第30話・そこかしこで行われる釣果の確認

 「おい、次郎。貴様また使った機材のリカバリーしておかなかっただろう」

 「あー、そうだっけ?わりい、忘れてたわ」

 「…お陰で余計な時間がかかったがな。姉さん、大体分かった」

 「ん、どう?」


 これからご飯だから程ほどにしておきなさい、という母親の声をてきとーに聞き流して、三人は縁側に出てきた。

 ここだと母の志緒の目は届かないから、密談には向いている。

 その代わり祖父の耳に入る可能性も普段ならあるが、今日に限っては仕事でまだ帰宅していなかったりする。


 「で、何が分かったの?」


 と、吾音は台所から失敬してきたニンジンスティックをかじりながら、早速尋ねる。


 「やはり神納未来理は二課の興味をひいているらしい。仁藤亜利の研究だろうから、佐方のおっさんは関係なさそうだがな」

 「研究、ってなんなのさ?」

 「お前は少し反省してから参加しろ……まあいいか。で、研究の内容だがな。成長に偏りのある児童の、才能や資質をただしく汲み上げるための研究、というところらしいな。あの子、年齢にしては幼い印象だったが、学校の成績やら知能テストはとんでもない結果残してるぞ」

 「ふぅん…妙に理解の早い子だな、って思ってたけどそーいう事情があったのね」


 ニンジンを加えたまま、吾音はそう感心する。


 「で、次郎の方はどうだったのだ。送っていった先で空気を読むくらいはしたんだろうな?」

 「何のために姉貴が俺を送りにつけたかくらい理解してらあな。ま、今の話を聞いて納得する程度には浮いた存在だったよ。余所余所しいっつぅか、俺が付いていたせいでまだマシだったのかもしれねーけどな」

 「未来理ちゃん、そーして大人に気を配られてたりテストの成績良かったりするとやっかみなんかで変な構われかたしてるかもね」

 「だろうな。全く、一人の子供にだけ目をかけても意味が無いだろうにな。仁藤亜利も研究者としてはどうだか知らんが、教育者としては浅はかな奴だ」

 「…うん、そうね」


 吾音はゴクリと音を立てて口中のものを飲み込んでから、少し深刻そうに言う。


 そういう反応を吾音が見せるというのも、自分たちが中学生だったころを思い出すからだった。

 次郎は今と変わらず要領よくやってはいたが、三郎太はその根本の気の優しいところに似合わず、早くから魁偉な容貌であったから、特に周囲の反応について吾音が気を揉むことが多かったからだ。


