第38話・放課後だぶるでぇと
さて吾音が未来理の教室に引き続いて教務室に直談判に向かっている頃、弟二人はというと。
「…どーすんだよ実際!俺よりお前に未来理ちゃん懐いてんだからなんとかなんねーのか!」
「…次郎こそ普段行き帰りに話くらいしているだろう。普段の口八丁はどうしたというのだ」
「だってなあ、あの子どんな話してもニコニコと聞いてくれっから、そこら辺は割と曖昧っつーかテキトーっつーか」
「おい次郎。貴様あることないこと吹き込んでるんじゃないだろうな?」
「い、いや、その辺は弁えていはいると思う。流石に」
「……本当か?」
「……多分」
来客の耳に入らないよう、ヒソヒソ声で前向きでない口論をしていた。
つまるところ、いつもであったら吾音が前に立って未来理の相手をしてくれるため、後ろでヘラヘラしてるか直接声をかけないようにしてるかのどちらかであったから、どう接して分からなくなっているだけだったのである。
「………ごちそーさまでした」
その間、ひとりほっとかれていた態の未来理は、お行儀良く(一応)出されたジュースなどを飲み干していた。
多少表情が硬いようだが、吾音が居ないことで特に気後れしている様子も無いのが救いと言えば救いだった。
「さぶろーたせんぱい、じろーせんぱい。どうかしましたか?」
自分が座らされたテーブル席を遠巻きのように見守っている男二人に、そう訝しげな顔を向ける辺り、全く気にもしてないわけではないのだろうが、だからといって次郎と三郎太が役立たずであることに変わりは無い。
「う、うん。あのな、未来理ちゃん。今日は姉貴いねーから……ま、まあ俺らと一緒に遊んでいこうか。大丈夫かな?」
「はい。あいんおねーさんはあとで来ますよね?じゃあ三にんで遊んでいればいーとおもいます」
「う、うむ。では今日はだな……その、何か用意はあるか?」
「ようい、ですか?……おー」
そもそもこの部屋に出入りしている理由を思い出してか、両手をはたいて納得顔になる。
かといって何か考えがあったわけでもないようで、可愛く首を傾げて「なにもないです」と、それだけだった。
「そ、そうか。だったら今日は……何か話でもするか?おい、次郎。お前の得意分野だろう」
「無茶言うなっ!……その、口説き文句ならいくらでも出てくるけどよ、まさか未来理ちゃん相手にそんな話するわけにも…」
「……あの、おじゃまでしたら今日はかえります?」
ホスト二人の困った空気を察してか、未来理は顔を曇らせて控え目な申し出をする。
これはヤバい。このまま帰してしまったら姉に何を言われて折檻されるか分からない。
焦った二人は何か接待するのに適当な遊び道具や話題が無いか右往左往し始めたのだが、それを見て未来理は更に困った顔になっている。
そして、それに気がついた三郎太が「マズい」と本気で慌て始めた時だった。
「ちょっと、いる?吾音に頼まれて来たんだけど」
「へ?」
「お?」
開け放たれたままの戸口から、聞き慣れた声がして三人分の視線はその方向に向けられた。
「…な、なに?私何かした?」
それを受けてたじろいでいたのは、自治会長・阿方伊緒里、その人だった。
「…何やってるのよ、あなた達は」
「んなこと言ってもよ…」
パーティションで仕切られた三人の机が置かれたスペースに連れ込まれ、次郎は伊緒里に耳でも捻り上げられているような顔になっていた。
「吾音がいないと女の子のお相手も出来ないわけ?次郎くん、あなたいつもの要領の良さはどこいったのよ」
「……ンなこと言ってもよ」
糾弾されて、同じ繰り言を返すしか無い次郎。
自分だけ椅子に座らされ、向かい合わせに仁王立ちの伊緒里はというと、両手に腰を当てて誰がどう見ても「お説教の最中の女教師」の趣きだ。
「まったく。吾音に頼まれた時は何事かと思ったけれど来て良かったわ。神納さん困ってたじゃないの」
