第4話 聖職者ミランダの苦悩
『「神は信じる者をお救いになります。信じない者もお救いになります。
えっと・・・つまりは、御心が広いということです!」
ただの聖職者の一言』
「じゃあ、行ってきまーす!!」
「い、いってらしゃいま・・・せ」
元気よく宿「オール・メーン」を飛び出していったトトマ。その彼とは裏腹に、一人寂しく彼を見送るミラ。
トトマはあの第十階層の番人との戦いで死んで以来、こうして朝早くに一人で宿を飛び出しては夜遅くに帰ってくるという生活を繰り返していた。
そのことを心配になったミラは同じく朝早くに起きてトトマに尋ねてみたものの、彼には「ごめん」とだけ言われ、今日と同じように宿に置いていかれる始末であった。
そんな何かをひた隠すトトマのことをミラは心配していた。
(あぁ、トトマ様・・・どうしていつもいつもお一人でどこかに行かれるのでしょうか?私たちにも何も告げずにどこかに行ってしまわれるなんて、つい先日まではなかったのに。もしかして、役に立てない私のことが嫌いになって、放って置いていかれているのでしょうか。契約破棄するお金も勿体ないからと、お前なんかに払う金もないということでしょうか。・・・いえ、もしかしたらいけない遊びにはまってしまったのかもしれません。トトマ様も多感なお年頃、それなのにそばにいるのは女としての魅力がない私。トトマ様もダン様が連れておられるような爆乳爆尻女がいいのですね。あぁ!?私は何てはしたないことを考えているのでしょう。申し訳ありません、カエール様、こんな愚かでいやらしい妄想をする聖職者をお許しください)
ミラが一人で悶々と長い長い妄想に耽っていると、不意にその後ろからちょんちょんと肩を突かれ、彼女はビクンと跳ねて驚いた。
「ミ・ラ・ちゃん!どうしたの、今日も一人かい?」
「うぇい!?・・・ポ、ポポルさん!!それとアイスさんも!」
いつの間にやらミラの背後には、ダンのパートナーたちであるポポルとアイスの二人が立っていた。
ポポルは「戦闘のスキル」を持つ剣士。それぞれ背中と腰に差した、二本の大小の両極端の剣を巧みに扱う、いつも笑顔な女性。
アイスは「調理のスキル」を持つ薬師。ダンジョンに繁殖する植物から薬を作り出せる、少し不愛想な女性。
勿論、二人ともミラよりも年齢の高い、色々と大人な女性である。
「お、お二人とも、おはようございます!」
「はい、おはようさん!」
「おはよう」
「それで、ミラちゃんはトトマ君に着いて行かなくていいのかな?」
ポポルの何気ない質問に対し、ミラの顔にはどんよりとした曇りが戻る。
「その・・・トトマ様の居場所が分からないので」
「へー、トトマ君パートナーにも教えていないんだ」
「はい・・・」
「ふーん」
そのミラの様子に何やらニヤニヤと口角が上がっていくポポル。
「ねぇ、ミラちゃんさ、トトマ君のことが心配なら一緒に探しに行く?」
「い、いいんですか!?」
そんなポポルの急な提案に目をキラキラと光らせるミラ。彼女自身も、トトマの行方が気になって探しに行きたかったのは確かである。
「いいよ、いいよ、どうせ私ら暇だったしね!ねぇ~アイス!」
「わ、私も!?」
急にそう話を振られてアイスは驚いた声を上げる。どうやら彼女には行く気は全くなかったようだ。しかし、とあることを思い出したミラが不意に声を上げる。
「あ!でも・・・ダン様はよろしいのですか?」
「ダン?あぁ、いいのいいの!どうせ寝てるだろうし」
「そうね、昨日はあんだけ激しく動いたから疲れているんでしょ」
「激し!?」
アイスの口から出た言葉にミラは顔を赤くして飛び上がった。
「痛いし激しいし、ダンジョンにいない夜はいつもそう」
「痛い!?・・・激しい」
「ダンは簡単には寝かせてくれないからねー」
「ね、寝かせてくれない・・・」
「やりたくないって言ってるのに、無理やり要求するんだもの。汗かくし、本当、疲れるわよ」
「あわわわわ!?」
ミラは頭から蒸気があふれ出る程に顔が赤くなり、思わずその顔を手で覆い隠してしまった。
「そういえば、ミラちゃんもトトマ君とやるの?」
「ししししししししませんよ!?私とトトマ様は・・・その・・・なんというか、もっと健全なお付き合いというか」
