第3話
「い、いねぇ……」
あれから何時間位森の中を歩いただろう。
少なくとも、スタート地点周辺の森の地形はすっかり覚えて、マップすら必要無くなったと言って良い。
森の出口も一応見てきたし、逆に奥の方にも進んでみたりしたが、全然エンカウントしなくてエンカウントする前にバテてしまった。
取り敢えず、水を飲みたい……綺麗な川があったから取り敢えず水分補給かな。
そう思って川へ来ると、ここは随分と涼しげで休憩するのには最適そうだった。
生水は腹を壊すかもしれないけれど、正直構ってられない。壊したらその時はその時という事で、取り敢えずは喉を潤す事が最優先だった。
「今まで感じてた喉の渇きと比較にならんなぁ」
水、超美味しい。
少し喉が渇いた、と思えば冷蔵庫を開けて水分補給していたのと今のサバイバルを比較するのもどうかと思うけれど、運動後の水分補給と比べてもここまで水が美味いと感じた事は今までなかったよ。伝われ、この想い。
クエスト:〈水浴びをしよう!〉
目の前の川で汗を流し、スッキリしよう。
報酬:『ハトホルの加護』
受領しますか? YES/NO
「わ、何?」
突如目の前に現れたスクロールは、ゲームなら必ずあるといっても過言では無いクエスト受領画面だった。
水浴び? 何故水浴び? てか加護!? 水浴びするだけで!?
どんな効果かは見れないけど、ゲームで加護といったらパワーアップ以外に無いだろう。
これは受領一択。
僕はYESを選択して霞のように消えたスクロールを眺める。
これってどういう原理で出現してるんだろう……。
今も視界の端にあるマップからして謎なのだし、気にしたら負けなのだろうか? でもここが現実なら何でもゲームだからで片付けるのもなぁ……。
まあ、いいか。
考えるのは後にして、さっさと川で汗を流してしまおうと服を脱ぎ捨て、川へ入る。
「ヒャッ、つめてー」
いくら暖かい気候と言っても、夏だろうが水風呂はノーサンキューな俺からすれば冷たい川の水で体を洗うなんて有り得ない事だ。
クエストとして出て来なきゃ水浴びなんてしなかっただろう、やっても濡らした布で体を噴くくらい? 急な温度変化に体が付いて行かず、心臓がドキドキしてるわ。
「でも一回入っちゃえば気持ちいいな……」
汗で気持ち悪かったのは確かだし、慣れない森を歩いて足は棒だ。
膝までの深さしかない川だけど、流れは緩やかで浮かんで流されていても溺れるような不安も無い。
いやー……生きてるわー。
僕、田舎暮らしとか絶対無理だわとか思ってたけどいざ森にほっぽり出されて今後もずっとネットが出来ないのが確定しているのに気分はそこまで落ち込んで無い。
放り込まれたら何だかんだ上手いことやれてたかもなー……日本の田舎暮らしなんて『NTG』の世界で文化的に暮らすよかよっぽど文化的だろうし……。
「あてっ」
川の流れにされるがままになっていたら岩に頭をぶつけた。
こんなん背泳ぎで二十五メートルプールの最後まで行って着いたか分からずそのまま頭ぶつけた時以来だわー……。
頭を摩りながら体を起こし、首を振って犬みたいに水気を飛ばす。
なんか思い出したら逆に泳ぎたくなってきたな。
流された分、バタフライで泳いで帰ろうか。小学生の時に習ってたスイミングの成果を見せてやるぜ。
しかし、よーいドンとは行かなかった。
マップの索敵に何かが引っかかったのだ。
でもモンスターじゃない。モンスターは赤い光で表示されるが今回は青い光だ。これは敵対意識の無い存在を示している。
何処だ、何処だ、何処だ。
反応のある方向をキョロキョロと見回すと、木の影から此方を伺う様にしてそいつはいた。
まず初めに目が行ったのは、その紅葉の様に鮮やかな赤色の長髪だ。
人工的な赤髪であればコスプレなり何なりで見覚えもあったが、あそこまで綺麗な赤髪というのは写真でだって見た事が無かった。
そして、物語の中から抜け出して来た様なと表現するべきだろうか、森には似つかわしく無い透き通る様な白い肌に青い瞳、悪魔的なまでの美しさとはこの子の事を言うのだろうと、その美貌に思わず目を奪われた男の一人として思う。
そんな彼女が俺に気づかれた今も黙ったまま何を見ているか。
視線を辿って見ると……OH……。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
俺は咄嗟に体を川に沈めて生娘の様に叫んだ。
仮に少女が男を相手取っても人の体をいやらしい目で見るのはいけないと思います! 『NTG』は全年齢対象の健全なネトゲです!
