どきどきはぁとふるこねくしょん 後編

 「暑くはないか?」

 「だいじょーぶです!」

 「そうか」


 未来理の元気な返事に三郎太の顔も思わずほころぶ。

 市内中心部からほど近い城跡の公園は、地元民のみならず全国各地から訪れる観光客の姿も多く、そんな中では三郎太と未来理という凸凹な組み合わせも特に人目を引くものでもない。

 校内ではそうもいかないのだから、三郎太は流石に奇異なものを見る視線の集まることのない街中で未来理といることに余計な気遣いをすることがないことに、心休まるものがあるのだ。

 三郎太自身は認めるところではないが、今日は身内の誰に言わせても「デート」というであろう外出になる。恋だとかそーいうものではないにしても、互いに好意を寄せ合っている男女が二人で出かけているのだからその表現は間違いではない。


 「休んだらもう少し歩くか?」

 「そーですねぇ…さぶろーたせんぱいはどうします?」

 「俺は…まあ、未来理が行きたいところがあれば一緒に行きたいが。だがそろそろ家に帰らないといけない時間だろう。あまり遠くには行けないからな」

 「じゃあもう少し、こうしていましょう?未来理はせんぱいと一緒ならどこでもいーです」

 「む、そうか」


 これがお為ごかしではなく、本気でそう思っていそうににっこにこしながら言うのである。自分ならずとも骨を抜かれようというものだ…と、頬が緩んでいることについて自己弁護してみる三郎太なのだった。

 夏の好天は気温の上昇に繋がる。ただ、もう日も傾き始める時間とのことで、立秋もまだ迎えていない夏の夕方としては、そろそろ夜の気配と共に気の休まる穏やかな涼味も訪れようかという、落ち着いてみれば心地の良い空気になってきていた。あるいは遠くで夕立でも降っているのか、三郎太の敏感な鼻には水の気配すらするのである。

 ならば何処に行かずとも、このまま腰を下ろしているのも悪くはあるまい。

 三郎太はそう考え直して、隣でまだ半分ほど中身の入っているペットボトルを両手に挟んで転がしている未来理の好きにさせようと思った。


 「いーてんきです」

 「そうだな。だが気分が悪くなったら早く言え。熱中症などになっては困る」

 「さぶろーたせんぱいがしんぱいしてくれて、未来理はうれしーですよ」

 「…当たり前のことだ」


 そしてその場で話される会話となると、長閑なことまるで春の縁側で老夫婦の間のようだ。

 故に、味方の少ない学校にいる時よりも、心安らげる時間を過ごせていると思うのだ。


 (安心出来る、という意味なら姉さんや次郎といる時もアリだろうが……何だろうな、未来理の側にいると覚える気の休まる感覚というものは)


 表情に現さずに思うのは、安心は出来ても油断は出来ない、ということだ。

 とにかく次郎はともかくとして、吾音が相手となると言葉の端にどんな罠が…罠という言葉が悪ければ、本音というか本意がどこに含まれているかを探りつつ日頃から会話しないといけないのだ。

 三郎太も頭を使うことは嫌いではないから、そんな読み合いは厭うところではないものの、こうして何も考えずに思ったことを話し、相手の言葉の裏など考えなくてもいいということが、思ったよりも落ち着き、そしてこういう時間が自分で思っていたよりも気に入っているものらしい。

 だがそれだと未来理が何も考えていないようで、それはそれで失礼な話だな、と三郎太は内心苦笑する。

 未来理は、その小さな体と幼い物言いに似合わないくらい、悩み考えていたことは先日までの経緯で承知している。だから侮るつもりはないし、その考えや悩みを共有してやりたいとも思う。そしてそれは、三郎太にとって家族を含めてもそれまで抱いたことのない気概なのだと、そう思った時だった。


 「…さぶろーたせんぱい。一つ、お願いしてもいいですか?」


 早速か、と少々身構え、滅多に見せることのない微笑含みの顔を、何やら上気した具合の未来理に向けた。


 「なんだ?」


 そうしたら。


 「えっとですね。さぶろーたせんぱいのことを、さぶろーたくん、って呼んでもいいですか?」

 「………」


 絶句。

 いや、そう呼ばれることが無いでも無いから違和感もないのだが、まさか年下の少女にそう呼ばれるとは思わなかった。

 こんな強面の先輩男子に「くん」付け?人によっては親子と…いや誘拐犯とその被害者、とも目されかねない自分に?

