第2話 やるなら徹底的に

「誘惑……誘惑、かぁ……」


 ベッドの上でタオルケットにくるまりながら、思考をめぐらせる。いったいどうすれば、ゆーにぃに振り向いてもらうことができるのか……。


 わたしはほとんど無意識に、両手を二つの膨らみの上に置いていた。

 やや小ぶりではあるけど、貧乳というほど貧しくはない。微乳というほど微妙でもない。ふよふよとした感触が、はっきりと手のひらに伝わってくる。微乳以上、普乳未満……といったところか。


 昔のわたしに比べれば、当然、身体は成長している。

 だけど誘惑できるような度胸を、今のわたしは持ち合わせていなかった。


 いっそ……昔のわたしだったら。

 ゆーにぃ大好き! って素直に言えてた、あのころのわたしなら。

 きっと、今よりも上手なアプローチができるはず。


「昔の、わたし……」


 うん。そうだ。

 昔のわたしになりきれば、きっと……!



     ☆ ☆ ☆



 妙に身体が重たくて、俺は目を開けた。もしや風邪でも引いたか……?


「おはよっ、ゆーにぃ! 朝だよっ!」


 ……いや、違う。これは物理的な重さだ。ベッドに横たわる俺の上に、霞が覆いかぶさるようにのしかかっている。


「ゆーにぃ〜、ゆーにぃ〜! だいすき〜!!」


 それだけでも意味がわからないのに、霞は俺の背中に腕を回し、ぎゅう〜〜っ、と力強く抱きついてくる。


「……どうした、霞。熱でもあるのか?」

「ちがうも〜ん。わたしはただ、ゆーにぃのことが大好きなだけなの〜っ!」

「…………」

「ぎゅっ、ぎゅ〜っ、ぎゅ〜〜〜っ!」


 ……まさか?

 俺の脳裏に、ある可能性がよぎる。


“霞が、俺をその気にさせてくれ”

“任せる。あの手この手で、俺を誘惑してくれればいい”

“絶対にゆーにぃのこと、振り向かせてみせるから!!”


 確かに昨日、そんな話をしたが。

 …………これが、その“誘惑”だとでもいうのか??


