1章:運命の歯車

序章:素晴らしき新世界







 かつての少年は、大人になった。

 しかし結局のところ、初志貫徹しょしかんてつより難しい物はない。

 なにせ今では、超人殺しのエージェントなのだから。


「どうしてこうなってしまったんでしょうね……」


 悲しい独り言だった。

 一〇年以上前の感傷的な記憶に、青年は乾いた笑いをもらす。

 目が覚めるような碧空へきくうの下、廃ビルに囲まれた路地に肉塊がひとつ。

 北日本ではそこそこ貴重な澄み渡った天気だというのに、視界いっぱいに広がる風景は最悪だ。

 たとえ西暦二一三四年になろうと、世界が平和的に進歩するわけではないから、人間はとびきり嫌な死に方をする。

 塚原つかはらヒフミは、そのような雑感と共に眼を眇(すが)めた。


「ははあ」


 間の抜けた溜息を一つ、こぼす。

 ヒフミにとって、己が半生は質の悪いユーモアの連続だ。

 それは例えば、不法操業を行った漁船が撃沈された、という物々しい報道に、朝っぱらから「お魚の命は人命より重い。常識ですよね」とのたまうコメンテーターを見てしまう愉快な経験である。

 これが今朝の出来事だから笑えない。

 ものには言い方がある。

 とはいえそう考えるおのれが、世界で最後の正気の人間ではないことも自覚していた。


 何せ、彼自身も言い方を選べない人種なのだ。


 目に付く限り、塚原ヒフミの風貌は奇抜だった。

 昭和時代の軍将校じみた丸眼鏡などその筆頭で、背丈も平均身長より少々高い程度である。

 目鼻立ちこそくっきりしているが、長所じみた部分すべてが胡散臭さを倍増させていた。

 まず第一印象からしてそういう男なのだ。

 太平洋戦争直前で時計の針が止まっていそうな眼鏡など、大時代的趣味の持ち主なのかもしれない。

 そんなヒフミの足下に倒れ伏した影が、四つ。


「人間、自分で思ってるより素直な生き物ですよ」


 そういって足下に突っ伏した人影を見下ろす顔には、作為的な無表情以外、何も浮かんでいない。

 いずれも肩、肘、膝、足首の関節を二箇所以上、破壊されており、苦痛と恐怖による呻きが耳障りだった。

 大方、近場に転がっている無惨な死骸を目にしたせいだろう。

 もとはと言えば、彼らのしでかした行為の結果だというのに。

 右の膝関節が前に九十度の角度をつけてへし折れたチンピラが、朦朧とする意識の中、痛みに耐えかねて声を上げた。

 ころさないで、とか、ゆるしてくれ、とか。


 どうやら肉塊を作ったのが塚原ヒフミその人だと勘違いされているらしい。

 まったく嬉しくない勘違いであった。

 深々と溜息をつき、彼は訂正の言葉を吐きだした。


「残念ながら。僕はできるだけ人を殺さない主義です」


 そこに慈悲の類が皆無なのは誰の目にも明らかだった。

 事実、男達はこれから日本国内では滅多に味わえない経験をするだろう。

 事の次第は簡単だ。

 凶悪犯の手によって幾人かの命が奪われ、密入国を手引きした人間へ捜査の手が伸び、これからたっぷり情報を引き出される。

 実に健全である。

 縄張りを荒らされることを極度に嫌う、日本の行政組織の習性は未だ健在だが、そんな彼らさえ手をつけたがらない事件だ。

 下手に関わりを持てば、警察署一つが丸々死体の山で埋まり、関係各所で役人の首が飛ぶのが関の山。

 そういう事件を専門に扱う以上、青年の所属組織は男達に容赦などしない。


 当然のことながら、件の密入国者はホモ・サピエンス――人類種ではなかった。


 あとは手筈通りだった。

 前もって手配した護送車へチンピラを押し込め、車両が走り出すまで五分しかからない。

 去っていく車を見送り、持ち場に戻ったヒフミはほっと一息ついた。

 元々、彼の仕事は密入国し人物――敢えてそう呼称する――に殺された被害者の確認であり、チンピラを拷問部屋送りにすることではない。

 先ほどの一幕は偶然の賜物だ。

 まさか関係者が雁首揃えてこそこそ街を歩いているとは思わなかった。


 それにしてもひどい悪臭だ。

 息を吸った途端、むせ返るような血と汚物の臭気を意識しなおす。

 破壊された人体がふちまける類の、救いのない死の香り。

 鼻をつく臭気の元を辿れば、二〇メートルほど先に奇妙に捻れた人型が転がり、アステカ文明の生け贄よろしく捧げられていた。

 日本海側にあるこの街は、前世紀の文明崩壊以降、世界各地で散見されるようになった廃墟の一つだ。 ゴーストタウンのメインストリートを走る道路の真ん中に、衣服をむしり取られた女らしき影。