 流石に真意を問い質したくなって、「……いや、あのな」と曖昧に返答しようとすると、未来理はぐいぐい迫って畳み掛けてくる。


 「さぶろーたせんぱいは未来理のせんぱいですけれど、未来理が大好きなひとです。だからさぶろーたくん、って呼びたいです。だめですか?」

 「いや、駄目ではない、と思う」

 「…こまりますか?」

 「困り…はしない。うむ」

 「じゃあいいですか?」

 「………」


 嫌でも無いし困ったりもしない。ならいいだろう、という未来理の超短絡的な思考はまあ、好ましいとも思う。こうもストレートな好意に面食らいはしたが、三郎太としても気持ちは嬉しいと思うのだ。


 が。


 「……その、なんだ。未来理、まずは落ち着け」

 「はい」


 三郎太の逡巡する様子を敏感に嗅ぎ取ってか、大人しくなる未来理。


 「まあ、そう言ってくれる相手など俺にはそういないからな。気持ちは嬉しいのだが…お前の家族が困らないか?」

 「未来理のおとーさんやおかーさんですか?困りませんよ?未来理がさぶろーたせんぱいのことを大好きだってことは、みんな知ってます」


 俺は普段神納家でどんな話題の俎上にのせられているのだ、と目の前が真っ暗になるような気がした。それはまあ、男女云々はともかくとして、親しく友人つき合いをすることは承知してもらいはしたが、まさかこうも遠慮なく振る舞っているとは思っていなかった。いや未来理の性格を考えると好きなものやことに躊躇するはずもないのだけれど。


 「だから誰もこまりません。いいですか?だめですか?」


 押しの強さこそいくらか鳴りを潜めはしたが、どうにも譲るつもりはないらしい。

 そんな顔でまた距離を縮められ、三郎太がもう少し時間をくれ、とヘタレたことを言おうとした時だった。


 「…三郎太くん?」

 「三郎太?」


 聞き慣れた声に聞き慣れた呼び方をされ、振り返るとそこには…。


 「……なんでお前達がいる」


 次郎と伊緒里が、驚きを隠さない顔で、並んで立っていた。


 「いや、なんでもなにも。それよりおめー今の話…」


 しまった。不覚をとった。まさか、下級生の女子に妙なことで迫られているところを、選りに選って次郎に見られるとは……。


 「あ、じろーせんぱい、かいちょうせんぱい。こんにちはっ」


 一同の戸惑った空気など一切読まず、未来理が立ち上がって元気なあいさつをする。

 まったく、誰もが瞠目せざるを得ないような良い子の、未来理だった。

 



 「いや未来理ちゃんと出かけてるのは知ってたけど、まさかこんなことになっているとは」

 「お前達こそなんだ。デートだったのではないか?」

 「デートじゃねー。姉貴に家追い出されただけだよ」


 追い出されたというか尻を叩かれて伊緒里を迎えに行かされたのだが、そこのところは次郎としても峻別しておかないと弟にまた妙なからかいを受けると、断固として主張しておく。


 「そうか」


 のだったが、三郎太の方は軽くそう応えただけで、次郎がヒヤヒヤするような追い打ちなどかけてくる様子は無かった。


 「……どしたん?おめー」

 「……別にどうもせん」


 常に無い弟の反応に、流石に次郎は座っていても自分よりも上にある顔をまじまじと見る。


 「…どうもせん、って言ってもさっきのアレ」

 「うるさい」


 取り付く島も無く拒絶された。

 三郎太がさぶろーたくんと呼んでもいいですか?と年下の女子に迫られていた、などとゆー、鵜ノ澤家の歴史の中で前代未聞空前絶後の事態に、次郎ですらどうも動転しているらしい。少なからず感情的に語気荒くなっている三郎太の反応に、追求もせず矛を収める他無かった。


