第17話 ダンジョン穴にはご用心

『「知識に勝る武器はなし。

    体を鍛えるのもいいが、まずは頭を鍛えよう。」

                     『ダンジョンの歩き方』より抜粋』


「・・・あいっっっったっああぁぁぁぁぁッ!!??」


突然、ダンジョン内にトトマの絶叫がこだまする。


ダンジョンの第二十六階層にて、トトマはパートナーと共に着々とダンジョン攻略を進めていた。だが、急に彼の足が地面にめり込んだかと思えば、そのまま一気に体全体が地面へと引きずり込まれ、気が付いた時には第二十七階層へと落下していた。落下と同時に、彼は臀部を地面へ強く打ち付けたが、途中の木々のおかげで落下速度が少し緩和されたのか、その衝撃は死ぬほどではなかった。


だが、死ぬほどに痛かった。


このようにダンジョン攻略中、急に地面に穴が開いて下の階層に落下するなど摩訶不思議な現象であるが、実はこの現象は稀にあることなのである。


まだまだ謎の多いダンジョンの実態であるが、その謎の一つがこの「ダンジョン穴」だ。突如として地面に穴が開き、そこに足を取られた挑戦者はそのまま下の階層へと落下してしまう。上層部の階層での「ダンジョン穴」であればただのビックリ体験で終わるが、もし下層部の階層で落下するようなことがあれば、これは命に関わってしまう。それに、いくら女神による復活の奇跡があるとはいえ、落下による死など挑戦者にとっては恥にしかならない。


「あたた・・・今度は奇法も学ばないといけないかな・・・」


トトマはそう愚痴をこぼしながらポーチから『回復剤』を取り出すとその小瓶をぐびりと飲み干す。


腰の痛みが徐々に和らいでいき、何とか立てるまで回復したトトマはゆっくりと立ち上がると辺りを見渡し警戒する。


「ダンジョン穴」による危険は何もその落下の衝撃だけではない。一番に危険なのは未知の場所に放り出されるということである。


ダンジョンに挑む挑戦者たちは事前の調査を欠かすことはない。行き当たりばったりでダンジョンを進む挑戦者はよっぽどの愚か者か、若しくはよっぽどの強者かのどちらかであり、大半の挑戦者たちは事前準備と事前調査をしっかりと行う。何が目的なのか、どのくらい進むのか、どこで休息するのか、どれほどの被害で撤退するのかなどなどを考えた上で装備を整え、ダンジョンに挑むのが定石である。


そして、そんな挑戦者にとって一番に怖いものが未知の場所である。何があるかも分からない、どんなモンスターが生息しているのかも分からない場所に無策で踏み込むのは危険極まりない行為であり、トトマを落とした「ダンジョン穴」はその非常事態を挑戦者に強いるのだ。故に「ダンジョン穴」は危険なのである。


また、更に恐怖なのはモンスターの住処に落ちることである。一人ぽつんと挑戦者がモンスターの群れの中に落ちればどうなるかなど容易に想像でき、待つのは死のみだ。


そして、最悪のことにトトマは正しく今その状況に陥っており、立ち上がり振り返った瞬間に彼の血の気はさっと引き、顔もさっと青ざめた。


ふすふすと鼻を鳴らし、のそのそと歩く全身毛むくじゃらな獣。手には大きな爪、口には鋭い牙。つぶらな瞳をしている癖に獰猛な性格を持ち合わせるモンスター「ベアズリー」がそこにいた。


しかもそれが2頭である。トトマの叫び声を聞いて自らの縄張りに戻って来てしまったのだろう。


(ま、不味い!?)


トトマは手遅れとは分かりつつも、息を潜めると腰にそっと手を伸ばす。彼も多少強くなってきたとは言え、二頭のベアズリーを一人で相手できるという点では成長しておらず、むしろ今の状況の自分がどれだけ不利なのかを冷静に判断できるという点においては成長していた。だが、ダンジョンを攻略する上で重要なのは戦う力の前に生き延びる力の方であり、このようなトトマの成長もまた頷けるものではあった。


(一旦相手の隙を伺って、それから撤退だ・・・って、あれ?)


