それぞれの印象
「なんなんだ。あのおてんば娘は! 普通木登りするか? しかもおっこってくるし。俺が通らなかったらどうするつもりだったんだ」
自室に戻ったヴィーラウムは騎士装束の上着をはぎ取った。
思い出すのはやたらと生意気な十六歳の少女。隣国の姫君の言動だ。
「元気で可愛らしい姫君でしたねえ。澄ましていない分ましではないかと」
「澄ましていないがとんだじゃじゃ馬だろう」
「いえ、あなたも相当に失礼でしたよ。てゆーか、自分の妻に対して嫁の貰い手が無いぞ、とか。可笑しくて噴き出すのを我慢するのが大変でした。何言ってんですか、あなたの嫁でしょうに」
フェリクスはそう言って思い出し笑いをする。
「うるさい。俺は世間一般の意見として言っただけだ」
フェリクスの突っ込みは幼いころから容赦がない。
何しろ乳飲み子の頃からの仲。小さいころはしょっちゅう喧嘩もしたし剣の稽古では勝ったり負けたり互角の勝負を繰り広げていた。
「まあ、姫君も負けじと言い返していましたしね。しかも最後、あなたのお嫁さんが可哀そうだわとか」
と、フェリクスはまたもぷくくと手のひらで口元を押さえながら腹を抱えた。
「そのお嫁さん、姫君あなたですよ、とつっこみたかった……くくっ……どこの三文芝居ですかって……」
「……笑いすぎだ。おまえ、いい加減不敬罪で牢屋に入れてやろうか」
ヴィーラウムは面白くなくて遠慮なく爆笑している乳兄弟をじろりとねめつけた。
悪かったな、こんな男がおまえの夫で。
ヴィーラウムの脅しが効いたのかフェリクスはどうにか笑いの虫を治めた。
「猫と一緒にやってくるのは知っていましたが……」
そう、それは覚えている。
なにしろヴィーラウムが許可を出したのだから。
この政略結婚はトルネア側から働きかけたもの。
というのも、話は約百年前にさかのぼる。
当時、トルネア王国では近隣諸国との長年の戦争に加えて王族、とりわけ王妃の浪費が激しかった。長年の戦争負債に加えて止まることのない浪費。取り巻きの貴族らもそれは同じで王妃のおこぼれにあずかろうと彼女をおだて、気をよくした王妃は自分のお気に入りたちに莫大な年金を支払い、増えていく不必要な宮廷役職。それは数代にさかのぼった王の頃からのことで、民の我慢は限界だった。
立ち上がったのがヴィーラウムの祖先でもある当時の伯爵。
内乱を起こしたゲルリンク家は当時の王家を滅ぼし、そのまま新たな王朝を起こした。そして現在のヴィーラウムへと続いてる。
「変に気取った姫君ではなくてよかったですね。彼女ならきっとあなたとも仲良くやれますよ」
「どのへんがだよ?」
ヴィーラウムは乳兄弟の呑気な言葉に即座に反論した。
「あなたとまともに口喧嘩ができるところとかですかね。あなた顔はいいのに目つきと雰囲気が怖いって評判じゃないですか、主に貴婦人の間で」
「ふん。心の中では簒奪王の家系に嫁がされて、こっちのことを蔑んでいるかもしれないぞ」
ゲルリンク家は前王朝の血の入っていない家系で、それもあって新たな王として名乗りを上げた際、近隣諸国から猛烈に批判を浴びた。どの国も、自国で同じような内乱を起こされることを危惧したのだ。
「卑屈すぎですって。この数代で近隣王家の血も取り込んでなんとか見栄を張れるくらいにはなってきたじゃないですか」
「失礼だな」
「俺の家系だって元は農夫でしたからね」
フェリクスは肩をすくめた。
現在のトルネア王国で貴族と呼ばれる家はほぼ百年前の内乱で功績を上げた平民上がりの者たちが多数を占める。
元いた貴族らは内乱の最中殺されたり、他の国へ亡命したりさまざま。生き残った残党はその後十数年に渡り新王朝の正当性を否定してきた。実際血を見る小競り合いも何度か続き、今に続くゲルリンク家への侮りへと続いている。
「それで、素のリゼルティアーナは本当のところいかがだったんです?」
フェリクスが面白そうにもう一度尋ねてきた。わざわざ変装までして会いに行った姫君。
ヴィーラウムは長めの前髪をかき上げた。王太子として人の前に姿を現すときは後ろへなでつけているのだ。
十六歳になったばかりだと聞いていたからてっきりまだ子供だと思っていたのだが、先ほど出会ったリゼルティアーナは女性らしい丸みを帯びた体躯にあどけない顔立ちが少し残った少女だった。透き通るような白い肌に、血色の良い頬、くちびるはさくらんぼのように赤く、ぱっちりとした大きな瞳はきらきらと生気に輝いていた。