————クエストクリア!
————報酬、『ハトホルの加護』を入手しました。
うるさいよ、今それどころじゃ無いから!
◆
「ふむ、うちの弟子に水浴びを覗かれたと」
「舐める様に見られました。金を取れるレベルです」
「な、舐める様になんて見てないわよ!」
でもいやらしい目では見てたよね。
あれから、僕の悲鳴を聞いて駆けつけた赤髪の彼女の師匠だという女性が現れて、何事かを尋ねられた。
それから一度服を着るのに戻り、彼女達の拠点で話をする事となって、テントが二つ建てられた自然界のキャンプ場のような場所で、焚き火を囲っていた。
「うちの弟子は男と碌に話したことも無いような箱入り娘でな。きっと初めて見る男の裸体に我を忘れてしまったのだろう、許してやってくれ」
「はぁ……いや、まあ僕も騒ぎすぎたかなって」
その箱入り娘がこんな所で何やってるんですかね。
赤髪少女の師匠を名乗る彼女はなんというか……全体的にデカかった。
女性的な体つきをしている、というのもその通りなのだけれど、それよりも身長が二メートル近いんじゃないかという長身で、すらりと長い手足は鍛え抜かれた戦士のそれだ。
プラチナブロンドというんだったか、その白金色の髪は腰の辺りに届く程長く、そこから覗かせる眼は鋭く、猛々しい。
歳は二十台後半というところだろうか、歳が近く、 顔だけ見れば本当に美人なのに、異性に対する感情は欠片も沸いてこない、強者の風格が滲み出ているせい……なのだろうか? 本当、日本で会っていたら直視するのも難しい位綺麗なのに、本能的に警戒しているのか視線を外す事を躊躇う気持ちの方が大きい。
でもここでこんな人に出会う様なイベントあったかな……。
「ちょ、ち、違うわよ! 女の子が流されてるのかと思って見てたら見覚えの無いモノが付いてて驚いたってだけなんだから! 勘違いしないで!」
「喧嘩売ってんのかワレェ!」
なんか覗かれた挙句ディスられたんですけど!
てか外見とは裏腹に結構強気な物言いをする少女だなオイ。
「まーまー落ち着け二人とも。ルシアは失礼だし少年は女性に摑みかかるんじゃない」
掴みかかったものの、力負けして押し倒されながら頰を引っ張っていた俺と赤髪少女を引き剥がす。
こ、このまま続けていたら紙一重で負けていた……? ばかな……幾ら何でも箱入り娘に負けるほど筋力値が低いだなんて思いたく無いんだけど……?
「そもそも私がアンタの貧弱な体に興味があるわけ無いじゃない」
「ムキムキだったら興味津々だったんですね、とんだムッツリじゃないですかーやだー」
「えぇそうね、だから貧弱で惰弱で脆弱で華奢な女の子と大差ない貴方にとやかく言う資格はない、ご理解頂けたかしら?」
……僕、大人なんだよね。
だからほら、子供の言うことに一々反応しないっていうかさ。笑いながら流してやる位のことはお茶の子さいさいなのよね。ゼンゼンクヤシクナイ。
本当だよ? ヤンキーが如き超至近距離ガン飛ばししているように見えるかもしれないけれど、心は凪のようなんです。
「……二人は元々顔見知りだったりするのか?」
「いいえ、こんなムッツリトマトは生まれて初めて見ました」
「何を言ってるんですか師匠、私にモヤシの知り合いなんていませんよ」
「そうか……野菜同士、もう少し仲良くしなさい」
彼女に歳上を敬う心が芽生えればそれも可能かもしれませんね。
「あー……自己紹介がまだだったな、私はエルゼフレード・クラーク・バーンスタイン。今は彼女の師匠をしている」
「あぁこれはどうもご丁寧に……僕はキノハル。えーっと、モンク見習い、的な感じです」
キノハル、という名乗りは自然と口に出た。
……まあ元から木野悠さんなんだから当たり前といえば当たり前なんだけどね。
「モンク見習い、ねぇ?」
「……何?」
何か文句あんのかワレェ。あれだぞ、反則技とか使ったら負けないんだぞ。
力で勝ったからって調子に乗らないでよね!
「ルシア・アステル。モンク見習い、よ!」
なんか皮肉っぽく名乗られた! 『女に力負けする奴がモンクとかワロスwww』的なニュアンスを含んだ顔で自己紹介に扮した嘲笑をされたんですけど!
しかも、見るからに年下の女の子に!