微動だにせず、じっと二頭のベアズリーを視界に入れながらも腰に付けた武器を引き抜こうとしたトトマであったが、その武器を握ろうとした手は残念ながら空を掴んでしまった。


(嘘!?武器がない!?)


急に冷静さを失ったトトマが辺りをキョロキョロと見渡すと、彼の愛剣「フレイム・ブレイド」は丁度彼とベアズリーたちの中間の位置にポツンと取り残されていた。おそらく、トトマが落ちた衝撃で武器が腰から外れてしまったからかもしれないが、そんな理由はどうでもよく、大事なのは彼の手元に武器がないという事実である。


(ど、どうする!?)


トトマが躊躇っている内にも二頭のベアズリーたちはのしのしと彼に近づき、その距離を徐々に縮めている。バッと剣に飛びつけば武器は確保できるだろうが、その瞬間にベアズリーたちが警戒態勢から戦闘態勢に入ってしまうだろう。真正面から向き合っても太刀打ちできない相手にそんな不利な状況では勝ち目もないし、ましてや逃げられもしない。


かと言って、このままというわけにはいかない。刻一刻と自分が追い詰められていく中、トトマは覚悟を決めると自分の能力を信じて決死の行動に移る。


「や、やぁ!!僕は無害な挑戦者だ!!ここからすぐに出て行くから見逃してくれないか?」


すると、トトマはすっと立ち上がり、できる限りの笑顔でそう言った。


普通の挑戦者であるならば自殺行為の上に馬鹿丸出しの光景であったが、トトマはこのようにモンスターに話しかけることで幾多の問題を解決してきた経験を持つ。これも「天性の感」の能力『交渉』のなせる技であり、彼はモンスターと心通わせ会話することができるのだ。


(う、上手くいった・・・か?)


トトマはたらりと冷や汗を流しながら目の前にいるベアズリーたちを交互に見る。一方で、彼らはぱちくりと目を丸くし、トトマを見て、次にお互いの顔を見合わせるとすっと立ち上がり、その大きく口を開けて、


『グゥオオオオオオォォォォォォォ!!!!!!!!!!』


天高く吠えた。


つまりは交渉決裂、つまりは戦闘開始である。


「ですよねーーーーーーーーー!!!??」


トトマはそのベアズリーたちとの交戦状態に突入するや否や、一か八かと落ちている彼の愛剣の下へと駆け出した。こうなったら、もう彼には武器を回収して颯爽と逃げるしか他ない。


(届けぇッ!!!)


二頭のベアズリーに挟まれた状況ではあったが、トトマはダッと前に飛び込んで武器へと手を伸ばす。そして、彼の指がその武器へ触れた次の瞬間、彼の体、主に腹部に衝撃が走った。


「ごがぁッ!!?」


鎧を身に着けていたにもかかわらず、まるで内蔵が抉り出されたかのように思えた腹部の痛みと共にトトマは飛び跳ね転がると、無残にも壁際まで吹き飛んだ。無論、彼の手には武器はなく、愛剣の回収には成功していない。


「ぐッ!!かはッ!!」


体は痛いし、目は回るしでトトマは泣きたい程に辛かったが、泣いても状況が変化するわけでもなければ、ベアズリーが温情を施してくれるわけでもない。トトマの能力が通用しない以上、挑戦者とモンスターとして向き合う両者は殺すか殺されるかの関係である。


そして、現状況においては殺す方はベアズリーたちで殺される方はトトマであった。


ふーふーと息荒く、二頭のベアズリーたちはじりじりとトトマへと歩み寄りその距離を徐々に縮めていく。その眼光に、そのむき出しな牙に、その鋭い爪に、そしてその全身から漂う殺気に恐怖を感じながらも、トトマはポーチの中身を確認し、できるだけ冷静に状況を整理する。


残された『回復剤』は少ない。勿論、武器もない。こういう時こそ魔法の出番・・・なのだが、武器という触媒無しに使える強力な魔法はトトマにはなく、つまりは打つ手はなかった。


