6.腹の探り合い

 あれよあれよと奔走ほんそうしている間に時間は有無を言わさず過ぎてゆく。


一分、一時間、一日。ふと気づいたら秒針はおろか、分針、時針までもが一周する。それにすることさえままならない僕はただ波に身を任せて目の前に立ちはだかる出来事に洗われる。


能動的じゃなくても、受身でも思ったよりスピーディに人生ってのは進むものだ。

僕は、身に降りかかる出来事を災難なものだと思っているのだろうか。


自問自答しても答えは見つからない。

人生のハッピーエンドをよりハッピーに感じるための、アクセントみたいな災難なのか。


すいかには塩、人生には災難だ。



「要くーん、聞いてる? 」


ふっ、と。

京華さんが僕の眼の前で細く小さい手をひらひらと動かす。

トレードマークの何回も折りたたんで捲くられた袖はいまも健在だ。



机をひとつ挟んだ右隣にはタマゴサンドにパクつく美咲さん。

正面には塩むすびに食らいつく京華さん。


昼休みの時間になり、いつもと変わらないメンバーで机を囲む。

机の上には大手チェーンのコンビニと、関東にしか展開していないコンビニの二種類のビニール袋が鎮座している。

ちなみに僕の昼食は母親が作った弁当だ。



美咲さんと京華さんが文字通り会話に花を咲かせていたところに、

急に話題を振られた僕はうろたえながらも正直に話を聞いていない旨を話した。


「だからさあ、夏休みにせっかくだからどこか行きたいよねって話」


「そっか、もう再来週から夏休みかあ・・・・・・」


背もたれに全体重をかけてひとりごちる。

期末試験が終わればいよいよ一ヶ月の長期休暇だ。


「美咲ちゃんはどこか出かける予定とかあるの? 」


「私は特にないかな。というよりも、たぶんずっと勉強漬けだろうし」


「ああ!もうやめてよ、そういうこと言うのはさ」


二つ目の塩むすびのパッケージを開けようとしたところで京華さんはうなだれた。

おそらく「勉強漬け」というワードに拒否反応を示したのだろう。


それもそのはず、高校三年生の夏にのんきに遊ぶやからはいないはずだ。

少なくともこの真面目な学校の真面目な生徒では。



僕だって正直普段どおりのうのうと過ごしていたいが、きっとそうはならない。

誰に言われるでもなく周りに合わせて受験勉強をするのだろう。

周りがそうしているから、自分だけ遊んでいるわけにはいかないから。


「京華さんはどこか行ったりするの? 」


毎日を飄々ひょうひょうと過ごしている京華さんが少しだけ気になって

彼女に尋ねた。僕は京華さんに何を期待しているのか。


数秒の沈黙の後、京華さんがひねり出した答え。


「わたしも勉強しなきゃいけないかなあ。お母さんとかうるさそうだし」


間延びした声で、語気が徐々に弱くなっていくのが気の毒だった。

心なしか、京華さんの塩むすびを食べるペースが落ちてきている。



やっぱり、そういう慣習に染められてしまっては自由に行動できないのだろう。

僕が周りと足並みをそろえるように勉強をするのと同じく、京華さんも親に咎められていやいや参考書と対峙するのだ。


僕は、彼女は、本当はこんなことをしている暇はないのかもしれない。

日本人は出る杭を打つのが好きだと言われているが、それは他人ではなくまぎれもなく自分自身に向けられた言葉だ。


出る杭は僕で、打つのも僕なのだ。



「でもさ、こういうときって逆にパーッと遊んでみたいと思わない? 」


そう言ったのは、本来そんなことを言うキャラではない美咲さんだった。

京華さんがオーバーリアクションですかさず反応する。


「そう思う!人と違うことがしてみたい! 」


やっぱり美咲ちゃんとは意見が合うなー、とご満悦の表情をする京華さん。

未来の小説家と小さな画家は、やっぱりどこかシンパシーがあるのだろうか。



「みんながせっせと勉強しているときにさ、横で好きなことやってる時間って究極の解放感を感じられると思うの」



サンドイッチの包装を小さく結び、ペットボトルの緑茶をすすりながら遠くを見つめる美咲さんがひとつ大きなため息をついた。