 死に際の表情さえ残せない無惨極まる骸だった。


 彼女の性別を判断できる材料など、青ざめた小ぶりな乳房ぐらいしかない。

 胴体にすさまじい圧力を加えられ、空気を入れすぎた風船のように爆ぜた死骸だ。

 千切れた臓物からたっぷり撒き散らされた汚物が、アスファルトにこびりついている。

 顎の下側だけ残った頭部に垂れ下がるのは真っ赤な舌。

 おそらく先に頭蓋骨ごと頭部を引き千切り、用済みになった躰だけが残されたのだろう。


 眉一つ動かさず、ヒフミは目線を上に向ける。

 周囲には打ち棄てられた雑居ビルが並んでおり、犯人はその屋上から死体を投げ捨てた公算が大きい。

 つくづく芸がない殺し方をするものだ。


 死人への哀悼あいとう以前に、今が夏場でなくて助かったと感じる自分がいる。

 真っ当な人間の感性が未だ根付かないのも考え物だった。

 その複雑な胸中に構うことなく、風は骨身に染みるほど冷たいままだ。

 強い調子で街路樹が揺れる度、落ち葉がはらはらと宙を舞う。


「いつも通りだな」


 まったく嫌になるほどの秋晴れ。

 思わず零れた独り言は、いささか皮肉めいている。

 涼やかな風に乗って蜻蛉の群れが空を飛び交う、ひどく牧歌的な景色。

 だが、あまりにも巨大な影絵じみた異物が背景にあった。

 やや横に傾ぐようにして天へ伸び、雲と混じり合う巨影。


 それはさしずめ、しなやかな糸が絡まり合い、強固な骨格を柱に構築された橋だった。

 輪切りにすれば、断面に都市を格納できそうな世界樹――その正体は、山々に囲まれた盆地から太平洋まで続くアーチだ。

 橋は光を透かす結晶めいた素材で構成されており、その大きさから想像される日照権の問題と無縁だった。


 尤も、それは単なる材質の問題ではない。

 太陽光が結晶内部を通る際、光の屈折は絶妙の角度に調整されている。

 アーチを構成する細胞群がその演算能力を駆使して、人類の生存環境に配慮しているのは有名な話だ。

 その上、同様の構造物は東南アジアの赤道付近やハワイの近海からも伸び、サイパン島上空で連結している。


 二二世紀を人類の新時代と呼ぶのは間違いだ。

 より正確に言い表すなら、ここは異分子によって再構築された新世界なのだから。




――地球外知性体〈異形体いぎょうたい〉。




 熱核兵器の全行程を嘲笑い、物理法則を踏みにじる侵略者によって敷かれた世界秩序。

 悪い冗談のようなお伽噺の産物は、鎌首を持ち上げた大蛇のようにも見えた。

 ともあれ〈異形体〉の恩恵の下、文明社会は再生された。

 あまりに都合がよすぎる話だが、そうでもなければ彼らの足下に学術都市が築かれることもなかっただろう。

 最大の研究対象が身近にあるからこそ、人種も国籍もばらばらの研究者たちが集い、その成果が生み出す莫大な利益に惹かれて、ますます金と人が集まっていくのだ。


 〈異形体〉の思惑が不可解であることを除けば、順当な結果と言える。

 あるいは、とヒフミは思う。別大陸に落下した同胞の尻ぬぐいのつもりなのかもしれない。


『塚原、現状の報告を』


 耳元で囁かれているかのような声は、胸元に隠し持った通信端末のものだ。この惨状に対し、今さら彼が注釈するほどの目新しい情報はない。

 第一、ヒフミが見た景色は撮影デバイスよって後方に送信済みであり、意味もなく気が滅入るばかりの儀式だった。


「関係者四名を確保。あれじゃ大した事情は知らないでしょうけど」

『……楽しそうにいうな』


 どうやら自分は機嫌が悪くなると、喜悦きえつがにじんでいるような声音になるらしい。

 天の邪鬼にもほどがあるな、嘆息。


「楽しくはありませんよ。今どき、僕らに喧嘩売る馬鹿がまだいるんですね」


 そういって懐に入った身分証を思い浮かべる。

 UHMAユーマとアルファベットのロゴが刻印されたそれは、文明世界で特別な意味を持っていた。

 人類連合調停局――UHMAという組織がある。

 異種知的生命と人間の間に起こる軋轢(あつれき)、摩擦まさつの解消を目的として設立された治安機関なのだが、その実態は剣呑極まりない。

 西暦二一三〇年代にありがちな超人災害を未然に防ぐべく、時に違法すれすれの過激な手段すら駆使するのである。要するに、UHMAに追われるような犯罪者はその時点で詰んでいるのだ。