『転送石』はあるが、使用するのに時間が掛かる上にその間は完全に無防備になる。本来戦闘中に逃げ出すような道具ではないので、ここで使うのは得策ではない。


残された手段はただ一つ、死んで復活して魔階島の神殿へと帰ることである。


何ども死と復活を経験したトトマにとって、それはお手の物であるが、この手段に頼るのは間違っているような気もした。どうせなら華々しく死んでみようか、もしかしたら素手でも何とかなるかもしれないと決死の覚悟を決めるとトトマはベアズリー睨み返す。


だがしかし、その瞬間、トトマとベアズリーたちとの間に大きな声が響く。


「目と耳を塞げッ!!!!」


どこからともなく聞こえたその声と共に、二頭と一人の間にカランと金属音を立てる何かが投げ込まれる。それに何やら嫌な予感を感じ取ったトトマは、正体不明の声を信じて瞬時に目をぎゅっと閉じ、両手で耳を塞いだ。


一方、ベアズリーにはその正体不明の声は理解できているわけもなく、投げ込まれた何かに興味を惹かれていると、その黒い何かは突如として弾け、中から音と光があふれ出した。


キィィィィィィン!!!!!!!!!!!!


耳を塞いでもなおトトマの耳に響くその音は、当然ながら耳を塞がずにいたベアズリーには脳を揺らす程の爆音であり、またその光は一時的にベアズリーたちの世界を真っ白に染め上げた。


『グゥアァァ!?グゥオオオオオオォォォォォォォ!!?』


その結果、味わったこともない音と光により錯乱したベアズリーたちは叫びのたうち回った。その間に、何者かがトトマの近くまで駆け寄ると彼をぐっと支え起こす。


「君!大丈夫?歩ける?」


「は、はい!!」


「なら良し、すぐに撤退するよ!!」


トトマが訳も分からないままとりあえず即答すると、助けに来た女性は彼の手を引きその場から急いで離れる。そして、その先にはもう一人他の男の人が立っており、心配そうにトトマたちを呼んでいた。


「早く!こっち!こっち!!」


「ありがとうございます、教授!」


「礼は後で、ねッ!!!」


教授と呼ばれた男は、トトマたちが彼の横を通り過ぎた瞬間にもう一度ベアズリーたちに向かって何かを投げ込んだ。その白い筒はカンッと音を立てベアズリーたちの周りに着地すると、今度はシューという不気味な音を立て、同時に辺りに白い煙を撒き散らした。


だが、男はそこまでは確認せず、白い筒を投げ終わると同時に身を翻して一目散に逃げだし、先に逃げたトトマたちを追いかける。


「教授、今のは何ですか?」


「あれは『臭い消し』だ!奴らの追跡を防ぐ!!」


「流石教授~、色々持っていますね」


「世辞は後々、今は安全な所まで逃げるのが先決」


「りょうか~い」


かくして、見知らぬ二人に助けられたトトマは九死に一生を得ることができたのであった。


しばらくダンジョンの中を走り回ると、ようやく男たちのキャンプに到着したのか、トトマはテントやら焚き火の後やら何かしらの道具やらが散漫する場所まで連れてこられた。だが、トトマにはここがどこなのかという心配をする余裕はなく、安心したことで急に痛み出した腹部を抑えながら、教授の指示の下にテントの中へと入れられた。


その時には既にトトマの意識は薄れてぼんやりとしており、次に意識がしっかりとした時には彼は寝ながらテントの天井を一人見上げていた。


(今日はよく天を仰ぐな・・・)


自虐的にそう思いながらトトマはゆっくりと体を起こす。彼が身に着けた防具はほとんど外されており、来ているのはインナーだけ、それに体の至る所に包帯がぐるぐると巻かれていた。また、気が付けば彼の体の痛みは薄れており、どうやらあの教授と呼ばれる人達に助けてもらった上に治療までしてもらったのだということにトトマは気が付いた。


「お!元気になったかね、少年!」


トトマがテントを出ると、そこにはトトマを助けてくれた二人が仲良く焚き火を囲んで寛いでいた。


「体はもう大丈夫かい?」


「あ、はい。お陰様で助かりました。本当にありがとうございます」


優しく微笑み尋ねる女性にお礼を言うとトトマは深々と頭を下げた。それに対して女性は何も言わなかったが、ニッコリと笑うと安心した様子で手にした飲み物をちびりと飲んだ。