僕が不死鳥の様に構えると、赤髪少女、もといルシアは意図してやっている訳ではではないだろうけれどゼペリオン光線の構えを取る。
てかアステルって何処かで聞き覚えがあるような気がするんだけど何処でだっけ? 最近やりこんでたゲームの設定を思い出せないって事は無いだろうし別ゲー? それとも気のせいかな。
「話が進まん、そういう事は後にしなさい」
エルゼフレードさんにそう言われて僕達は渋々坐り直す。
「しかし、そうか。この場所にいるのだから当然といえば当然だが、キノハル……君もモンクだったんだな」
まあここ、『神仙の修行場』だからね。
一般人入れない設定だからね。
「まあ誰に師事してる訳でも無い駆け出しですけど」
「ふむ……」
βテストだとこのチュートリアルの森を抜けて少しした所にモンクの総本山があって、そこで道場に入門してクエストをこなしてモンクになるって展開だった。
そこで一応は免許皆伝してからが冒険の本番って訳だ。
ゲーム的に言うのであれば、『NTG』の職業は何段階かに別れていて、道場で修行してなれるのは一次職業まで、二次職業への転職にはまた別の場所へ行く必要があるとか、そう言う事。
ちなみに、今のモンク見習いは別ゲーでいうところの職業選択の自由がないすっぴんみたいなもんだ。
「詫びと言ってはなんだが、キノハル……君。君、私に師事する気はないか?」
「へっ?」
ゲームと違う展開第二段!
いや、それとも第一弾の続きと捉えるべきなのかな?
「ちょ、師匠!? そんな人の都合も聞かずに……」
「無論、強制はしないとも。だがその様子だと、何処へ師事するかも決めてないんじゃないか? 悪いようにはしないと約束するぞ」
むーん……僕、モンクの一時転職キャラ……つまりは道場の師範のキャラデザかなり好きだったんだよなぁ。
そんな理由で会いたいとか失礼きわまりないけれど、結構楽しみにしてたのも確かだ。
「一応、森を出たら道場へ入門するつもりだっぐえ!」
急に、本当に急に、エルゼフレードさんの顔が真ん前に有って、肩を強く握られていた。
顔が……超絶笑顔なのに微塵も笑ってないよぉ……。
彼女からはつい今し方までの常識人風の雰囲気が一瞬にして掻き消えていた。
「あんな所へ入門するより、私に師事した方が強くなれるぞ?」
「え、と。あの?」
「保証する、あんな有象無象の巣窟の百倍強くしてやると」
「ちょ、顔が近いって言うか、肩が砕けるっていうか! 強制しないって話は何処へ!?」
肩がミシミシという異音を立て、未だ嘗てない痛みに悲鳴をあげる。
お詫びって話じゃなかったっけ!?
「予定はあくまで予定、それよりも望ましい選択肢があればそちらを選択するのは当然の事だ、そうは思わないか?」
「砕ける! 本当に砕けるよぉ!」
「そう思うだろう?」
「お、思いますぅぅぅぅ!」
「私の指導を受けるだろう? 返事はYESで良い」
「い、いえっさぁぁぁぁあ!」
肩が解放され、僕はそのまま崩れ落ちる。
よかった……ちゃんと動くよ。
「よろしい、ではキノハル。これからよろしく頼むよ。私は飯の調達をしてくるとしよう」
エルゼフレードさんが去った後にはそのまま崩れ落ちた僕とルシアが残された。
「……あの人、貴方の言う道場に気に食わない人がいるらしいのよ」
「僕、何処の道場とか言ってないよね?」
「この辺でモンク見習いが入門するような道場は一箇所しかないじゃない」
その辺はゲームと一緒なのね、中途半端にゲーム要素残すのマジヤメテ。
エルゼフレードさんの姿が見えなくなってからしばらくして、ルシアによって呟くように告げられた情報は正直もっと早く知りたかったですじゃ。
「なぁ……」
「何よ」
「僕が師事する事、君から異議申立ててくれてもいいのよ」
先程、エルゼフレードさんの申し出に難色を示していた彼女だ、そんな彼女がどうしても嫌といえばあの人ももしかしたら考えを改めるかもしれない。
あの人について行くという事が僕にはどうしても過酷な未来しか無いように思えてならんのです。
ルシアは此方を見て少し間を空け、ニッコリ笑って言った。
「言っとくけど、私は姉弟子だから超敬いなさい。それとよろしくね、キノハル」
無理ですかそうですか……。
あ、はい。よろしくお願いします先輩。
地に伏した俺の手を取る形で行われた握手は、彼女の体温とは別に人の暖かさとか、そういう系の温もりを感じるものだった。
人はそれを、同情という。
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