どきどきはぁとふるこねくしょん 中編

 「…女の子連れてくる場所として魚市場ってのはどうなのよ」

 「いや、出かける時にお袋から魚買ってこいって言われたんで」


 県内有数の市場で、県外からの観光客も少なくないだけに夏の平日でも人出は少なくない、賑わいある通りを次郎と伊緒里は並んで歩いていた。

 といって伊緒里は制服姿のままだ。すれ違い際に妙な目で見られることなどは地元だけに無いとはいえ、居心地のいいものでもない。増して家のお使いのついで、みたく扱われているようで心楽しむわけもない。


 「大体ね、この夏の最中にお魚買ってバスで帰るってどうなの。家につくまでに悪くなってしまわない?」

 「怒るポイントそこじゃないと思うんだけどなあ。まあ俺が責任持って買わないといけないっぽいからさ、干物でもテキトーに買ってくって。あ、小腹減ったし寿司でも食ってく?」

 「あのね。自分の財布でお寿司なんか食べられる身分じゃないでしょうが、あなたも私も。お腹空いたのならそこら辺でコロッケでも買えばいいじゃない」

 「お、それいいね。肉屋のコロッケってなんであんなに美味いんだろうな」

 「それは議論に値するわね。揚げたてがあるとなおいいのだけど」

 「話の分かる友人を持って俺ぁしあわせだな~。あ、折角だからおごるぞ?」

 「おごってくれるのは嬉しいけど、もう少し華やいだものの方がいいわ」

 「奢りに注文つけられる程悪いことしたんか?俺」

 「心当たりが無いと言うのなら一つ一つ挙げてあげてもいいけど?」

 「……お手柔らかに」

 「………」

 「………」


 そうやって一頻り言いたいことを言い合った後、次郎と伊緒里は立ち止まって顔を見合わせ、衒いもなく揃ってプッと吹き出したのだった。

 ちょうど立ち止まった二人を、旅行中の装いの老夫婦がとても和んだ様子で見やりながら追い越していく。

 そんなことにも気付かず、笑いを収めた二人はもう一度目を合わせ、すると次郎の方から先にニヤリと笑ってこんなことを言うのだ。


 「いやなかなか阿方も話分かるじゃん。どう?この後はカニクリームコロッケに合うソースの銘柄について議論でも戦わせてみねー?」


 小癪なことを言う、旅行の度に道の駅だのなんだのでドレッシングや地元の調味料を買い込んでくるのが趣味の親を持つ自分に、ソースの種類の話題で敵うものか。

 …なんてことを考えるのも、伊緒里にとって次郎とこんな時間を過ごすことが楽しいと思えるからだ。

 特に目的も無く地元の商店街をブラつく。デート、と呼べるほど気取ったものでもないそんな付き合い方がなんとも面映ゆいくらいに嬉しく、そしてそこから先に踏み込めないことがひどくもどかしい。

 思えば、吾音と久しぶりに本気のけんかをした時。勢い余ってつい次郎に告白まがいのことをしてしまうところだったことを思うに、えらく後退してしまったものだ。

 あの時、次郎の制止も聞かずに思うがまま気持ちを告げてしまったらどうなっていただろうか。それでも、次郎の方からいずれそう言葉をくれることを期待して、押し留まったのは間違いだったのか。

 よく分からない。

 分からないままに、何やら得意げに自家製調味料の数々の自慢話をする次郎の、伊緒里意以外には見せることの無いだろう無邪気な笑顔を見ると、こんなにも自分を待たせてとムカつきもするし、不安にもなる。本当にこの男の子は、自分のことを好きになってくれているのだろうか。


 (私は、次郎くんのことが、好き)


 暮夜、ひとりごちて枕を抱き悶えまくるような自問自答がふと脳裏に浮かび、と同時に隣を歩く幼馴染みの少年と目が合う。


 「…どしたん?なんかえらい顔赤いけど。熱中症だったらヤバいし、少し涼んでく?」


 もちろん、そんなことを伊緒里が考えているだろうことなど想像もしてはおるまい。

 あなたを想って照れまくってます、と言えたらどんなに楽になれるだろうか。いや、きっとまた次郎の方は、なんだか茶化すようなことを言って煙に巻くだけなのだろう。


 「なんでもないわ。心配してくれてありがと」


 そう思うと舞い上がった思考も熱が引くようにすぅっと冷め行く。一人相撲もいいところだと心中でため息をつくと、次郎もそれ以上は追求せず、けれど空気の変わったことくらいは察してか、神妙な顔つきになって伊緒里と歩調を合わせるように足の運びがゆっくりとなった。


 「………」

 「……」


 そのまま二人とも押し黙る。

 機嫌が悪いわけじゃないし、怒ってるわけでもない。

 それなのに、隣を歩く思い人は何を考えてか前方を真っ直ぐみつめたまま、静かでいる……


 「あんさ、一つ頼みたいことあんだけど」


 …と思ったら、こちらを見もせず何やら真剣な顔つきで話し始めた。

 伊緒里は、なんだろう?と思いながらも、自分的には凜々しく思える横顔を、見入ったようにじっと見つめる。


 「…えと、んな見られてると言いにくいんだけど。てか前見てないと危なくね?」

 「そう思うんなら手でも繋いでくれればいいんじゃない?はい」

 「……おう」


 鞄を持っていない方の手を次郎に差し出したら、殊の外素直に手をとってくれた。期待してなかった分驚きはしたが、それよりも満たされた心持ちからかほんわかしてしまって、それがためか「わり、調子にのった」と慌てた次郎が手を離そうとする。