「なんでもいいが、とりあえずどいてくれ。起きあがれない」

「やだやだ〜。だってわたし、ゆーにぃのことがだぁい好きなんだもんっ」


 そうやって大胆にくっついてくるわりに、霞はいっこうに視線を合わせようとしない。


「ゆーにぃゆーにぃ、すきすきすきぃ〜! だからず〜っとそばに――」

「おい。一旦それやめろ」

「むぎゅ」


 両手で頬を押しつぶし、強引にこっちを向かせる。

 視線が合った。


「もしかして、これが霞なりの誘惑なのか?」

「…………う、うん。そう。いきなりごめんなさい」


 素に戻った霞が、少し気まずそうに言う。

 俺は霞の頬から手を離す。なにも考えずに触れた頬は、意外なほどすべすべで柔らかくて、ちょっとびっくりしてしまった。


「昔のわたしみたいに素直になれれば、今よりも上手にアプローチができるんじゃないかって思ったの」

「なるほどな」


 確かに、昔の霞はそんな感じだったかもしれない。

 果たしてそれで俺がなびくのかは置いといて、霞なりに頑張ろうとしてくれているのは伝わってくる。


「だから、今日は一日、“昔のわたしモード”でいようと思うんだけど……ゆーにぃ、どう思う?」

「いいんじゃないか?」


 俺は言った。


「ほんと? ゆーにぃのこと、ちゃんと誘惑できるかな?」

「それはまだわからない。ただ、やるなら徹底的にやらないとダメだ。中途半端はよくないからな」

「う、うん、そうだよね」

「ちょっとさっきの、もう一回やってみろ」

「……え、えっと」


 改まってやるのは恥ずかしいのか、また視線を逸らす霞。

 やがて意を決したように、真正面から俺を見た。


「あのね、あのねっ! わたしね、ゆーにぃのことがだいだいだぁ〜〜〜い好きなの! どのくらい好きかって言うとぉ〜」

「はいストップ」


 顔を真っ赤にしながら「どのくらい好きか」のジェスチャーを始めた霞に、ストップをかける。


「“霞”」

「えっ?」

「霞、昔は自分のことを“霞”って名前で呼んでただろ? やるならちゃんと、そこまで再現しないと」

「ええっ! な、なにもそこまでしなくてもいいようなっ……?」

「はい、もう一回」

「うう、ゆーにぃが厳しい…………で、でもそんなの、羞恥プレイすぎると思うっ」


 たかだか自分の名前を呼ぶだけで、なかなかの抵抗を見せる霞。ここまで恥ずかしがられると、なんだか意地でも呼ばせたくなってくるな。


「霞? 俺は別に、霞を辱めるために言ってるんじゃない。俺たち兄妹の明るい未来のためだ。わかるな?」

「う、うん。そう、だよね……」

「じゃあいくぞ。よーい、アクション!」

「あのね、あのねっ! か――やっぱり恥ずかしいっ」


 ぼふんっ。

 あと一歩のところで羞恥心に敗北し、霞は俺の胸に顔をうずめた。


 う〜ん、少し遊びすぎてしまったか。

 まぁ、今日のところはこのくらいにしておいてやろう……なんてことを思ったときだった。


「……霞ね、ゆーにぃのことがだいだいだぁ〜〜〜い好きなの。……この気持ちは、本当、だから」


 胸に顔を埋めながら、くぐもった小さな声でそんなことを言う。顔は隠れていても耳は真っ赤で、言葉にせずとも気持ちは筒抜けだった。


「わかってる」


 俺は霞の背中に腕を回し、その華奢な身体をきつく抱きしめた。


「ゆーにぃ……」


 こんなことをしたのはいつ以来だろう。いや、もしかするとはじめてかもしれない。

 ――キスはまだ、できなくても。こんなふうに気持ちを伝えることくらいは、今の俺にだってできるのだ。

 一分ほどだろうか。俺たちはただ静かに、互いの身体を抱きしめあった。


「そろそろ起きるから、どいてくれ」

「うん……」


 霞が俺から離れ、俺はベッドから立ちあがった。

 霞は照れくさいのか、ベッドの端にちょこんと腰かけ、うつむいている。


「霞、もっとこっちに来い。今日はずっと“昔の霞モード”なんだろ?」

「あ……う、うんっ!」


 うれしそうに表情を綻ばせ、霞はベッドのそばに立つ俺のすぐ隣に移動した。


「さて……」


 俺は服の裾に手をかけると、一気に脱いだ。


「ゆ、ゆーにぃ!? なななな、なにをっ!?」

「なにって、着替えに決まってるだろ」

「わわわわわわたし、そ、外出てるねっ……!」


 動転した様子で部屋の扉へ向かおうとする霞の、襟首を掴む。


「こらこら。行くんじゃない」

「なんでー!? 意味わかんないよっ、ゆーにぃ!?」

「“昔の霞”なら、俺の着替えなんて気にしなかったはずだぞ?」


 むしろ霞自身が、平気で俺の前で着替えたりしてたからな。中学にあがるくらいまで。


「そっ、それはそうかもだけど! で、でもぉ〜〜っ!!」

「でもじゃない。昔の自分になりきるんだろ? だったら、徹底してみろ」

「う〜〜〜っ、ゆーにぃが鬼畜だ……」

「別にガン見しろとは言ってないぞ。ただ逃げずにそこにいるだけでいい」

「それでも、ゆーにぃの裸が視界に入ってくるんですけど……」


 上半身裸の俺を、横目でちらちらと窺ってくる霞の顔は、相変わらず赤い。

 気にせず、俺は着替えを続行する。

 耐えきれなくなったのか、霞は両手で顔を覆い隠した。


「はぁ〜〜っ、なにこれっ、衣擦れの音がエッチだよぉ……っ」

「エッチなのは霞だろ。どんだけ想像力豊かなんだ?」

「ね、ね、もう終わった? 霞、もうそっち見ていい?」


 指の隙間からつぶらな瞳を覗かせながら訊いてくる。こういう仕草を、ギャグじゃなくて天然でやっちゃうのが霞なんだよな……。


「そんなに早く終わるわけないだろ」

「ねぇねぇ」

「まだ」

「そろそろ」

「終わったぞ」

「……ほんと? ゆーにぃ、霞におち…………み、見せようとしてないっ?」


 ……やっぱり、エッチなのは霞だ。

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