ポポルの何気ない質問に対して慌てふためくミラ。最後の方では、彼女はただごにょごにょ言うだけでポポルたちには上手く聞き取れなかった。
「健全?そう・・・。他の人たちはしないのかしらね、柔軟体操」
「じゅ、柔・・・軟?」
「そ、ダンジョンにいない時は体がなまるからってダンの奴がうるさいのよ。私は薬師だから別にやる意味ないっていうのに・・・たく!」
その言葉にポカンとするミラ。
その表情を見て、同じくポカンとするポポルとアイス。
そして、ポポルはそんなミラの様子を見て、少し考え、自分たちの会話を思い返すとニヤリと笑った。
「あらら~?ミラちゃん、聖職者様がそんなこと考えてたのかな~」
「か、考えていませんよ!?」
「そんなことってどんなことよ?」
何やら盛り上がる二人に対して、アイスはまだミラの勘違いが何のことだか気がつかない。
「『激しい』、『痛い』、『夜』、『無理やり』、『汗』」
まるで詠唱するかのように、自分たちが行ってきた会話に出てきた単語をポポルはニヤニヤと繰り返す。
しばらく熟考した後、はっと気が付いたアイスもミラと同じように顔が急にかっと赤くなる。
「ばばばばば馬鹿じゃないの!?どうして私があんな奴となんか!?」
「おやおや~何を想像したんですかにゃ~?」
「う、うるさい!!」
「昨夜はお楽しみでしたかにゃ?」
「あぁー!もう!!うるさい、うるさい!!」
と
「うるさいのは貴女達でしょうがッーーーーーーーー!!!!」
わいわいきゃあきゃあと騒ぐ三人の後ろから、どかんと宿全体が揺れる程の大声が響いた。
その声に一瞬で静まり返る三人。そんな彼女らの後ろでは、ここの宿主であるところのロゼが怒り心頭の表情で立っていた。また、その手には何やら桶を持っている。
「貴女たちね!他にお客さんがいるんだから少しは静かにしなさい!!」
「「「ご、ごめんなさい」」」
普段は優しいロゼの豹変ぷりにミラ、ポポル、アイスは揃って誤った。
「もう!そんなに元気があるんなら、少しはこっち来て手伝いなさいよ!!」
ロゼはそう言うとぷりぷりと怒りながら大きな桶を持って庭に出て行ってしまう。
ロゼのことを手伝う気はなかったが、その手にした桶の中身が気になったのでロゼの後を着いて庭に出て行く三人。
綺麗に手入れされた庭に着き、ミラたちはロゼの置いた大きな桶を覗き込んでみるとそこには何やら青い液体が桶いっぱいに入っていた。
「まさかこれ全部『スライムオイル』ですか!?」
「えぇ、そうよ」
「「ええぇぇぇ!?」」
アイスの言葉にポポルとミラも驚き、桶の中身を覗く。だが確かによく見ると、その大きな桶にはなみなみと『スライムオイル』が入っている。
この『スライムオイル』自体はダンジョンで入手しやすい素材の一つではあるが、こんなに大量に手に入れるのには時間と労力が莫大に掛かるであろう。それに、量だけで言えば、半年以上掛けて手に入るかどうかの量である。
「こ、これ全部ロゼさんが?」
「それがねぇ、この前トトマ君に頼んだらこんなに採取してきてくれたのよ」
「あのトトマ君がね・・・これは驚きだ」
「本当に驚いたわよ。小瓶一つ分でもって思ってたのに、たった数日でこーんなに持ってくるんだから。嬉しいような、困ったような~」
そう言うと一人せっせと作業に入り始めるロゼを他所に、顔を見合わせるミラとポポルとアイスの女性挑戦者三名。彼女らは面白半分でトトマの様子を探ろうとしていたが、これは何やら不穏な気配である。
「どう考えてもおかしいでしょ、これ」
「トトマ君・・・何かヤバいことに手を出してんじゃないの?」
「トトマ様・・・」
ひそひそと話し合う三人。
「とりあえず、市場に行ってみましょう、誰かトトマ君を見ているかも」
「そうね」
「わ、分かりました」
ポポルの提案に従うと、三人はひっそりと、そして素早くその場から抜け出した。そんなことも知らずに一人作業に張り切るロゼ。
「ちょっと、貴女たち、おしゃべりもいいけど手伝ってくれない?こんな量私一人でって・・・あら?」
しかし、ロゼが振り返りとそこには誰もいなかった。『スライムオイル』で手がぬたぬたになったロゼは一人ぽつんと取り残されたのだ。
