王女殿下の憂いごと

「あなたは結局何のために姫君の元へ行かれたんですか。なんなんですか、ヴィー・ヨハンって。そんな人間王太子付きの騎士にいませんよ。いるわけないですよね、あなたが王太子本人なんですから!」

 宮殿の自室に戻って開口一番にフェリクスから怒られたヴィーラウムはどうして、あのとき正体を明かさなかったのか、よくわからなかった。

 いや、あの流れで実は自分がなんて言えるはずもないだろう。もうちょっとこう、シチュエーションというものがあるとか反論したら、盛大に呆れられた。「いいからさっさと明かしてこい」と追い出された。


 おかげで再びリゼルティアーナの元へ訪れることになった。

 とりあえず、正体を明かしてしまおう。おそらく怒られるだろうが。

 まあ仕方ない。内緒にしておいたのはヴィーラウムの方なのだ。

 政務や訓練の合間を縫ってヴィーラウムはリゼルティアーナの住まう迎賓棟へ向かっていた。

 彼女が憂いていた通り、さっさと王太子として対面したほうが良い。

 国王とは顔を会わせていて、夫となる自分とはいまだに未対面というのはさすがに、ちょっととは思う。最初に素の彼女が知りたいとか言い出したのは自分だ。

 自分の始末は自分でつけるべきである。


 迎賓棟でヴィーラウムを迎え入れた女官は、リゼルティアーナは現在ダンスレッスンの最中だと告げてきた。

 おてんば姫のダンスの腕前でも見てやろうかという好奇心で彼女に案内を命ずる。

 女官はヴィーラウムの正体をきちんと把握しているので命じられるまま彼を広間へと案内した。

 案内された広間には教師と踊るリゼルティアーナの姿。

 軽快にステップを踏むリゼルティアーナは春の風のように軽やかに動く。

 教師が感心しているのがわかるくらい、踊りの名手だ。

 木登りが得意というだけあって運動神経が良いのだろう。

 ヴィーラウムはしばし踊っているリゼルティアーナを観察した。


 しばらくすると曲が鳴りやんだ。

 ヴィーラウムは二人の方へ近づいていく。ちょっとした出来心だ。

「次は俺のお相手願えますか。姫君」

 教師の肩をたたき、その場を譲らせたヴィーラウムはリゼルティアーナに向かって手を差し出した。

「……ええ。もちろんよ」

 てっきり反論の一つでも帰ってくるかと思ったが、彼女はにこりと笑みを浮かべてヴィーラウムの差し出した手に自身のそれを重ねた。


 曲が始まる。

 二人は足を踏み出した。

 なるほど、羽を持った鳥のように軽やかに舞う。

「ふふ。わたし、なかなかやるでしょう?」

 笑顔でヴィーラウムの手を取ったのはダンスに自信があったからなのだろう。

「……ああ。正直驚いた」

「もっと感心してくれていいのよ」

 リゼルティアーナは笑みを深めた。

 自分だけに向けられる彼女の笑顔は、はつらつとしていて、どこかいたずらめいてもいた。つないだ手のやわらかさだとか、腰の細さを意識してしまい、ヴィーラウムは慌ててそれらから意識を逸らした。


「ねえ、少し質問があるの。いいかしら」

 リゼルティアーナが小さな声を出す。

「いいけど」

 ヴィーラウムが了承すると、彼女はしばし逡巡し、意を決したように口を開いた。

「ええとね。その……王太子殿下って今二十六歳なのでしょう。あ、あの。どんな雰囲気のお人なのかしら。やっぱり少しお腹は出ているの?」

 想像もしなかった質問にヴィーラウム「はああ?」と素っ頓狂な声を出す。


「えっと。別に見た目がおじさんでも覚悟はしているわ、いえ、するためにあなたに聞いているのよ。側仕えとしては正直に言えないかもしれないけれど、二人きりなのだし、ここは正直に答えてほしいの。いえ、べつにおじさんが嫌っていうことでもないのよ。べつにお腹周りが多少残念でも、わたしは別に……お兄様でちゃんと現実を知っているし」

 リゼルティアーナは懸命に言い訳をした。

「要するにおまえのお兄様、シュヴァルアイツの王太子殿下は腹回りが……アレなのか」

「だって、十二歳離れたわたしのお兄様は年々お腹と後頭部が残念なことになってきて、肖像画よりも三割り増しくらいに横に大きいのよ、お腹が。だから、年の近いこちらの王太子殿下も同じなのかなって」

