『悪意の代償』前編
01.
私は変わった人間になりたかった。
いや、違う、思春期の今、そう、他人とは違って、私だからできることがあるって、そう思っているだけなのかもしれない。
高二の春、クラス変えがあって、ふと新しいクラスの窓から桜を見ていたら、多分、平凡とは程遠い違う世界を見ていたのかもしれない。
「なーに自分の世界に浸ってんの」
中学からの友人が私の肩を軽く叩いて話かけてきた。そう、その瞬間、私はまた平
凡な世界へと戻るのだ。
「うん、桜見てた」
虚ろな視線を彼女によこして、そんなそっけない返事をした様に思う。彼女は少し
苦笑して、「桜、綺麗だね」と返した。
この学校で何日過ごしただろう。何日の放課後を向かえ、そして下校しただろうか。大した実感もないまま歳をとり、そして、やがては輝きを失うのだろうか。
花の人生は短い、けれど、この肉体に限度があるとして、私たちは怠惰という選択を
選ばなければならないのだろうか。
「でもさー、三十路過ぎた独り身って想像したくなくない?」
夕方、下校時に彼女と喫茶店で談話していた。彼女には交際している相手がいるが、その馴れ初めを詳しく聞いたことがない。
私は真面目な話ほど友人にできない。なぜなら、それは思春期という今であっても、あまり他人が共感できる話題ではないからだ。対人関係についてもそうで、私と彼女には、そうした世界の差があったのだ。私は内を、彼女は外を、そんな価値観のズレがある意味、平凡な日常では無価値に思えてくるから不思議だった。
彼女は笑う。それは善意からくる微笑みだろうか。そもそも善意とは尊いと、誰が
定義したというのだろうか。ほんのすこし小突くだけで崩れてしまう、そんな善意を。たったそれがほんの少しずれるだけで、それは正当な悪意として相手を。
「どうしたの?」
ぼうと、していた私を彼女が心配そうに覗き込む。
平凡な日常、それ以上に何を望むというのだろうか。何に満たされないというのだ
ろうか。私は喫茶店の中だというのに、やけに悲しくなって、涙を流した。
彼女は少し動揺したが、優しく接してくれた。
何に満たされないというのだろうか。帰りの電車の中でも一人俯いて、微笑む彼女に笑顔も返せないで、何かに狂った様にやりきれなかった。
近くの駅、そこから少し歩いて私は家路に付いた。17歳、17年という月日を過
ごした家だ。
「こんにちわ」
家へ入る道の前で、呼び止められた。若い声、女の人の声だった。
それは私がよく聞く声のトーンで、右隣を見ると、彼女はいた。春の桜のような、
ピンク色の髪の毛を両方で結んで、ゴスロリファッションというのだろうか、黒色の
フリルのついた洋服を着た女の人がこちらを見ていた。
彼女の後ろにはドラマや映画で見た執事のような服装をした老人が立っていて、そ
れは異質な存在感を出していた。
「本日隣に引っ越してきました、宮里レイです、お隣の椎名さんですよね」
これから家に入ろうとしていたところを見られたのか、初対面だというのに断定的
に告げられた。
「ええと、はい、隣に住んでいます、椎名です」
特別に言葉を交わす必要も感じなかったので、社交辞令の挨拶をした。
「ですよね、はい、家族構成は妹さんがお一人で、現在はお父様、お母様、そして貴
方の四人家族で住んでいらっしゃいますよね」
気味の悪い、というとそうだが、そんな笑顔で宮里、と名乗った女の人はこちらの
家族構成をつらつらと述べてくる。
「はい、そうですけれど」
個人情報を明らかにされ警戒した表情を向けていたに違いない。
「はい、調べさせていただきました、日本は暑いですね、これからよろしくお願い致
します」
人の話を聞いているのかいないのかわからない態度で、彼女は、宮里さんは私に急に抱きついてきた。私は突発的に彼女から離れた。