「もう!!ちょっと!!!」
ロゼが吼えた一方で、急遽発足したトトマ捜索隊の三人はしばらくした後に市場に到着するも、一向にトトマを発見することはできなかった。その朝早くの市場は、食材を買い集める者やダンジョンの装備を整える者などで穏やかな活気に満ちているが、そこに目当ての彼はいない。
「うーん、見つかんないねー」
「トトマ君、何処に行ったのかしら?」
「・・・」
辺りをきょろきょろと見渡す二人であったが、一方でミラは一人必死にトトマの行きそうな場所を考えていた。
ミラには、ダンジョンに入る前に何度かトトマに付いて回って、色々なお店を見に行った記憶はある。その中からトトマがいそうな、または行きそうな場所をミラは思い出していた。すると、何やら思いついたのか、ミラはバッと顔を上げてポポルとアイスに急ぎ提案する。
「もしかしたら道具屋かもしれません!」
「道具屋?でも道具屋って言っても、そんなの魔階島に何十軒もあるわよ?そこを全部見て回るなんてさすがに無理よ」
「私に心当たりがあります。なのでお二人はここで待っていてください!」
ミラはそう言うとポポルとアイスを残して、市場の人混みへと消えて行った。
そんな彼女の後姿をただ見送るしかできなかった二人はお互いに顔を見合わせる。
「行動力があるのか、無いのか、ミラちゃんは分かんないねー」
「まぁ、彼女が待てと言うのだから待ちましょうよ」
「だったらさ・・・」
「ん?どうしたのよ?」
「何かご飯食べない?お腹すいちゃってさ・・・」
「ポポル・・・貴女って人は」
「えへへへ」
そんなポポルとアイスが市場から漂う香しい匂いに誘われている時、ミラはとある店の前まで来ていた。
ミラが予想した道具屋は「ドリ&ドラ」である。
その店は不思議な双子が経営するお店で、ダンジョン攻略に役立つ装備や道具などは何でも揃っている。また、買うだけでなくダンジョンで採取した物を売ることもできるので、トトマは以前からここを利用していたのだ。
そんなトトマと一緒にダンジョンを攻略してきたミラは、トトマの性格を良く理解しており、トトマは気に入ったお店やお世話になったお店しか利用しないことを塾知していたのだ。
だからこそ、この「ドリ&ドラ」にトトマが来ているのではないのかとミラは予想を付けたのである。
「ご、ごめんください・・・」
ミラはそのお店の暖簾をくぐり、おずおずとその店内へと入り込んでいく。決して広いとは言えない店内であったが、そこには所狭しとダンジョン攻略に使う道具や薬草、本、中にはモンスターの素材なども豊富に揃っていた。
「「あぁ、いらっしゃい」」
すると、ミラの声が聞こえたのか、カウンターの向こうからひょっこりと二人の子どもが顔を出した。一人は黒い兎のような鼠のような着ぐるみを着て、もう一人は白い兎のような鼠のような着ぐるみを着ている。着ぐるみの色は違えども、フードをかぶったその顔は見分けがつかないほどそっくりであった。
「おはようございます、ドリさんとドラさん」
ミラはその二人の区別がつかないので、両方に向かって話しかけた。
「「今週は『黒』がドリ、『白』がドラだよ。それでご用件はなぁに?お姉ちゃん」」
「あ、あの・・・トトマ様は今日ここに来られましたか?」
ミラの質問に顔を見合わせるドリとドラ。二人で同時にミラの方を向くと同じタイミングで首を横に振った。
「そ、そうですか・・・」
その双子の対応にミラは少し表情を曇らせる。どうやら彼女の予想は外れてしまった様だった。
「「でも、トトマ様ならこの前から『抽出機』を何度も買ってるよ」」
「『抽出機』?」
双子の言う『抽出機』とは、ダンジョン内にある危険な素材を安全かつ大量に採取する道具のことである。それは、抽出する部分と抽出したものを溜めこむ部分に分かれており、一回使うと繰り返しは利用できない。大きさは小さいものから大きなものまで様々である。勿論、特定のモンスターたちの素材を採取する際にも使われる道具であり、生きたままスライムから『スライムオイル』を抽出するにはこの『抽出機』を使うのが効果的だ。
どうやらトトマはその『抽出機』を何度も買いに来ている様子であった。これで、トトマとあの大量の『スライムオイル』の謎が少し近づいた。