「美咲さんも相当溜まってるんじゃない? ……その、フラストレーションというか」


小さくこくりと頷いた。

続けざまに残っていた緑茶を飲み干し、机の上に小さな手帳を取り出した。


僕と京華さんにとっては見慣れた、すすけた表紙のそれを器用に開く。

あれは美咲さんが肌身離さず身につけている小説のプロットソフトだ。


ソフトというにはただの手帳でアナログ極まりないが、日常の些細なことでもとりあえず書き記すことを目的とする彼女いわく、手書きのほうがスピーディかつリアルな情景が残りやすいらしい。


という言い方がいまひとつ想像できないが、美咲さんの言うことだ。真正面から考えていたら一生眠れなくなる。



「ははーん、もしかしてストーリーが行き詰ってるんじゃない? 」


京華さんの言葉にイエスともノーとも言わず、苦笑いを浮かべながら話した。


「こうも勉強だけの毎日だと、思考が固まるせいでぜんぜん頭が回らなくなるのよね」


「わかるわかる。わたしもコンクールの締切が近づいてるけど下書きすら終わってないし。たぶん夏休みを前にして雑念が生まれちゃったんだろうね」


マイナス思考の共通部分からはじかれた僕は他人事のように二人の表情を見比べる。


ヘラヘラと笑いながら近況を話す京華さんと、切羽詰まりながらも力づくで一滴の苦笑いを絞り出したような美咲さんのあいだに小さな段差を感じた。


「要くんもちょっとは助けてあげたら? 美咲ちゃんの相棒でしょ? 」


「そんなこと言ったって美咲さんがどんなストーリーを練ってるのか全然わからないし、助けてあげたいのはやまやまだけどさ……」


徐々に口ごもる僕をかばうかのように横から美咲さんが口を挟む。


「アイデア段階のストーリーはあまり口外しない主義だから。私が勝手に悩んでるだけだし、心配いらないわ」


そういいながら小さく結ばれたサンドイッチの包装を手に、席から立ち上がった。

昼休みが終わるまであと十分。


「でも、現場取材のお手伝いはぜひともお願いしたいわ。要くんと、京華ちゃんのふたりにね」


持っていたビニールごみをごみ箱に放り込んだ美咲さんはそのまま教室を後にした。

トイレか水道にでも行ったか、すぐ戻ってくるだろう。



「現場取材って、ねえ……」

「現場取材、かあ……」



突然のオファーに呆気に取られた僕と京華さんが顔を見合わせる。

心配するなという割にはつくづく人を巻き込むタイプの人間だ。


いったい僕らはなにをされる?

美咲さんの手となり足となり、あちこちを走り回る羽目になるのだろうか、

それとも膨大な数の資料を読まされる羽目になるのだろうか。



「せっかくの彼女がああいうタイプってどんな気分なの? 」


「悪い気はしないけどね。振り回されてるけどいい勉強になってるよ」


質問の真意はきっと興味本位だろうが、内容が内容だ。

自然と小声の会話になる。


「ふーん、要くんも物好きだねえ。もしかしてマゾ体質とか? 」


「そんなわけないでしょ。苦労を知りたいだけだよ」


「台風が雨男を呼び寄せるとはねえ……」


不思議なカップルだなあ、と机に突っ伏した京華さんに

そんなものだよ、とフォローを投げかける。

フォローになってないことに気づくのはもうすこし後のことだ。



「それにしても、現場取材ってなにするんだろうね」


「知らないよお。いくら夏休みに勉強したくないって言っても、慈善活動みたいなのもしたくないよ。美咲ちゃんには悪いけどさ」


「美咲さんのことだし、まじめな取材活動でもすることになるかもね」


「めんどいなあ……」


さっきまでシンパシーを感じあっていたふたりに亀裂が生まれたか。

京華さんは目もうつろに「わたしの休みが……」とつぶやいたまま動かなくなってしまった。


そこに、『台風』と揶揄された美咲さんがハンカチを折りたたみつつ僕らのもとへ戻ってきた。


うなだれて動かなくなった京華さんを見て、限りなく小さな声で「この子、どうしちゃったの? 」と僕に尋ねてきたが僕は「いろいろあってさ」とうやむやに答えるのが精いっぱいだった。


