姫君は逃亡中ににつき
一方の取り残されたヴィーラウムは、別の意味でショックを受けていた。
話の流れがどうしてだかこうなって先に手が出てしまった。
彼女も受け止めてくれたから安心したのに、彼女の中ではヴィー・ヨハンに唇を奪われたことになったらしい。正体を明かしても冗談だと思われて全速力で逃げられた。
「……まずい」
文字通り頭を抱えた。
まさか信じてもらえなかったとは。
と、そこへフェリクスがやってきた。
彼は東屋の中に入ってくる。
「さっき姫君とすれ違いましたよ。誰とも会っていないとか、仰っておいででしたけど。会ってましたよね。あなたと」
「……ああ」
「ですよね。段取ったの俺だし」
その中には、ここまでやってやったんだからちゃんと言ったよな、という意味が込められていた。
「……信じてもらえなかった」
「ええああ、そうですか」
「全速力で逃げられた」
「へぇ~。……って、嘘でしょう! そんな恰好までしておいて信じてもらえなかったんですか。どうして」
フェリクスは盛大に驚いた。
無理もない。今日のヴィーラウムはきちんと前髪をなでつけ、普段の楽な騎士装束や軍服でもなく、窮屈な宮廷服を身に着けているのだ。上等な上着には金糸で精緻な刺繍がほどこしてあるし、クラヴァットを止めるピンにはダイヤモンドがあしらわれている。
「……まあ、色々あってだな」
「その色々が非常に気にかかりますが」
まさか先に手が出たとは言えない。しかし、さすがは乳兄弟。長年の付き合いと勘でヴィーラウムが先に手を出したことをなんとなくで察した。
「とりあえず、追いかけてどうにかしてください」
「わかっている」
ヴィーラウムはよろよろと立ち上がった。
怒られることは覚悟しておいたがまさか信じてもらえないとは思わなかった。
ヴィーラウムは迎賓棟へ向かい、女官長を呼び出した。リゼルティアーナの所在を問うと「恐れながらまだこちらにはおかえりではございません」と返された。
ヴィーラウムとフェリクスは顔を見合わせた。
「殿下とご一緒ではないのでしょうか?」
五十手前ほどの年齢のギゼラ女官長の瞳に不安の色がよぎる。
「申し訳ございません。ほんの少し手違いがありまして……姫君を見失ってしまったのです」
フェリクスが正直に伝えた。
居合わせた他の女官や侍女たちもそれぞれ目配せをする。
まだ日は高いが、早くけりを着けたい。
「悪いが、手分けをしてリゼルを探してくれないか」
「かしこまりました」
ギゼラ女官長は丁寧にお辞儀をした。
それぞれバタバタと動き出す。
もちろんヴィーラウムも再び庭園へと走った。
少なくない人出を使ってリゼルティアーナを探したが、結果は空振りだった。
どこを探しても薄青のドレスの裾すら見咎めた者はいなかった。
一度迎賓棟の玄関前に集まったヴィーラウムと女官らはそれぞれの成果を伝え合う。
しかし、心当たりを探してもどこにもいない。時間だけが過ぎていく。冬に比べて日入りの時間は遅くなっているとはいっても探しものは隣国からの大切な姫君。
「そうですわ。シュヴァルアイツからリゼルティアーナ様の引継ぎ書をいただいております。その中に何か有益な情報が記載されているかもしれません」
「そうですね。一度目を通しましょう」
それはリゼルティアーナを今まで世話してきたシュヴァルアイツの女官らによって作成された彼女の生い立ち記録だった。
好きな食べ物や嫌いな食べ物、これまでの病歴や身体の特徴などが記載されている。
女官はリゼルティアーナの性格や好きなものが書かれた箇所を見つけ出した。
『姫様は悩んだり落ち込んだりすると高い場所に行くのを好まれます』と書かれてある。高い場所と効いてすぐに迎賓棟の最上階と念のため屋根裏も捜索したが空振りだった。
「高い場所ですか……。ほかにどこかありましたかね」
フェリクスがうーんと唸る。
ヴィーラウムも考えた。
そういえば、猫はどこに行ったのだろうか。いつの間にか姿を消していた。高い場所が好きなのよ、とリゼルティアーナが言っていた気がする。
「……まさか」
つぶやいてヴィーラウムは外へ駆け出した。
登りやすそうな、太い枝をつけた木々を入念に見上げていく。
庭園内のいくつかの区画を横切っていくと、とある大木の下に猫がいた。
「ニャアン」
「よう。ラーラ。おまえの主人はこの上か?」
「ニャー」
リゼルティアーナの愛猫はもう一度鳴いた。鳴いた後ぴょんと近くの枝に飛び乗る。
下から見上げると、確かに木の上の方に薄青のドレスの裾が見え隠れしている。
「つか、あいつ裸足か?」
よく見ると、幹の反対側に靴が脱ぎ捨ててあった。不用心な。
ヴィーラウムは覚悟を決めて、自身も木登りをはじめた。
ラーラはまるで彼を先導するようにぴょんぴょんと枝を移動する。
「まったく。落ちたらどうするんだよ。あいつは」
初対面の時、木の上から落ちてきたくせに。あのときは、フェリクスもいたし、突然のことで受け身も取れなくて痛い思いもして、あんな風に怒ってしまった。
本当は、心配したとか、けがが無くてよかったとか言いたったのに。
途中まで登ったところでラーラがヴィーラウムの肩に飛び乗った。ここから先は乗せろということらしい。くてっと力を抜いた猫を肩に乗せヴィーラウムは高いところへ登っていく。
「リゼル。やっと見つけた」
ようやく彼女の元までたどり着いた。
もう一度ヴィーラウムはリゼルティアーナに視線を据えた。
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