『悪意の代償』後編

 02.


 あの宮里、という異常なお隣との出会いから一ヶ月が経過した。

 同じ学校、と言ってたが、彼女のような変わった学生が転入してきた形跡もなく、

 その後も宮里レイは一度も姿を現さなかった。もしかすると、転入してきたのかもしれないが、それをわざわざ探すほど物好きではなかったし、探すのも怖い気がしたのだ。

 そして、いつもの放課後、私は中学からの友人、佐伯綾香に声をかけられた。

 相談したいことがあるから自宅まできてほしいとのことだった。

 綾香の自宅には何度かおじゃましたことがあったけれど、高校にはいってからはそ

ういえば一度も行ってなかったので、日ごろ、気を使ってくれる綾香の相談を聞くこ

とにした。

「入って」

 綾香は自宅に着くと、玄関の扉を開けて手を振った。そして私が入ったことを見て、カチャリ、と鍵をかける。

「最近、ここいらも物騒なんだよ、近所で事件があったりさ」

 事件、という言葉にどきっとした、住宅街だからこそ危ないこともある。

「紅茶とケーキ取ってくるから、先に部屋行ってて、今日は奮発してお高いお店のケ

ーキだぞっと」

 そんな鼻歌まじりで台所に向かう綾香を見てから、久しぶりに、彼女の自室に向か

う。以前来たことがあったから場所は把握しているけれど、誰もいないのか、やけに静かだ。

 私は彼女の自室の扉をあけて中へ入る。扉を開けた瞬間、まさに女の匂いというか、少し強烈な香りがした。綾香の部屋は相変わらず整っていて綺麗だ。室内にある観葉植物や、女子らしい趣味の家具がそれをより強調している。

 部屋の中心にある、小さなテーブルの前の座布団に座り、なんとなく窓から差し込

む夕日を眺めていた。

 しばらくボーっとしていると、綾香が「おまたせ~」と言って部屋へ入ってきた。

その手に持った紅茶とケーキをテーブルに置いて、「どうぞ、召し上がれ」と言って

笑った。

 嫌な違和感を感じた。あの夕日に差し込んだ時の、宮里レイの笑顔のそれと、ダブった気がしたのだ。

「ねえ、綾香の家ってお母さんはいつもいなかったっけ?」

 綾香は紅茶を飲んで、ゆっくりと答えた。

「うん、そうだよ?覚えてない、由里のところと一緒」

 由里とは、椎名由里、私のことだ。「そうだっけ?」と綾香の入れてくれた紅茶を

飲む。綾香が笑った気がした。すごく、嫌な笑顔だった。覚えている範囲では、綾香の母親は、以前はいたと思う。その日がたまたまお休みであったのかもしれないが、大体はお邪魔したときには、、のだ。

 紅茶を飲んでケーキに口をつけようとした時、世界が歪んだ。いや、急激な眠気に誘われたというところだろうか。なんの抵抗もできないまま、目の前が真っ暗にな

って、意識が飛んだ。

「おはよう」

 目を覚ますと、綾香がいた。

 そして勢いよく■■をされる。息ができないほどに、それは激しいものだった。

 身動きができない。ベットに腕と足を拘束されていて、動かすと痛い。何をされた

のか、そんなことすらわからなくなるほどに、動揺した。

 綾香が口を離して、そのすぐ近くで吐息を感じる。

「……綾香、なに、してるの……」

 そう、口にするしかなかった。恐ろしさで、震えた。綾香は薄気味悪く笑って答え

た。

「もうダメだって思った時、日ごろのうっぷんを晴らすために、何をすればいいのか

なんて、わかっていたことなのにさ」

 綾香が私の身体をまさぐる。必死で抵抗する私の口を、また綾香の口が塞ぐ。

 綾香は異性の話をしない、いや、思えば、だんだんと、おかしいと思うことはあっ

たのだ。

 悪意に似たそれを、私はずっと無視し続けて、その対価を、今払っているのかもしれない。綾香の異変に気が付いていたのに、ずっと私の、どうでも良い悩みばかりぶつけて、彼女は、こんなにも、私という弱い生き物を愛でることを溜め込んでいたのだ。

