庭園での再会

 リゼルティアーナのシュヴァルアイツへの輿入れは一年前に決まった。

 当の本人は当分結婚なんてしたくない、むしろ実家から出て行きたくないと相当に駄々をこねたのだが、色々と事情が重なって隣国へ嫁ぐことになった。別にこの国が嫌とかそういうことではなく、単に床に伏せりがちな母と別れたくなかったからだ。

 十六歳になって一月後、リゼルティアーナは豪華な馬車に乗せられてトルネアへとやってきた。


 そのリゼルティアーナは迎賓棟の庭園ではしごに登っていた。

「ひ、姫様。危のうございます。ここは衛兵たちに任せてくださいませ」

 後ろから女官の悲痛な声が聞こえてくる。

 リゼルティアーナは一歩足を上にもちあげて、木の枝に登って降りられなくなった愛猫のラーラに近づく。

 この猫はすぐに木に登る。

 そのくせ自分では降りられなくなるのだ。困った猫である。しかし愛すべき妹分でもある。困っていたら放ってはおけない。


「大丈夫よ。今日はちゃんとはしごを使っているでしょう。それにね、ラーラは男性のことが苦手なの。ずっとわたしと一緒に宮殿の奥で育ってきたから」

 リゼルティアーナは頭だけを後方に向けてにこりと笑った。

「しかしですね! 御身に何かございましたらどうするのですか」


「大丈夫。わたし、丈夫だから」

 リゼルティアーナはきっぱりと言い放つ。


「そういう問題ではございませんっ!」


 のどかな春の日の午後。

 後方では衛兵らが姫君と女官のやり取りを見守っている。

 最初は衛兵が木に登ってラーラを助けようとしたのだが、慣れない男の出現に機嫌を悪くしたラーラはより高いところへ昇ってしまった。

 引っ越し先の環境に慣れていないのはラーラも同じこと。

 ここはリゼルティアーナの出番というわけだ。


「ほおら、ラーラ。戻っていらっしゃい」

 リゼルティアーナは枝の上で固まっているラーラに両手を掲げた。

「姫様!」

 女官のほうが今にも倒れそうな声を出す。

 彼女の心の平穏のためにもさっさとラーラを回収しないといけない。


「ラーラ。いらっしゃい」

「ニャアン」

 ラーラは二度目の問いかけでリゼルティアーナの腕の中に飛び込んだ。

 彼女の肩に両手をかえるラーラにほっと一息。ふわふわ綿毛がこそばゆい。

「よかった。あんまりおいたしないのよ」

 さて、戻りましょうかというとき。

 後方が再びざわついた。


 誰か、来たのかしら。もしかして偉い人だったりする?