「あ、すみません、はい、握手握手」
そう言って握手を求めてきた宮里さんに悪気は感じられなかったが、なんだろう、
そこに、小さな違和感のようなものを感じた。
「私も明日から貴方と同じ学校に通います、お会いする機会があれば仲良くしてくだ
さい」
私の制服を指差して、笑った。無邪気と言えばいいのだろうか、まるで小さな子供のような表情を作る宮里さんは、異質で、不気味だった。
家に帰ると、リビングでぐったりとしている妹が一番に目に入り、共働きの両親は
いなかった。
「あ、お姉ちゃんおかえりー」
テレビを見ながら、とても男子には見せられない格好でこちらをちらりと見た。私は妹に軽い挨拶だけして、手洗いと嗽をすませた。
制服から洋服に私室で着替えると、台所に行って夕食を作る。母親が働いているので、家事は私と妹の分担だった。家事をする私の後ろで、妹が話しかけてくる。
「ねえ、お姉ちゃん、隣に引っ越してきた人見たー?すごいよねあのファッション、
なんか髪の毛とかまっピンクで、コスプレっていうかさ、でもお金持ちっぽかったよね」
妹も話かけられたのだろうか。さきほど合った異質なお隣さんの話をし始めている。けれどそんな話は長くは続かない、異質なものも、それは一時の興味に過ぎないからだ。
私は妹の話に、なんとなくの言葉を返して自室へ入る。
窓から差し込む夕日に目を向けて、ベットに仰向けに横たわる。
ため息をつく。怠惰に生きることを許されていることに感謝して、そしてこれが永
遠に続けばいいと思いながら目を閉じる。
一瞬にしてはじけ飛ぶような花火のように、旋律に生きたいわけではない。
けれど、何かに飢えて生きている。満たされない何かを探している。
そして、おそらく数時間が経過した後、目を覚ます。
そこに、いた。目の前に、私に多い被さるように、彼女がいたのだ。
「こんにちわ、いや、おはようって言うのかな?」
目の前にさきほど会ったばかりのピンクの髪のお隣さんが私の身体にまたがってい
たのだ。
私は急いで彼女を押しのけて、体制を立て直す。
「何してるんですか」
あまり他人に向けたことのないトーンで、彼女に問いかける。
彼女はきょとんとした顔をして首を傾げた。
「玄関から入りましたよ?我慢できなくて貴方に会いにきたのですけれど、睡眠中だ
ったみたいなので、ずっと寝顔を見物していました」
そう答えた彼女に瞬間的に畳み掛けた。
「犯罪ですよ、無断で勝手に他人の敷居をまたぐのは」
それを聞くと彼女は笑った。
「犯罪ですかー、玄関が開いていたものですし、妹さんに挨拶もしましたよ?あ、で
も確かに、随分と深く眠られれていらっしゃったようなので、下着の一つも撮れてた
かもしれませんね」
なんの悪びれず、そう言った。
窓から差し込む夕日の光が、彼女の笑顔をより一層怪しく、恐ろしく感じさせた。
「出て行ってください」
そう言い放った。
「そう邪険にしないでください、仲良くしてください、私、貴方のような反抗的で、
退廃的な女子が■■■なんです」
返す言葉がいちいちとおかしい。
私は無理やり彼女の手を引いて、部屋の外へと連れ出す。そしてそのまま玄関か
ら外へ出し、玄関を閉めようとした。けれど、玄関の扉を、そう、まるで、軽く支
えるような体制で彼女は止めたけれど、まるで、怪力に止められているように、び
くりともしなかった。
「また、よろしくお願いします、椎名さん」
どす黒く、怪しい、けれど無邪気に、笑顔でそう彼女は言った。
その後は、簡単に玄関の扉が閉まり、私は息を荒くして、立ち尽くした。冷や汗
がべったりと洋服にへばりついて冷たい。
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