第39話・残された四人の不穏な会話
常に無く笑いの虚ろだった次郎が未来理を送って帰って来た学監管理部室は。
空気が重かった。
「………」
「………」
「………」
「………………(もぞもぞ)」
正確に言えば、重苦しい空気を醸し出していたのは四人のうちの三人で、残りの一人は何やら思い惑うことでもあるのか、巨躯を妙にもじりもじりさせているだけなのである。だがその程度のことで吾音、次郎、伊緒里が背中から立ち上らせる重っ苦しい雰囲気を解消させるには、思い切り力不足だった。
「……どういうことなの?」
三人の中でも一際沈痛な表情だった伊緒里が、まず口を開く。
「……未来理ちゃんが何を考えてるのかって?いやさすがにわたしにもそれは謎だわ…」
背負った重みに違いはなくとも、口調だけは何故かあっけらかんとした吾音。
「………………俺としては弟が心配なんだけど」
「…珍しいな、次郎が俺の心配なんぞするのは」
「いや、流石に絵面的に犯罪臭が酷くてゲボワァッ?!」
そして次郎の心配は割と明後日の方角だった。
「三郎太とあんたを一緒にすんじゃないわよ」
「あの、いくら次郎くんでも未来理ちゃんくらいの女の子にモーションかけるとは思えないんだけど…たぶん」
次郎の大ボケな発言を受けて吾音が昨日に続いて内履きを次郎の顔面にイワしていたが、吾音の隣に腰掛けた伊緒里も、次郎をなんなりと擁護するのかと思えば割とヒドいことを言っていたりする。
「ひや、もーひょんをかけるていつの言い回しだっつーの…あでで、鼻打った……」
「気にするところ間違ってない?それより顔大丈夫?」
「あんがとよ。俺の顔の心配してくれるのは阿方だけだわ」
「いえ、衛生的に気になっただけだから。次郎くんの顔はこの際気にするまでもないのだし」
「ひでーな、おい」
深読みすれば「あなたの顔がどうであっても私は気にしたりしない」と言ってるようなものなのだが、言った当人も言われた果報者も、どちらもそのことに気がついてはいなかったりする。
「…ま、いいわ。未来理ちゃんの三郎太への懐き方がちょっと妙な方向に行ったみたい、ってことでこの後のことなんだけど……三郎太としてはどーなの?」
「……どう、とは?」
水を向けられて挙動不審だった三郎太は居住まいを正す。いつも通りの、どこか武士みたいな厳つい顔に戻っていた。
もーすこし緩んだ顔見てていたかったなあ、と思いながらも吾音は言葉を継ぐ。
「んー、直球で聞くと、未来理ちゃんが三郎太のこと大好きー、って言ったのってどうなの?ってこと。イエス?ノー?どっち?」
「…姉さん、神納はそういうつもりで言ったのとは違うと思うが」
僅かに顔をしかめて言う。
未来理の言葉だけを捉えれば、単にお世話になってる先輩のこと好きですよー、ということなのだろうが、吾音の物言いは恋愛関係に連なるもの、と言っても差し支えなさそうな響きになる。
「じゃあどういうつもりだと思うのかしら?三郎太くんとしては」
それを受けて身を乗り出した伊緒里の態度は、好奇心だけに駆られてます、という様子が丸わかりだった。
三郎太にこういう形で伊緒里が絡むこと自体、珍しい。
伊緒里の向かいの次郎は滅多に無い事態に伊緒里の身を心配したのか、慌ててそれを止めようとするが、三郎太は意にも解さぬように腕組みした状態から片手でアゴを撫でつけながら言う。
「神納がか?さてな。どういうつもりも、だな、俺が気にしても仕方のないことだろう。どうも怖がられている様子は無いと思うが。だがそれで充分だろう?今の神納の立場を思えば、一時でも逃げ場があることは悪いことではあるまい」
口をもにゅもにゅさせて伊緒里が口ごもる。期待した反応では無いものの、自分の知る三郎太の性格を思えばまあ、妥当な反応だとは言えた。
「だが、まあ」
別にそれに対してサービス精神を発揮したわけではないのだろうが、腰を下ろしかけた伊緒里をチラと見て三郎太は言い足りなかったことを付け足すように、静かに続ける。
