第32話・三歩進んで三歩半下がる連中

 「いきなり呼び出して何事かと思うじゃない、もう…」

 「……あー、その…わりー。けど阿方でないと相談できねー話でさ…」

 「ふうん…私でないとできない話、ね…」


 二人きりで会っているところを目撃されて何かと噂されるのも伊緒里のためにはなるまいと思い、あまり高校生が出入りなどしないと思われる街中の老舗の喫茶店に次郎に呼び出された伊緒里は、最近頻繁に見るようになった次郎の困惑顔を前にして、したり顔で水の入ったグラスを傾けていた。

 次郎が、先刻姉弟でまとまった話を相談するためにこういった場をセッティングしたのだったが、その分時間も遅めで、一度家に帰っていた伊緒里は私服姿だったりする。それが少々着飾った結果のように思えるのは次郎の自惚れというものか。そうではあるまい、と思いたいところだ。


 「で、何の話?わざわざ改まってするような話なのに、吾音のことだったりしたらただじゃおかないわよ」

 「まあ姉貴が噛んでないってわけじゃねーけど。でも改まってってほどでもないじゃん。そりゃ家に帰ってたとこを呼びつけたのはわりーと思ってるけど。もしかしてメシの最中だったりした?」

 「まあ、娘が出かけてくる、って言って親も心配しないような時間帯じゃないけど、でも別に次郎くんに呼ばれて行かないってのも……その、なんだか悪いじゃない…」

 「…さんきゅ」


 急にもじもじし始めた伊緒里を前に、「電話でもよかったけど直接顔見たかった」と素直に言えるはずもない次郎だった。


 「ま、まあ俺の都合で呼んだのもアレだしさ。お詫びに奢るから、好きなモン頼んでいいぜ。ほら、ここパンケーキがそこそこ美味いらしくて」

 「夕飯まだなのよ。お腹いっぱいになっちゃうから、奢ってもらうのはまた今度にするわ」


 また今度、を期待されるのがどこかくすぐったく、次郎は柄にもなく身悶えして伊緒里に「なにやってるの?」と軽く引かれてしまう。


 「お待たせ致しました。ご注文をうかがいますね」


 そんな初々しい高校生カップル…未満が微笑ましいのだろう、次郎が手を上げて呼んだ若い女性店員は伝票片手にやってきて、営業用の範囲を大きく越えた笑顔で二人の注文をとっていった。