「来てくれたことに関しては感謝しておく。ありがとな、阿方」
「っ?!……う、うん。どういたしまして……じゃなくって!二人揃って何やってたのよ、って聞いてるの!」
誤魔化すの失敗、と気付かれないようにため息を漏らす次郎だ。なまじ女の子ウケのいい、とっておきの眩しそうな笑顔を出してしまったものだから、通用しなかったのが余計にショックだったりする。
「何と言われてもなあ…とにかく俺と三郎太はこういうことに全く向いてねー、ってことを実感してたとか。そういう感じ」
「役立たずを自認したって褒めてあげたりしないわよ」
伊緒里はパーティションの向こう側をチラと気にする素振りを見せ、それから吾音の席の、革張りの古いチェアを引っ張ってきて背もたれ付き回転椅子の次郎の前に腰掛ける。
別に伊緒里としても次郎をやり込めるためだけにやって来たわけではないのだ。
次郎と吾音、二人に聞かされた話で気には掛けていたし、吾音に直接頼み事をされるなどという普段に無い事態に多少面食らいつつも興味が沸き、こうして首魁はいないものの、学監管理部室に足を運ぶというのは何かと多事多忙な自治会長の身としては希有な出来事なのだ。
向かい合わせになったところで、二人は揃って部室の中央にあるテーブルの様子を、衝立越しに窺う。
三郎太と未来理を二人だけにしてとんでもないことになりはしないだろうか。
余人ならそんな心配もするだろうが、家族である次郎はもとより、付き合いの長さから三郎太の見た目通りではない気質を見知ってる伊緒里も、その類のことを気がかりにはせず、当然のように二人の視線の向く先は互いの顔にすぐ戻る。
「っ?!」
「……お、おう」
それが申し合わせたように同じタイミングだったから、必然的に目が合う。というより、視線が、絡んだ。
予想もしていなかった出来事に、伊緒里は微かに顔を赤らめて目を逸らし、次郎はというと。
「………」
「……そ、その…そんなに見ないでくれる?」
「あ、ああ…わり」
なんとなくそんな伊緒里の様子から目が離せなくて、ますます頬を紅潮させた伊緒里に文句を言われるまでぼけーっと見とれていたのだった。
「だ、だから……あの、次郎くん?そのっ!……あの、ね?今日私が来たのはね…?」
「あ、ああ。うん、似合うと思うぞ?それ」
「え?」
「リップ。かわいーじゃん」
何かを言いかけたらしい伊緒里の声も耳に届かないまま、次郎が指さしたその先にあった伊緒里の口元。
キリッとした表情に普段ならいささか冷徹さを付け足す薄めの唇は、いつになくしっとりと濡れたように彩りを加えられていて、次郎の目をひいている。
そしてそう言われた伊緒里はというと、照れるよりもびっくりしたように目を見張り、呆けたように言った。
「……気付いたの?…え、あ、そのごめんなさい、校則違反だとは思ったのだけど、なんだかそんな気分になって…」
「別に化粧してるわけでもねーんだし、それくらいいいじゃん。固いこと言うなって」
「でも立場を考えるとやっぱり……ごめんなさい、落としてくる」
「え、気にする必要ないって!俺がいいって言ってるんだから……待てってば」
立ち上がった伊緒里の腕を慌ててとる次郎。
素直な感想だけれどイヤがられるわけがない(むしろ照れ顔が見れてラッキー)くらいに思っていた次郎は、予想に違った反応に面食らって思わず手が出てしまったのだが、伊緒里はというとやっぱり「離して」と力なく言ってその手を振り解こうとする。
「…あーもー、女の子ってのはわけわかんねーなー……なんで褒めたのに落としてこようとするんだよ」
「わけわかんないって何よ!わけわかんないのはあなたの方じゃない!……大体、次郎くん私の彼でもなんでもないんだし時々ヘンなこと言って惑わすのやめてよ!」
「別に気になる女の子にほめるようなこと言うの普通じゃん!」
「どうせいろんな女の子にそういうこと言ってるんでしょう?!いいからもうほっといて!」