「すごく良い、すごく良い」

 綾香がそう言って私の洋服を破ろうとしたとき、鈍い音がなった。そのまま綾香は

私に被さる形で倒れた。何が起こったのかわからなかったが、何故か綾香の部屋に、

あの宮里レイが金属バットをもって立っていた。

 綾香の頭から、血が、流れていた。

「……宮里さ、ん?」

 出会った当初からはまるで別人の、黒髪のストレート髪に黒いセーラー服の地味な

宮里レイがそこにいた。

「あぶなかったですね、貞操」

 笑っていない宮里レイは、まじめな顔でそう言った。

「ちなみに、すでに貴方の■■■写真や、動画が撮影されてしまっているので、それ

は燃やして、データをすべて削除しておきましょう」

 宮里はてきぱきと綾香の部屋を乱暴にかき乱すと、それらと思われる物資を回収し

て、その場で焼き捨てた。それは、綾香が今まで私を盗撮したものも含めて、異常な

枚数があった。

「今、洋服きてますけど、さっきまで椎名さんは■■■でしたので、そのデータも削

除しておきます」

 あっけにとられていると、ある事実に気が付く。

「……もしかして、見ていたの……」

 宮里は悪びれることなく、はっきりと答える。

「はい、貴方にも、代償を支払ってもらう必要、ありましたので、けれど、それを消

すのは私の慈悲だと思ってください」

 その言い方に私は少し理性を取り戻し、反発する。

「たしかに……、私は綾香の異変に気が付いてた、けれど、その代償を支払うっておかしいじゃない、私の女々しさが、結局綾香をあおってしまったとしても、それで……!」

 そう言い掛けて、はっとして言葉を止めた。無自覚に綾香に甘えてた、無自覚に綾

香の本意を無視していた、いくらなんでも、こうはならないと思っていた。

 宮里が笑う。

「知っていましたか、佐伯さんがとても追い詰められていたこと」

 私は何のことだかわからず、首を横に振る。だって綾香はいつも笑顔で、元気で……。

 宮里レイがそれを見て、まるでそう、人形のように無表情に答える。

「佐伯さんのご両親は、事業のトラブルでお金に困っていたんですよ、家庭内の仲は

その関係では最悪で、佐伯さんはでも、お年頃、入用なお金はご自分で用意されてた

ようですね、何をして、かはご想像におまかせしますけれど、短期で高い女のお金と

なればすぐわかると思いますが」

 それは他人事のような話で、信じたくなかった、聞きたくなかった。

「佐伯さんには貴方が支えだった、それは友達としてでも、それでも良かったはず、

けれど貴方は彼女に寄ってかかり続けた、それが最後の引き金、佐伯さんは、狂って

しまった」

「ご両親を、殺してしまうくらいに」

 宮里レイが何を言っているのかわからなかった。綾香の両親を、綾香が殺した?何

を言っているの。

「事件があったんです、身元不明の死体、むごい殺し方でした、警察はすぐにめぼし

をつけてました。けれど証拠がみつからない、おかしいですね、素人の犯行なのに、

証拠がみつからないんです」

 宮里レイがこちらに近づいてくる。そして、おぞましいことを口にした。

「私が、その証拠を握りつぶしました、佐伯さん、すごく感謝してました、そして言

ってあげたんです、椎名さん、この■で好きなようにできますよって、そして佐伯さ

ん、すぐに大金を用意して私に渡してきましたよ」

 涙が、あふれてきた。それは怒りと、憎しみと、底知れぬ憎悪だった。

「どうして、貴方がそんなこと、じゃあ、ずっと私と綾香を知ってたってこと!?隣

に引っ越してきたのも……!!」

 宮里が人差し指をこちらの唇に向ける。

「もちろん、だって、最高の座席で見るのが、最高のステージなら、それってつまり、最高ってことじゃないですか」

 さきほどまで置いていた金属バットを、宮里レイが拾って、こちらを向いた。

 私は震えて、声もでないほどに、怯えていた。憎悪すら、一掃してしまうほどに、