 次郎が腰掛けているのは、ついさっきまで未来理がちょこんと座っていた席。

 その未来理は、ここからも見える噴水の前で何やら伊緒里と並んで話をしているようだ。

 未来理は人見知りが激しいものの、一度仲良くなった相手にはちゃんと素で接するから、一緒に遊んだこともあるというだけでも伊緒里には懐いているようには見える。


 「……デートの邪魔して悪かったな」

 「……デートではないと言っている」


 男兄弟の会話として、さて適切な話題だったものだろうか。互いに親しい女子と会っているところに遭遇して何を話したらいいものやら、と揃って互いの連れの姿を目で追いつつ、話の持って行き先を探る二人だった。

 ただ、どちらもいくらか気まずいというか後ろめたいところがあるとすれば、姉であり妹である吾音のことについて、家族として身内として守っていくことを誓い合った間柄だというのに、それをほっぽってそれぞれに女の子と外で会っていた、などという場面に遭遇したことだろうか。

 お互いの行動を知って、自分のことにかまけて吾音のことを疎かにしてたのではないだろうか、という自責の念を突き付けられているようにも思うのだ。


 「……いいのか?俺ら」

 「……何がだ」

 「何が、っつーか、姉貴ほっといてこんなことしててもいーんかな、ってこと」

 「さあな。ただ、少なくとも姉さんは次郎に関してはそれでいいと思っているだろうよ」

 「根拠は?」


 ある、とだけ言って三郎太はそのまま黙り込んだ。

 いつぞや次郎と決闘した公園での出来事のあと、吾音は積極的に次郎と伊緒里を娶せ…ちと気が早いか、くっつける、くらいか?…るつもりでいるような事を言っていた。

 そんな吾音が、自分より互いに憎からず思っている幼馴染みのところに弟が行ったといって、機嫌を悪くするようなことはないだろう。

 そしてそれは、きっと自分に対しても同じことだろう。未来理を本心から可愛がっている様子からしても、確かなことなのだと思う。


 「根拠あり、ってんならまあいいかあ」

 「大手を振って会長と…阿方と乳繰り合えるというものだな、次郎も」

 「またおめーはそんな事を…別に俺と伊緒里はそんなんじゃ」

 「だが好きなのだろう?」

 「……まーな」


 ぽつりと言って、そして「いろいろ乗り越えねーといけねーこともあるけどな」と付け加える次郎だった。

 その「乗り越えないといけないこと」について心当たりのある三郎太は、それ以上何も言わず、ただ「そうか」とだけ答え、そしてまた姉妹のような伊緒里と未来理の姿に顔を…。


 「ちょっと三郎太く…ん!」


 向けると、なんだかぶんむくれのご機嫌斜めな未来理の手を引き、伊緒里がやってくるのが目に入る。


 「次郎じゃないのか。どうした、会長」

 「どうしたもこうしたも…ねえ、未来理ちゃんに言ってあげてくれない?私が三郎太くんのことを三郎太くんて呼ぶのは別に特別なことじゃないんだって」

 「……ああ、そういうことか」


 先ほどのことを話に出したのだろう。伊緒里は当たり前のように三郎太を「三郎太くん」と呼ぶのに、どうして自分は呼べないのか。未来理にしてみれば納得のいかないものがあって文句を言ったのだ。きっと。