「それも、何度もですか?」
「「うん、一番大きい奴を5、6個ぐらい」」
ドリとドラの答えに再びぐるぐると頭の中で考え出すミラ。
(大きい『抽出機』をそんなにたくさんも!?失礼ではありますがトトマ様にはそんなお金はなかったはず、この前のご様子だと小さいものを1個買えるかどうかのはずだったのに。まさか・・・賭け事でしょうか!?賭け事で手に入れたお金で大量買いを!?いやいや、それはありえません。第一お金を手に入れたのに、何故そのお金で『抽出機』を買うのですか?『抽出機』を買われて、『スライムオイル』を大量に手に入れられたところで何の得があるのですか?『スライムオイル』が欲しければ『スライムオイル』を直接お買いになるはず・・・)
「「・・・お姉ちゃん、大丈夫?」」
「はっ!!」
ずっとぶつぶつと独り言を呟くミラを案じたのかドリとドラは心配そうに尋ねた。
「す、すいません。あの、それでトトマ様が行かれそうな場所はご存知ないでしょうか?」
「「この前来た時はそのままダンジョンに行くって言ってたよ。今日はどうか知らないけど」」
(やっぱり、ダンジョン・・・ですか)
ミラは双子にお礼を言うと、装備屋から飛び出してミラの帰りを待つポポルとアイスの元へと急いだ。だが、再び訪れた市場には先ほど以上の人が集まっており、彼女が見渡せども見渡せども、二人の姿は見えなかった。
「ミラちゃーん、おーい!」
人混みの中、キョロキョロとしていたミラの耳にポポルの声が遠くから響いた。ミラはその声を頼りに人混みの中をやっとの思いで進んで行く。
「ミラちゃーん!こっち、こっち!!」
「ポ、ポポルさん!・・・良かった、ようやく見つかりました」
ミラが人混みの中をやっとの思いで抜けると、料理店「甘味屋 ちゃや」のテラスでポポルとアイスはテーブルを囲んで椅子に座り待っていた。そして、そのテーブルにはポポルとアイス以外に、ミラの知らない男性と女性が一人ずつ座っている。
「あの~、このお二方は・・・?」
きょとんと立ち尽くすミラに椅子を差し出すと、ポポルはその二人を紹介し始める。
「こちらの二人は、あの『鬼面の勇者』のパートナーだよ」
「き、『鬼面の勇者』様のパートナーさん!?」
ミラはアイスから手渡された飲み物を零しそうになるほど驚いた。
『鬼面の勇者』
その勇者は、大陸の北東に位置する「ヤマト」と呼ばれる地域出身であり、そのパートナーたちもその地域の出身者である。その地域の者たちのほとんどは”侍”と呼ばれ、独特な衣装”着物”を身に着け、細身の片刃の剣”刀”を使用する。
『鬼面の勇者』の本名はムサシ・ミヤモト。彼は12人の勇者の中で一番年配の1番目の勇者として知られている。彼の鍛え抜かれた肉体と剣捌き、そして「鑑識眼」によって放たれる刀の一振りに斬れないものはないとも言われている。
そんな生きる伝説となっている勇者のパートナーの二人がミラの目の前に腰掛けていた。
「どうもね嬢ちゃん、俺はジュウベエってんだ、よろしく」
「私はナオトラ、よろしくね」
「わ、私はミランダ・カエールです!よ、よろしくお願いします!」
ミラの前に悠々と座るその二人は、確かに挑戦者たちの噂通りに鎧ではなく着物を着て、腰には刀を下げている。そして、肩には特徴的な仮面も付けている。
「カカッ!俺たちは”鬼”なんて言われてるが、取って食うわけじゃないんだぜ!そんなに緊張しなさんな!」
「何言ってやがるこの阿呆が、お前の顔が怖いんだよ」
「はぁ!?お前に比べたら俺の顔は可愛いもんだろうがッ!」
「はぁ!?」
「なんだ、やるか!?この馬鹿トラ!!」
「あぁん!?もう一度言ってみろッ!この阿呆ウシがッ!」
だが、どうしてか一瞬にして仲が悪くなった二人。お互いに刀に手をかけ、何ならここで一戦でも始めようかという剣幕である。
「お、落ち着いてください二人とも!?・・・ほら!ミラちゃんに教えてあげることがあるんでしたよね」
そんないがみ合う二人を見て呑気に笑っているポポルに代わり、仲裁に入るアイス。彼女の言葉を聞いて怒りが収まったのか、ジュウベエは椅子にドカリと乱暴に座りなおすと口を開く。