ヴィーラウムは咳払いをした。
「肖像画よりもだいぶ生意気そうだったな」
ヴィーラウムはわざとそう言った。
実際、送られてきたリゼルティアーナの肖像画は、控えめな微笑みを浮かべた深窓の姫君そのものだった。風に吹かれればぽきっと折れてしまいそうな守りたくなるような美少女。
いや、これはさすがに盛りすぎだろうと反発心を抱くくらいには。
「肖像画よりも元気そうでしたね」
フェリクスが言い直した。
こいつは昔から女性に対していい顔をしたがるところがある。
「ヴィーも言いたい放題でしたからね。一応、騎士と言うことになっているんですし、王女相手に会の言い方は不敬罪ですよ。あとで謝りに行かれたほうがよいのでは?」
「どうして俺が」
「だって、正体隠していらしたわけですし」
「うっ……」
そういえば俺騎士ってことになっていたっけ、と今更ながらに思い出す。
「まあいいじゃないですか。謝りがてらあなたの正体をきちんと明かして、今度は友好的な関係を築いてくださいよ」
フェリクスは最後にそう念を押してきた。
部屋へと連れ戻されたリゼルティアーナは女官たちから入念に体を確認された。
彼女らはリゼルティアーナの身体に傷がつくことをなによりも恐れている。すり傷の一つや二つ、慣れているし別にたいしたことないのに、と言ってみたら青い顔をされてしまった。なんて大げさな。
木から落ちたけれど、あの失礼な騎士のおかげで打ち身もなかった。
そこは感謝するところなのだが、やっぱり腹が立つ。
「あの騎士たちは一体だあれ?」
リゼルティアーナは近くの女官に尋ねた。
汚れたドレスを脱がされ、新しい室内着にそでを通して、髪の毛も梳いてもらったあとのこと。
リゼルティアーナよりも十歳は年上であろう女官は視線を少しだけ泳がせた。
「あちらの騎士様は、王太子にお仕えする者たちですわ」
リゼルティアーナが尋ねた女官とは別の、黒髪の年かさの女官が答える。
「王太子殿下の? それにしては、失礼だったわ。あの、黒髪の方。わたしに……いえ、いいわ」
さすがに、お転婆すぎて嫁の貰い手云々言われたことを言うのは憚られる。
ちょっと、いや、かなり格好悪い。
「厳しいお方ですが、その……」
「なあに?」
女官たちはその黒髪の騎士の正体が王太子だと知っている。彼が自分の身分を伏せておけと意思表示をしたことも引き継がれている。うっかり余計なことを言えばこちらが不敬罪になってしまうので言葉を濁すのだが、リゼルティアーナにはそこらへんの事情はもちろん分からない。
なんとなく、騎士を庇っているようにも聞こえて面白くない。
自分がよそ者なことは十分にわかっている。
「いえ。お二人とも身元は確かでございます。おそらく、殿下の命で姫君の様子を伺いに来たのでしょう」
「そ、そうよね。変なところ見せてしまったわよね」
うっかり木登りしているところを。
これは反省しなければいけない。
国を出るとき家族一同から口を酸っぱくして言われ続けたことだ。
とにかく、おしとやかに。木登りなんてもってのほか。しおらしくしていろ、と。
到着三日目にして破ってしまったけれど。
「さあさ、姫様。ご気分を変えるのにこちらはいかがでしょうか。宮殿の菓子職人が腕によりをかけて作りましたケーキですわ」
「ありがとう。いただくわ」
リゼルティアーナはにこりと笑った。
みんな気を使ってくれているのがわかる。
「姫様。ラーラ様をお連れしました」
「ほんとう?」
ただ一人の親友の到着にリゼルティアーナは破顔した。
女官の腕の中でもがいているリゼルティアーナの愛猫。
「もう、勝手に抜け出しては駄目よ」
ぴょん、と床に降り立ったラーラはリゼルティアーナの小言に見向きもしないで長椅子の端に飛び乗り寝そべった。
ふわ……とあくびをして瞳を閉じるふてぶてしいラーラの仕草にリゼルティアーナは「まったく。あなたはどこででもマイペースなのよね」とごちてから立ち上がった。
こっちは知らない国にお嫁に連れてこられて大変なのに、と。
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