お互いの気持ち

 当然のことながらリゼルティアーナは、ヴィーの木登りに気が付いていた。下の枝が揺れているな、と思ってそちらのほうへ目を向ければ黒い髪の男性が木登りをしてくるのが見てとれた。

 リゼルティアーナは慌てたけれど、逃げたくても降りたところで途中で捕まってしまう。

 彼がリゼルティアーナの元までたどり着くまでの時間はまるで追い立てられたうさぎのような気持だった。

 彼はあっという間にリゼルティアーナのの近くの枝まで登ってきた。


「リゼル。色々と言いたいことはあるが、とにかく降りるぞ」

「あなたが一人で降りればいいじゃない」

「ラーラも心配していたぞ」

「ラーラ。あなたいつの間にその男の味方になったのよ」

「ニャン」

 ラーラは顔を持ち上げて短く鳴いた。それからすぐにヴィーの肩に顔を乗せた。


「か、可愛くない子ね……。男嫌いじゃなかったの」

「今は俺と話をしろ」

「することなんてないもの。もう、わたしのことは放っておいて。あなた、こんなふうに私と一緒にいたらいけないのよ。要らない誤解を受けることになるわ」

「だから。さっきも言った通り俺がヴィーラウムだ。最初におまえに会いに行ったときは、完全にお忍びで、ちょっと顔を見れたらいいなくらいで。そうしたらおまえが木の上から落ちてきて……なんか成り行きであんなことになった」

 ヴィーの説明にリゼルティアーナは初対面時の情景を頭に思い浮かべる。

 お互いに印象の良くない出会い方だった。


「……じゃあ、あなた本当は二十六歳なの? あの薔薇もあなたが?」

「そこで人の腹回りを眺めるのはやめてもらおうか。そういう何気ない言動が繊細な二十代半ばの男の心を傷つけるんだよ」

 ヴィーラウムは引きつった声を出す。

 目の前のヴィーが本当に王太子殿下だなんて。リゼルティアーナはまだ半信半疑だ。


「そっち、行っていいか?」

「……」

 リゼルティアーナは応えなかったが、彼は身軽に枝を伝ってリゼルティアーナの座っている隣に移動してきた。

 彼の瞳は穏やかだった。


「『姫君へ。

 あなたが心安らかに過ごせるように願っている』」


「!」

 それはリゼルティアーナが王太子から受け取った手紙に書かれていた言葉。簡潔だけれど、こちらを気遣ってくれて嬉しいと感じた。


 その後も彼は、王太子しか知り得ない手紙の文面を言葉にしていく。

「あ、あなたもしかして……盗み見したんじゃないの?」

「まだ言うか」

 ヴィーラウムはリゼルティアーナの頬に手を添える。リゼルティアーナは逃げようとするが、ここが木の上であることを思い出す。

 下の方から声が聞こえる。男性の声だ。

「殿下ー」

 ヴィーも下から聞こえる声に気が付いた。


「ああ、フェリクスだな」

 ヴィーは「一度降りるぞ」と言って手を差し出してきた。

 リゼルティアーナはまだ降りる決心がつかない。


「大丈夫。俺がちゃんと王子だっていう証拠を見せてやるから」

 自信満々に言うものだからリゼルティアーナは不承不承同意した。

 ヴィーが先導して木から降り、先に地面に足を着ける。そうしたら今度はリゼルティアーナを抱き留めるように両腕を伸ばした。

「リゼル。来い」

 薄青の瞳が優しく細められ、リゼルティアーナの心が弾んだ。その腕の中に飛び込んでしまいたくなる。

 実際にリゼルティアーナは彼に抱き留められ、そのまま横抱きにされた。


「ちょ、あ……あなた」

「いいから。黙っていろ。これから俺の部屋に行く」

「え、な、なにを言って……」

 リゼルティアーナは目を白黒させた。


 彼はリゼルティアーナの困惑など気にもしないですたすたと歩き出す。堂々とした態度になんとなく、口を噤んでしまい、庭園を抜けて宮殿内に入ると、今度は様々な方向から「殿下……」とか「殿下が姫君をお連れしているぞ」とか聞こえてきて顔が赤くなった。しかも視界の端に映る衛兵や女官がヴィーの横切る側で膝を折ったり敬礼をしている。