 さりげなく隣国の王太子の腹回り事情と肖像画の修正具合を聞かされたヴィーラウムである。


「俺……いや、王太子殿下の腹は残念ではない。殿下は日々剣の鍛錬に勤しんでいるし、運動もちゃんとしているからな。筋肉はちゃんとついている。腹も足も腕も」

「そうなの」

 リゼルティアーナは頬を緩めた。

 彼女なりに真剣に悩んでいたようだ。


「だいたい、二十六をおっさん呼ばわりなんて失礼にもほどがあるだろう」

「あら、うちのお兄様はもう見た目おじさんよ。お義姉様もよく嘆いていらしたもの。結婚した当初よりかなりお腹も後頭部も後退しているって」

 それは夫に対して失礼極まりないな、とヴィーラウム心の中で突っ込んだ。

 女性の本音というものは時に残酷だ。


「そういえば、あなたはいくつなの?」

 おそらく彼女は話のついでに聞いてきただけなのだろう。しかし、ヴィーラウムは思い切りその問いかけに反応した。


「お、俺は……二十二だ」

 ヴィーラウムは四歳ほどさばを読んだ。

 なんとなく、本当の年齢を明かすことが居たたまれなくなったゆえの小さな嘘。見逃してほしいと、誰にでもなく言い訳をする。


「ふうん……」

 リゼルティアーナは特になにも追わなかったようだ。二十二に見えるってことだろうか。少しホッとした。

「てゆーか、おまえ肖像画が送られてきただろう。見ていないのか?」

 ヴィーラウムはもっともなことを質問した。この縁談に際して、双方とも肖像画を贈り合っている。ヴィーラウムももちろんリゼルティアーナの肖像画を確認した。

「え。だって。大叔母様もお義姉様も肖像画なんて加工修正が当たり前で、絵の通りだと信じ切っているとあとで後悔するわよって脅すんだもの。後悔したくないから一切見ていないわ」

「ああそう」

 ヴィーラウムは乾いた声を出した。


 確かにヴィーラウムの肖像画も目つきが若干やわらぎ、しかし威厳を出そうとやたらと偉そうに胸を逸らしている。宮廷画家がどや顔で見せてきたそれを、後程フェリクスが大笑いしていたのをよおく覚えている。

 しかし、道理でリゼルティアーナは目の前のヴィーラウムを見てもなんの反応も示さないはずだ。

 彼女はヴィーラウムが王太子の側近の内の一人だと信じ切っているのだろう。

 罪悪感が身をもたげた。


「ねえ、王太子殿下はわたしのこと、なにかおっしゃっていたかしら?」

「え、ああ、そうだな」

「なんて?」

「なんだったかな……」

「もう。頼りにならないわね」

 曲が終わり、リゼルティアーナはヴィーラウムの上に乗せていた手を離した。

 少し名残惜しくてヴィーラウムは離れていった手を握った。


「な、なあに?」


「手紙」

「え?」

「殿下に言っておくよ。手紙書くように」

「ほんとう?」

 リゼルティアーナの顔がぱあっと輝く。

 初夏に咲く淡いピンク色の薔薇のような笑顔だった。


「ああ」

「約束よ」

 そう言って離れていった彼女の輝いた顔が忘れられなくなったヴィーラウムだった。




 その日の夜。

 一人きりの夕食を取った後、女官から花を手渡された。

 受け取ったのは真っ赤な薔薇が一輪と、白いカード。

「王太子殿下からでございます」

 女官がうやうやしく差し出したそれをリゼルティアーナはそっと受け取った。


 すぐに部屋に戻って、侍女が封を空けるのをもどかしく見守った。

 ヴィーは約束を守ってくれたのだ。

 しかも、彼は王太子の信頼が厚いらしい。今日の今日で手紙が届くなんて。


『姫君へ。

 あなたが心安らかに過ごせるように願っている』


 たった一行だが、嬉しかった。

 紅い薔薇をくれるなんて、王太子殿下は情熱的な方なのかもしれない。

 お腹が多少出ていたって平気。

 トルネアの宮殿での不安な日々を払しょくさせるほどの威力があった。


 それから毎日王太子から花が届けられた。

 真っ赤な薔薇が一輪。それから、二日目は可愛らしい砂糖菓子が添えられていた。

 すみれの砂糖漬けは紅茶と一緒にいただいた。

 その翌日はラーラのおもちゃ。

 ベルのついた紐でラーラに向けてみると、興味を持った彼女がぴょんぴょんとじゃれついた。


「王太子殿下にお礼が言いたいわね。こちらから伺ったら駄目かしら」


 彼からの贈り物が届き始めて数日後、リゼルティアーナは女官長に尋ねてみた。

 尋ねられた女官長は少し沈黙した後、「殿下はお忙しい身でございます。急に訪れるわけには参りません」と返してきた。


「そうよね」

 リゼルティアーナは肩を落とした。

「ですが、お礼の手紙を書いてみてはいかがでしょうか」

「そうね。それはいい考えだわ。だれか、便箋を持ってきてくれるかしら」

「はい。もちろんでございます」

 用意してもらった便箋を持ってリゼルティアーナは机に向かうことにした。

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