『一度、本部に帰ってこい。そっちに敵は現れないようだし、お前さんの知り合いがお呼びだ』


 思わぬことに、とびきり不快な報せが続く。

 横目で路地の入り口を見やれば、既に警察の所有する無人歩哨――こちらを、二足歩行の機影が睨んでいた。

 蠍(さそり)のような尻尾の先端には、大型テーザーガンが複数ずらり。

 ヒフミが子供の頃、銃口を向けてきた機種の同型機である。

 治安維持用にマイナーチェンジされたとはいえ、人間をひき殺せる駆動系は健在であり、物騒この上ない引き継ぎであった。

 暗に「さっさと他所へいけ」と指図されているらしい。


「ははあ」


 塵の混じった空気も考慮せず、深呼吸しながら空を見上げた。

 やはり、腹が立つ快晴だった。





 山がちな土地でさえ格段に交通の便がよくなったのは、今世紀に入ってからの数少ない、市民にとってありがたい進歩である。

 およそ一時間ほど高速鉄道に揺られ、本部に帰還してわずか三〇分。

 早々に家へ帰られた青年の足取りは重い。

 築一〇年の一軒家――UHMAが買い上げた住居に帰宅してみれば、会いたくない生き物が上がり込んでいた。

 案の条、同居人――可愛い妹分は居留守を決め込んでいた。

 二階の自室から意地でも降りてこないつもりのようだった。

 おそらく緊急避難である。


「何故、馬刺しなんですかね」


 卓上に並べられた料理を挟み、塚原ヒフミは客人へ問う。

 正直なところ、厄ネタの匂いしかしない来訪だけに彼の作り笑顔も強張っていた。

 しかしながら手土産がよかった。


 馬刺し。


 大皿にたっぷり盛りつけられた赤身肉は、生のまま食す鮮度の高いものだ。

 少量でも、結構な値の張る甘い馬肉の刺身だった。

 ましてや宴会料理でしか使わない大皿一杯の量ともなれば、青年の慎ましやかな食生活が二週間はまかなえる額になる。

 つまり客人の財力は、その程度のことを気にも留めなくて済むぐらい潤沢なのだ。

 ヒフミは眼前の男――二メートルを超える体躯の、かつて己が師事した「先生」の方へ目を向ける。

 思えば、先ほどから視覚的な違和感がひどかった。

 山羊髭が生えた顎を撫でつけ、異相にふてぶてしい笑みを浮かべた巨漢が座布団に座り込んでいる。

 しかも何故か和装だった。


「私の好物だからな。それ以上の意味があると思うかね、まあ食べなさい」


 口を開けば、人懐っこい耳慣れた声。

 なるほど、よくない頼み事をするつもりらしい。

 青年は迷わず箸をつけることにした。

 小皿に薄く張った醤油につまんだ刺身をそっと横たえ、皿の端に盛られたニンニク味噌へ箸をのばす。

 みじん切りのニンニクと赤唐辛子で目にも鮮やかなオレンジ色は、馬肉の力強い滋味を引き立てる最高の薬味。

 これをうっすら塗りつけて、口の中に放り込む。

 まず醤油特有の旨味と塩気が舌の上に広がった。