 「未来理ちゃんもさ、才能だとか勉強が出来るとかじゃなくって、学校行ってて良かったなあ、って思えるようになればいいな」

 「…だな」

 「俺も珍しく姉貴に同意」

 「それどーいう意味よ、次郎」


 余計なことを言って次郎が吾音にやりこめられる、いつもの鵜ノ澤姉弟の光景だった。


   ~~~~~


 「課長、朗報だ。連中のってくれたぞ」

 「たかが高校生を思い通りに動かせて程度で朗報というのも、些か大人げなさ過ぎませんか?」


 とはいうものの、吾音と三郎太による被害がようやく癒えた二課のオフィスにいれば、それくらいの感動が生まれるのもやむを得ないところだろう。

 課長のデスクについて読んでいた学会誌をポンと投げ置きながら、相変わらずむさい態の部下をそう窘めて言うが、どれほど効果のあることだろうか。


 「そうは言うがな、思うように動いてくれる連中ではないからな。仕込みが上手いっていることを確認出来たことを含めて、僥倖というものだよ」

 「この際悪だくみはどうでもいいです。神納未来理の方は?」

 「接触があったことで思うところはあるだろうな。さて願わくば、彼ら彼女らにとって幸いな出会いであらんことを、というところか」

 「あとはなるようになれ、と言っているようにしか聞こえませんね。まあいいです。今回は世話になっている身ですから、あなたの感想にいちいち文句をつけるつもりはありません」


 仁藤亜利は、デスクワーク時にのみ着用するメガネを外しながら言った。

 自身の言う通り、現状では上機嫌な佐方同徳の口を塞げる立場でもないのが面白くはない、という顔つきだった。


 「なに、普段世話になっているのだ。たまに恩返しくらいはさせてもらおう。で、この先どうするのかね?いや、どうなると思うかね?」

 「…鵜ノ澤吾音が絡んでいるのですから、あなたの方が想像つくのでは?」

 「考えることを放棄するのはよろしくないな、仁藤課長。あなたの知る神納未来理像と、私の知る学監管理部の実態をつき合わせることで、より正確な予測が生まれるというものではないか?」

 「昼間っから余所様の子供のやることにあれこれ論評するのが、いい年をした大人のやることなんですかね」

 「日本では八月になるとそこかしこでそんなことをしていると思うが」

 「私は高校野球に興味ありませんので」


 もう話は終わり、と右手をひらひら振って無遠慮な部下を追い出そうした亜利だったが、つまらん奴だ、とでも言わんばかりのため息で応じられて流石に腹が立つ。


 「…何が言いたいんです?」

 「さてな。私にもこの先どうなるか想像がつかん。望ましい方向は確かにあるが…人間を相手にした研究で、そのように考えて目を曇らせるのも本意ではない。となれば、共犯者の意見の一つでも聞いてみたいと思わないかね?」


 わたしはあなたと共犯になったつもりはないのですが、と言いかけたが、そんな口をたたけば、ますますこの男は調子にのる。

 であれば、さっさと話を済ませてしまう方がまだ精神衛生上マシ、というものだろう。

 亜利は、ため息をついてメガネをかけ直す。

 ふむ、その方が美しさが引き立つ、などという勝手な評価を述べる姿が死ぬほど似合わない部下だった。


 「…もともと障害によって世間に見出されなかった才を逃さないのが目的ですからね。神納未来理の周囲にある環境の変化によって自身が前向きになれようと、それによって才能が失われるのは、本意ではありません」

 「……それはまた、えらく達観したことだな。てっきり小さな子供の境遇に同情してのことと思っていたのだが」

 「研究者としては、ですがね。ただ、あなたの支持する鵜ノ澤の三人。それが私の思う通りの人物であるなら…」

 「あるなら?」

 「……私の研究の邪魔には、なるかもしれませんね」

 「…意味をうかがってもいいかね?」

 「それくらいはご自分で考えてください。それよりあなたはどう見立てているんです?」

 「面と向かっての腹の探り合いは面白くないのだがな、仁藤課長」


 面白くないのじゃなくて、苦手なだけでしょう、あなたの場合。

 伏せた顔からの上目遣いにそんな意図を込めて見る。


 「…まあいい。恐らくは中等部への介入を始めるであろうな。口では面倒だと言いながら、な」

 「そうですか」


 それで充分だ、と言わんばかりに引き出しから決裁待ちの書類を取りだして眺め始めると、上司のそんないかにもな態度に気分を害したのか、同徳は顔をしかめて、それでも自己顕示欲だけは一切欠けることがないのか、滑らかに口を走らせる。


 「私の計画に叶う人物であるのなら、けして神納未来理を見捨てるようなことはあるまいよ。接触、それから同情。まずそんなところだろう。そしてその立場を理解して次にやることは…」

 「………」

 「………」

 「…………」

 「……訊かないのかね?」


 流石に胡散臭いものを見る目で見続けられるのは居心地が悪いのか、鼻白んだ表情になる。


 「…いえ、あなたに相談したことを少し後悔し始めたところです」

 「それはまたなんとも仕え甲斐のないことだ。理由くらいは教えてもらえるのだろう?」

 「理由も何も、私の研究への影響が大きすぎるように思えます。神納未来理のありのまま、が本来の私の研究対象なのですけれどね」

 「先程の、邪魔になる、という意味合いかね」


 黙ったままの亜利の首肯にも、それは悪いことをしたものだ、と悪びれる様子もない。

 ただそれが、佐方同徳の冷酷無慈悲を示すものではない証しなのは、続く一言によって明らかなのだろう。


 「…ならば、せいぜい神納未来理本人にとって、良き出会いであることを願ったらどうかね。研究者としてはいささか半端な心情ではあろうが…教育者として、この引き合わせに意味があると考えるのは、決して相反する態度とは思えんがね」


 亜利は、年長の部下の顔に意外なものを見たような気がして呆気にとられる。

 少なくとも、部下としては油断のならない相手であるし、自分も決して経験豊富ではない、世間的には若造、小娘扱いされてもおかしくない年齢だ。

 それだけに、角突き合わせる間柄であるような関係にあって、むきになって対抗しようとしてはきたのだったが、この時初めて、その言を素直に耳に入れる気になったのかもしれない。


 「……そうですね。望むような結果がどんな形であるのか、それも含めて観察者に徹することも、時には必要なのかもしれませんね」

 「ほほう、また随分と殊勝なことだ。ま、そうであればこの度は上司と見解も一致したことだ。これ以上の手出しは控えるとしようか」


 この時、この相変わらずの胡散臭い物言いに警戒感でも抱いていれば、佐方同徳の口角にあった嘲笑の色を見逃すこともなかっただろうが、それは若さ故の看過、というものだったのだろう。

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