 「だってかいちょーせんぱいばかりずるいです!未来理だってさぶろーたくん、って呼びたいです!」

 「…まあ、私に嫉妬する未来理ちゃんは正直かわいくて仕方ないけど、なんだかかわいそうに思えて。ね、未来理ちゃんの言うこと聞いてあげて?」

 「さぶろーたせんぱい!言うこと聞いてくれなかったら、さぶろーたおにいちゃん、って呼びます!」

 「ぶはっ?!」


 いきなりのとんでも発言に次郎が吹き出していた。

 後で覚えてろ、と三郎太は思いながら、だが自分の前に立った未来理の目をきちんと見据えて、言う。


 「いいぞ。俺も、未来理に三郎太くん、と呼ばれるとなんだかいい気分になる。だから、そう呼んで欲しい。いいか?」

 「三郎太くん…」

 「…三太夫」


 三太夫ではない、三郎太だ…という次郎とのいつものやり取りを、未来理はうさんくさそーに一瞥してから答える。


 「じゃあ、さぶろーたくん。未来理はそう呼びます。いいですね?」

 「ああ、頼む」


 なんで三郎太くんの方からお願いするのかしら、と時々鈍い伊緒里が首を傾げていた。




 流石に家の前まで送るのは気が咎めるというか家人に対していささか面目の立たない思いがするため、いつも通り家の近くで未来理と別れた。


 「はあっ、未来理ちゃん相変わらずかわいいわね」

 「姉貴と同じようなこと言いやがるなあ、伊緒里も」


 吾音と感想が被ったことに複雑な感情でも沸いたのか、口元をもにゅもにゅさせて静かになった伊緒里とそれをからかう次郎を従え、家路につく。

 日はすっかり傾き、真夏の夕暮れの暑さの残滓を背中に受けながら三人は歩く。

 未来理の家はごく普通の住宅街にあるから、自分たちの家の近所ともそう変わらない町内を、家に帰る子どもたちとすれ違い、あるいは追い越されながらの道程だ。


 「ま、俺の方はこんな感じだ。お前達の方は、どうなのだ?」


 そんな中、やけに気ざっぱりした様子の三郎太は、これまでよりもよっぽど距離を縮めて並び歩く兄とその思い人に声をかける。


 「どうもこーもねえよ。ただいつも通り、遊びに行ってこれから帰るだけだっての」

 「………」


 次郎は飄々と答えるが、伊緒里の方は何か思うところがあるのか文句でもあるのか、少し唇を歪めて何か言いたそうで、だが三郎太の珍しい柔和な視線にさらされて、誤魔化すように眼鏡の位置を直す仕草をしていた。


 「…ねえ、吾音は三郎太くんと未来理ちゃんのこと、どう思ってるのかしら…っていうか、自分はどうするつもりなのかしらね」


 それでも三郎太の目線は切れなかったため、居心地の悪そうな空気をなんとかしようと三郎太の反応の分かりきっている話題を切り出す。


 「どうする、って?」

 「だって、こうして次郎くんは私と、三郎太くんは未来理ちゃんとそれぞれ仲良くなったら、吾音だけ除け者みたいで」

 「いいんじゃないか、それでも」


 俺は別に前より仲良くなったつもりはないんだけど、と語るに落ちる発言をする次郎を無視し、三郎太はどこか吹っ切れたような、清々したような口調で答えた。


 「俺も、次郎も。いつまでも姉さんにべったりというわけにもいくまい。姉さんが困ったり迷ったりしたら喜んで助けにはなるが、そうでもない限り、姉さんの願った通りにこうして自分達でやっていくさ」

 「………そうだな」


 伊緒里には予想もしていなかった反応。三郎太だけでなく、次郎まで同じようなことを言う。


 「それでいいの?あなたたち二人とも、吾音のことあんなに大事にしてたのに」

 「大事にはしてるさ。けれどな、会長…阿方。死ぬまで三人でいるってわけにはいかない以上、こうして別々のことをやるようになる時はいつか来るものだろう。それが今来たというだけのことだ」

 「だな」


 次郎も逆らうことなく、あっけらかんとそう言い放つ。

 こうなると、男の兄弟の身内への感慨などあっさりしたものだ。伊緒里は自分だけが吾音にウェットな感情を抱いているような気がして、居心地の悪い思いがする。


 「…まあ、あなたたちがそう考えてるならいーけど。でも、私は…」

 「いいんじゃないか。阿方が姉さんの一番の親友でいてくれることは、俺達には悪いことじゃない」

 「姉貴離れを一番してねーのは伊緒里だってこった。それはそれでおもしれーから、そのままでいてくれよなー」

 「どういう意味よ、もう…」


 三つの影法師が長く伸びる。

 一番長い自分のそれを、三郎太は自身の成長した先の姿のように思えて、けれどそれは決して悪い気分ではないと、左側の二人には気付かれないよう、右の頬を持ち上げて笑んだのだった、が。


 「…あ、晩メシの魚買うの忘れてたわ」

 「貴様今日のメシは茶漬けにでもするつもりか?!」

 「うるせー買いに行こうとしたところでおめーと未来理ちゃん見つけたんだからおめーのせいだろっ?!」

 「……さっぱり成長しないわね、あなたたち。じゃあ私はこっちだから」


 いがみ合う兄弟の姿を、呆れながらもどこか楽しげにしばし眺めた後、伊緒里は自宅への道を辿るべく歩く先を変えていった。

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