「そうだった、そうだった。嬢ちゃん、あんたの所の勇者の小僧をさっき見たぜ」
「ほ、本当ですか!?それでトトマ様はどちらに?」
「あぁ、一人でダンジョンに入って行ったぜ、丁度こいつとダンジョンから出る時にすれ違ったんだわ」
「汚い指で差すな、斬り落とすぞ」
「あぁ!?」
また喧嘩しそうな二人を差し置いて、ポポル、アイス、ミラはこそこそと話し合いを始める。
先ずは、ミラが装備屋「ドリ&ドラ」での話を二人に聞かせる。
「トトマ様はどうやら『抽出機』を買っていたようです」
「『抽出機』!?じゃあ、やっぱり『スライムオイル』を採取したのはトトマ君だったんだね」
「でも、生きたままスライムから採取できる腕なんかあったのかしら・・・。あぁ、ごめんねミラちゃん、別にトトマ君を馬鹿にしたわけではないのよ」
「だ、大丈夫ですよアイスさん。どんなに高レベルな方でも難しいことですから」
うっかり出た自分の発言に焦って謝るアイスであったが、ミラは笑顔で気にしていない様子を見せた。だが、そんなことよりも今の彼女の心の中は不安でいっぱいであった。トトマが危険にさらされていないかの不安。トトマからパートナー解除を言い渡されるのではないかという不安。また一人ぼっちになるのではないかという不安。
そんな様々な不安が彼女の中をどろどろと渦巻いていた。
「とにかく、トトマ君の場所と目的が分かったことだし、ぱぱっとダンジョンに行ってみますかね」
ポポルはにこやかに提案したが、依然としてミラはまだ浮かない顔をしている。
心配だからこそ会いに行きたい。でも、トトマからパートナー解除を言い渡されたらと考えると行きたくない心境であった。ここでもし行かなければ、トトマから契約解除を言われる心配も今は無くなる。
そんな気持ちが彼女の表情に出ていたのか、アイスは優しくミラの頭を撫でた。
「大丈夫、トトマ君は優しくて強い勇者になっているもの。ミラちゃんを見捨てたりなんかしないわ」
「そうそう!もしそうだったとしても、うちに来れば良いよ!」
「ポポル・・・それフォローになってないからね・・・」
「あり?」
そんな二人にミラはしばらく黙っていたが、決心をすると椅子から立ち上がった。
「ポポルさん、アイスさん、私やっぱりトトマ様に会いに行きたいです!だから一緒にダンジョンの中に来てください!お願いします!」
そう言い深々とお辞儀するミラの姿を見て、二人は顔を見合わせるとふっと笑った。
「最初からそのつもりだよ!」
「まぁ乗りかかった船だしね、それにトトマ君がどうやって『スライムオイル』を採取しているのかが気になるわ」
話し合いを終え席を立とうとした三人を見ると、ジュウベエは優しく笑って言う。
「俺たちは爺の所に戻るから、後は三人で頑張りな。あーあー、金はいいって、ここは俺らが払っとくからよ」
「気を付けてね」
ミラ、ポポル、アイスの三人はジュウベエたちを残して、早速ダンジョンへと向かった。今のトトマはダンジョンの第一階層から第十階層のどこかにあるスライムが出現する場所を狙うはずである。そうと分かれば、少し湿ったじめじめした場所を中心に三人は捜索を始めた。
陣形はポポルを先頭にして、アイスが後方、その真ん中にミラが立つ。まだ第十階層よりは上階層であるのでダンジョンに満ちる瘴気は薄い。念のためにとアイスから渡された瘴気の耐性を上げる薬草を含んで、三人は慎重にダンジョンの中を進む。
途中で出会ったモンスターはやり過ごせるのであればやり過ごし、やむを得ない状況の場合は倒して進み、三人は体力魔力ともに温存して第六階層まで到達した。
ダンジョン 第六階層
「ん?ちょい止まって・・・」
ダンジョンの道を一人先頭を歩くポポルが何かに気が付いたのか、手を後ろにかざして二人を止め、自分もその場にじっと止まる。その指示に従うと、ミラとアイスも一緒になって立ち止まり、耳を澄ます。すると、何やら人の声が微かに響いて聞こえてくる。
ポポルは後ろを振り向くと小さな声で「静かに着いて来て」とだけ言い、ゆっくりと微かに聞こえる声を頼りにダンジョン内を進んでいく。ミラはその背を見つめながら、アイスは後方を随時確認しながら慎重に進むと、先を歩くポポルが曲がり角のある場所で立ち止まった。