なんでそうなるんだ、という趣旨のツッコミをどう穏便に伝えるか一瞬考えこんだ隙に、伊緒里が次郎の手を振り切った。
あ、と呆気に取られた瞬間、伊緒里は泣くのを堪えるように次郎を睨み付けると、何も言えなくなった次郎が口を閉ざすのを見て振り返り、部屋を出て行こうとする。
「…って、待てってば阿方、俺が何したってんだよう」
「うるさい!ついてくるな!」
言われた通りについていかなかったらまた怒るじゃん、と火に油を注ぐ一言を次郎が口にしようとしたその時、パーティションの向こうから「ま、まけですう、さぶろーたせんぱいごめんなさぁいっ」という、未来理の切羽詰まった声が聞こえてきた。
それは息も絶え絶え、という具合に掠れていて、きっとその声と相対しているだろう厳つい三郎太の面持ちが脳裏に浮かんだ二人は、まさか三郎太がよからぬことを…、と失礼極まりない想像で緊迫した顔を見合わせ頷くと、慌てて衝立の隙間から出て行く。
「三郎太おめーまさかっ?!」
「未来理ちゃん無事っ?!」
そしてそこにあった光景は、というと、お腹を抱えてテーブルに突っ伏して肩を震わせている未来理と、その対面で両手で顔を挟んでいる三郎太の背中、という図だった。
「おい三郎太!お前いくら未来理ちゃんが相手にしてくれねーからって実力行使を…」
「待って三郎太くん私が吾音に顔向け出来なくなるから未来理ちゃんを泣かせるようなことは…」
語気荒く言い募った二人の語尾がもにゅもにゅと曖昧に収束する。
闖入者の声に気がついてか、突っ伏した顔を上げて真っ赤な顔を見せた未来理のそれが、その実笑いをこらえているように見えたことで危惧したような事態でないことだけは確かだと思ったからだが、かといって何が起こったのかまでは分からず、肩を落とした三郎太の背中を見て、ここ数分で何度目なのか、顔を見合わせた次郎と伊緒里だった。
「にらめっこ…?おめーが?」
「うむ」
次郎と三郎太が隣に、その対面に伊緒里と未来理が座る並びで四人はテーブルについていた。
そして未来理が笑いを堪えて突っ伏していた経緯について説明を受けると、次郎はあり得ないものを見た、という風に隣の弟の横顔を胡乱げに見つめ、視線を向けられた方は腕組みをしながら重々しく頷いていた。
その三郎太とちょうど真向かいに位置する未来理は、隣の席の見知らぬおねーさんが気になるのかチラチラと横目でそちらを見て、それに居心地の悪さでも覚えているのか「隣のおねーさん」の方は気付かぬふりで、自分で冷蔵庫から持ってきたペットボトルのお茶を注いだマグカップを両手で口に当てている。
「神納もなかなかやるものだったからな。こちらも奥義を繰り出してみたところ、見事圧勝だった。残念だったな、今日のところは俺の勝ちで終わりそうだ」
ふふん、と自慢げに未来理を見下ろす三郎太を見ると、次郎と伊緒里にはムクリと余計な好奇心が湧いてくる。
一体、普段表情というものに乏しい三郎太が、どんな顔をして未来理を笑わせたのか、と。
「なあ、三の字」
「断る」
「…まだ何も言ってねーじゃん」
軽く身を乗り出しかけた隣席の兄を、三郎太は睥睨するように一瞥して言う。
「どんな顔をしたのかやってみせろ、とでも言いたいのだろう。沽券に関わる。断る」
「未来理ちゃんにはいいのかよ」
「やむを得ぬ仕儀だ。勝つために手段を選ぶつもりはない」
「たかがにらめっこ如きでまたなんつー大袈裟な…」
「おおげさじゃないです!」
「おわっ?!」
「ひゃっ!」
呆れてそっぽを向いた次郎だったが、やおら立ち上がって勢いづいた未来理の剣幕に、次郎はおろか隣の伊緒里まで驚いて危うくマグカップを取り落としかけていた。
「あのさぶろーたせんぱいのみごとなお顔は、未来理にも手をぬかないというかくごをかんじましたっ!ほんきのにらめっこはしんけんしょうぶなのですっ!」