 続いて赤身肉のねっとりした甘さが舌に絡みつき、いやがおうにも唾液が溢れ出す。

 肉の旨味に絡みつくのは刺激の強いニンニクの風味で、これがまた後を引くのだ。


「美味しいですね、これ」


 その一言で事足りた。

 満足げに微笑んだ師の顔をじっと見据え、ヒフミは言葉を続けた。


「イノウエ先生。僕の記憶にある限り、あなたが手土産を持ち込んだ月って、必ず、派手な事件が起こりますよね」

「つまらん言いがかりだ。私は火消しであって放火魔ではない」


 イオナ=イノウエは温厚そうな笑みを崩し、悪戯っぽく口の端をつり上げた。

 人間離れした異相――草食動物を思わせる鼻面はヒトよりも山羊に近く、ふさふさした銀髪の合間から伸びた二本角に至っては異形そのもの。

 その姿形たるや、ギリシャの牧神パーンを思わせる容姿だ。

 やや猫背気味の老人は、まるで神話に謳われる獣頭人身の怪物である。


 ホモ・サピエンス以外の、ヒトの新たな系統『亜人種』。


 旧世界の崩壊を象徴するように誕生した異類異形――亜人の存在は『当たり前』だ。

 そのように常識が書き換わるまでの間、想像を絶する闘争と犠牲があったのは周知の事実であり、イオナは少なめに見積もっても半世紀以上、同胞のためあらゆる手段を駆使した男である。


「私は諸人の安寧(あんねい)を祈るだけの老いぼれだ。力量と義務のある後進に耳打ちするぐらい、甲斐性のうちだよ」


 マッチポンプの一つ二つは聖人の顔で仕掛けるくせに、ぬけぬけと言ってのけた。

 このあたりでイオナもじゃれ合いに飽きたのか、実務家めいた厳かな雰囲気が発せられはじめる。

 しかし、それでは自分が困るのだ。

 何としても厄ネタの開示を避けたいヒフミは、引きつった笑みのまま揶揄するように口を開いた。


「その格好。せめて帰属する文化ぐらい、はっきりした方がいいんじゃないですか」

「生憎、私の故郷には色々あってね。もちろん、この地はその一つだ。それに」


 前世紀半ばに起きた文明崩壊の煽りで、異形の男の出身地は今一はっきりしない。

 そこからの復興期である昨今、国体を保てた地域では伝統文化の再興運動が盛んであり、極東は日本列島もその例外ではなかった。

 尤も実用性との兼ね合いを取った結果、その運動で用いられる道具は大半が伝統的とは言い難い有様であり、滑稽さの滲む、ある種グロテスクな風景が世界中の文明圏で花開く様は、人類史が見る走馬燈のようだ。

 その中にあって、イオナの明らかな異形は不味かった。

 身にまとう文化を気分次第で変える姿に、嫌悪感を抱く人種がいるであろうことは想像に易い。

 だが、イオナはどこか愉快そうなままだ。


「我々のような異形の人種を取り込みたがる文化的集団は存在せんよ。一万年に渡って続いてきた人間の文化、文明の前提は生身の肉体だ。結晶細胞によって逸脱した私たちは、人の亜種デミヒューマンと呼ばれて然るべき異物に過ぎん」