「な、なんだこりゃ!?」
ちらりと曲がり角の先を覗くとポポルは小さな声で驚愕した。その声に続いてミラたちもこっそりと覗き込むと、声は上げなかったがその信じられない光景に心臓がドクンと跳ねた。
曲がり角の先は大きく開けたフロアになっていた。
ダンジョンでは時折このような大きなフロアが出現することがある。大抵珍しいモンスターの住処や貴重な資源が生成されている場所となっている。
しかし、目の前の場所には珍しいモンスターや貴重な資源があるわけでもなく、ただスライムがいるだけであった。
だが、その数は恐ろしいほど多く、そのフロア中にスライムたちがぽよぽよと蠢いている。
「10や20何て数じゃないわよ!?どうなってるのよ!?」
アイスは他の二人にのみ聞こえるように静かに叫んだ。軽く数えるだけでもそこにいるスライムの数は30は超えている。どんなに高レベルな挑戦者であったとしてもこの数相手にするのは不可能である。ましてやここにいる女性三人では不可能だ。
「ト・・・トトマ様!?」
すると、ミラがそのスライムたちの中に衝撃的なものを発見してしまった。そのフロア、スライムだらけのフロアの中心にトトマらしき人物が一人佇んでいるのが目に入ったのだ。
「う、嘘でしょ!?こんな所にいたらすぐに死んじゃうって!?」
ミラの言葉に驚いて、ポポルも目を凝らしてトトマを探すと、確かにトトマがスライムに囲まれて立っている。
「ん?・・・ちょ!ちょっと!?二人とも!?」
そのフロアの異常な光景に注意を惹かれ、後方注意を怠っていたアイスが急に騒ぎ出した。何事かと思ってポポルとミラは辺りを見渡すと、いつの間にか自分たちの周りを10匹以上のスライムがうようよと取り囲んでいる状況に気が付いた。
「こ、これは・・・大ピンチだね・・・」
咄嗟に剣を構えて前に出るポポル。レベル差があるとはいえこの数相手では勝ち目はほとんどない。
「アイス、『爆薬草袋』とかないの?」
「そんなに持ってきてないわよ」
壁を背に武器を構える三人に、じわじわとにじり寄るスライムの群れ。
(・・・トトマ様!)
もう助からないと思い、ミラは目を瞑って心の中で叫んだ。
その時、
「だぁーーーーー!?待て待て待て待て、ちょっと待って!!!この人たちは仲間だよ!友達!仲間!分かる?」
フロアにいた無数のスライムに囲まれていたはずのトトマがスライムをかき分け、さっとミラたちの前に姿を現した。
「大丈夫だから!この人たちは攻撃してこないから!ほら、スラキチ!このスライムさんたちをフロアの方に連れて行って!!」
『了解、兄貴!!ほら、皆こっちだ、こっちに集合だ!!ほら、そこ!押さずにちゃんと並べよ!!』
突然目の前に現れて1人で騒ぐトトマに、ミラたちは唖然としていると、横からぽよんぽよんと一匹のスライムが現れた。そして、そのスライムは彼女たちの周りにいたスライムたちを連れてフロアへと弾んで戻っていく。
「ト・・・トトマ様!!」
未だに現状が掴みきれていなかったが、ミラはやっとの思いでトトマの名を呼ぶと、怖さと安心感からトトマの胸へと飛び込んだ。
「ミ、ミラ!?・・・それにポポルさんにアイスさんまで!?どうしてこんなところに?」
「どうしてじゃないよ!?こっちこそどうしてだよ!何なのさこのスライムの大軍は!?」
異常な光景が広がっているにも関わらず、平然としているトトマに驚きつつもポポルは少し強い口調でそう叫んだ。
「こ、これは・・・その」
「待ちなさいポポル、一旦場所を変えましょう。ダンジョン内のしかもこんな場所で話し合うことでもないわ。トトマ君もそれで良いわね?」
「はい・・・」
トトマは自分の胸で震えるミラをちらりと見て、アイスの提案を受け入れた。
かくして、トトマたちはフロアにみちみちに満ちたスライムの群れの謎を残したまま、『転送石』を使ってダンジョンから宿まで瞬時に帰還したのであった。
さて、大した力を持ち合わせないはずのトトマがどうしてスライムに囲まれていたのか。そして、どうして彼は無事でいられたのか、それが神々すらも知る由はない。
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