宮里レイが恐ろしかった。

「さて、椎名さん、貴方の妹さん、秋菜さんでしたっけ?彼女にも面白いステージを

用意してるんです、きっと楽しんでいただけると思いますよ」

 そう言って、宮里は金属バットを振り上げた。

「ちょ、ちょっと待って!!!」

 急いで私はそれを止めた。

 宮里は金属バットを振り上げて止めて、じっとした目でこちらを見ている。それを

振りかざされたら、きっと、今倒れている綾香と同じ目に合うことだろう。

 宮里は私を見て口を開いた。

「どうします?ここでまた対価を支払いますか?でも生憎私はお金に不自由していな

いんです、だからといって女同士に興味あるわけでもありませんので、まあ貴方が男

にいたぶられるのを楽しんでもいいのですが、それも低俗的で、意外性もありません

し、なにより作り上げるのにもつまらない」

 がちがちと歯を震わせて、でも、言葉が何も出てこなくて。

「だから、ここで……」

 そう宮里レイが言った瞬間、死んでしまったと思っていた綾香が急におきあがり、

ものすごい形相で宮里レイに襲い掛かった。

「うあああああああああああああああああああああああああ!!」

 その叫び声はすさまじくて、ベットにしばりつけられているこちらからは、宮里レ

イと綾香が取っ組み合いをしている状態しかわからない。

 しばらくそれが続き、やがて一方が動かなくなった。ゆるりと立ち上がったのは、

綾香だった。

「あ……やか……?」

 鼻から血を流して、ヨダレとあざのついた顔をこちらに向けた。

「ごめんね由里……」

 そう言って、洋服を破る時につかっていた小型のナイフを使って、こちらの拘束を

解いてくれた。

 開放された私は、けれどすぐに身構えたが、綾香はゆっくりと後ずさると、そのナ

イフを自身の首に向けて。

「駄目!!」

 そんな言葉を叫んで、綾香を止めようとした瞬間に、血が、真っ赤な血が勢いよく

飛んで、綾香が死んだ。返り血で真っ赤になって、その綾香の無残な状態と匂いに胃

液が逆流して、私は吐いた。

 外は、もう夜になっていた。

 しばらく放心していたけれど、まるで無心になったように転がっている二人、綾香

と宮里レイを見た。宮里レイが生きているかどうか、それを確認するために呼吸と、

脈をみたが、宮里レイは死んでいた。

 もうなにも、なにも思わなかった。

 ぱちぱちぱち、と妙な拍手がすぐ後ろから聞こえた。そこにいたのは、あの、宮里

レイの後ろに執事のような老人だ。

「生還、ご健闘、見事、今日から貴方がヘイナだ」

 全く、何を言われているのかわからなかった。

「貴方……、あの時、宮里さんと一緒にいた老人の人でしょ」

 老人は深く頷く。

「私はヘイナの代理人です、それを見届けるために、代々生きてきました」

 へたん、と力が抜けて座り込む。あまりにも、この場と、この老人の態度がゆるす

ぎたのだ。

まるで優雅なティータイムのように、老人の口調は緩やかだった。

「レイは賭けをした、この賭けに生き残れた者がヘイナであると、けれどレイは失敗

した、だから、貴方がヘイナとなる、レイに変わり、貴方がヘイナとしてやらなけれ

ばならないことがある」

 レイ、とは宮里レイのことだろう。

「ヘイナって、何……?」

 老人は、不気味に、そして優雅に、答えた。


「人間の悪意の代償、そのもの、です」


 椎名由里と老人が立ち去ってから、ゆっくりと起き上がる者がいた。

「……ヘイナは私よ」

 宮里レイはその血で濡れた部屋でニタリと笑った。

「瞬間的に仮死状態作るのって、大変なんだから」

 宮里は両手を高々と上げた。


「この代償、次のステージはもっと楽しませてよね、椎名由里、そして、秋菜さん」

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