 結晶細胞。

 それこそが亜人の躰に混じり、その特性――ヒト由来組織と異なる機能を司る物質であった。

 構造の組み替えによって振る舞いを大きく変える結晶細胞は、亜人を亜人たらしめる最重要部位だった。

 例えば、イオナの頭蓋の内側にも、タンパク質以外で構築された神経網が四割ほど混じっているらしい。

 つまりは思考形態からして異質な生き物なのだ。


「尤もユーラシアで誕生した同胞は、神を気取って人間を虐げることによろこびを見出したようだが。それともヒフミ、君は敢えて私に祖国の文化をどうにかしてほしいと頼み込む奇特な趣味の持ち主なのかね」


「いつから僕は管理社会を待ち望む人種になったんでしょう」


 別の意味で面倒くさい話題になってしまい、軽く頭痛がしてくる始末。

 最早、彼には状況を好転させる妙案が浮かばなかった。

 ヒフミは覚悟を決め、自ら本題を切り出すことにした。

 この男、処世術というものにとんと縁がないらしく、それはそれは嫌そうな声音である。


「……降参です。どのみち逃げ場を塞がれてそうですし、引き受けますよ」


 おや、すまないね。

 白々しいお礼の言葉を聞いて、やはりこの老人に口では勝てないと痛感する。

 投げやりな気持ちになって、塚原ヒフミは眼鏡のフレームを軽く指で押さえた。

 それを見てイオナが陽気に肩を揺すった。

 やたらと低い声で笑っている。


「つまらん老人の感傷だ。もちろん、UHMAにとって無視できない案件でもあるがね」

「問題は僕がどれだけ苦しむ羽目になるか、です。突然、東京か名古屋あたりの人間が全滅しても驚きやしませんよ」

「君、私を何だと思っているんだ」


 およそ三ヶ月に一回、繰り返してきたやりとりだった。

 後から見れば、誰の目にも明らかな災禍の芽。

 それを的確に見抜き、選別して持ち込む手前、長命の亜人種の組織に対する影響力は大きい。

 この老人、イオナが持ち込む事件はいずれも放置できないものが大半で、UHMAの職分である限り、断る理由もないのが実情だ。


「さあ。せめて、みんなが幸せになれるような頼み事だと嬉しいんですが」


 まったく、どんな夢物語だと自分で喋っておいて後悔した。

 到底、叶いそうにない願いほど虚しいものはなかった。

 まず妥当なところは、彼一人がいくらか危険な目にあって、どこかの誰かの野望を踏みにじる濡れ仕事。

 確実に人が死ぬが、楽だな、と思ってしまった。

 どうやらヒフミの良心という奴は随分、鈍磨しているらしい。

 知らず知らずのうちに自嘲の笑みが零れた。


「どうやら期待に添えそうだな」


 弟子の内心を察してか、山羊頭の老人が眼を細め笑ってみせる。

 そもそもこの異相の亜人種に、人類と同様の情緒があるかも疑わしいものだが。


「君たちの全権を以て、とある人物を守って欲しい。古い友人の娘でね」


 いくら何でも、身辺警護にしては大げさすぎた。

 困惑する弟子へイオナが発した言葉は、その娘の名前だった。






――名を、由峻ゆしゅんという。









 二二世紀の世界には、人間から逸脱した異種がありふれている。

 たとえば異形を思わせる身体器官の発達した亜人種、その大元となった地球外知性体〈異形体〉――二〇一〇年代になってこの地上へ姿を現した、新しい隣人たちだ。

 実のところ、その誕生と繁栄には想像を絶する災禍、人間世界の崩壊がついて回っていた。

 しかも生きた心地がしないことに、それは今も続く生きた事件なのである。

 最初の降臨から一週間で七億人の犠牲を出し、その後巻き起こった混乱で二〇億とも三〇億とも言われる数の人類が死者へ加わった。


 ここ日本列島もその例外ではない。


 どんよりと曇った空を見上げ、凍えそうな風を浴びる。

