霧子――倒れているスーツ姿の職員――の状態に気付いたらしく、額に嫌な汗を掻いている。


「救急車、呼びますか」


 対して、亜人の娘は冷静であった。

 じっとりと重い視線で自分を助けた青年――ほぼ確実に変人――を監察する由峻は、そのあまりにもあんまりな言動に仰天していたが、それを表情に出す前に立ち直った。

 傍目から見れば、何が起ころうと動じない微笑みである。

 透き通った美貌と力強い瞳に気圧されて、男は胡散臭い笑顔を貼り付けたまま二の句を告げなかった。


「人間として、ご自分の言動を見直しては如何ですか?」


 助けて早々、守るべき娘から飛んできた、辛辣しんらつな言葉に目を丸くする青年。






 塚原ヒフミと導由峻――実に一二年ぶりの再会であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る