 リゼルティアーナは居たたまれなくなってヴィーの胸に顔を押し付けた。




「これで分かったか?」

 リゼルティアーナを部屋の長椅子に座らせた後、ヴィーは扉を閉めた。彼はちゃっかりラーラを部屋の外に追い出した。

「あ、あなた意地悪だわ。わたし……ものすごく恥ずかしかった」

 リゼルティアーナは抗議することにした。周囲の注目を浴びたのだ。とっても恥ずかしかった。


「でも、これで俺が王子だってわかっただろ。ちなみにここは俺の私室だ」

 ヴィーはにやりと笑った。

 リゼルティアーナはごくりと喉を鳴らす。

「え、えっと」

「リゼル。俺に触れられるのは嫌だったか?」

 もう一度ヴィーは問うてきた。

 彼はリゼルティアーナの隣に座り、それから彼女の髪の毛に刺してあるピンやりぼんを取っていく。

「……嫌じゃなかった。だから怖くなったの。あなたに触れられて……でも、あなたのことを騎士だと思っていたから」

 リゼルティアーナはぽつりとつぶやいた。


「本当はもっと早く言うつもりだった。けど、言い出せなくなった。それに、リゼルとただの騎士として話しているのも楽しかったし」

「わたしも楽しかったわ。あなたと言い合うの、楽しかったの。あなた、遠慮がないんだもの。でも、そうよね。あなた王子様ですものね。態度が大きくて当然なのよね」


 そこまで考えるとなるほどと納得した。フェリクスに比べるとずいぶんと偉そうだと思っていたが、彼は正真正銘偉いのだ。

 ヴィーはリゼルティアーナの髪の毛からすべてのピンとりぼんと取り外した。ふわふわした髪の毛が背中に流れ落ちる。


「こっちのが俺は好きだな」

 ヴィーはそう言ってリゼルティアーナの頬を包み込む。

「おてんば娘でも……嫌じゃない?」

「そっちこそ。俺のお嫁さんになる人は、可哀そうとか言っていなかったか?」

 頬を両手で挟まれて、ヴィーの真剣な瞳が間近に迫る。


「あ、あれは……。……あなただって……」

 リゼルティアーナはヴィーの視線から逃れようとする。

「改めて言う。俺の妻になってほしい」

 ヴィーはリゼルティアーナの手を取り、口づけを落とした。

「あ、あの……本当にいいの?」

「ああ」

「……こんなわたしでよろしければ」

 リゼルティアーナはおずおずと答えた。


「おまえがいいに決まっているだろ」

 ヴィーは嬉しそうに口の端を持ち上げて、リゼルティアーナの口を塞いだ。


 リゼルティアーナは素直にそれを受け入れる。強い力でヴィーの腕が背中に回される。

 角度を変え、ヴィーはリゼルティアーナの唇をむさぼり、後ろに遣った手が彼女の背中を探り、ドレスのボタンをほどこうと動き出す。

 舌と舌をこすられ、口内を蹂躙されたリゼルティアーナは身体から力が抜けていく。


「ん……あぁ……。だ、だめ……ちから、入らない……」

 リゼルティアーナはヴィーの背中に腕を回して彼に縋りつく。

 彼は器用にドレスの胸元を寛げる。

 耳朶を甘く食まれ、首筋を彼の舌が這う。その奇妙な感覚にリゼルティアーナは喘いだ。


「ん……やぁ……」

 ヴィーはおかまいなしに鎖骨から胸のふくらみへ触れていく。

「……ヴィー……んんっ……あ……」

 リゼルティアーナはヴィーから施される愛撫に呼応するように悲鳴のような声を上げる。それが、彼を余計に煽っていることには気が付かない。

 リゼルティアーナは、それがおそらく夫婦の営みの始まりなのであろうことは理解しているのに、初めての感覚に身体が付いて行かずに困惑している。


 準備もまだなのに、こんな衝動的に始めてしまっていいのかも分からない。それなのに、最初に口づけをされたときから奇妙な感覚に取りつかれて、徐々に身体の奥が熱くなっていく。


「女のドレスは面倒だな。脱がせる手順がありすぎて困る」

「……きょ、今日は……だ、だめ……」

 ヴィーが一度起き上がりリゼルティアーナから離れたすきに、抗議する。

「そんな艶っぽい声出されて我慢できるか」

 精一杯の抗議を瞬殺されてしまった。


(ま、まさかこのまま……ほんとうに?)


 青くなる半面、このまま流されてもいいのでは思ってしまうくらいリゼルティアーナも半分熱に浮かされている。

 ヴィーの腕がドレスを手にかけたとき。

 部屋の扉が控えめに叩かれた。

 ヴィーは無視をしてリゼルティアーナのドレスを脱がせようとするが、叩く音は鳴りやまない。


「……ちっ」

 やがて根負けしたヴィーがリゼルティアーナから離れる。

「ちょっと待ってろ」

 ヴィーは自身の上着を脱いでリゼルティアーナの肩にかけて扉を少しだけ開けた。

 するとラーラがするりと隙間から顔をのぞかせて、警戒しつつ部屋の中に入ってきた。


 訪問者の声までは聞き取れない。ヴィーは小声で話をしていたが、せっかくの空気を邪魔され不機嫌そうだ。が、相手もひるまず会話は続けられている。

 譲歩したのはヴィーの方だった。

 彼は一度扉を閉め、リゼルティアーナのほうに戻ってきた。


「悪い。このあと会合があったのを忘れていた。さすがに……すっぽかせないようだ」

 ヴィーは心底残念そうだが、リゼルティアーナとしては助かった。熱情に任せてみたいような、止めてほしかったような。複雑な乙女心だった。


「女官を呼ぶ。できれば、もう一度俺が戻ってくるまでここにいてほしい。茶くらい一緒に飲んでほしい。今日はもう、手は出さないから」

 最後はリゼルティアーナを安心させるように付け加えたヴィーの顔からは熱情の色は消えており、王太子の顔へ変貌していた。


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