 「はい、アイスココアとブレンドですね。少々お待ちください」

 「お願いします」


 そんな生温かい視線に気付く余裕もない次郎が愛想を言うと、店員はまたにっこりの度合いを深めて去っていった。


 「…次郎くんにしては珍しいわね。甘いもの頼むなんて」

 「そうか?この店のココアって言わないと甘味抜きだから別におかしかないけど」

 「よく来るの?」

 「んや、しょっちゅうって程でも。けどこの辺の店は結構情報入れてるから、詳しいもんだと思うぜ?」

 「…ふぅん。なんでそんなことしてるんだか」

 「そりゃもちろん」


 と、得意げな顔になって、けれど柄にもなく緊張した面持ちで、決め台詞を言う。


 「いー感じになった女の子を連れてくのにはさ、下調べってものがいるじゃん」


 目を逸らし照れながら言ったのではいくらか格好はつかないが、それでも「いー感じになった女の子」の様子が気になって、そちらに目を向けると。


 「………」


 眼鏡の奥の、冷ややかな視線にさらされていた。


 「……あっ、あの…阿方?なんか俺気に障ること……言ったっけ?」

 「別に?ただ、女の子を連れ込む手際の自慢なんかされたのでは、風紀の心配をしないといけないわね、って思っただけだし」

 「ええっ?!」


 思わずソファから腰を浮かせかけて慌てる次郎。

 そして、ことこういう話に関して、姉に比べれば鈍くはない頭を必死で回転させると、伊緒里の不機嫌な表情の原因に思い至るものがあって、必死に弁明する。


 「あっ、あのさそーじゃなくって、いい感じの女の子ってのは……阿方のこと…なんスけど…」


 ただし、何故か敬語だった。伊緒里の圧がそうさせたものに違いあるまい。

 そしてそんな弁解を聞かされた伊緒里の反応となると。


 「…………………え?」


 しばしの間、沈思黙考した末に擦れた声でそう言うだけで精一杯、という有様なのだった。


 「え?え?……その、どういう……こと?」


 もっとも時間が過ぎると共に顔が紅潮し、比例するように次郎の方は余裕を取り戻してゆくのだったが。


 「ん、んんっ!……えと、まあそういうこと。だから気に入ってくれればいいんだけどさ……どう?」

 「どどどどうって言われても……ありが…とう……って言う他、ないじゃない…の」

 「……へへ、こっちこそありがとうな、阿方」

 「…うん」


 「……おまたせしましたぁ。アイスココアとブレンドですぅ」


 女性店員が、トレーに二品乗せてやってきてそう言った。

 注文をとったときにくらべて、いくらか引きつった表情だった。




 いい感じの空気になったところで、次郎は未来理の話を切り出す。

 今さら伊緒里に隠し立てするほどの内容も無いし、次郎としても伊緒里にはなるべく誠実でありたいとは思っていたから、三郎太が一人留守番していた管理部室に珍客が訪れてきたところからついさっきまとまった話までを、時計を気にしつつ話して聞かせてみた。

 そして一通り話し終えた時の伊緒里の反応というと。


 「…協力してあげたいとは思うのだけれど…」


 という、少し煮え切らない態度なのだった。


 「やっぱ姉貴が絡んでる話だとイヤか?」

 「ばか、違うわよ。表立って力を貸すつもりもないけど、吾音が関係してるからって伸ばせる手を差しのべないなんて真似もしないわ。ただ単に、中等部の方に知り合いもいないから、ってだけよ」


 伊緒里は、若干傷ついた内心を不満げに頬を膨らますことで誤魔化し、そして遠慮気味な次郎に心配するな、とでも言うかのように微笑んでみせる。

 さて次郎の方はといえば、そんな伊緒里の笑みが眩しく見えて直視できず、自分の発言の不手際に気付きもしなかったのだが。


 「……話を集めるくらいのことなら出来るとは思うけど、どうせあなたたちのことだから、怪しげな道具やコネでそれくらいのことは調べ上げてるんでしょうね」


 だから伊緒里の方も、物言いに少しばかりトゲが含まれてしまうのも無理のないことなのだろう。


 「私、自分が出来ることでならそこそこ有能だという自負はあるけど、何も分からないところで役に立てるかどうかってなると…そういうところは吾音に譲ると思うしね」


 そして、どこか浮き立っていた雰囲気も消し飛び、つい数週間前までの、強気なくせにどこか悄げた陰を背負った印象に戻りかけたところで、次郎はようやく自分が何か失敗をしたらしいということに気付く。


 「…っ?!……あいやまてまて、阿方。俺は別にそういうつもりで言ったんでなくて、姉貴とケンカしてる阿方もけっこー……好きだなー、って最近思わなくもないっつーか、やっぱその、元気ある方がよくね?」

 「…それどういう意味?理由もなくあの子につっかかってる方が見てて楽しいってこと?そして毎度毎度転がされてる私を見て満足してるってわけ?悪趣味過ぎない?」

 「だーらなんでそうなるんだよぅ……その、姉貴とのことはともかくとしてだなー、笑ってる方がいいっつーか……とにかく、あんまそんな暗い顔すんな、っつってんの!」

 「なによ暗い顔って!どうせ私は根暗の冷たい女ですよっ!そうね、吾音みたいな誰ともすぐ仲良くなれる明るい女の子の方がみんな大好きだものね!次郎くんも残念だったわね、血が繋がってなければ一番近いところにいられたのにね!」

 「言うに事欠いてなんつーこと言うんだっつーの…」

 「悪かったわねっ!!」


 ふんっ!…と、音が聞こえるくらいに鼻息荒くそっぽを向く伊緒里。

 傍から見れば、自分で名前を出した吾音に嫉妬するという可愛らしく自爆した姿なのだろうが、当事者たる次郎にそんな余裕はない。その上、うっかり「めんどくせーやつ」などといった本音を匂わせただけで、明日からは家族友人クラスメイトに針のむしろのカーペットを敷かれるだろうことは間違い無いだろう。


 「…なー、またここで俺がよく分かってないこと言って阿方を怒らせるいつもの流れになりたくないから先に謝るけどさー……ごめん、俺マジで阿方がなんで怒るのかが分からん。けど、それでもさ、頼りにしてんだよ。だから、ホント謝るから…話してくんね?」