 「そうじゃないの!……えと、手は握ってて欲しい。…次郎くんがイヤじゃなければ」

 「別に手を握るくらいのこと、イヤでもなんでもないし」


 手を握るくらいのこと、か。


 立ち止まり、通行人の迷惑も顧みずぼけーっと突っ立ったまま手を握られ、伊緒里は胸の辺りがチクリと痛むのを覚えた。

 その痛みの正体は分かる。次郎にこう言って欲しかったのだ。


 伊緒里の手ならいつでも握っていたい、と。


 「伊緒里。いーか?」

 「そう、そんな風に……え?」


 気がついたら、緊張というより緊迫した様子の次郎が、間近で自分の顔をのぞき込んでいた。

 普段に無い距離感に戸惑う。自分から距離を縮めることはあっても、次郎の方からそうしてくることなどあるはずもない。そんな諦観があっての、戸惑いだ。

 だから、さっき冷めた顔もまた紅潮し、でも今度は次郎も自分が伊緒里の手を握っているという事実がそこに直結していると確信したように、怯みを見せない。

 そう整理が出来て、伊緒里はようやく気がついた。


 「……あの、いまなんて?」

 「……えと、伊緒里、って呼んでもいーか?と。そういうこと」

 「………ひさしぶり、だぁ…」


 何故だか知らないが、目元が滲んでいた。

 どさくさ紛れのように名前を呼ばれたことはここ最近で何度かあったが、もうすぐ一年が経とうとしている、伊緒里の自治会長選挙の時以来、落ち着いた場面で次郎の口からその響きが顕れたことはなかった。

 だから、の感慨だ。


 「……ダメか?」


 伊緒里がどう思っているのか。顔を見ただけでも想像くらいつきそうなものを、次郎はそんな余裕もないのか念押しのように更に顔を寄せてくる。

 伊緒里はそんな勢いに圧倒されつつも、引いたらなんとなくもったいないような気がして、身を固くした。


 「……やっぱ、ダメかな」

 「ダメじゃない!……っていうか、昔に戻っただけじゃない。別にそんなこと、いちいち私の許可を得る必要なんか…」

 「昔じゃなくてさ」

 「えぇ?」


 ふっ、と息を吐いて体を反らした。


 「なんかこお、ちょっと違う感じに…まーなんつーか、三郎太がさあ、割とよろしくやってる感じでいると兄としてなんか矜持とゆーか負けてらんねーっていうか……そういうことなんで」


 だからどういうことなの、それを言葉にして欲しいのに、と目で訴えてみた。

 まあ、それが通じるような相手であれば、とっくの昔にどうにかなっていたのだろうけれど、ここで一気呵成に物事を推し進めるような性格の男の子でもないのだし。


 (それに、)


 と、思う。

 揃ってこんな顔をするようになる前の、気取り無い関係だって伊緒里は嫌いじゃない。

 むしろ、鵜ノ澤姉弟と距離を置く時間を経たからこそ勝ち得た時間だ、とすら思っている。

 だから。


 「…まあ、次郎くんならそんなとこよね。いいわ、名前でもなんでも呼んでちょうだい。私だってずっと前から次郎くん、って呼んでるものね」

 「いや、あが…伊緒里に鵜ノ澤くんとか呼ばれてもなんかかえってこそばいっつーか微妙な気分」


 なによそれ、と苦笑。

 けれどまあ、互いの呼称がそうであったということは、伊緒里はずっと自分の気持ちが変わっていなかったことの証明にも思えて、次郎の知らないところでなんとなく勝ち誇った気分にもなるのだ。


 あなたがふらふらしてる間も、私はずっと私でいたんだから。


 いっそ威張ってみたくもなり、でも稚気にも程があると考え直すと、ずっと握っていたままの手が随分と汗ばんでいることに気がつき、慌てて振り解く。

 手汗のひどい女の子だと思われなかっただろうかと焦って、スカートのポケットからハンカチを取り出して自分の手を拭う。


 「……あのー、ちょっとそれはひどくね?」

 「え?」


 少し落ち込んだ様子の次郎の声。

 それはそうだ。繋いでた手をいきなり離されて相手が手を拭っていたのでは、まるで自分がバイ菌扱いじゃないか。


 「そっ?!…そうじゃないわよ、その、私の方こそごめんなさい……えと、手を握ってくれたことは嬉しくって、でもね、私やっぱり緊張して………あ」


 落ち着きを取り戻そうと、周囲を見回してみて、ようやく気付いた。

 立ち止まった店先の主に、その客。目の前の、どころか両隣に加え道を挟んだ対面の店の軒先でも同様に。それから通りすがる地元民にもしかしたら余所から来た観光客。

 そんな人々が自分たちに向けている、視線の数々に。

 それは呆れ混じりだったり面白がってる風でもあったり、あるいは若い二人のやりとりに照れでも覚えたかのようでもあったり。

 様々な色合いの視線ではあったけれど、そのどれも伊緒里と次郎の様子に好意混じりの生ぬるいものだったから、まだ何があったのかワケも分からずキョドっている次郎はともかく、敏い伊緒里としては我に返ってこうする他、なかった。


 「え、ちょっ?!どこ行くんだよいきなり手引っ張って?!」

 「うるさいっ!いいからついてきなさいこの場をさっさと離れないとあなたと私の一生の問題になるんだからっ!!」

 「俺まだ買い物済ませてないんだけどっ!」


 鵜ノ澤家の食卓の事情など知ったことか。


 そう罵りたくなる気分でいながらも伊緒里は、口元を抑えきれないニヤけた笑いで、今はそんな顔を恋しい幼馴染みに見られたくない一心で、人の絶えない商店街を割とのんびりと、駆け抜けていくのだった。

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