 街並みから遠く離れた郊外、ざわざわと鳴る木立の向こうには一面の森。

 道路脇に停車した車に背を預け、眼鏡の青年はふぅ、と一息ついた。

 やたら甘ったるいチューブ飲料のパッケージを車内へ投げ捨てる。

 紅葉まっ盛りの朱色、黄色が入り乱れる色鮮やかな道のりを一人、自動車で走り抜けねばならない。

 塚原ヒフミは見送りもなく、一昨日の夜からとんとん拍子で決まった護衛の仕事に出向こうとしている。

 これから青年が向かうのは北日本居住区の外――日本政府の領有する普通の国土だった。


 一言でいうとトラブルの気配しかないのだ。

 さて、どうしたものかと首を捻れば、奇妙な足音。

 こつこつ、こつこつ。

 硬いブーツが立てる特徴的な異音だった。

 ふり返るとありがたくない見送りが来ていた。


「あっ……進藤さん、来てくれたんですか。いやあ、驚きですね」


 ヒフミが進藤と呼んだUHMAエージェントは、二十歳そこそこにしか見えない容姿だった。

 その実、頭のネジが吹っ飛んでいる発想と火力が特徴の女である。

 まるで雌ライオンが猫のふりをしてすり寄ってくるようだった。

 目に見えて余裕を失ったヒフミが、それでも礼を失しない程度に平静を取り繕った。


「お互い、超常種だからね。暇人は暇人らしく後輩のメンタルケアに当たるわけ」


 超常種サイキック――二人を同類たらしめる種族の名――とは、エイリアンの来訪、それに伴う文明崩壊に呼応するように現れたホモ・サピエンスの変種である。

 その多くは既知の物理法則から外れた能力を発揮することから、UHMAではエージェントとして重宝される存在だ。


「正直、緊張感で死にそうです。そのポーカーフェイスみたいな笑顔が怖くて」

「可愛げがないなあ。一〇年くらい前はもっと色気を感じて、どぎまぎしてくれたと思うんだけど?」


 女の名前は進藤茜しんどう・あかね

 ヒフミの知る限り、組織の中でも指折りの実力を持つ武闘派エージェント。

 一五三センチの小柄な躰に、目一杯の災厄を詰め込んだ異能者である。

 ショートヘアの栗色の髪、ぱっちりと開いた鳶色の瞳、魅力的なふっくらした唇。

 西洋人形に似て出来がいい顔に加え、健康的な肌つやが眩しい。

 ダークブルーの制服姿すらも完全に着こなす、愛らしさと怜悧さの滲み出る容姿だ。

 にもかかわらず、全体の印象はどこか禍々しい――そんな笑顔の持ち主だった。

 脳にお花畑が生い茂っていそうな笑顔と裏腹に、鳶色の双眸には狂気じみた激情が垣間見える。

 さしづめ、スプラッタ映画で人を殺す呪いの人形といったところか。


「怪獣映画の主役と付き合いたいと願うほど、僕は罪深い存在だったのでしょうか」


 失言だった。

 動揺が打ち消せなかったとはいえ、ひどすぎる暴言だ。

 恐怖のあまり喧嘩を売るような言葉を返すあたり、我ながらいい根性をしていると思う。

 だがどういうわけか、その日の怪物の中の怪物キングオブモンスターは御機嫌麗しかったらしく、穏やかな訂正が飛んでくるだけだった。


「あたしは怪獣じゃないし。塚原くんが何と言おうと、実態は唯一無二だよ。あたしが怒る謂われがないんだよね」


 ぽややんとふやけた顔のまま、小動物的な愛らしさの女が薄ら笑いを浮かべる。

 対応するように青年の作り笑顔が引きつった。

 つまり凶悪事件が起きる度、犯人をサイコロステーキにしたり蒸発させたりするのは人間的な行いらしい。

 このエージェント、大気減衰をものともしない高出力の熱線を、無手の状態から生み出す女なのである。

 少なくとも原始時代には不可能だったので文明的かもしれないが、人間がこれを実行する場合、レーザー兵器の一つも持ち出した上で、電源の確保と訓練された兵士が必要だった。