「そ、そんなに?そんなに三郎太くんの面相が凄かったの…?」
「もちろんですっ!ああ、あのお顔をおみせできないのが、未来理は、未来理はほんっとーに、ざんねんですっ!」
「………フフ」
「いやなんでおめーそんなに得意げなのよ」
勝負の熱かりしことを、拳を振るって語る未来理と、満更でもなさそうな三郎太。
益々、どんな顔をしていたのか興味が湧き起こる次郎と伊緒里だったが、その二人から乞うような目を向けられても、三郎太は満足そうに薄く笑うのみである。
「……これは神納と俺の秘密だ。姉さんにも明かせない。増して、次郎。会長。お前達に見せるなど勿体なくてたまらんわ」
「三郎太くんがそこまで言うとなると、余計に知りたくなるわね」
「だな。なー、未来理ちゃあん?」
「はい?」
矛先を三郎太から未来理に切り替えたらしい次郎が、斜向かいの未来理に猫なで声を投げかけた。そして、それをこの場で最初っから披露してればもっと話は簡単だったろうに、と思いながら伊緒里も乗じる。
「次郎おにーさんに、三郎太がどんな顔してたか教えてくれないかな?」
「そうね。ねえ、未来理ちゃん…えっと……お、お菓子とかいらないかしら?」
「誘拐犯みたいなこと言うのな、阿方も」
「うるっさいわね!私はあなたみたいにお口が上手じゃないのよっ!」
「女の子がお口上手とか言うとなんか意味がちがいでぇっ?!」
「言うに事欠いて何てこと言うのよ小さい子供の前でっ!!」
隣で何かが飛び交い始めた中、未来理は伊緒里の入れてくれたお茶を飲んでいたが、ぎゃーぎゃーと騒ぎ始めた次郎と伊緒里を「ふっ」と冷静に嗤うと、カップをテーブルの上に置いて静かにこう言った。
「…おしえてあげません。あれは未来理のたいせつなおもいでです。さぶろーたせんぱいが、未来理にほんきになってくれたしょうこですから」
「へ?」
「え?」
次郎のえり首を引っ掴んでいた伊緒里と、その伊緒里の剣幕をあしらえなくなりつつあった次郎は、揃って動きを止めてそんな未来理の、嬉しそうな表情に見入って静かになる。
「未来理は、未来理にほんきになってくれたさぶろーたせんぱいのことがだいすきです」
そして一転、とんでもないことを言い出す未来理。
「あでっ?!」
「ちょちょちょっと未来理…ちゃん?その大好きってどういうことっ?!」
襟を離され、勢い余って椅子から転げ落ちる次郎には目もくれず、伊緒里は泡を食って発言者の真意を問いただしにかかるのだったが。
「どういうって、どういうことです?未来理はさぶろーたせんぱいがだいすきなだけですよ?」
しれっとそう言って満足そうな顔でもしていれば、「あ、そーいうことね」と伊緒里も得心出来ただろうが、意外なことに未来理の様子はといえば、さながら先ほど伊緒里自身が次郎に向けていたと思われるものと同じような視線を、対面の三郎太に向けていたのだった。
そしてそんな熱視線を受ける魁偉な容貌の高校二年生はというと。
「………(ポリポリ)」
「…いや、おめーもなんで照れてんの」
床から這い上がった次郎が素で突っ込むように、普段に無く顔を赤く染めて、それを誤魔化すように頬を指で掻いていたりする。
「………あの」
「………お二人さん?」
どうしようか。
交わした視線で瞬時にそう意見を交換すると、次郎と伊緒里は急にいたたまれなくなり、いやこれマジでどーすんの、という空気になった……ところで。
「たっだいまー。主役のお帰りよー…って、どしたの?なにかあった?」
その空気を読んでのことか読まずにか、意気軒昂とした部屋の主が帰還したのだった。
いや、本当にこれどーするのよ。
力なくその姿を認めた伊緒里が、ぼーぜんとそう呟いたとか呟かなかったとか。史書に記載は無いので、その辺りは一切不明である。
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