「まぁまぁ、立ち話もなんだからね。ほら君、ここに座りなさい」


「あ、ありがとうございます」


男はそう言うとトトマが座る場所を空け、焚き火で温めたお茶をトトマへと手渡した。トトマが差し出されたお茶を有難く両手で受け取ると、今度は三人で仲良く焚火を囲みながら話しを始める。


「まずは、そうだな・・・自己紹介からかな。私の名前はインディ・ジョブズ、こう見えて生物学者だ」


そう言うとインディはその大きな手をトトマへと差し出した。インディの手を握り返したトトマであったが、その手はゴツゴツと逞しく、本当に学者なのかと疑いたくなるほどの強靭な手であった。


「ん?もしかして、インディ・ジョブズさんって・・・まさか」


その名前を聞き何かを思い出したトトマはまさかと少し驚いた表情を見せる。


インディ・ジョブズと言えば、ダンジョンを調査する挑戦者として有名な人物である。「自ら見て、自ら感じて、書き綴る」という信念の下に書き進められた本『ダンジョンの歩き方』はそんな彼が著した有名な本である。魔階島の本屋『蔓屋ツルヤ』でも大々的に発売されているその本は、ダンジョンの構造について書かれた『攻略本』と並んで、挑戦者たちの中には必需品となっている者も多いだろう。


文字だけでなく、絵などもふんだんに使って書き記された『ダンジョンの歩き方』にはモンスターに関する詳しい情報が書かれており、ダンジョンに入る前の良い予習になる。事前に情報を得て、対策を練りダンジョンに挑まねばならない挑戦者にとっては、脅威となるモンスターの生態について詳しく書かれた本というのは大変重宝するのである。


勿論、トトマもインディの書いた『ダンジョンの歩き方』の一読者であり、最新刊は欠かさずに購入している程のファンでもあり、そしてなんとその当の著者が彼の目の前にいたのだ。


そんなトトマの憧れと感動の気持ちを彼のキラキラとした眼差しから感じ取ると、インディは髪をかき上げふっと笑った。


「そう、そのまさか!!私がかの有名な『ダンジョンの歩き方』の著者、インディ・ジョブズ本人である!」


そう叫ぶと同時に、どこからともなく自分の本を取り出すと、すっとトトマへと手渡しした。


「い、良いんですか!?」


「無論!それに・・・サイン入りさ!」


キランと光り輝く白い歯を見せて笑うインディの言う通り、トトマが開いた本の見返しにはきっちりと「インディ・ジョブズ」の名が刻まれていた。トトマは有難くその本を頂戴すると、丁寧にそして大切に自らのポーチへと仕舞い込んだ。


「はいはい、次は私ね」


しかし、そんなことには全く興味がないとでも言わんばかりに二人の話をズバッと終わらせると、トトマを助けてくれたもう一人の女性が口を開く。


「私の名前はキティ。えっと・・・まぁ挑戦者・・・かな?」


何とも歯切れの悪い自己紹介であったが、トトマはその女性の名前にも聞き覚えがあった。インディの様に何かの著者とか有名人とかそういうものではなく、特徴的な猫耳の生えた帽子に軽防具を身を包み、へらっと笑う目の細い彼女のことをどうしてか知っているような気がしたのだ。


だが、確固たる確信がなかったのでトトマはそのことは告げずにごくんと飲み込んで黙っておくことにした。


すると、そんなキティの自己紹介を受け、インディは蔑ろにされたお返しと言わんばかりにニヤッと意地悪そうな顔をした後、彼女の紹介に言葉を付け加える。


「彼女は・・・そう、盗賊なのさ」


「えぇ!?と、盗賊!?」


まさかの言葉に驚くトトマ。


彼を助けてくれた恩人の一人は、なんとダンジョン内のお宝を狙い、時には同じ挑戦者であろうが容赦なく殺すという盗賊だった。


・・・のかもしれなかった。


果たして、その真相は神のみぞ知る。

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