まさか美咲さんの横暴ともいえる依頼に文句を言っていたとは口が裂けても言えまい。





「ところでさ、現場取材ってさ、具体的になにするの? 」


「まだ考えてる途中なんだけど、花火を見に行くっていうのが今のところ最大の目標ね」


「……花火? 」


「そう。やっぱり夏休みなんだからそういう風情のある事やりたいじゃない」


唖然とする僕と、いまだに動かない京華さん。

現場取材が、花火見物?

いったいどんな方程式を解いたら取材と花火がイコールになる?



「いま考えてる物語って、花火が主題なの? 現代に生きる花火職人の苦悩を描いた人間ドラマとか? 」


「そういう作品じゃなくてもっと等身大のストーリーよ。れっきとした王道の青春群像劇みたいなものね」


聞けば聞くほど、現場取材という言葉の意味が分からなくなる。

美咲さんなりの高度な言葉遊びだ。


「青春群像劇の現場取材として僕らが花火を見に行く、って……」


だんだんと美咲さんの考えていることが、僕の頭の中でも形になっていく。


「私たちがモデルなんだから、実体験は重要でしょ? 」


そういって、彼女は再び煤けた表紙の手帳を開いた。

この手帳のなかに別次元の僕たちがいるとはだれが予想できたか。


さっき美咲さんが言っていた「ストーリーが行き詰っている」という言葉も、ようやくその中身が見えてきた。



僕も、美咲さんも、京華さんも、この学校の中で同じタイムテーブル、同じ行動パターンを強いられているからだ。

キャラが画一化されては物語が動かない。

同じ時間に同じ授業を受けていればなおさらのこと、ただ椅子に座って教科書を斜め読みしたところで端から見ればモブもいいとこだ。



僕らがモデルになる。主人公になる。

そのためには、行動をしなければ。クラスのみんなが勉強している横で、パーっと遊んで解放感を感じなければ。



「本当は海に行くくらいしたいのだけど、立場はわきまえなくちゃね」


「そう? 一日くらいは息抜きに遠出してもいいと思うけど」


受験生という立場を気にする美咲さんと、モデルという肩書を気にする僕。


「詳しいことは追々決めるわ。それに……」


そっちの言い分も聞いてみないといけないからね、と京華さんの肩をたたいた。

どうやら京華さんは机に突っ伏したままいつのまにか軽い睡眠状態に入っていたらしい。どれだけ睡眠不足なんだろうか。



 小説のモデルになって過ごす夏休みはどんな味がするのか。

花火を見に行くなんて、夏のイベントとしては鉄板中の鉄板だ。


数年前に有馬や仲のいい男友達と近所のしょぼい打ち上げ花火を見に行ったきりご無沙汰だった僕は、そんなイベントのいろはを覚えていない。

そこに連れ出されるのだから、ある程度の予習は必要か。



それに、と頭の片隅で考えていたことと、美咲さんが口にしたセリフは見事に重なった。


「付き合って初めてのデートだもの、楽しみにしてるわ」


やっぱり考えることは同じだ。色恋に曲解の余地なんてないだろう。


「プレッシャー感じるなあ」


そう言い残して僕も教室を後にする。

トイレに行ったり、水道で口をゆすいだりと、昼食後はすることがいっぱいだ。


廊下の窓からなだれ込む日光が目にまぶしい。

天気は昨日と変わらないけど目の前がいつもより明るく感じる。

なにも見えないくらい。




「初めてのデートね……京華さんも巻き込んじゃったけど、大丈夫だよな……」



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