「好意を寄せられて知らぬ顔をする程の朴念仁でもないつもりだしな。素直に嬉しいとは思う」
そんな意外な答えに目をぱちくりさせる伊緒里と、「おー」と何やら感心でもしたかのような吾音。
三郎太は姉のそんな反応に、そこまでおかしなことを言ったつもりはないのだが、と首を捻って隣の兄を見たが、次郎はと言えば連日の痛撃に見舞われた鼻の具合を心配しているだけだった。
「……別に驚くようなことか?」
「驚いたとゆーか…うん、まあ弟が真っ当な反応してくれて姉としては嬉しい限りよね。じゃあそれを前提として話を進めるとして……何よ伊緒里。言いたいことがあるなら今のうちに言っておいたら?」
「あー、うん。まあ、ね?吾音もちょっとは……ひっ?!」
弟が朴念仁でないことを喜ぶ前に我が身を顧みたら?と言おうとしたら、斜向かいの三郎太に睨まれて伊緒里は小さく悲鳴をあげた。伊緒里が何を言おうとしていたか察しての、余計な事を言うな、との意なのだろう。
いくら市内屈指の強面が凄んだとて、この場で実力行使に及ぶことなど無かろうが、伊緒里は半分涙目になりつつ向かいにいる次郎に助けを求めようと手を伸ばしたところ。
「なんで無視するのよ!」
「いでぇっ?!」
俺知ーらね、とばかりに三郎太の方に背を向けただけの不甲斐ない長男がいるだけだったので、取りあえず受けた恐怖を怒りに転化して、お盆で引っぱたいておいた。
それにしても昨日から吾音に二回上履きで顔をイワされ、伊緒里にはえり首を締められるわお盆でどつかれるわと、次郎も散々な目に遭うものだ。
「まあまあ。三郎太も何をいきり立ったのか知らないけど、話が進まないから落ち着こ?ほら伊緒里も。次郎にちょっかいかけたいなら後でいくらでもしていーから」
その次郎の難のうち半分を担っていた吾音が都合良く調停者じみて両手で次郎と伊緒里を分ける中、三郎太は一瞬目が合った伊緒里に目だけで謝罪していた。怖がらせて済まなかったな、という意味なのだろうと伊緒里は解釈出来たが、その裏にある意図が読めてしまう鋭敏さが災いして、自分の方は肩をすくめるだけしか出来なかった。
「別に次郎くんに何かあるわけじゃないわよ。いいから話の続きを頼むわ。今日は自治会の活動抜けてきたんだから、せめて物事を少しは進めてよ、もう」
「あんたが自治会抜けてくるって、珍しいこともあるわね」
「誰のせいだと…」
「ありがとね」
「うっ……」
こういう時の吾音は、徹底して狡い。文句を言う伊緒里の機先を制して、にっこりと微笑み礼を言ったのだった。
「……で、未来理ちゃんのクラスではこんな感じだった。塩原渚ちゃん、とてもいい子だと思うから未来理ちゃんとも仲良くなれるわよ。きっと」
「そいつは良かったな。姉貴もいい仕事すんじゃん」
「俺達が不甲斐ないだけだろうが、アホウ。普段神納の教室に出入りしている癖に何の役にも立ってない次郎が上から目線で賢しく論評するな」
「へ、適材適所ってーもんがあんだよ。姉貴の一番の得意分野じゃねーか、たらしこんで上手いことひとを動かすのって」
「ほう、ならば今回の事態で次郎が今までどんな役に立ってこれからどんな成果を上げられるというのだ?」
「少なくとも未来理ちゃんを送り迎えするのは俺が一番適任だぜ?こらからってーと……未来理ちゃんに妙なちょっかい出す女子がいたら任せと……」
「じー」
調子にのって余計なことまで口走った次郎を、伊緒里が藪睨みで見つめていた。
「……こほん。まあそういうわけだから。それより三太夫の方こそ何が出来るってんだよ。そこまで大口叩くってんならよ、俺よりは役に立ってんだろうな?」
「俺など役に立たん方が物事が穏便に動いて良いというものだろう。ここにいて神納の居場所になっていられれば、それでいい」
「それで俺を役立たず呼ばわりたあ、思い上がりも甚だしいってもんだよな。じっとしてねーで少しは頭くらい使ったらどうだ?ああ、無理か。大男総身に知恵が回りかね、って言うもんな」