 リゼルティアーナは焦った。

 だって、姫君がはしごを伝って木登りだなんて、絶対にまずい。色々と。

 女官と衛兵にこの行為がバレていることは棚に上げてリゼルティアーナは狼狽した。

 淑女の仮面がはがれてしまうのは仕方ないが、もう少し仮面はつけておきたい。

 リゼルティアーナは早く降りようと焦ってしまい、足を滑らせた。


「きゃっ……」

 後ろに倒れる、と思った瞬間。

 何かが背中に当たった。

「危ないな」

 それとすぐ上から男性の声が降ってくる。腰のあたりに回されているのは人の腕。

 リゼルティアーナはすぐに誰かが抱き留めてくれたのだと悟った。


「ニャアア」

「あ。だめよラーラ暴れないで」

「いてっ」


 抱きかかえられたリゼルティアーナの腕の中でラーラが暴れて、おそらく爪が男性にひっかかったのだろう、彼が声を出す。

「じっとしてろって」

 彼はリゼルティアーナを離すことなく、抱きかかえて梯子から少し距離を置いたところでリゼルティアーナを地面にそっと降ろした。


「あ、ありがとう」

 お礼を言って気が付いた。

 すぐの距離に立っていたのは数日前に出会った失礼な黒い髪の騎士だった。

 やたらと偉そうにリゼルティアーナに説教というか悪口を言ってきた年上の騎士。


「あ、あなた! このあいだの」


「ニャアアン」

 腕の中でラーラが暴れている。どうやら威嚇をしているようだ。

「主人に似ていい性格した猫だな」

 黒髪の騎士は目をすがめた。

「ちょっと、それどういう意味よ。あなた、前回から失礼だわ」

 リゼルティアーナは目を吊り上げた。どうにも彼の言葉が引っかかってしまう。


「こっちこそ言わせてもらうがな。慣れていない奴がはしごなんか使ってどういうつもりだ。おてんばも大概にしろよ」

「な、なによ。ラーラを助けるのはわたしの役目よ。べつにわたしがおてんばでもあなたには関係の無いことじゃない」

「それが助けてもらったやつに言う言葉か?」

「べ、べつにあのくらい平気だったもん。ちょっと身体打つくらいちっちゃいころからよくあったもん」

「ああ言えばこう言うやつだな」

「あなたが言わせているんでしょう」


 二人の間に割って入ったのは灰茶の髪をした青年だった。

「ヴィー。あなたここに何しに来たのか覚えていますよね」


 黒髪の騎士と同じ装束を身にまとってるが、目つきは彼の方が優しげだ。

「私の名はフェリクス・ファンナ・ヨーゼガルト。王太子殿下付きの騎士をしております。こちらは……」

 フェリクスは名乗り、隣の男性に視線を移した。

 その流れでリゼルティアーナも彼を見上げる。

「俺は……ヴィー・ヨハンだ」

「っておい」


 フェリクスがすぐさま突っ込みを入れた。

 リゼルティアーナは首をかしげた。

 昨日の騎士の名前は分かった。

 しかし、どうしてフェリクスがここまで眦を吊り上げているのかがわからない。

 あたりはいつの間にか人払いがされていて、リゼルティアーナの側には女官がただ一人。他の人間は立ち去っていた。


「あなたも王太子殿下の騎士?」

「……ではないが、近いところにいる」

「ふうん?」

 フェリクスと同じ装束だがどう違うのだろうか。騎士の所属とか役割だとかはあまり詳しくない。

「それよりも、おまえ」

「ゴホォォッホン」

 ヴィーが話しかけると隣のフェリクスが盛大に咳をした。それに気が付いたヴィーはあっと何かに気が付いたように口調を改めた。


「姫君に言いたいことがございます」

「今更よね、敬語も」

「おいこら」

 小さくつぶやいた言葉だがしっかり聞こえていたようだ。

 リゼルティアーナはあまり身分にこだわりがない。実家にいたころから女官や侍女たちとも気さくに会話をしていたものだ。

 これが気位の高い王女だったりしたら、高貴な王女相手におまえ呼ばわりしただけで不敬罪で牢獄送りになることもあるが、リゼルティアーナはそのあたりにはうるさくなかった。


「なんでもないわよ。別に無理に丁寧にしゃべらなくていいわよ。こっちも背中がむずむずしちゃうから」

 リゼルティアーナの言い分にヴィーは一瞬黙ってそれから口を開いた。

「とにかく、だ。おてんば娘に似ておてんばな猫には紐でもつけておけ。そうしたら煩わされることもないだろう」

「嫌よ! 紐をつけるなんて!」

 リゼルティアーナは即座に反論した。

「その方が飼いやすいだろう」

「駄目よ。ラーラが自由に過ごせなくなるわ。絶対にだめ」

「だったら救助は衛兵に任せておけ。危ないだろう」


 また話題が戻ってしまった。

 彼が言い方はともかくリゼルティアーナの心配をしてくれているのは分かった。言い方が癇に障るけれど。


「だってラーラは男性に慣れていないのよ。ただでさえ、引っ越ししてきて気が立っているのに。わたしが一番彼女のことを知っているから適任だと思ったの」

「しかしだな……」

「さっきのあれは後ろにだれか偉い人が来たかもって思ったら少し焦ってしまったの。普段はもっとちゃんとうまくやるわ」

 リゼルティアーナは肩をすくめた。

 やってきたのが昨日の騎士二人だけだと知っていたら足を踏み外すことはなかったのに。

 そういえば、どうしてこの二人相手に周囲の人間たちはざわめいたのだろう。

 よほど偉い人なのかもしれない、とリゼルティアーナは内心真実に近い想像をした。


「とにかく、おてんば加減もたいがいにしろ」

「うるさいわね。あなた、小言がいちいち小姑みたいなのよ」

「こ、小姑だと」

 リゼルティアーナはぷいっと横を向いた。

 どういうわけだか知らないがヴィーに何か言われると反発したくなる。


「まあまあ。二人とも。今日ヴィーは姫君に昨日の無礼な発言について謝罪に来たのでしょう。なに、再び喧嘩を売っているんですか」

「あら、謝罪なら受け付けてあげるわよ」

「こんな生意気女に謝ってたまるか」

「なんですって。失礼な男ね」

「失礼なことを言われないような淑女になってみろ」

「ほんっとうに嫌味ね、あなた」

 二人は睨みあった。


「ヴィー、あなた一体ここに何しに来たんですか」

「うるさいぞフェリクス」

「同僚に当たることないじゃない。心狭いわよ、あなた」

「おや、私の苦労をわかってくれますか。姫君」

 フェリクスはリゼルティアーナの言葉に大げさに反応した。

「あら、もちろんよ。口が悪くて態度の大きな同僚を持つと苦労するわね。そうだわ、中へいらっしゃい。わたし退屈なの。せっかくなら王太子殿下のお話が聞きたいわ」


「王太子殿下のお話、ですか」

 と、フェリクスは隣のヴィーの方を向く。

 口元がぷるぷると震えている。

「いいですよ、もちろん」

 フェリクスはにんまりと笑った。


「あ、ヴィー。あなたは別にいいわよ、来なくても。おてんば娘のお相手をするのは嫌でしょう」

 話し相手を見つけたリゼルティアーナは喜んでフェリクスを迎え入れた。

ついでに隣の黒髪の騎士に一言言ってやると彼は目を見開いた。


「おまえとフェリクスを二人きりになんてさせられるわけがないだろう! 自分の立場を考えろ」

「なによ、お菓子が食べたいならそう言えばいいのに」

「ちがっ」

 慌てた彼の様子がおかしくてリゼルティアーナは肩を震わせた。

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