 果たして、この超人を怪獣と言わずして何と言ったものか。


「気は大きく、能力相応に気張っても良いんだよ。塚原くんもどうかな、そういう生き方」

「ご冗談を。僕は人間のままでいたいんですよ、どこかの誰かのため滅私奉公なんてガラじゃない」

「あのさ。一応、あたしたち公僕」


 進藤が呆れたように眉をひそめた。

 怪獣に常識を諭されて泣きそうになった。


「残念ながら――僕らは『どこかの誰か』の血税で養われてるわけじゃありません。人類史上稀に見る純粋なボランティアだと思いますよ」

「エイリアンに捨て扶持を貰うのは給料じゃない?」


 彼らが所属する組織、人類連合調停局を運営する上で必要な資本は、莫大な生産力を持つ来訪者〈異形体〉に依存している。

 ある意味、調停局のエージェントは皆、この上なく地球上の全人類に公平であり、同時にこの上なく信用されにくい立場にあった。

 たとえ金銭を介した利害関係でも、人間と人間のやりとりは重要である。

 相手を縛り付ける契約さえ、他者を信用する判断材料になるからだ。

 ましてや塚原ヒフミや進藤のような異能者がエージェントとなれば、事情を知らぬ人間には、得体のしれない怪物に見えもする。


「必要経費ですよ。僕らは……強いて言うなら、異種族との交流のため身を削る人格者の鑑です」

「人格者に謝ったらいいと思うけど。んー……つまり恋愛感情なわけ?」


 何故、そういう話になるのか。

 問い詰める暇もなく進藤が口を開いた。


「ま、そこは自由じゃない? 双方の合意があるなら近親相姦まではオッケーだと思うよ」

「ソドムとゴモラって知ってますか」

「他人事って好き勝手言いふらすから楽しいわけ。色んな事情に無神経になるの、すっごく楽しい」


 一見、気安いやりとりだが、服の下では青年の皮膚は冷たい汗でべっとり濡れている。

 いかんせん、お互いの立ち位置が物騒すぎるのだ。

 塚原ヒフミと進藤茜は共に強力な超常種サイキックであり、どちらかが離反者となった場合、片方が処刑人となる間柄だった。

 飛び抜けて厄介な超常能力を持つ以上、統制機関たるUHMAが裏切りに備えるのは当然である。

 しかし同じ部署の人間に担わせる悪趣味だけは理解しがたいものがあった。

 つまり両者が同時に裏切る心配はないと見られているのだ。

 彼は冗談交じりに、半ば本音の台詞をぶちまけた。


「僕は一体、人間不信と女性不信、どっちを発症すりゃいいんですか」


 爆笑する進藤嬢――といっても在籍年数から判断して、確実にヒフミより年上だ――を横目に、青年は端末を操作。

 今までオフにされていた網膜ディスプレイが出力され、諸々の指令が視覚化されて脳に飛び込んでくる。

 実にアナログだった。

 結局のところ、人間は可能な限りアナログな方が信頼できると思い込む生き物だ。

 様式を周囲にあわせるのが人間の社会的慣習の一環だとするならば、ヒフミのそれは一種の代償行為である。

 たとえ彼らが超常能力を発現した新人類であろうと、どこかで人間的な繋がりを求めてしまうのは必然だった。


「行き先は新東京だっけ。いいなー、首都なんて一回もいったことないんだけど羨ましいよ」


 生きた核兵器みたいな女を入国させない分、良識のある行政なんだろうな、と痛感。

 全人種による文明圏を謳う手前、人類連合の管轄する北日本居住区――租借した土地の他、アーチ状構造体から増設した人工島もこれに含める――には、この妙に脳天気な言語野を持つ怪物のような輩が生息している。

 厄介ごとを言い出したりはしないだろうな、と塚原ヒフミは身構えた。

 期待に反し、進藤茜の言葉は思いやりに満ちていた。


「あたしたちはどうせ、まともな恋愛感情一つ抱けないんだから。可愛い子がいたらね、適当に口説いてもいいと思うよ」


 何故か、ナンパするのが前提のような言い草だった。

 ヒフミは憤慨し、猛然と反論。


「これでも僕は理想家なんです。それこそ結婚を前提するぐらいの覚悟じゃないとありえませんね」


 物凄く可哀想な生き物を見る目で蔑まれたが、おおむね予想通りだったのでヒフミの受けた被害は少なかった。

 ともかく、そういうことになった。







 かくして青年は、運命と再会することになる。

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