「…ほう。なかなか言ってくれるではないか。知恵が回らない身に何度も転がされた分際でよく言う。お前の言う知恵とやらは何か、俺を地に這いつくばらせる為の役に立った試しがあるのか?ああそうだな、小男の総身の知恵も知れたもの、と言うからな。お前の知恵とやらも大したことが無いのだろうな。…それともこの場でもう一度気絶してみるか?また会長の膝枕でも堪能するのも悪くなかろうよ」
「あんだと…?俺をどうこう言うのは勝手だけどよ…伊緒里のことまで茶化すってんなら黙っていねぇぞ」
「ほざけ、色男。おなごに良いところを見せようという下心は否定はせんがな。その発露の為の踏み台にされる立場に甘んじるつもりは無い。いいだろう、こないだのように土を舐めさせてやる」
「あーはいはい、あんたたち何が気に入らないのか知んないけどそれくらいにしときなさいって。あと伊緒里。ドサマギで次郎に名前呼ばれたからってそこでポヤーッとしてないの」
「…むぅ」
「…ちっ」
「………はぅ」
いきり立った弟二人と、何やら夢見心地の幼馴染みを落ち着かせ、場のまとまりの無さに怒り出すかと思われた吾音は、話は終わっていないと訳知り顔で話を続ける。
「わたしは別に渚ちゃんと話をしに行っただけじゃないのよ。担任の先生にもちょっと話をつけにね」
「担任?姉さん、いつの間に」
「椎倉さんにちょっと話つけてもらってね。次郎、あんたのコネ使わせてもらったからね」
「葵心さんと直談判したんか。また姉貴にしては意外なトコを攻めたな」
嘉木之原学園OGにしてこの界隈では最も人気のあるケーキ店のオーナーパティシエールは、学監管理部との縁は割にあるのだがそれは主に次郎の顔による。
次郎が意外に思ったのは、椎倉葵心の方は吾音に関心がある風であった割に、吾音の方が興味無さそうだったからだ。それが何故なのかは分からなかったが、吾音の心変わりを訝しむだけの理由はあったと言える。
「それでどんな話をしたんだよ」
「ん?未来理ちゃんの周りに上級生男子の影が無いかどうか、ってこと」
「…はあ?」
「…どういうことだ?」
「…何を言い出すのよ」
三人が呆気にとられたのも当然だろう。
未来理が孤立しているのはクラス内でのことで、そこに上級生だのなんだのといったことが絡むはずもないだろうからだ。
「別に根拠無しってわけじゃないわよ。最初っから気にはなってたんだから。三郎太、そもそも未来理ちゃんがこの部屋に来てあんたの眼鏡をどーのこーのって話になった発端って、何だった?」
「そうしなければクラスで仲間はずれにされる、とかそういった話だったろう」
「よね。で、中等部の一年生があんたの懐に飛び込め、なんてことを言うと思う?」
「………」
腕組みをして考えこむ三郎太。
そして静かになった弟の代わりに、次郎が口を挟んだ。
「そりゃアレだろ。やっぱ高等部で強面の先輩のところに行ってこい、って肝試し的な?」
「まあわたしも一番始めの時はそう思ったんだけどね……三郎太さ、あんた中等部となんか接点ある?」
「去年殴り込みをかけてきた連中ならな。まあ今はこっちの一年だから関係は無いと思うが」
「そのグループの中に、当時の二年生っていたと思う?」
「さあな。いちいち顔なんぞ覚えてはおらん。というか姉さん、何が言いたいのだ。そろそろ分かるように言ってくれ」
降参だ、とばかりに腕組みを解き背もたれに体を預ける三郎太に、吾音は少し痛ましそうな顔になって告げた。
「…未来理ちゃん、今中等部の三年生にお兄さんがいてね。そのグループの中の一人だったのよ」
ただ、三郎太に積極的にちょっかいかけてくるような無謀な子じゃなくて、グループの使いっ走りみたいな扱いされてるようだけど、と。
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