 「………」


 って、結局よく分かってねーじゃん俺…と、真正面から自分を見据えてぼやく次郎を、伊緒里は無表情に見やる。こういう男の子だ、と分かってはいても、歯がゆくはなる。

 けれどそこまで下手に出られては、伊緒里も自分の感情がワガママから来ているものだということ、くらいは気がつく。

 かといって素直にそれを認めるのも何か癪に障り、伊緒里は冷めかかっていた、けれど猫舌の吾音だったら一口で吹き出していただろうな、と思って口の端がほころぶ程度には熱いコーヒーのカップを、ぐいっとひと息にあおって「ごちそうさま」と多少しおらしくなった態度で、ソーサーに置いた。

 ただしその手付きはいささか乱暴だったようで、次郎は「ひぃっ?!」などと悲鳴じみた吐息をもらし、軽く仰け反っている。


 「…ごめんなさい。ちょっと子供っぽかったわね」

 「……お、おー…あ、いやそんなことはねーけど…」


 じろり。

 やっぱり完全に気の晴れた思いにはなれず、眼鏡のフレームの上から、レンズを徹さない視線で次郎を一瞥する。


 「……すまね」


 もうそんな必要もないだろうに、次郎は深々と頭を垂れていた。

 そんな態度に接してしまうと、もうやめてよ、と口を尖らせて思うのだ。軽佻浮薄で鳴らした鵜ノ澤次郎は、自分の前でだけこんな格好をする。

 それがどんな意味を持つのか、敏い伊緒里には痛い程よく分かる。

 言葉にはしないが、その行動で次郎は伊緒里に誠実であることを示す。それに甘えている自分はなんなのか。とんだ構ってちゃんなのではないか、これでは。


 「……もういいわ。次郎くんが真面目に話をしてるのは分かったから」

 「…うん」


 俯いた姿勢から上げた顔は、まだどこか晴れ晴れしいとは言い難かった。

 けれど、けして目を逸らさず、自分の整理ができてない本心から洩らした言葉などにも、安堵したように頷いているのを見ると。


 「……どした、阿方?急に顔赤くして」

 「…なんでもない」


 一度は勢い任せに告白まがいのことをしてしまいそうになったことを、思い出すのだった。


 (なんで今さらこんなドキドキしてるの、私っ!…デ…二人きりで遊びにいったことだって、何回かあるのに…もう)


 吾音が居合わせたら、きっと背中を蹴飛ばしたくなるだろう場面である。どちらの背中を、かは定かではないけれど。


 「分かった。私個人としては繋がりはないけど、何か名目を作って中等部の生徒会の子に話を聞いてみる。私だってそんな話聞かされて、その神納さんの助けになりたいって思わずにはいられないもの。それに…」


 と、ここまで口にして一瞬口ごもる伊緒里。多分そこから先は、今までだったらいろいろ葛藤した挙げ句呑み込んでいただろうけれど、鵜ノ澤家の面々との関わりが変化を見せていることを否定出来なくなっている今ならば、と伊緒里は意を決して言う。


 「そこまで私をあてにしてくれる次郎くんを無下に出来ないもの」


 そして次郎の反応を待たず、眼鏡を外してにこりと笑った。我ながら最高のタイミングと、絶品の笑顔だったと思う。


 「あ、すいませーん、お冷やくださーい………あ、ごめん。で、なんだっけ?……うわぁっ?!」

 「なんだっけ、じゃないわよこのデリカシーマイナス男!私が今どれだけ思い切ったことやったか分かってそういうこと言う?!ねえ!!」

 「ちょ、ちょお落ち着け伊緒里!なんか赤い顔してたから暑いのかと思って水もらおうとしただけ…」

 「あなたも吾音もほんっっっとそういうところそっくりよね!私が決心した時に限ってそうやって茶化すところなんかもう私の前世からの宿敵だとしか思えないわよ!この口?この口が全部悪いの?!それとこのアタマの中身が存在するだけで私は心休まないっていうのっっっ?!」

 「いへ、いへえっへふぁ!」


 次郎の襟を掴んで前後に揺するところから始まり、それでは気が済まなかったのか続いて両手で次郎の頬を千切れんばかりに全力で抓み、やっぱり前後に激しく往復させる。

 抗議の声もあげられず、次郎は何でこんなことをされてるのか皆目見当もつかない混乱した頭を揺さぶられ、次第に気が遠くなっていく。


 「ちょっ、お客様?!それくらいにしておいた方が…」


 微笑ましく思えた次には胸焼けをしそうな場面に出くわし、そして最期は痴話喧嘩の仲裁をさせられた女性店員こそ、きっといい面の皮だったというものに、違いなかった。

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